伯爵令嬢と準備
季節は夏に変わろうとしている。
その間、度々やって来るようになったジークムートからの夜会の誘いを受け入れ続けたアマーリアは、社交界では正妻に収まる婚約者として認識されていた。
それを幸と取るのか不幸と取っているのかは、陰鬱な顔をしているアマーリアを見れば分かること。
「ふう……」
テーブルに重ねられる鬼のような招待状の数々。
皆が避暑地へ分散する季節というのもあるが、それでも、アマーリアの前に並ぶ招待状は尋常な量ではない。
招待状の山に囲まれ、机に肘を付いて指を組む。そこに額を乗せれば、鬱々とした空気が漂ってくる。
「アマーリア様」
現在、応接間にてハイディとメルシス、仕立て屋が剣舞祭の衣装について最終確認を行っている為、部屋にいるのはアマーリアとクラウスだけ。
クラウスは項垂れるアマーリアを覗き込み、問う。
「アーディを剣舞祭へ呼んでみては?」
バーゼルト公爵邸へ来てから一度も顔を合わせていない従兄弟を呼んではどうか、と。
そんな従者の言葉にアマーリアは伏せていた顔を上げ、ふるりと首を振った。
「呼ばないわ。ハイディ様にも、身内は呼ばないと言ってあるもの」
正確に言えば呼べない、呼ぶ意味もない、ではあるが、そこは敢えて呼ばないで通した。
ハイディはアマーリアの家庭環境に気が付いているし、社交界でのポートリッド伯爵家の噂と掛け合わせればそれが間違っていないことも察している。
だからこそ、その部分には触れてこない訳ではあるのだが。
「アマーリア様………」
もう何度目か分からない溜め息を吐き出すアマーリアを見たクラウスは口を閉じた。
彼は、口の上手い従者ではない。メルシスのようにアマーリアへ助言することも、ハイディのようにアマーリアへ激励を飛ばすことも出来ない。
だから、彼なりに彼女を元気付けられるような提案をしてみたのだが、それは一考の余地なく却下されてしまった。
「分かっているわ、クラウス。貴方が私を気遣ってくれているのも」
アマーリアは溜め息と共に落ちた顔を上げ、クラウスに視線を合わせた。
「でも、アーディだけを誘う訳にはいかないじゃない?一応、姉の婚約者に当たるのだから」
そう言葉を告げたアマーリアの表情はとても暗い。それに釣られてクラウスも、耳がぺたんと下がった。
「………………アーディには勿論会いたいわ。でも、あの家族には会いたくない」
吐き捨てるようなアマーリアの尖った声音。クラウスが良かれと思って出した話題は、余計にアマーリアの眉間に皺を寄せてしまった。
「申し訳ありません、アマーリア様」
赤銀髪に埋まって見えなくなる程にまで伏せられた耳。クラウスの顔より、目より、何よりも感情が現れるその耳に、手を伸ばすアマーリア。
「ありがとう、クラウス。でも大丈夫だから」
するりと耳に感じる主の温もり。埋まった耳を立てるように撫でるその手は、今となってはもう届きそうもない程に遠いものだ。
「いいえ、」
クラウスはアマーリアの手をそっと掴み、元あった机の上に戻す。
「アマーリア。剣舞祭の衣装、決まったぞ」
まるで扉の外でタイミングを窺っていたのかと思うくらいの丁度良さで、ハイディとメルシスが部屋に入ってきた。
勿論、クラウスは二人が部屋に近付いているのを知った上でアマーリアの手を受け入れ、離した訳だが、そんなことなど露知らないアマーリアは一瞬肩が跳ね、動揺した。
「アマーリア、どうした?」
「いえ、ハイディ様。なんでもありません」
クラウスは二人が入室する直前に壁際に跳んでいき、今は素知らぬ顔で目を瞑って待機している。だから動揺しているのはアマーリア一人であり、ハイディになんでもないと誤魔化すので精一杯であった。
「まあ、良いが………」
そう言葉を濁したハイディではあるが、一応何かあったのかと疑い、クラウスを横目で眺めるものの、当の本人は立場上目を合わせるのは許されないのでボロが出ることはない。
以前は無礼を承知で自分に指導を乞うた癖に、こういう時は使用人に徹底するクラウスを一睨みしてから、アマーリアをソファへ呼ぶハイディ。
「今回の衣装は以前アマーリアが見た時のデザインと大きくは変わらない。所々意匠に口は出したが、変なものには仕上がっていないから安心してくれ」
メルシスが茶を用意する傍ら、ハイディは淡々と用件を告げていく。
「剣舞祭までもうまもなくだが、滞りはないな?」
「はい、特に問題はありません」
一つ一つアマーリアの様子を確認していき、最終的には先程アマーリアとクラウスが交わした会話を持ち出す。
「家族は誰も呼ばない。それで良いんだな?」
ことり、と、やけにソーサーに戻ったカップの音が響いた。
この音にはずっと目を伏せていたクラウスも反応し、半目で会話をしている二人を眺める。
「………そのつもりです、ハイディ様」
当の本人であるアマーリアは、ただ静かにこくりと頷いて肯定した。
「やはり、顔を合わせたくはないか?」
「はい」
「………そうか、分かった」
初対面の時よりもずっと固い声音で話をするアマーリアに、ハイディはそれ以上言葉を重ねることはなかった。
「さて、そろそろ戻るか」
その後は他愛のない雑談で時間を潰し、頃合いを見計らったハイディの言葉でお開きとなった。
「あ、そうだアマーリア。少しの間、クラウスを借りても良いか?」
「?はい、大丈夫です」
自室の扉の前まで見送るアマーリアは、ハイディからの唐突な申し出に首を傾げた。しかし、ハイディであれば悪いようにはしないだろうと申し出を受け入れる。
「助かる。クラウス、こちらへ」
ハイディに呼ばれたクラウスは音もなく彼女の背後に立つ。それを咎める程ハイディは狭量ではないが、流石に驚くからやめてくれ、とだけ伝えた。
「申し訳ありません」
素直に頭を下げ、非を詫びるクラウス。
「ではな、アマーリア。剣舞祭の日にまた会おう」
「………はい、本日はありがとうございました」
一瞬、いつもと様子の違うクラウスに気を取られ反応の遅れたアマーリアだったが、にこやかに別れの挨拶を済ませることは出来た。
「クラウス………?」
しかし、二人がいなくなったその部屋で、アマーリアは何とも言い難い不安感に襲われる。胸がざわめくような、締め付けられるような、何とも言えない漠然とした不安に。
「お嬢様、どうされました?」
「いいえ、なんでもないわ」
けれど、それを口に出すのは何故だか憚れて、アマーリアはメルシスに促されるがままにソファへと腰掛ける。
「まだ緊張されるのは早いですよ」
「ふふ、そうね」
アマーリアの様子を緊張からだと察したメルシスは大丈夫だと声を掛け、ケアに努める。
だからアマーリアも、この不安は緊張から来るものなのだと強制的に自分を納得させた。
何処か腑に落ちない、違和感を抱えてでも。




