伯爵令嬢と身代わり招聘と準備
「忘れたなんて、言わせないぞ」
かたことと揺れる馬車の中に緊迫した空気が流れる。未だに柔く微笑むアマーリアは頷く。
「はい。私に他国の勢力関係を教えて下さったのはハイディ様ですから」
隣国の国、ケープトン。アマーリアが王女の代わりとして行くことになったその国は、争いの絶えない国。
度々国内での問題が他国でも話題になるような、そんな国。
そして何より特筆すべきなのは、国家治安、国家政治の弱体化したその国では現在王が存在しないということ。
「先代が崩御なされ、第一王子であるフェリックス様が王座に就かれると思われていましたが」
「先日、毒にて暗殺された」
一度区切った言葉をアマーリアの隣に並ぶクラウスが引き取る。
「そうだ。仮にも、他国の王女を呼べるような状況ではないのだ」
他にも狙いはあれど、国内政治が弱体している今、大国であるこの国との親交を少しでも強固にしておきたいというケープトンの目的はわかる。
しかし、誰が第一王子を暗殺したのかはおろか国家の治安や政治情勢が乱れている中で、誰がそんなところへ娘をやりたいと思うか。
本来、そういったところで上手くそれとなく行動するのが王女としての模範であるが。
「少々、目立ち過ぎてしまったようですね」
それでも、一人の親としては、娘にそういった役目を背負わせるのは避けたいであろう。
「そうだとしても、兄様の行動は決して許容されるものではない」
当人でありながら然程怒りもせず飄々とするアマーリアと、貴族としてのプライドは勿論、自分にも他人にも厳しいハイディでは意見が食い違う。
ハイディとしても、ここで今更駄々を捏ねたところで何一つ変わらないなどと言うこともわかっている。
しかし、以前から気に食わない姪がお気に入りであるアマーリアへ面倒な飛び火をさせてくれたというその事実は、実に気に食わない。
「ふう……」
自分の代わりに怒るハイディを困ったように見て溜め息を吐く。
「まあ、取って喰われるような訳でもないですし」
「それはそうだが」
「幸い、クラウスの同行も許可されていますし」
「ああ、今から毒物に関しての知識も習得してもらわなければな」
なんだかあのハイディから余りにも過保護な発言を聞いた気のするアマーリアだが、一応それ以上この隣国への招聘に文句を言うつもりはなさそうなので黙った。
「仕方ない。出来る限りお前が向こうで安全に過ごせるように自衛の術を叩き込もう」
ずっと微笑んでいたアマーリアの頬がひくりと震える。
「上手くお前が向こうで過ごせた暁には褒美をたんまり出すように兄様に言っておく」
「ハイディ様、それは……」
もしかしたら生首だけになって帰ってくる可能性もない訳ではないが、その場合は生首に供え物をしてくれるのかなんて馬鹿げた考えが一瞬アマーリアに浮かんだが、口に出したら間違いなくややこしいことになるので口をつぐんだ。
「そうとなれば急ぎで戻ろう。対策しておいて損はない」
御者へさっさと戻るよう指示を飛ばすハイディ。
「良いか、アマーリア。私がこれから教えること全て、余すことなく覚えてから行け」
「はい」
いつも以上に真剣なその様にアマーリアも顔を引き締めて答える。
「クラウス……いや、クラリス。お前も」
「はい、バーゼルト公爵夫人」
赤銀髪の髪を後ろで括り、淑女のような顔で微笑むクラウス。
女装をするに当たって、今まで使っていた名前と同じような名前が良いであろうという観点から、クラウスはクラリスとなった。
使い始めてまだ数日ではあるが、クラウス自身は慣れてきたように思える。
「……」
しかし、その名を聞く度にアマーリアは顔を歪めるとまでは言わないものの、若干表情が曇る。大分付き合いの長くなってきたハイディでさえ、わかる程に。
「ともあれ、続きは屋敷に戻ってからだ」
彼女がそんな顔をする理由を知るハイディは、それを問い詰めない。
車窓の外へ視線をやって、案外兄様のことを悪し様にも言えないなと皮肉めいた言葉が浮かんだのは、アマーリアの知らないことだ。
「あ、おかえりアリー」
屋敷の本館に戻ったアマーリア達を出迎えたのは、つい先程まで件の王女といたジークムート本人。
「ただいま戻り……」
「行くぞアマーリア」
出迎えるジークムートへ頭を下げようとしたアマーリアを引き摺るようにハイディが連れる。
「母上」
母の機嫌が悪いことを察したジークムートが引き留めようと声を掛けるものの、ハイディはそれを歯牙にも掛けずその場を立ち去った。
「…………宜しかったのですか?」
つかつかと廊下を突き進むハイディを優雅に、けれども早足で追い掛けるアマーリアは隣に並んでそう問う。
「何がだ?」
あくまでもジークムートの存在は見えなかったことにするハイディに言葉を重ねることをやめる。
「…………アイツが、アリーシャに肩入れする気持ちは理解出来るがな」
ぽつりと溢したその母の呟き。隣にいたアマーリアにも確かに聞こえたものだが、アマーリアはそっと目を伏せて黙殺した。
優秀であるが故、公爵子息という立場も災いして、幼い頃からジークムートは対等に付き合える人間がいなかった。
競うような相手もいなければ、馬鹿をやってふざけるような相手もいない。
兄妹の誰よりも優秀で、その価値を奪ってきたジークムートは実の肉親からも疎まれた程。
そんな中、唯一彼と同じ眼差しでその場に立つことが出来たのは、第一王女という肩書きを持つ従姉妹だけ。
ジークムートが孤立すればする程、彼が唯一の拠り所であった彼女に傾倒するのだって、子供であった彼を咎められはしない。
ハイディは昔から厳しかった。母の愛も、父からの無関心も、彼の孤立を深めた一層の原因。
だからハイディは、今まで彼の行動を多少見逃していた。
母として、過去を悔やむ気持ちがあったから。それで彼の傷が埋められるのならと、多少甘く見ていたことは自覚している。
無論、ジークムートが仕事などに手を抜かなかったということもあってだが。
「私は以前も言った通り、気にしてなどいませんよ」
自分の自室に着くや否やがさごそと何かを探し始めたハイディに、アマーリアは言う。
「全てを知った上で、私はここにいるのですから」
王女の代わりとなるのは少々予定外のことではあるが、それでも、アマーリアは自分が何処にいたとしても、死に暮らすような生活をしていたあそこよりはマシだと思っている。
「…………例え全てが、無駄になったとしても」
あそこよりは。
どんなところでも、マシだと思える。
「アマーリア」
彼女の最後の呟きを聞けなかったハイディが何かを投げる。意識を彼方へ向けていたアマーリアが突然それに対処出来る訳もなく、それはクラウスの手に収まった。
「護身用に持ってろ」
光を透き通すクリアの石。
「いざとなったらそれに念を込めろ。多分、ここに戻って来れるはずだ」
「…………え、転移石ですか?」
目をぱちくりさせ、絶対に先程のように扱って良いものではないそれにアマーリアは言葉を失う。
「使い切りだが、ないよりは良いだろう」
希少も希少、もしかしたら低位の貴族は一生御目に掛かれないかもしれないそれをまるで路傍の石のように扱うハイディ。
アマーリアはそれを丁重に握り、常に身に付けられるように首から袋にでも入れて提げておこうと決意した。
「まあ、以前お前に渡した属性鉱石程ではないから安心しろ」
未だに形の決まらないそれはアマーリアのブレスレットとなって最早その形で定着しているが、そういえばこれの価値を知らないなと、不意に疑問に思って尋ねてみた。
「まあ、小国が二つか三つ買えるくらいではないか?」
以前、ハイディの弟であるウィリアムスがアマーリアは属性鉱石の価値を知ったらどんな顔をするだろう、とハイディに溢したことがあった。
「…………」
ハイディとしては是非この顔を見て欲しかったが、もう見れないだろうとどうでも良いことを考えながら、フリーズした彼女を叩く。
「もう使いません」
強制的に意識を引き戻されたアマーリアはそんなものを庭園の水やりやら蝋燭に火を灯すやらに使っていたなんて、と頭を抱えたい。
「いや使え」
そんな彼女へ、ハイディは促す。
「使えば使う程にお前の魔力が定着して、より扱い易くなる」
品質としては最上級。アマーリアの素質も悪くない。妖精にも愛されやすい。それならば、アカデミー卒業者と同等か、それ以上には魔法というものが使えるようになるから、と。
「お前が望めば、その石は攻撃をすることも護ることも可能だろう」
治安の保たれたこの国では使い処がないにしても、今回のように他国へ向かえば使えておいて損はない。
「ウィリアムスは自主練習をさせるのが趣味だったが、今回ばかりはそうも行かない。アイツに直接指導させよう」
はて、とアマーリア首を傾げる。
「ハイディ様…………私、ケープトンに向かうまでに多忙なスケジュールに忙殺されそうな気がするのは、気のせいでしょうか?」
これから叩き込まれるであろう基礎しか習っていなかった座学。自主練習しかしておらず、勿論攻撃魔法だなんて想像もしていなかったところへの新たな課題。
「アマーリア、お前なら出来る」
一瞬だけきょとんとしたハイディが、それはとても良い笑顔で美しく微笑んだ。




