伯爵令嬢と吉凶
アマーリアが一人宿で待つ中、クラウスはケープトンの城へと向かっていた。
『お城に戻られるんですか?大丈夫ですよ、先程も言った通りここには限られた人間しか立ち入ることが出来ません。正直お城よりも安全なので、お嬢様お一人でも傷一つ付くことはないです』
門番へ宿の場所を知らせるため、宿屋の少女に一報を頼みたいと相談したところ、一番の気掛かりであった点を察した少女がそう答える。
少女の言葉だけでは安心出来なかったであろうが、その奥、少女の肩口で揺れる精霊が『任せろ』と頷いていたからこそ、クラウスはアマーリアを宿に置いて城下町の屋根を駆けていた。
「なんだ?影が一瞬……」
「大鳥か何かか?にしては姿が見えないな」
「まあ、それより……」
クラウスの通り道、大人が五人程両手を広げても尚余裕のある通りを跳躍で跨げば、そんな会話が一瞬聞こえてくる。姿を捉えられる前に視界から消え失せるクラウスを見つけられる人はおらず、少しでも早く戻りたいクラウスは最短距離である屋根を駆け、馬車で数十分程掛かった距離をものの数分で移動した。
「あ、バーゼルト公爵領の方ですね。こちらへどうぞ」
未だに長蛇の列を作る馬車を尻目に、詰所の方へ移動したクラウスを見つけた門番が招く。先程対応した人間とは変わっているが、報告が行き届いているのかクラウスは滞りなく詰所へと移動した。
「……早いですね?」
詰所にて、事務処理を行っている恐らく管理職に値するであろう先程の門番の前へ案内されたクラウスを見た彼は、異様に早い報告に首を傾げる。
「何処か手頃な宿が空いておられましたか」
招聘客が増える中、一方でその護衛をする傭兵やら噂を聞き付けて商売時だとやって来た商人やらが増えているこの王都で、運良く近場の宿を押さえることが出来たのだろうと判断していた門番。
「取られた場所はどちらでしょうか?」
これ程早く戻ってきたのだから、メインストリート街にある有名所な名前をいくつか脳に上げつつ、すぐ書けるように彼はペンを持つ。
しかしそんな平凡な彼の予想は、大きく覆されることとなる。
「妖精処、という宿です」
「……は?」
この場に勤めて早十数年あまり。様々な高貴な方々と会い、それなりにぶっ飛んだことに対する耐性は付いていたはずだった。
一晩で己の生涯給金よりも多い取引を行う商人も、遊びに明け暮れて全財産を尽き果てさせた領主も、国家間の不明な会合も。けれども所詮、全ては想像出来る現実上の話。
一方で、公爵領の従者が名を上げた場所は、最早伝説となる架空の宿。
「……はは、ご冗談を」
辿り着けばどんな願いでも叶えられるという、大精霊の棲みか。ケープトンの何処か、招かれた者だけしか入れない場所、何人たりとも通れない、物語の上だけで紡がれるそんな場所。
そんな場所に、辿り着いたという人間が二人。しかも他国の領の人間で、からかっている様子も見受けられない。
「……冗談でしょう?」
「いえ」
門番は顔を青ざめさせる。
再度問い掛けても尚変わらぬ返事に、自国の人間ならば幼子でも知っているお伽噺でも、他国の人間ならば知らなくてもおかしくはないと思ってしまう程に泰然としたクラウスの態度に。
それが、時間が経つ毎に冗談だと撤回されない、言葉に。
「ま、待ってください。本当なんですね?」
「宿屋の少女はそう言ってましたが……」
三度繰り返される問いに、クラウスは漸く自分達が何かをしでかしたらしいということを察する。想像以上にあの宿の『審査』は厳しく、誰でも跨げる場所ではないということも。
「少々、お待ち下さい。上の者を呼んで参りますので」
伝説の名を残す冒険家ですら、自国の妖精処を見つけることは出来なかった。もしその場所が本当に存在して、大妖精の力を借りられるのはらそれは国家の武器となる。
故に、自分一人では判断しきれないと英断を下した門番は足早に奥の執務室に駆け込み、海の向こうで通信用に発明された魔道具を手に取った。
『珍しいですね、どうしました?』
『至急、こちらへ来ていただけませんか』
『はい?今、打ち合わせ中なのですが……』
『妖精処を見つけたという客人が、いらっしゃるのです』
『すぐ行きます』
気怠そうにこちらへ掛けられた声。上司、というよりは妖精処について誰よりも知りたがっていつつそれなりに上の権力を持つお方をこうして呼び出して良い訳がない。
しかし、それ以上に彼の興味を引くことが出来る話題があった故に、門番は中を省いて端的に用件を告げる。研究対象というものはどんな自体でも彼にとっては優先され、守られるべきものであるから。
「リオ!妖精処を見つけたという客人は何処だ!」
そしてものの数分後、徒歩ならば数十分掛かってもおかしくない彼の執務室から当の本人、魔術師団長が壊れそうな勢いで詰所のドアを開き、報告を上げた門番へと寄る。
「君か?君なんだな!?教えてくれ、妖精処がどんな形をしていて何処にあるのか……!!」
「ルーカス師団長、落ち着いてください」
そしてその横、見慣れない赤銀髪と獣の耳を生やした青年を見つけたルーカスと呼ばれた魔術師団長はクラウスにずいっと近付くが、冷静に物事を判断した門番によって即座に引き剝がされた。
「申し訳ありません、少々変わった人ではありますが、この方が一番信頼出来るので」
「すまない、興奮してしまった。それで妖精処だが」
「師団長、まずは自己紹介を」
淡々と慣れたように対応するの門番と何がどうしても妖精処のこと知りたい師団長の組み合わせは正直愉快なのと、主人に似通っているように見える師団長に好感を抱くクラウスは申し訳なさそうにこちらを見る門番に気にしないでくれと首を振って伝える。
「ああ、私はルーカス。一応この国の魔術師団長という立場を預かっている者だ。それで、貴君はバーゼルト公爵領、アマーリア・ポートリッド嬢の従者、クラリス嬢だな?」
互いの自己紹介を終えたと言いたがりな眼差しにクラウスは頷く。共有されているであろう自分の情報を知っていてもおかしくはないと思いながらも、たかが一介の従者の名前を知り得る彼が、多少疑問に思えども。
「それで、妖精処のことなのだが」
整った顔立ちで、バランスの取れた均整な身体をしているのに、子供のように輝く金の眼が眼前に立つ人間の中身を表しているようだとクラウスは思いながら、差し障りのない辺りで師団長の質問に答えて行った。
「ふむふむ、それでなんだがな」
「ルーカス師団長、その辺りでもう。彼女にも都合があるでしょう」
「む、もうそんな時間か?」
拘束されてどれ程時間が経ったのか。一向に衰えぬ、尽きぬ好奇にもそろそろ物申そうとクラウスが考え始めた頃。その辺りを察してか、解散を促す門番。そんな彼に横槍を指された師団長は初めて懐から懐中時計を出して時間を確認した。
「まだいいような気もするが」
「馬鹿言わないでください。そもそも会議中だったのでしょう?」
「そうだった。騎士団長が今頃額に青筋を立てて待っているかもしれないな」
「戻ってください」
「ああっ、クラリス嬢、また聞かせてくれよな!!」
時計の針はまだ三週しかしていない。一日語り尽くしても足りないというのに、と言い出しそうな師団長を上手く躱した門番は、彼を強引に追い出した。それでも未練がましくこちらへ話を投げて来た師団長を本当に申し訳なく思いながら、長らく拘束してしまったクラウスへと向き直る。
「申し訳ありません」
「いえ、お役に立てるのなら」
代わりに謝罪を告げ、顔色一つ変えない従者に一言、申し開きを行おうと口を開き掛けた門番を、クラウスは先に言葉を吐くことで制止した。
「わかっています。理由が、あるのでしょう」
「……ご理解ありがとうございます」
わざわざ魔術師団長をこの場に呼んだ理由が。そう言外に伝えたクラウスの察しの良さに感謝しながら、これ以上話せないことを表すことで、どんな理由であるかを説明する門番。
「戻ります。呼び出しはいりません、後続が受付をする頃にまた来ます」
「……わかりました、お気を付けて」
要件を満たした以上、長居をする意味はない。端的に意見を伝え、了承した門番を確認してからクラウスは詰所を出た。
頭上で燦然と朱を纏っていた陽は落ち掛け、鈍い赤が街を照らす。
「厄介だな」
街を見下ろす自分の口から零れた一言。それに呼応するように眼前を横切った黒い鳥がまるでこれから起こることを予言しているようで、クラウスは足早に宿へと掛けた。




