伯爵令嬢の二日目
「アマーリア様」
夜明けの鐘も鳴らない未明。他の奥方の使用人から情報収集をしてきたクラウスは、すやすや眠るアマーリアの肩を叩く。
「うん……?」
肩を叩かれ目を覚ましたアマーリアは目を擦りつつ事情を尋ねた。
「そう、伯爵令嬢の方がヤバいと子爵令嬢が見せかけているのね」
若干胡乱な瞳ではあるが、クラウスからの報告を簡易的に噛み砕いたアマーリアはクラウスに問い掛ける。
「でもクラウス、それは起きてから教えてくれても良かったんじゃない?」
カーテンが下りる窓を見やりそう言えば、クラウスは一瞬確かに、という顔をした。が、すぐにデフォルトである無表情に戻り、静かに部屋を出て行った。
「全くもう……」
クラウスを叱る気にもならないアマーリアは、そのまま久方ぶりの二度寝を堪能した。
「ふあ~あ」
次にアマーリアが目覚めたのは二度目の鐘が鳴った時。アマーリアが起床したのと同時にクラウスも部屋に現れ、カーテンを引く。今度は明るい青空が見える。
「いい天気ね」
差し込む日差しは柔らかい。中庭での読書が捗りそう、と考えたアマーリアは朝の支度を始めた。
「うん、階段を上り下りしないでもお水があるっていうのは素晴らしいわ」
塔暮らしの時は皆が寝静まった頃に水場に行き、桶で水を塔まで運んでから使う暮らしだったアマーリア。部屋の中に水桶が、しかも水属性の魔鉱石まであると来た。材料である魔鉱石は限られた場所でしか入手できず、属性鉱石に加工するのも一手間であるモノが普通に部屋にある辺り、公爵家の経済状況が知れる。
「私にも魔素が扱えると思うけど、その為の指輪が手に入らなかったからね」
大気中に存在するらしい魔素。それを扱うには専用のアクセサリーが必要であり、そのアクセサリーは目玉が飛び出る程ではないが高価で、そんなものは当然アマーリアには与えられなかった。
買ってもらったと自慢していた姉曰く、それがあれば適正は関係するもののちょっとした魔法というものが使えるようになるらしい。
火を灯したり、水を出したり、ちょっと明るく出来たり、という加減の。
そして人為的に属性鉱石を作る為には、そんな魔法が使える職人が魔素を変換した魔力というものを作りたい属性に応じた環境で流し込むのだそう。
水場で重宝する水の魔鉱石を作るのなら川や湖、海などという水に因む場所で。
そうして作られた属性魔鉱石は魔力を流せば水が出たり、火が出たり、照明代わりにもなる。
「ジーク様におねだりしてみよう」
アマーリアの夢である。魔法を扱うというのは。
言葉は軽いものの、死んだ目をして支度を続けるアマーリアの希望という言葉は黒く塗り潰されている。
「……さて」
鏡に映る洗顔をしてすっきりした顔。梳いてつやつやになった母譲りの白髪。親戚には老人のようだとバカにされた髪色だが、アマーリアは気に入っている。汚らわしい獣とお揃いだと言われた赤眼も。
「流石にドレスを一人で着るのには無理があるわ」
衣裳部屋に移動し、ドレッサーの前でアマーリアは困り果てていた。
ここに存在するドレスは全て出先で着るようなものばかりで、コルセット込みで着用して成り立つドレスだった。しかし、コルセットのみなら細身のアマーリアであれば別に無しで着用してもなんとか誤魔化せる。問題は、紐が全て背中で結ぶタイプのモノが殆どだということ。
「クラウスを呼ぶわけにもいかないし、何かないかしら……」
軽く100を超えるドレスの中を泳ぎ、アマーリアは漸く目当てを見つけた。
「まあ、うん、いっか」
高いウエストラインからすとんと落ち、肩がふわりと膨らみ多少の刺繍とレースとリボンで飾られたクリーム色のワンピース。
シルエットが膨らんでいる他のドレスより大分質素ではあるが、その分、アマーリアの儚さが際立っていた。
「化粧は必要ないかな」
鏡に映る姿を見、特に問題ないことを確認したアマーリアは衣裳部屋を出る。
「お似合いです、アマーリア様」
「ありがとう」
衣裳部屋の前で控えていたクラウスが褒めると、アマーリアは少し驚きつつはにかむ。どこでそんなことを覚えたのだろう、と疑問に思ったアマーリアであったが、そこは気にしないことにした。
「今日はいかがなさいますか?」
ソファに腰掛け、茶の支度を始めたクラウスにアマーリアは首を傾げる。
「クラウス、その指輪……」
クラウスの言葉を流したアマーリアは、自分が与えた覚えのないものがクラウスの指に嵌まっていることに気付く。
金色の装飾石が付いた、それは。
「魔素を扱う為の指輪です。この家は魔鉱石がかなり使われていて無いと不便だろうと、ジークムート様が」
通りで火も掛けていないのに熱湯が出てくるわけだ。と納得したアマーリア。使用人にさえ指輪が与えられるのなら、頼めば本当に用意してくれるかもしれない。そう目を輝かせたアマーリアの前に、クラウスが手を差し出す。
「予備も頂きたいとお願いした所快く用意して頂きました。アマーリア様の分です」
仕事の早い使用人は、ちゃっかり主人の分まで確保していた。
「ジークムート様がこれは余り質の良いものではないので本当に使用人が使うくらいしか出来ないが、とはおっしゃていましたが、アマーリア様はそれでも欲しがると思いましたので」
少し微笑んだクラウスがアマーリアの手を取り、右手の中指へそれをするすると嵌めていく。指の根本で止まり、クラウスが手を離せば、緩かった指輪はアマーリアの細い指のサイズへ縮む。
赤い装飾石の付いた指輪。その指輪がきらりと反射して、アマーリアは感謝を述べた。
「アマーリア様、もう五の鐘が鳴りましたよ」
「うん……」
本日の予定はクラウスが思わぬ所から夢を叶えてくれた為、それの続きで埋まった。
指輪を受け取って以来魔素を変換して遊んでいたアマーリア。意味もなく水桶に水を増やしてみたり、お風呂を沸かしてみたり、それはそれははしゃいで遊び潰した。
「まさか壊れるとは」
そうして遊んでいたら、ぱきりと石に罅が入り、粉々に砕け散ったのだ。同じようにして付き合っていたクラウスの指輪は無事なのに、何故自分のだけ壊れるのだとアマーリアは茫然と五の鐘が鳴るまで粉々の残骸を眺めていたのだ。
「おかしい、不良品だったのかしら」
ぶつぶつ文句を垂れるアマーリアをソファに戻したクラウスは残骸を集めて証拠を隠滅する。
「やっぱりジークムート様におねだりしてみましょう」
もう少しいいのを、と一人そこでオチを付けたアマーリアは気を取り直してクラウスに向かう。
「クラウス、図書室なんてものはあったかしら?」
「伯爵邸程ではありませんが、そこそこの蔵書はありました」
「そう、明日はそこに籠もることにするわ」
アマーリアは本が好きだった。先代当主が本の虫であったように。しかし、先代が亡くなって現代当主へ代替わりした際、アマーリアは図書室への立ち入りを禁止された。以降は誰も立ち入らないからと厳重な鍵が取り付けられたが故にこっそり持ち出すことも出来なかった。故に、アマーリアは本を読むことが出来ず、今クラウスから聞いた図書室があるという出来事に喜ぶ。
「……お父様の本は、全て売られてしまったかしら」
遠い目をして、音にするはずではなかった言葉が漏れた。
「お食事をお持ちします」
ソファの肘掛けに肘を付いてゆったりと睫毛を伏せたアマーリアを見たクラウスは、後回しになっていた食事を取りに行く為に部屋を出た。
「きっと、残ってないわね」
あの家の財産で価値があるのは、もう本くらいしか残っていなかった。それでも夫妻が豪遊を続けていたということは、きっと、そういうことなのだろう。
久々に感じた両親への寂寥を胸に、アマーリアはクラウスが戻ってくるのを待った。
「お待たせして申し訳ありません」
クラウスが戻って来たのは、それから一時間余り後のこと。どう見ても出来たてなその料理を見て、アマーリアは察した。
「お疲れ様、クラウス。気にしなくていいわ」
テーブルに並べられる料理は、貴族にしては種類が少ないものの、残飯しか食べれなかった塔の時より大分豪華であり、アマーリアに不満などない。
「結局どこに行っても同じなのね」
クラウスを同じテーブルに着かせて共に食事をしている光景は誰かが見れば咎めるが、誰も見ていないので気にせずアマーリアはクラウスに食事をさせる。
そしてなんでもないように、そう吐き捨てた。
「食材は使っても咎められませんし、厨房も使えるなら使えば、みたいな感じでしたので大分マシかと」
「そうね」
曲がりなりにも伯爵家から嫁いできた令嬢に食事を用意しないとは、かなり他の令嬢から圧が掛かっているらしい。しかし、アマーリアとクラウスからすれば材料が存在するだけ、調理することが出来るだけ全然有難いものである。
「クラウス、どうせなら交代で作る?」
「……アマーリア様はお部屋にいてください」
かつて食べたアマーリアの料理を思い出して逡巡したものの、なんとか耐えたクラウスは首を振って答えた。
「残念」
くすりと笑い、諦めたアマーリアは食事を再開するのだった。




