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元伯爵令嬢の下克上と恋愛譚  作者: 高槻いつ


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伯爵令嬢の出立2

「力を貸してくれる?」


アマーリアの許可を得たクラウスは、虚空に呼び掛けた。


端から見れば何もない所へ声を掛ける不審者に値するが、その声に呼応するように揺れる馬車に、アマーリアは口を結ぶ。


「大丈夫そうですね。彼らが力を貸してくれれば、相手が気付かない間に少しづつ距離を離せるかと」


何やら少し不満げに自分を見つめている主を疑問に思いながらも、クラウスは御者台に戻りながら考える。


精霊の力さえ借りられれば、相手が離れていると認知出来る前に少しづつ少しづつ距離を離していける。そうすれば、見えなくなったところで一気に離せるだろう、と。


だから、背を向けた主がどんな顔をしていて、何を思っているのかなど、察しようがなかった。


己の背中をじっと見つめて、ふいと窓の外へ視線を向けた主の顔が微妙に歪んでいて、辛うじて言葉として成り立った、その意味深長な言葉も。


「私に、貴方のことで知らないことがあると思っていなかったわ」


アマーリアは、呟く。


「……そんなこと、ある訳ないのにね」


先日、胸倉を掴みながらそれを突き放していた幼馴染との会話を思い出して、もう開けている必要のなくなった窓の幕を下ろす。


知らない彼の顔が増えていく度に少しだけ心がざらつくことに、ずっと前から気付きながらも。


彼女は、視界を葬ることでいつものように心を整理する。



「アマーリア様、この辺りで一度休憩致しましょう」


追手を巻いてから馬車を走らせ続け、日の落ちた頃。公爵領を出るまでもう一息という所まで来て、クラウスは開けた路肩に馬車を停めた。


旅に慣れた者がいるのなら、近くに川が通っていて、かつ開けた場所にこんなにも立派な馬車を停めるという行為を、普通であれば咎めるだろう。


水辺を求めてやってくる獣、この辺りを根城にしている浮浪者達に見つかる危険性が高い場所を態々選ぶなど、と。


「妖精達が、守ってくれます」


己の従者を信じていない訳ではないが、前述のことを当然疑問に思って首を傾げた主に、クラウスは補足を告げた。


「……妖精たちが?」


可視化出来ないアマーリアがそれを額面通りに受け取るのは少し難しかった。妖精はとても気紛れであるという話は、公爵邸に来る前から良く聞く話だ。それが、先程のこととも相俟ってクラウスに対してはその印象は薄れかけているとはいえ、どうも不思議でしょうがない。


「はい。大丈夫です」


けれど、馬車の中の自分を窺うその瞳を見つめて安心させるようにこくりと頷く彼を見れば、アマーリアは差し出されたその手を取って馬車から降りた。


「身体を伸ばしている間に火を熾しますので、少々お待ち頂けますか?」

「ふふ、構わないわ」


まるで付き従う従者のようにそう、あえてらしく振舞うクラウスを横目に軽く身体を動かし始めたアマーリア。



季節は夏に入る。


自分を温く包み込む風も夜になれば冷えて、高い陽はまんまるとした月に変わる。


「……」


嵌め殺しの窓から見る月も、こうして夜風を浴びながら見る月も変わらないなと、情緒のないことを考える。


けれど、変わり尽くした自分の身を、ふと思えば。



去年も、一昨年も、その前も。


自分は、あの暗くて冷たくて暑くて風さえ通らない塔でずっと過ごしていた。


外に出ようものなら屋敷の使用人が自分達を見つけて、それを主人に報告して、謂れのない罵倒を浴びることになる。


それならば、最初から出ない方がいい。


泣き叫んでも喚いても何も変わらないのだと気付いてからは、何か変えようと努力することをやめた。


なるべく波風を立てず、ただ静かに暮らすことが、安寧なのだと悟った。


いつになろうが決して快適にはならぬ暮らしであったが、特にアマーリアを憂鬱にさせていたのは、この夏の季節だ。


夏は、皆避暑地で過ごすことが多い。体裁を重視する伯爵家もそれは例外ではなくて、()()揃って伯爵家の持つセカンドハウスへと移動していた。


その間、当然食事の残飯など手に入れられなくて、クラウスが外で拾ってきた果物や木の実で凌いで、たまに狩れた獣達は外で捌いてから、皆が寝静まったときに調理をして食すことが普通であった。


そんな、前の暮らしを思えば。


「贅沢、よね」


アマーリアは、自分の手を月に翳す。


公爵邸に来たばかりの自分の手は、細いを通り越して骨が浮いていた。そして、年頃の伯爵令嬢とは思えない程荒れていた。


けれど、今自分の視線の先にいるその手は白く、ほっそりとした曲線を纏う。メルシスが日々手入れをしてくれるお陰で手荒れなんて言葉ともそれなりに別れを告げていて、何も知らない貴族の手が、そこにある。


「美しいドレス。腹を満たす美味な食事。ふかふかなベッドに宛がわれた優秀な侍女。聡明でお優しい、師」


くるりと手のひらを天に向けて、自分が公爵邸に来てから手に入れたモノを指折り数えていけば、伯爵家での生活全てひっくるめても余るくらい満たされていると言えるだろう。


「……一枚のワンピース、食べられるだけマシな食事。硬くて冷たい木の板に、誰もいない部屋。奪われた、思い出たち」


手を下げて、視線はぼうっと月を見やる。そして、それなりに離れているはずなのに、それでも鮮明に様子を描ける塔の暮らしが、蘇る。


「どうしてかしら」


比較出来ないくらい、今の生活は恵まれすぎている。自分が望まないでも、あればいいなと思っていたものが全て、揃うくらい。


それなのに、ずっと、ずっと満たされない空洞があるのは、きっと。


「貴方が、いないから?」


塔での暮らしには、クラウスだけがいた。


公爵邸での暮らしは、クラウスだけがいない。


このままハイディの要望通り進んで行けば、きっと欲しいものは揃うだろう。けれど、全てを叶えるはずの()()()()()()という立場が、一番欲しいものを奪う。



「ねえ、クラウス?」


月から視線を下げて、夜食の支度をする見慣れた赤銀髪の侍女を呼ぶ。


自分と彼との距離は、それ程離れていない。少し声を張って呼べば、聞こえるくらいの、そんな距離。けれど、とても可愛らしい彼の耳であれば、こんな囁き声だって聞こえているだろう。


「それなら私、こんなもの、いらなかったわ」


けれども、聞こえていないフリをして絶対に振り向かない従者に、そう言葉を吐いた。


ドレスも、宝石も、公爵邸に来てからジークムートに望んだはずのモノ、全て。


「私、ただ、貴方といられれば、それで良かったの」


いらなかった。ただ、幼い時からずっと自分を支えてくれていた獣耳の従者が一人いれば、何も。


「……よかったのに」


それが、物語で美しく描かれる感情なのかはわからない。けれど、ただクラウスといられれば、それで良かった。それだけは、紛れもないアマーリアの本心であった。


「……きっと、」


俯いて、もっと落ちたそのトーンの言葉だけが風に掻き消されて、クラウスは聞き取れない。


「アマーリア様、出来ましたよ」


聞こえていたって、きっと今みたいに何もなかったような顔をして、愛しい主を呼ぶのだろうけど。


「今行くわ」


そんなことを分かっているアマーリアも何もなかったように笑って、夜食の席を二人で囲むのだった。




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