伯爵令嬢と剣舞祭3
神殿内にある中央ホールにて、剣舞祭は行われる。
古代より剣舞とは神に捧げるものという見方が強い為、今尚その風習を受け継いで剣舞祭は神殿で行われるのだ。
尚、本来の剣舞である奉納剣舞もこの神殿の地下にある祭壇にて執り行われる。
今回は単に美しさを競う為の祭りであるが故に、中央ホールでの披露となっているが。
「…………問題ないわね」
中央ホールの外、扉の前に佇むアマーリア。
最終確認を終え、後はこの扉を開けてホールの演壇に上がり剣舞を舞うだけ。
何度も何度も繰り返した動きはもう考えずとも動けて、ハイディからも完璧だと評されている。
だから一歩踏み出して、アマーリアは中央ホールの扉を開けた。
「ああ、アレが例の」
アマーリアが中央ホールへと現れた時、クラウスの耳はそんな声を拾った。
「少し毛並みが珍しいだけではないか?」
「ええ、本当に。しかもポートリッド伯爵家の娘なんでしょう?」
「あんなのを選ぶなんて、バーゼルト公爵子息も物好きだな」
自分の斜め前。距離にして数メートル離れているその夫妻を、クラウスは知らない。
しかし会話の内容からしてアマーリアに良い感情を抱いていないのは明白である。
「…………」
ちらりと横に立つハイディを眺めれば彼女はそんな言葉など聞こえていないのか、ただアマーリアの一挙手一投足を見ていた。
「うちのムスツェバーの婚約者には劣るだろう」
「ええ、あなた」
本人達も声高に叫ぶことでは無いと分かっているのだろう。ねちっこくひそひそと、そんな会話を続けている。
いくら慣れているとはいえど、自分の主をバカにされるのは気分が優れるモノではない。
しかし自分が彼等に何かを言ってはハイディ達に迷惑が掛かると理解しているクラウスは、ただ少しでも聞こえなくなるようにと耳を伏せた。
それと同時に、アマーリアが壇上に立つ。
そして壇上を見下ろせるように造られている幕の下げられた王族専用スペースへと一礼し、剣を抜いた。
そこからは、クラウスとハイディは見慣れているアマーリアの剣舞が始まる。
華やかでありながら、とても儚く見えるその舞。
一本芯の通った剛健さと、柔く折れそうな曲線。
踊ってる本人は、他の令嬢がどのように踊ったのかなんて知らない。だから、自分の精一杯を踊っているだけ。
けれど、他の動きを知っている人間はアマーリアに圧倒される。
細かい所を詰めれば、指摘する点なんて個人の感想次第で幾らでも存在する。けれど、それすらもお門違いと思ってしまう程には、彼女は美しかった。
「…………」
流石のフェロスエラー公爵家も、黙っていた。ただハイディだけが、その様を見て微笑む。
「美しいな」
誰かが漏らした感嘆の声に、クラウスは俯く。
そう。主は、美しい。いつだって、何処でだって、主は美しい。
公爵夫人に扱かれながら懸命に努力していた時も、熱に浮かされて泣いていた時も、悩みながら追い詰められていた時も。
いつだって、主は美しい。
美しいのだ。
けれどそれは、自分だけが知っていたい事実だった。
ポートリッド伯爵家の娘という先入観でしか見れない人間では絶対に知ることの出来ない主の美しさは、自分だけが知っていたかった。
幼馴染みであるアーディですら知らないその姿を、自分だけが。
「綺麗だね、母上」
「ああ」
いつの間にかハイディの横に立っているジークムートの声に、クラウスは顔を上げた。
「本当に、綺麗だ」
端整に整った顔立ちと恵まれた家柄。言葉一つで主をあの場所から連れ出すことの出来る、存在。
羨望なんて、そんな感情をクラウスは抱いたことがなかった。
嫉妬など、そんな人間染みた感情は知らなかった。
けれど、この男に対して、クラウスは初めてそれらの感情を抱いた。
ああ、羨ましいと。主の横に堂々と立つことの出来るその家柄。
ああ、妬ましいと。気分一つで自分が成し遂げることなど出来やしないことをあっさりと叶えてしまえるその権力。
どれ程アマーリアの為に努力せど、決して自分が手に入れられないそれら全てを持つこの男が、クラウスは嫌いだ。
演技を終え、一礼してから再び自分の前を通る主。
彼女の目に、自分が映ることはない。
代わりに退場をエスコートしようと主の前に踏み出したジークムートの姿だけは映っているのだと思うと、クラウスの拳は自然と握り込まれた。
「良くやった、アマーリア!」
剣舞祭を無事に終えたアマーリアを迎えたのは、珍しく満面の笑みを浮かべるハイディ。
「アレは傑作だった!」
置いてけぼりをくらうアマーリアに、クラウスは先程あったことを告げる。
「…………そうですか、フェロスエラー公爵家に嫌味を」
「先に喧嘩を売ってきたのは向こうだからな!」
端的に伝えたクラウスの言葉は、『バーゼルト公爵夫人がフェロスエラー公爵家ににっこり笑い掛けた』、だ。
それで全てを理解したアマーリアはとても満足げなハイディを冷めた目で見る。
「ところでジーク、お前ついさっきまで何処にいた?」
一頻り優越感に浸って満足したのか、一気に声のトーンを落として問い掛けた。
「確かに、ジーク様は私が控え室に行っている間、どちらにいらしたのですか?」
ハイディは確信を持って。アマーリアは、単に疑問に思って。
しかしジークムートは、アマーリアがハイディに乗じて問い掛けて来たのだと勘違いした。
「いや、別に…………」
それはアマーリアが自分を責めているのだと理解し、ジークは少したじろぐ。
「まさかとは思うが……」
にこやかに、先程と同じように微笑むハイディ。同じように笑っているはずなのに何故こんなにも寒気がするのか。
「いや、母上、その、」
ハイディの怒気に答えられないジークムートは助けを乞うようにアマーリアへ視線をずらす。
その視線にアマーリアは察した。ああ、そのまさかか、と。
「こほん、ハイディ様?」
別にジークムートを庇う訳ではない。何故ならアマーリアはそれ自体に何の興味もないのだから。
一言で言えば、ジークムートの恋愛事情などどうでも良いのだ。
「なんだ?」
婚約者であるアマーリアに止められては流石に何も言えないのか、ハイディは戸惑いながらアマーリアを見る。
「今更ではありませんか」
ジークムートと王女殿下が恋仲であるなど、公然の秘密みたいなものである。
「んんっ」
かといって、今のアマーリアの発言は適切ではない。それは自身も発してから気付いたのか、咳払いで誤魔化すアマーリア。
「お嬢様、衣装を着替えましょう。ハイディ様もお暇でしょう?手伝ってくださいな」
なんとも言えない雰囲気になった中、助け船を出したのは侍女であるメルシス。
着替えるからと男性陣を追い出し、手伝わせることを名目にハイディを中に残せばその場しのぎにはなった。
屋敷に戻った後のことなど、アマーリアの預かり知らぬ所である。
「…………知ってたのか、アマーリア」
さくさく剣舞祭の衣装からドレスに着替えていれば、手伝いとは当然名ばかりのハイディがアマーリアに問う。
「勿論です、ハイディ様。それを含めて、私はジーク様の申し入れを受け入れていますから」
一方アマーリアは顔色を一切変えず、ただ肯定した。
「すまない」
例えジークムートを慕っていなくとも。将来夫となる人物が他の人間に熱を上げているなど妻としての恥。公爵夫人として立つのであれば、そんな隙は叩かれる格好の餌食となる。
ハイディにとって、他の令嬢はどうでも良かった。例え妻としてジークムートの横に立つことになって潰れていったとしても、そいつらは努力もせずただジークムートの愛を乞うだけの愚かな令嬢であったから。
けれど、アマーリアはそうではない。己の置かれた環境に腐ることなく前を向き、努力し続けるその姿を、ハイディは気に入っていた。
それなのに、夫の不始末一つで叩かれてしまうのは母として申し訳ない。
だからハイディは、アマーリアに謝罪を述べた。
「いいえ、ハイディ様。そんなことは、どうでも良かったのです」
しかしアマーリアは、そんなハイディに首を振って否定する。
「…………どうでも良い、とは?」
思いもよらぬ返答が返ってきたハイディは、眉根を寄せてその真意を尋ねた。
「ジーク様に婚約を申し出られた時、私はお願いをしました。その願いを叶えてくれるのであれば、私は例えジーク様がどなたを慕っても、何をしていても咎めない。そう約束したのです」
だから、どうでも良いのです。
と、アマーリアは静かに語った。
「…………そう、か」
ハイディは、アマーリアのお願いをなんとなく察してしまった。だから、それ以上掛ける言葉がなかった。
「さあ、ハイディ様。帰りましょう?」
着替えが終わり、見慣れたドレスを身に纏って佇むアマーリア。
その柔和な仮面の下に、どれ程の激情を隠しているのか。
「…………ああ、そうだな」
かつての自分と今のアマーリアを重ねて、ハイディはただ頷くことしか出来なかった。




