伯爵令嬢の門出
「アマーリア様、朝ですよ」
「んっ……」
嵌め殺しの窓から差す陽が唯一の光である塔。明け方に鳴る鐘と共に起きる生活をするアマーリアは、伯爵令嬢でありながらそれは農民のようであった。
「恐らく今日も食事は用意されていないと思いますので、ご家族の残飯を調理しました」
「ありがとう、クラウス」
ぼろぼろの、脚が継ぎ接ぎでカタカタする木の机に用意されたのは先日本宅の晩餐で出されたであろう食べ物達。
ほろほろに煮込まれた野菜のスープ、色とりどりの豆や食用の花で飾られたサラダ、囓り、ナイフを、フォークを刺された跡のある一匹のチキン。
食べ掛けだったり、量が少なかったりするそのちぐはぐな食事に感謝を告げ、アマーリアは朝食兼夕食を食べる。
「相変わらず腕は良いわねえ」
多少クラウスが手を入れているものの、元の味付けは本宅の調理人が行っている。お金も無いのに高いお金を払ってグルメ気取りなんて笑っちゃうわ、とアマーリアは思っているが。
迫害されているアマーリアに優しくした使用人からいなくなっていく。
かつては情けで調理人もアマーリアとクラウスの分も用意してくれていた。けれど、当主から直接止めるように言われ、従わなければもうクビだと言われてしまえば、雇われの調理人は言いなりになるしかない。
それに堪えきれずに辞めていった使用人達はアマーリアの記憶にある中で優に両手を越えるだろう。
そんな使用人に出来ることは、廃棄されるだけの残飯をひっそりクラウスへ渡すだけ。
「ふう、美味しかったわ」
きっかり半量食べ終えたアマーリアはそれをクラウスへ下賜する。それは量が多くても少なくても行う、アマーリアの食後の行為だった。
「有り難く頂戴します」
下げ渡された膳を受け取ったクラウスはアマーリアの半分程の時間で食事を終わらせ、膳をひっそり下げに行く。まだ仕込み段階の朝方、台所にはアマーリアとクラウスに良くしてくれる使用人しかいないはず、であった。
「この泥棒がっ!!」
盛大に殴られたように見せかけつつ、自分で後ろに下がり衝撃を殺したクラウスは、失敗した、と言わんばかりに自分へ手を上げる人間を見た。
「なんだその目は!?」
もう一発殴り掛かって来る。殴られたように見せる。それを五回程繰り返し、殴る本人が疲れたのか、舌打ちを残して台所から立ち去っていった。
「クラウス君!!大丈夫!?」
「すまない、執事長には逆らえないんだ……」
周りから差し出された手は取らず、一人ですっと立ち上がったクラウスは首を振って気にしていないと表す。
「ごめんねえ……」
ピンク髪の少女が目に涙を浮かべつつ、クラウスを上目遣いで謝る。それを手で制したクラウスは膳を返し、執事長に会わないようアマーリアの元へ戻っていった。
「あら、執事長かなんかが台所に来たの?」
戻り次第、クラウスの頬が少し赤いことに気が付いたアマーリアは、自分が想像したことを問い掛ける。そして、その返答が無いことから、そうなのだろうと結論を括った。
「こんな時間に執事長が来るなんて、おかしなこともあるものね」
もう台所へ直接行くことの無いアマーリアは、人が入れ替わったとしても気付くことは出来ない。しかし、毎日訪れるクラウスは知っている。誰がいつ離れ、何処へ行き、何をしてたのか。だからクラウスは調理人の手を取ることもないし、謝罪されたことを申し訳ないとも思わない。何の為に執事長、誰が執事長を呼んだのかを、クラウスは知っているから。
主人であるアマーリア以外を信じてはいけないのだと、悟っているから。
「さて、こんなものね」
クラウスが台所へ行っている間、アマーリアは本来クラウスの仕事である身支度を済ませていた。といっても整える物など昔使用人が大きくなっても着れるようにと繕ってくれたワンピース数着、今履いている木靴、のみである。
母の形見のブローチは盗られないよう、壊されないよう常に隠し持っているし、父の形見である家族のロケットペンダントもクラウスに隠し持ってもらっているし、日常使いのアクセサリーやドレスなんかは持たせてもらえない為に、年頃の少女にしては余りにも少ない身支度で塔を出る。
「まだ早いしね……少し休憩しよっか?」
「かしこまりました」
迎えが来るのは恐らく次の鐘が鳴る頃であり、貴族らしい生活をする本宅の人間が起きる頃。
明け方の鐘は一度、朝の鐘は二度、昼の鐘は三度、小休止の鐘は四度、仕事終わりの鐘は五度、就寝の鐘は一度。そうやって繰り返される鐘の音を目安に、皆約束の時間を決めるのだ。
それは例に漏れず、アマーリアとジークムートも。
「私は門前で待機しておきます」
「ええ、お願いね、クラウス」
本宅へ取り次ぐ場合は相手方の使用人が来たと使用人が主に取り次ぐものだが、無論そんなことはしてもらえるはずがないので、アマーリアは最初からクラウスを向かわせている。
そんなことをしていれば伯爵家は先代の娘を迫害していると周りが悟るのも当然で。農民のような服、貴族といえども細すぎている体躯、アマーリアの赤い瞳に浮かぶ達観。それを本宅の人間が取り繕うこともなく、こうして公爵家に嫁ぐ時でさえもアマーリアを飾らせることはしない伯爵家。それに評価が下された時はもう手遅れだというのに、当主達はそれに気付く気配は未だに無かった。
「アマーリア様、公爵家の馬車が」
「今行くわ」
ソファ代わりの木製ベッドから足を下ろし、なけなしの荷物をクラウスに持たせてアマーリアは玄関口へと急ぐ。塔から玄関口まではそこそこに離れている為、多少急がねば大いに待たせることになるからだ。
「調子はどうかな、アマーリア?」
「お陰様でとても」
きらびやかな装飾と、公爵家の紋章が大きく入ったコーチ。そこから表れるジークムートはそれは様になっており、にこやかにジークムートに手を重ねるアマーリアは服装のせいでどうにも浮いて見える。
「…………荷物はそれだけかい?」
「ええ、ジーク様」
「そう……」
鞄一つ分の荷物をクラウスが運んでいるのを見つけたジークムートは、一瞬自分が寝惚けているのかと思った。けれど、よくよく見ればアマーリアが着ている服も貧相で、革のヒールを履く自分の遥か下にアマーリアの目線があることにも気付く。
「……戻り次第手入れをさせる。いいね?」
「ありがとう存じます、ジーク様」
するりと撫でた手は硬い。苦労知らずな伯爵家に生まれながら、これ程手が荒れているのも珍しい。
「行こうか」
アマーリアは中へ、クラウスは御者台へと座り、誰も見送りにこないアマーリアの門出をジークムートは不憫に思いながら、せめて身なりを整えさえ、教養を仕込んであげようと決めたのだった。