伯爵令嬢と身代わり招聘と準備3
「久し振りだね、アリー」
忙しなく動く人々の中、ぽっかりと穴が開いたようにそこだけ何もない空間で二人が佇む。
「ええ……アーディ」
剣舞祭以来顔を合わせていなかった従兄弟を少し気まずそうに見やり、控えめに微笑むアマーリアは用意された数々のドレスを見回した。
「すごい、わね」
自分達を取り囲むようにテーブルの上に並ぶドレスや小物。髪飾りや宝石類に傍目でわかる上質なレース。
「勿論アリーに似合うものを持ってきたよ。何を選んでも似合わないことはないさ」
「ええ……ありがとう、アーディ。無理を言ったでしょう?」
「気にしないで。君の為なら安いものさ」
そう、鮮やかに揺れる赤髪。細められた金色の目。
良く見慣れた幼馴染みの表情から目を逸らして、並べられるドレスの前に立つアマーリア。
「好きな色は?昔と変わらない?」
そんな彼女の傍に立ってドレスを何着か手に取り、アマーリアの身体へと当てながら世間話をしつつ、困ったように眉を下げる幼馴染みをくすりと笑う。
「昔も今も、あんまり興味なさそうだね」
「ええ、ごめんなさい」
昔から、アマーリアはドレスや宝石といった類いに興味を示さなかった。それらが欲しいと両親にねだったこともなかったし、両親が亡き後は、そんなことを言う気にもならなかった。
流行を追うことが社交界でのマナーだと心得ているが故に一応知識としてハイディに叩き込まれはしたものの、それでも興味は湧かなかったのだ。
「僕が選んでいい?」
「勿論よ、お願いするわ」
それらの事情を知ってはいるものの、もしかしたら変わっているかもしれないなんていう一抹の考えを見事に払拭されたアーディは彼女をソファへ座らせ、自分はドレスを選ぶことに集中する。
「このデザインよりこっちの方が好み?」
「そうね。でも、それくらいなら気にならないわ」
確認の為に一言二言交わすことはあれども、雑談とまでは言えない短い言葉を交わすことは数回。
部屋を埋め尽くす程にあったドレスは数着に絞られ、それに合わせる小物を選ぶという段階で、アマーリアはあまりにも静かすぎる部屋を見回して違和感に気付く。
「…………人、いなくなったわね」
最初の準備から一転、ドレスを並べていた人間達はいつの間にか一人二人と姿を消し、既にこの場にはアマーリアとアーディしかいない。
自分の後ろで待機していたはずのクラウスでさえ、いないのだ。
そんな、作られたような状況にアマーリアが遠回しに尋ねれば、アーディは見繕っていたドレスをテーブルに置いてくるりと向き直る。
そして、冷めた目で笑う。
「そうだよ。バーゼルト公爵夫人にお願いして、この場を設けてもらったからね」
柔らかい言葉とは裏腹に、静かに怒っているアーディの発言にアマーリアは軽い頭痛がした。
一貴族の人間ではあるが、格が違う相手に何かを申し出るなんてことは普通あり得ない。しかし、普通ではないアーディはこの場をとある条件と共にもぎ取った。
そんな事実には、何かしらの裏事情があるからである。
「…………何かしら?」
どうやら誤魔化しや茶化しでは納得しなさそうな従兄弟の気配を感じ取ったアマーリアは、硬い顔で次の言葉を待つ。
ああ、出来れば、何も言わないで欲しいだなんて、甘い期待を持ちながら。
「どうして公爵子息と婚約したの?」
けれどそんな彼女の考えは、彼のそんな一言で砕け散った。
ふわふわとしたカーペットを踏んで、一歩ずつ近付いてくる従兄弟。とん、とソファの背凭れに預けられた手が握られる様を見て、アマーリアは睫毛を沈める。
「約束、したじゃんか」
そして、ずっと避けていた理由から逃れる為に、口をつぐんだ。
「ねえ」
頭上から降る声に、アマーリアは彼とどれ程会っていなかったかを思い出す。
半年か、一年か。いや、もっとだったかもしれない。そう、お姉様が婚約発表をしたと勝ち気な顔で報告してきたのは、いつだったか。
「…………アリー、答えてよ」
その以降、彼と顔を合わせることはなかった。だからか、その間に、彼の声は良く知る声音から知らない低音を含んだ声に変わって、それに伴って、環境も、立場も、全てが変わっていった。
「僕と、僕が、君を連れ出すって、約束したじゃないか」
何も言わないアマーリアの分まで、アーディは言葉を重ねる。逃がし続けている間に、いつの間にか触れられないところまで逃げてしまった彼女をその腕の中に閉じ込めて、ただ。
「…………どうして?」
ただ、問い掛ける。
その肩には触れられないから。その髪にも、その頬にも、もう、触れることは出来ないから。
「近い、よ」
沈黙をふんだんに使って、漸く口を開いたアマーリアは目の前の胸元を押す。けれども、記憶にある頃とは違って楽に押せなくなったその身体に、ぴくりともしない身体をもう一度押すことを躊躇った。
「アーディ」
変わりにその肩を引いたのは、他でもないクラウスだった。
「クラウス、君だって、」
「アーディ」
自分の身体を易々と片手で引く女装をする幼馴染みに異を唱えても、クラウスがそれに頷くことはない。
「そろそろ公爵夫人がいらっしゃいますので」
「わかったよ」
いつも通り、平坦な声でクラウスが促す。はあ、と大きな溜め息を吐いてアマーリアから数歩離れたアーディは、商人としての面で顔を繕った。
「いいよ。まだ一月、アリーとは一緒だからね」
そしてゆったりと、口角を上げて微笑んだ。
「ひと、つき?」
今日を乗り越えたらまた暫く会わないであろうと思っていた従兄弟からの謎の発言にアマーリアは戸惑う。
しかし、そんな期間にぴたりと一致するイベントがあるということを即座に思い出したアマーリアは、震える声で尋ねた。
「ま、さか、ケープトンに、一緒に行くだなんて、言わないよね?」
上手く言葉が出ず、途切れ途切れになった声でアマーリアは問う。けれど、何も言わずとも優しく微笑む従兄弟の表情で、全てを察した。
「…………」
成る程、と。
これもまた、ハイディの計らいに違いないと。
そして、隣国で絡まる思惑は、想像以上に厄介なものなのだと。
「よろしくね、アリー?」
腹黒い従兄弟が手を差し伸べる。繊細な生地を扱うから、そこいらの貴族令嬢達よりも綺麗な手を。
「したく、ないよ」
白い甲で彼の手を払い、アマーリアはソファから立つ。そして、もうじき来るであろうハイディを出迎える為に、茶の支度を始めるのだった。
「アーディ」
ハイディが応接間に入り、一通り衣装を眺めて許可を出した後、アマーリアと話をするからと彼女を連れ出した。
残されたクラウスは、ドレス達を持ち運ぶ為に準備をしているアーディの背中に呼び掛けた。
「やあクラウス。それを仕立てたのは僕だけれど、とても似合うね」
紺色の給仕服に身を包んだ幼馴染み。特注で仕上げた自分の服を来た幼馴染みに軽い毒を吐きながらも、アーディは手を止めはしない。
「アーディ」
こっちを向けと、言外に告げるクラウスに、本人はそれを頑なに拒んで支度を続ける。何度名前を呼ぼうが一向に振り向く気配のない幼馴染みの肩を押さえれば、その手は強く振り払われた。
「僕、怒ってるんだよ、クラウス」
後ろ姿からでさえわかる程怒気が滲んだ声に、クラウスは口を閉じた。
「あと少しだった。あと少しで、僕は絶対に彼女をあの場所から連れ出せた」
荷物を詰める為の木枠を握り締めて、アーディは漸く振り向く。
「ねえ、なのに、どうしてこんなことになっているの?」
彼女が幸せに、楽しく暮らしているのなら、それでも良いと思えた。自分が連れ出したかったけれど、彼女が望んだ場所に自ら行ったのなら、それでも許せた。
けれど、そうではないじゃないか。
苛立たしい婚約者は彼女に見向きもせず、唯一信頼出来るはずの従者は本来の姿を取り上げられる。環境は整っているけれど、過去に彼女が望んだこと全て叶っていないこの環境が、許せるはずもない。
更には、貧乏くじを引かされて命の危機に晒される。
到底、納得など出来るはずもないのだ。
「クラウス。君なら、どうにだって出来ただろう。僕が出来ないことを、君なら出来ただろう。ずっと傍にいれるはずの君が、どうして彼女を止めなかった?」
温厚な幼馴染みが、ここまで怒っているのをクラウスは見たことがなかった。自分の襟を掴み、捻り上げるその手は、彼女を守る為だけにあったはずのものだから。
「殴ったってどうせ当たらないからあっち行って。今は、君と話したくないんだ」
離された襟元を正して、クラウスは素直に彼に背を向けて応接間を出ていった。
「…………わかってるよ、アリー」
次から隣国編始まる予定ですん。




