ケープトンと精霊
「おや、クラリス君……ふむ、何やら急ぎのようだね?」
王城というものはそれはそれは広いもので、クラウスがアマーリアを客室へ届け、駆け足でルーカスの匂いを追って追い付いたそのときも、彼は廊下を歩いていた。
先程と打って代わり、一人きりであるからかより険しい顔で自分を見るクラウスの表情から何かしらの問題が伝わってしまったのだと理解したルーカスは、もうすぐそこである自分の執務室へとひとまず客を招き入れる。
「この国は、精霊に、妖精に、何をしたのですか?」
「……早速だな」
後ろ手で部屋の内鍵を掛け、誰も入って来れないようにしたルーカスを見届けたクラウスは、荒々しい語気でそう問い詰める。
国へ入ってきたときから感じていた違和感は、この城のホールで一番強くなっていた。それを知らなかったクラウスは予め対処することが出来ず、アマーリアをあんな目に遭わせてしまった。
「何故、ただの一国に堕ちた精霊がいるのですか」
「……」
態度を取り繕うことさえしないクラウスを責めることなく、ルーカスは自分に向けられた言葉を静かに呑み込む。
「君には、見えるのか?」
「いいえ。ただ、感じるだけです」
全てのきっかけを知っているルーカスは、自分達よりそれらに近しい獣人ですら認知出来ないのかと、落胆する。見えなければ、対処すら出来ないのにと。
「……長くなる。構わないか?」
「ええ」
それでも、自分達よりも圧倒的に早くそれらに気が付き、こうして尋ねて来た彼には話しておいて損はないだろうと、ルーカスは前置きをした上でぽつりぽつりと話を始めた。
『ルーカス!』
「フェリックス様、一人で遠くへ行かないでください」
それはまだ、王太子が決まる前のこと。
第一王子、フェリックスは、王と第二妃の間に生まれた子供だった。生まれながらに活発で好奇心旺盛、勉学はそっちのけで遊び回る姿はとても第一王子の品格とは言えなかった。
故に、王位が長子相続ではないケープトンでは第一王子誕生から一年後に王が正妃との間に儲けた子供が誕生した際には、その第二王子が王太子に選ばれるだろうと派閥が割れた程。
数年間そんな動きが水面下であった中、その派閥間の関係性を壊したのは、当時齢十であった第一王子。いつも通りレッスンをほっぽりだして何処かへいなくやったと大捜索していたら、幻の妖精処へと導かれたと言ってひょっこり帰って来てから。
それから人々には見えぬ精霊の類いと交遊を始めながら、人が変わったように勉学に打ち込む姿が見られようになる。
最も優秀な者が王位を継ぐ中で、血筋も勉学も剣も第二王子に劣るとされていた第一王子が十五のときに王太子へと選ばれたのは、そんな主に背景があったからだとルーカスは言う。
「歴代の王は、ごく稀に妖精処の主人と仲良くなることで臨時の際に力を貸してもらっていたという。故に、妖精処に導かれたフェリックス様に軍牌が上がるのは当然のことだと言えよう」
人智より遥かに上回るその力を少しでも宛に出来るのならと考えた人間は少なくなかった。だから、第一王子が王太子へと選ばれた際も表面上では問題がなかったという。
「ただ、そこには見落としていた点があったのだ」
かちゃりと、話ながら用意していた茶器をクラウスの前に置いたルーカスは、顔を上げた。
「……精霊信仰というものは、知っているだろう?」
そして重々しく、再び語り始める。
各国には教会というものが存在する。それはこの世界で最もメジャーな女神信仰であったり、女神よりもより人々の生活に根付いていることから精霊信仰であったり、はたまたどちらも人々を守るということから両方を奉っていたり。
国によって差異はあれども、大概は何処の国も女神信仰か精霊信仰で、同じ神々に属するものという観点からお互い喧嘩することなく尊重し合っていた。
しかし近年、ここ数十年程で新しく出来た信仰が、人間至上主義である。
姿も見せずただ存在するだけの神々の類いよりも、人智を極めた人間の方が遥かに優れているという、そんなぶっ飛んだ宗派。
叡智に優れた人間こそがこの世を統べるのが正しいと思っている彼らは片っ端から人でない者達を害し、捕獲し、管理することが使命だと思い込んで行動をしている。
何処に本陣を据えているのかもわからないのに、年々増え続ける被害にはケープトンも頭を抱えていた。そしてケープトン以外に、そういった事例がないということも。
そして精霊が見え、その力を宛にフェリックスが王太子へと選ばれて以来、行動が過激になっているということも。
「……最初は、君のような獣人から始まった。そして半人、弱き人間と来て……最後に捕まったのが、精霊だった」
「精霊が捕まる?」
「ああ」
ケープトンを主軸に動いていることは間違いない。そういったことからルーカスを始め、妖精や精霊の類いを認知出来る魔術師を集めて調査を行ったところ、ある場所で精霊の痕跡がぱったりと消えていたという。
「そう、あのホールだよ。フェリックス様曰く、あのホールに入ってしまった精霊達は、同じ姿では二度と見ることはなかったと」
「……」
「あの子達を、君は堕ちた精霊と言ったな。それはどういうことなんだ?」
ルーカスから説明されたことを、クラウスは呑み込むことが出来なかった。精霊に生かされてる側の人間が、その彼らを害して捕まえ、存在を変えたというその事実が。
「……精霊は、美しい場所でしか生きられません。だからこそ場所を巡り、一番居心地の良い場所を次から次へと探す生き物です。ただ、美しくなくなってしまった場所に何かしらの理由があって囚われてしまった精霊は、堕ちるとされています」
「……そうか」
先程のように、アマーリアの中に堕ちた精霊が入ってきたのは、ただでさえ人間としては彼らを感受しやすいアマーリアが精霊に当てられて体調不良を引き起こし、器の容量を超えて意識を失ったからである。
堕ちてしまったとしても、元は精霊。美しい魔力と、その血を持っているアマーリアに惹かれた彼らが救いを求めて彼女の中へ入り込んでしまったのだ。
「彼らに何をしたのかと問うたな。だが、それは未だ我々にもわからないのだ。ある日突然、ホールに遊びに行った精霊が戻らなくなったことを知って初めて、精霊達が人間に害されるということを知ったくらいだからな」
しかしそれも全て、精霊を完全に視認することの出来たフェリックス様がいたからこそ、知れた事実だった。
だがあの日、フェリックス様が亡くなってしまったあの日、その時点で異教徒の捜索の道は完全に閉ざされた。
だからこそルーカスは自分達よりは精霊に詳しいであろうクラウスへ内情を説明し、少しでも手掛かりを得られればと藁にもすがる思いで話したのだから。
「……一つ、心当たりがあります」
「なんだって?」
「確かではありません。聞き覚えにあるくらいの、本当に宛にはならない話です」
「構わない。教えてくれ」
そんなルーカス達、ケープトンの思惑を知ったクラウスは、記憶の片隅に埋もれていた話を引き出して、曖昧ながらも一つの可能性を口にした。
「数百年前。いくつもの文明が失われたとされるその時代には、精霊の類いを捕まえ、ただ苦しめる為だけの魔道具が存在したといいます」
全ての文明が最も栄え、故に滅んだとされる失われた歴史の一角には、今では考えられぬ程魔術の類いも進んでいたとされ、その中には一つ存在するだけで国を滅ぼす程の威力を持つ魔道具すらも存在するという。
そんな中で、今でこそ耳にしない闇の魔術に必要な生贄を効率良く集める魔道具があったのだと、クラウスは聞いたことがあった。
「魔道具、だと……?」
「言った通り、確かではありません」
もしもクラウスの話が真実で、そんなものが本当に存在するのならば自分達には企てる手立てがない。そんな国宝にもなり得るものを宗教が持っているなど考えられもしないが、そんなことがあった場合にはどうすれば良いのかと、途方もない現実にルーカスは絶句した。
「ただ、そうでもしない限り精霊達は人間になど捕まらないでしょう」
そしてそんなルーカスへ、クラウスは追い討ちを掛ける。
「……ただ、それよりも……」
ぶつぶつと、一人自分の世界に籠ってしまったルーカスにはクラウスの呟きが聞こえない。
「堕ちた精霊は何故、世界樹へ戻れない?」
本来であれば、妖精よりも力を持つ精霊が堕ちてしまってもいずれ世界樹に導かれて妖精となって傷を癒し、再び精霊となり世を漂うものだとクラウスは教わっていた。
それが、世界樹の理だとも。
「……」
離れ過ぎて、現状が一切わからないクラウスは説明出来ないそれらを悟られる前に思考に没頭するルーカスを置いて執務室を出た。
「……こほん、意識を切り替えなくては」
うっかり苛々したままルーカスのところへ乗り込んでしまったクラウスは、アマーリアの元へ戻る前に一度咳払いをしてから侍女の自分を引っ張り出して客室へと戻っていく。
ただややこしくなった現状を、俯瞰しながら。




