伯爵令嬢と剣舞祭2
「やあ、アマーリア。私のサプライズは気に入ってくれたか?」
白磁のティーカップに琥珀の液体を注ぎ、にこやかに微笑み掛けるハイディに、アマーリアは今すぐに問い掛けたい。
「ハイディ様。これは一体、どういうことなのでしょうか?」
と。
無論、そんなアマーリアの発言は一切の躊躇なく発され、それを聞いて満足そうなハイディは更に口元の笑みを深めた。
「サプライズだ」
対してハイディは態度を一切崩すことなくサプライズと言い張る。
「…………サプライズ、ですか」
再度問い掛けても変わらぬ返答に少し目を眇めて、ハイディの真意を探ろうとするアマーリア。
「とりあえず座って紅茶でも飲んだらどうだ?」
そんなアマーリアを見ても口許を緩めたままのハイディに溜め息を吐きたい衝動に駆られながらも、クラウスが自分の分の紅茶を用意し始めた為にハイディの対面へと腰を下ろすことにする。
「難しい話ではないだろう、アマーリア?」
ハイディと揃いのティーカップに注がれた自分好みの茶で喉を潤せば、唐突に話を切り出してきたハイディ。
アマーリアは優雅に紅茶を嗜んでいるように見えるその姿の裏で、彼女の言葉を噛み砕いていた。
「………クラウスが、獣人だからですか?」
アマーリアのその赤い目が、確信を持ってハイディを貫く。
「そうだ」
ことりとソーサーに置いたカップ。水色を揺らすその振動は、アマーリアの内心を表しているようにさえ見える程、彼女の眼差しが揺れた。
「この剣舞祭を持って、お前はバーゼルト公爵子息の正式な妻として認識されることになるだろう。将来、そう遠くないうちにバーゼルト公爵婦人を担う人間が獣人の、それも幼少からの付き合いがある男の従者を傍に置いていては、良からぬ噂の種になりかねん」
いつか、ハイディとメルシスが話していたこと。
「………」
それは勿論、アマーリアだって分かっていた。
「身勝手なことをしていると、思っているよ」
アマーリアの瞳が伏せられて、何も言わなくなった彼女に掛けたハイディのその言葉には陳謝の意が込められている。
それでも尚口を開かないアマーリアと、そんな彼女を見つめるハイディ。
「レディクラウスであれば、社交界に出しても良いと?」
そして幾ばくかの時が経って、漸く言葉を絞り出したアマーリア。突然女性の姿で現れ、それをサプライズと言い切ったその答えを問うた。
「そうだな。あの日……お前からクラウスを借りた日に、この話をした。勿論、クラウスはお前と離れることを望まなかった。お前の傍にいれるのならどんな形になっても構わないと、言ったんだ」
苦肉の策だ、と、ハイディが呟く。
「幸い、クラウスの容姿は中性的で、お前の従者として付き従うに当たって男装をしていた、という話にすれば、そうあり得ない話でもないからな」
ゆったりと噛み砕いたハイディの思惑は、おおよそアマーリアの想像通りだった。
そしてずっと恐れていたことでもあり、自分がジークムートと婚約を決めたきっかけでもある。
「そう、ですか」
という以外に、言葉はない。
「じゃあクラウス、これからもよろしくね?」
一拍置いて、アマーリアの微笑みを浮かべてクラウスに手を差し出す。一見いつも通りに見えるその微笑みは無理に作られたモノだと、この場にいる誰もが察している。
「はい。………アマーリア様」
クラウスが主の手を取りひざまずく。
美しき主従の絆だと言われればその通りに見えるワンシーン。けれどその裏で、それぞれが抱えている感情は決して一致しない。
「お嬢様。剣舞祭の衣装へ着替えましょうか」
「そうね」
ずっと扉の前で控えていたメルシスが無理矢理空気を一転させ、アマーリアを部屋の片隅にある衝立の奥へ誘導する。
「ハイディ様とクラウスはホールの方でお待ちくださいな」
二人の側を通り抜ける際に残したメルシスの言葉に従って二人は部屋を出ていき、控え室にはアマーリアとメルシスだけになった。
そしてただアマーリアを着飾る音だけが室内を満たす。
何も話したくないであろうアマーリアを察して黙々と作業をしていたメルシスが手を止めれば、そこには剣舞祭の衣装を身に纏うアマーリアが佇んでいた。
「はい、良くお似合いですよ、アマーリア様」
騎士関係の家柄に生まれた令嬢は別として、一般の令嬢は剣舞祭に出場することでしか着る機会のないタイとズボンはアマーリアにとって新鮮であった。
黒を基調とした色合い。軍服を模したシルエット。腰に剣を佩けば女性の騎士に見えないこともない。
「ハイディ様の計らいで私の出番は最後よね?」
「計らいというか悪戯というか………まあ、そうですね。でも、それ程多くの令嬢が参加されている訳ではないので、すぐに出番が回ってくるかと」
くるりと鏡の前で一回転して、特におかしな所が無いことを確認したアマーリアはこの神殿を見て回りたいと言い出す。
「そうですねえ。まあ、少しくらいは良いのではないでしょうか?」
国祭に使うことの多いこの神殿に来たのは初めてだから。そう駄々を追加でこねれば、メルシスは渋々と首を縦に振る。
自分はこの部屋で後の支度がある為にアマーリアに付いていくことは出来ないが、仮にも国祭であるこの祭りに他国の人間はそう簡単に参加出来ないし、国王が来る以上警備も厳重。それも相俟って、メルシスは彼女が一人で歩くのを許可した。
「拡声の魔法で順番のアナウンスは聞こえるとは思いますけれど、遅れないように注意なさってくださいね」
「分かったわ」
頷き肯定したアマーリアは一人部屋を出ていく。
控え室から挨拶をした広場までの道、広場から出入り口までの道は覚えている。後は自分が通った道を把握しておけば控え室に戻ってこれる。だからとりあえず、と歩き出すアマーリア。
別に、この神殿を見て回りたい訳ではない。ただ先程交わしたハイディとの話を、感情を、整理したいだけなのだ。
「あ?」
宛もなくふらふら神殿を歩いていれば、見覚えのある姿がアマーリアの前に現れた。
「ああ、月の女神か」
腰まで落ちる銀髪を緩い三つ編みで束ね、気だるそうな紫の瞳にはアマーリアを映す。
いつしかの晩餐会で出会った、不思議な青年。
「……………では」
関わりたくないと判断したアマーリアがそそくさと横を通り抜けようとすれば、彼女の細腕はいとも容易く青年に捕まる。
「随分お悩みだな?」
艶のある低音でアマーリアを引き留めたその言葉は、今は彼女にとって最も知られたくない感情。
「なんのことでしょう」
逃げることをとりあえず諦めたアマーリアが外行きの微笑みで対処しようとすれば、青年は眉を潜めて目の前の少女を見下ろす。
「ところでお前、俺のこと知らないのか?」
「は?」
予想外の言葉が振ってきたアマーリアは、思考の片隅で深慮していたが為に淑女としてあるまじき相槌が漏れた。
「ええ、と………」
この国の王候貴族の名前、顔は、ハイディの扱きによってあらかた覚えている。そしてこんな覚えやすい男性がいたのであれば、忘れる訳もない。
となれば国外の重鎮だろうか。確かこの間の王族主催の晩餐会にもいたとなればそれなりの地位に違いない。
さて、自分はそんな彼を一体誰かは存じ上げないが、もしかしたら伯爵令嬢如きが気安く話していてはいけない存在なのではないか。
そんな推測が一瞬でアマーリアの脳裏を駆け巡り、完璧な淑女の微笑みも崩れ掛ける。
「成る程?その反応、本当に知らないんだな」
くつくつ喉で笑う青年に対し、アマーリアは言葉が出ない。どう取り繕っても自分がしたことは目上の人間にして良いことではないし、寧ろ今口を開いて良いのかさえ分からないのだから。
「そうか。それなら、後の楽しみとして残しておくか」
一人、何かを完結させたらしい青年はじゃあな、と一言残して去って行った。
「………あ、剣舞祭が始まったわね」
呆然とその後ろ姿を眺めていれば、剣舞祭の始まりを告げる鐘とアナウンスが鳴る。気分転換に散歩をする、など、そんな気分ではなくなったアマーリアは仕方なく控え室に戻ることにした。
メルシスがアマーリアを控え室で出迎えた時、彼女の顔色が少し良くなっていたことに気が付いたメルシスは何があったのかと首を傾げていたが、それは本人でさえ知らぬことだった。




