伯爵令嬢と厄介事
「はい?」
アマーリアが庭園で心情を吐露した日から数日。表面上は何事もなかったかのように過ごしていたアマーリアの下へ届いた報せは、彼女に間抜けな声を上げさせた。
「城から、アマーリアを連れてこいと言われた」
いつものようにアマーリアの対面に腰を下ろし、アマーリアの淹れた紅茶を啜るハイディが気に食わなさそうに二度言った。
一度目と変わらないその言葉にアマーリアは自分の耳がおかしくなったのではないのだと安堵する一方で、とてつもなく恐ろしいことを聞いたことに恐怖する。
「兄上がお前の躍りが気に入ったらしい」
「国王陛下が、ですか」
「うむ」
ハイディもアマーリアも、こうなった時のことを考えていなかった訳ではない。ただ、急過ぎる。国王に謁見するとなれば最低でも一月、長ければ数ヵ月は掛かるものだ。
それを、たった一人の小娘の為に時間を空けるなど、考えられない。だからこそハイディは機嫌が悪いのだろう。嫌な予感しか、しないのだから。
「出来れば近日中。お前が希望した日を空けると、言っている」
「…………」
呼び出されることでさえ憚れるのに、こちら側の都合に合わせるなど信じられない。告げられる言葉一つ一つが絶対に何かある、と語っている。
「ハイディ様。私、」
「体調は悪くないよな?先程クラウスに聞いているし、食事の量も問題なかったと聞いているぞ」
「今しがた」
「逃がさん」
即座に青ざめた顔を作り出したアマーリアの肩をソファから身を乗り出して捕まえるハイディ。ちょっとした茶番ではあるが、本心は勿論これである。
「体調を崩す薬はありませんか?」
「ない」
無表情の顔を少しだけ彩るその赤い目があからさまに嫌そうに眇まれても、この国の王から呼び出されて行きたくないなどと言える訳もない。それはわかっていても、厄介事の臭いしかしない場所へ行きたい訳がない。
「まあ、私の同行はもぎ取って来たから、問題ないとは思うが……」
再びソファへ腰を落ち着けるハイディと、少し冷めてしまった紅茶を淹れ直すアマーリア。
「私自身は国王の謁見を蹴れる程の予定が入っている訳もないので、ハイディ様のご都合次第でしょうか」
いつも通りを取り繕い、紅茶を注いでハイディを見る。視線を向けられたハイディは注がれたカップを手に取って少し考え込むように赤い水色を眺め、呟く。
「さした事案も今はない。お前の準備を整えて、行くしかないだろうな」
ふう、と重たい溜め息を吐き出して、紅茶を啜った。
「クラウス。メルシスに至急商会を呼ぶよう伝えて」
「かしこまりました」
そうと決まれば、城へ行くための身支度を進めて行かなければならない。ハイディはともかくとして、城へ行くための装いなど用意していないアマーリアは今すぐ用意をするしかない。
「剣舞をまた舞うことになるかもしれん。謁見の為のドレスと剣舞用の衣服。一応二着揃えろ」
「かしこまりました」
ハイディの助言に頭を下げ、クラウスは部屋を出て行った。
公爵家の権力を思う存分使えば今日の午後には商人がやって来て色々選ぶことになる。またあの一日を経験するのかと気が重いアマーリア。
どうも、着せ替え人形状態のあれは気が進まないのだ。
「ああ、ジークはどうでもいいからな」
「宜しいのですか?」
「構わん。呼ばれたのはお前だけだ」
「…………私だけ、ですか」
ただでさえ厄介な事態ではあるが、想像以上に厄介そうだと心の中でごちる。バーゼルト公爵家の婚約者としてではなく、ただのアマーリア・ポートリッドを呼び出す。
ああ、それはとても面倒臭いことだと、目を閉じた。
「良い。楽にせよ」
来て欲しくない日というのは、とても早く来てしまうもの。ハイディから話を聞いて三日後という異例の謁見。
豪奢なドレスに身を包んだハイディが先に顔を上げ、自身の兄の少し下、国王の足元辺りを見る。アマーリアもそれに倣って国王の少し下辺りに視線を固定し、次の言葉を待つ。
「お前達、出ていろ」
手を上げ、払う。その動作だけで自分の横を通り過ぎていく人達。何人もの人がちらりと自分に視線を寄越しては、興味ないとでも言いたげに逸らされた。
けれどアマーリアは、その視線に籠められた感情を汲み取れてしまう。
「急に呼び出してすまなかった」
一言二言ハイディが国王に言葉を返している間、アマーリアはずっと先程向けられていた視線の意味を考え、それらの意味を含む事柄が現在この国にあるということを思い出す。
だから、先程の臣下達の視線の意味は。
「アマーリア・ポートリッド。お前に、隣国の賓客として行ってきてもらいたい」
哀れみ、だ。
自分に、向けられたその意味は。
「仰せのままに」
駄々を捏ねた所で行くという事実が消える訳じゃない。だからアマーリアはただ一言、そうやって返す。
「兄様。彼女一人で、というのは流石に」
「ああ、彼女の従者、獣人も連れていって構わない。その他の使用人についてはこちらで用意しよう」
隣国への同行ももぎ取ろうとしたハイディの言い出しを先に制して牽制する国王と、エメラルドの眼差しで訴えるハイディの睨みが数分程続く。
お前も何か言え、と一瞬向けられたその視線に、アマーリアは諦観を含む赤い目で否定する。
ハイディが共に来てくれようとしている。それは、アマーリアにとっても有難い事実。ただ、そうはいかない元凶が、この話の根本にあるのだ。
「本来は王女の務めであったのだが、生憎体調を崩してしまってな。申し訳ない」
その体調を崩した王女様とうちの婚約者は毎日逢い引きしているのですが、と言えたら少しは胸が空く思いだろうか。
「いいえ、光栄です」
王女の代わりとなって隣国に賓客として招待される。字面だけ見れば、それはとても光栄なことだろう。
王国の、バーゼルト公爵家の婚約者として王女の代わりを期待されて隣国へ行く。
一貴族としての誉れだ、本来ならば。
「お前に望むことはただ一つ。アマーリア・ポートリッドとして戻ってこい」
「承知致しました、陛下」
頭を垂れ、顔が見えなくなるのを良いことにアマーリアは頭の片隅でこんなことを考える。
もし、自分とハイディが、王女の代わりという字面に一文字だけ言葉を付け加えて良いとするのなら、答えは一致するだろうな、という、どうでも良いことを。
「詳細は追って連絡させる。下がって良いぞ」
後ろ姿が既に喧嘩した兄妹の態度だが、そんなにもハイディは腹を立ててくれているのかとアマーリアは口許が緩んだ。
「…………わかっているだろう?アマーリア」
城からの帰り道、ずっと無言であったハイディが漸く口を開く。
「ええ、ハイディ様」
アマーリアは柔く微笑んで頷く。そんななんでもないように笑うその姿が、ハイディは嫌いだった。
「王女の代わりなんて、そんな可愛いものじゃない」
貴族の定めとして、絶対に抗えない権力に従順するその顔。昔の自分と、重なるその顔。
「今、隣国に招聘されるのは…………」
にこにこ微笑むその裏で、アマーリアはつい先程思っていたことはやっぱり一致しそうだな、なんて呑気に思う。
「王女の、身代わりだ」
噛み締めて、毒を吐くように忌々しげに語られたその言葉に、アマーリアはやっぱり一致したと、笑みを深めた。
決して嬉しくなど、ないけれど。




