伯爵令嬢と剣舞祭
「やあ、アマーリア!」
「………どうしてここにいるの?」
「君の婚約者が招待してくれたよ」
夏の空気を宿す神殿にて、アマーリアは目眩に襲われていた。
「君が喜ぶかと思って」
隣に並ぶ婚約者を憎いと思ったのは、流石のアマーリアも初めてである。
「アーディ…………久し振り、ね」
「そうだね。手紙もくれないから、嫌われたのかと思ったよ」
アーディット・ヴェルネ。アマーリアの今は亡き母方の従兄弟であり、唯一アマーリアが気を許し対等に物を語れる人物。
「………………姉様も?」
横に佇むジークムートが、アマーリアの余りにも冷えきった声に一瞬目を見開く。そして静かに、目を伏せた。
アマーリアが彼と会わなかった理由の一つ。血を分けない姉、長女グレーティアの婚約者故。
後に控える剣舞祭の踊り手として挨拶をする為に着飾った姿を台無しにする程には冷めた目で問うアマーリアにふるりと首を振って否定する、アーディ。
「いいや。招待状が届いたのは僕だけだから。グレーティアはいないよ」
そんなアマーリアの空気感に慣れたようにそう返せば、彼女の凍りついたような空気が少しだけ溶ける。
「折角アリーが踊るんだろ?見てみたいじゃんか」
他人の婚約者を愛称で呼び、侯爵家の子息とはいえ少々砕け過ぎた対応をするアーディに溜め息を吐くアマーリア。この場で最も位が高いジークムートが何も口を出さない以上、彼女が気にしても仕方がないのだが。
実際、自分も身内の婚約者であるとはいえ、愛称で呼んでしまった訳だし。
「挨拶をしてから剣舞祭の衣装に着替えるなんて大変だ」
アマーリアの心情など知ったことではない自由人アーディは、自分のペースで話を続ける。
「化粧も髪型もそのドレスに合わせたモノだから、そこからまたセットしなきゃいけないんだもんね」
「ええ。でも、侍女が優秀だから、化粧はこれに少し足すだけでいいように調整してくれているのよ」
いつも通り諦めたアマーリアは、彼の言葉に相槌を打った。
____ヴェルネ侯爵家の次男、アーディットは、貴族の身でありながら服飾に興味を持ち、貴族勉強を放棄して服飾関係の工房に入った変わり者。
染色、機織、裁縫、宝飾。等、一般的な人間が数年掛けて成し得ることをあっという間に吸収し、結果として大手の工房に引き抜かれた天才だ。
まあ、だからこそ、アマーリアと仲良くしていることが許せないグレーティアが我儘を通して自分の婚約者にしてしまった訳なのだが。
「あれ、クラウスは?」
いくつかの世間話を終え、ジークムートが置き去りになっていることなんて気にすらしていないアーディがアマーリアの半身に等しい存在な行方を尋ねる。
アマーリア、クラウス、アーディ。幼少時からこの三人で集う機会が多かったが故に、アーディが彼女の傍に従者がいないことを不思議に思うのも、無理はなかった。
「…………」
「ああ、彼なら母上の手伝いをしているよ」
「へえ」
言葉に詰まり、何も言い出さないアマーリアに代わってジークムートが答える。
彼のその言葉が嘘であるということを見抜きながらも、アマーリアが何も言わないことからアーディはそれ以上を追及するのをやめた。
「アマーリア。そろそろ戻らないと」
「ええ、そうですね」
白く、霞むような曖昧な空気が流れる中、ジークムートが婚約者を呼ぶ。
「私達はこれで失礼するよ」
「うん。またね、アマーリア」
にっこり、と爽やかな微笑みを湛え、赤髪を揃えた幼馴染みは手を振る。
その金色の瞳に最後の最後まで、着飾った見慣れぬ幼馴染みの姿を映して。
「…………どうして彼の婚約を受け入れたのか、僕はまだその理由を聞いてないからね」
幼馴染みの姿も、幼馴染みの婚約者の姿も見えなくなった頃に、彼は小さくそう呟いた。
「麗しきレディ。実に心を奪われてしまったよ」
今日は何か悪いことをしたっけな、と、アマーリアは思う。
アーディを呼んだジークムートの行動。移動中に遭遇した存じ上げない婦人からの挑発。と今現在。
「実に素晴らしい挨拶だったよ。ワタシの所に来て欲しいくらいにね」
「お褒め頂き光栄ですわ、フェロスエラー公爵子息」
しかしそんな内心など欠片も感じさせない見事な作り笑顔で対応するアマーリア。
整った顔に儚げな微笑を浮かべ、伏せ目がちに答える姿からは早く帰って読書でもしたいなあ、まだ挨拶だけでしょうなんて心は読み取れない。
「いやあ、冗談抜きで本当に」
さっと軽やかにアマーリアの手を取り、それなりに端正な容姿で口説く。なんでこんな時にジーク様はいないのかしら、と毒付くアマーリアなど知ったことではないフェロスエラー公爵子息は、アマーリアが拒否しないのを良いことに彼女の手に力を込める。
「今夜、ワタシの別宅に来てくれても……」
「アマーリア様」
そろそろ不快感を露にしてその手を振り払おうとしたアマーリアへ、助けの声が掛かった。
「くら………………う、す?」
その声に振り向くことなく、疑うことなく名を呼ぼうとした。しかし、見慣れたその赤銀の髪に、姿に、アマーリアの声が上擦る。
「はい、クラウスですよ」
いつもの無表情に人の良さそうな笑みを宿しつつ、フェロスエラー公爵子息の手を解く。勿論、その際に彼の手を握り返すことは忘れない。
「それじゃあ、ワタシは失礼するよ」
ミシミシ音を立て始めた手を半ば強引に引き払い、そそくさとその場を後にするフェロスエラー公爵子息。
そんな彼を極寒の眼差しで見送ったクラウスが振り向いた。
「申し訳ありません」
「ああ、ええ、大丈夫、よ……………?」
結構強く握られたその手は赤みを帯びていて、まだそれなりに痛みが残る。それでも、そんな痛みを打ち消すくらいには、目の前に立つクラウスの姿が衝撃的だった。
美しい赤銀の髪が腰まで流れて、ふさりとした同色の獣耳さえも毛艶が良い。と、そこまでであったのならアマーリアだって驚かない。
問題はその格好。
白の布地に金と赤のライン刺繍が美しい上半身。爪先まで広がった裾。その布には純白のリボンやレースが散りばめられていて、ふんわり広がるシルエットに良く似合う。
「何故………………ドレスを着ているの?」
その一言に、アマーリアの謎は詰まる。
「アマーリア様のお側にいる為ですわ」
男性にしては少し高い中性的な声質と、容姿。を、遺憾無く発揮している女装姿。
実に良く、似合っている。
容姿の系統が近いのと相俟って、言われなければ二人は姉妹だと思い込む程には。
「ええ……と……」
良く、似合っていると思うわ。
そんな感想は、戸惑いと共に吐き出された。
「ありがとう存じます、アマーリア様」
対してクラウスは、とても優雅な淑女の鏡たる顔で、動作で、腰を折った。
勿論、片方のスカートを持ち上げることを忘れずに。
「アマーリア様、剣舞祭の衣装へ着替えないと」
「あ、ええ、そうね……」
放心しかけているアマーリアの意識を掴み、控え室となっている部屋に誘導するレディクラウス。
良く良く見れば、彼……彼女?の歩き方や視線の動かし方は、自分のものと酷似している。
…………と、すれば。
「ハイディ様ね……?」
この、悪戯のようなサプライズ?は、きっとハイディが力を入れて行ったモノに違いない。そう考察したアマーリアは、レディクラウスへ何かを問うのをやめた。
きっと控え室で待つハイディに尋ねるから、と。




