伯爵令嬢と舞踏会
「とてもお綺麗ですよ、お嬢様」
「本当に。まるでお伽噺の妖精ですね」
「ええ、これ程までに美しいお方がいらっしゃるとは」
薄紫のドレスに身を包んだアマーリアを褒めちぎる三人。
メルシスと、仕立て屋と、商会の人間である。
「これ以上お似合いになるドレスは存在しないのでは?」
「まだ一着目ですよ!」
「一応このドレスに合う装飾品や靴も揃えておきますね」
当の本人を除いて、三人はとても盛り上がっていた。
死んだ目で遠くを見つめるアマーリアは久々に着用したコルセットが苦しくて苦しくて仕方がないので、そこに加わる気になれないのである。
「お嬢様、如何です?」
「任せるわ」
裁量をメルシスに放り投げたアマーリア。そんな主に目を輝かせ、次のドレスを持ってくるように張り切り始めたメルシス。少し間違えたかなと思わないでもないアマーリアだったが、もう思考は放棄することにした。
一日潰し、漸くアマーリアのドレス候補が決まった。
「最初の薄い紫か薄い黄色か薄い赤か……似合う色が多過ぎて決めきれませんね」
「そうですね。薄紫の優雅さ、クリームの儚さ、薄赤の活発さ……全て決めきれない程拮抗しますね」
三着まで絞られた。二桁試着して、候補に残ったその三着。しかもどれもが似合い過ぎて選べないという困った状況。
「これがいいわ」
もうなんでもいい瀕死のアマーリアは目を瞑って適当に指を指す。
「あら、濃紺のドレスですか?」
よりにもよってアマーリアが選んだのは、候補である三着の端に置かれていたドレス。
紺の布地にふんわりと広がるプリンセスライン。所々に散りばめられた花の刺繍と甘すぎないフリル。
「ええ、これにしましょう?」
しかし、もう引き下がれないアマーリアはこれで押し通すことにした。何か言いたげなメルシスだったが、主の希望であるのならと一度紺のドレスへ着替させる。
「あら?これはこれで……」
「そうですね。お嬢様の綺麗な白髪が良く映えて、とても目を惹きますね」
着てみれば、思いの外違和感のない紺のドレス。普段は薄い色合いの衣服しか着用しない為候補から外れていたが、アマーリアの真っ白な髪を引き立てるのは濃い色だ。
「そうですね、折角ですもの。たまには違うお色に致しましょう」
と納得したらしいメルシスの言葉で、アマーリアのドレスが決まった。
「アクセサリーはこちらで如何でしょう?」
ささっと商人が用意するのはゴールドの装飾が美しいネックレス。
「ええ、それで」
アマーリアはちらりと確認し、特におかしな所もなかったので秒で決める。
「お靴はこちらで如何でしょう?」
「ええ、そうね、これにするわ」
爪先に小さなリボンがあしらえられた紺のパンプス。フルレングスのドレスを傷付けないよう質素になっているが、履き心地抜群の靴であった為アマーリアは即断で決め終わる。
「当初の予定ですとこの後剣舞祭の衣服をオーダーさせて頂くというお話でしたが、如何致しますか?」
舞踏会のドレスその他諸々は決め終えたが、まだ剣舞祭の衣服を仕立てるという項目が残っている。
それに気付いた時の絶望したようなアマーリアの顔を見たメルシスであったが、無視した。
「ええ、勿論今日決めさせて頂きます」
既に五の鐘が鳴り終え終業の時間であるが、仕立て屋と商人は気前良く買っていってくれるお得意様相手に不満など一切ない。
メルシスはやる気に満ち溢れている。
アマーリアは絶望した。
「というような形で承らせて頂きます」
そこから普段であれば床に就いている時間まで押し、漸く話が纏まった。
剣舞祭の衣装なんて良くわからないアマーリアはメルシスに任せっきりになってしまったが、仕立て屋が描いた服は軍服みたい、というのがアマーリアの感想である。
「では、ありがとうございました」
仕立て屋と商人がほくほく顔で帰っていき、アマーリアはやっと一息吐く。
「ありがとうメルシス。一人だったら絶対に決められなかったわ」
ソファに腰掛け若干魂が出つつも、アマーリアは礼を述べる。それが仕事だと笑うメルシスに深く感謝し、存在の有り難みを改めて実感した。
「さ、お嬢様。舞踏会までまだ時間がありますから、身体磨き、頑張りましょうね」
アマーリアの頬がひくりと引き吊る。疲れなど一切見えないメルシスが湯の支度をしに行く姿を、遠い目で見送った。
「やあアリー、元気でなによりだよ」
「ええ、ジーク様こそ」
舞踏会当日。燕尾服の正装に身を包むジークムートが別宅までアマーリアを迎えに来た。
青銀髪の髪を後ろで括ったジークムートはなんだかアマーリアの様子が前とは違うことに少し気付くが、その正体までもは掴めない。
「行こうか」
「はい」
別宅から本宅までは歩き、本宅からは馬車で向かう。
盛り上がることのない道中を経て、二人はハンドリー侯爵家へと足を踏み入れた。
きらびやかな照明と華やかな人々。比較的早く来た方の二人であったが、ホールは既に招待客であろう数名が雑談をして待機していた。
「ああ、ジークムート!」
とそのうちの一人、輪の中心にいた人物がジークムートを見つけ、駆け寄ってきた。
「久し振りだな、ジークムート。来てくれて嬉しいよ」
「ああ、ヨハン。スケジュールが空いたし、折角だからね」
仲睦まじ気に挨拶を交わす二人を、アマーリアはジークムートの一歩後ろで窺う。
煤の髪を肩口で切り揃えて、藍の目には友好的な色が滲むヨハンという人。
アマーリアはヨハンと面識がない為二人の会話に口を挟むことをせず、ただジークムートの後ろで微笑みを湛えるだけ。
「なあ、そっちの美人さんは?」
「ああ、僕の婚約者のアマーリアだよ」
そして、ヨハンがアマーリアの存在を聞けば、少し少年のような幼い顔をしたジークムートが婚約者を紹介する。
「アマーリア・ポートリッドです。本日は素敵な舞踏会に参加させて頂くことが出来て、とても光栄です」
スカートの端を少し持ち上げ、足をクロスさせて頭を下げる。たったそれだけのアマーリアの所作に、ヨハンは驚く。
「ポートリッド伯爵家の?」
と聞いてしまったヨハンに悪気はない。そしてアマーリアも、そう言われることがわかっていたからこうして少し硬い挨拶をしたのだ。
「はい。ポートリッド伯爵家、前当主の娘でございます」
微笑みは絶やさぬまま、アマーリアは対応を続ける。
会ったことのない人間にまで広がるポートリッド伯爵家の噂とはどうせろくでもない。それならせめて、バーゼルト公爵子息の婚約者である自分は違うのだと、見せつけたかった。
ハイディに叩き込まれた美しい所作を見れば、わかる人間はわかる。これを身に付けるまでにどれ程努力したのかを、他のポートリッド伯爵令嬢達とは違うのだということを。
ヨハンが気付いてくれるかは賭けであったが、驚いた様子の彼を見ればアマーリアの思惑は伝わったのだろう。
「へえ、ポートリッド伯爵家にまともな令嬢がいたんだな」
「ヨハン」
からかうような調子のヨハンをジークムートが咎め、本人は降参と言わんばかりに両手を上げた。
「悪かったよ」
「いいえ、ヨハン様。お気になさらないでください」
おどけたような、飄々とした態度が彼のデフォルトであると理解したアマーリア。彼の茶化した発言は特に何とも思っていない。その反応が普通であると、それが正しいと、思っているから。
「改めて、俺はヨハン・ハンドリー。一応侯爵家の跡取りな」
こほん、と咳払いを一つして場を持ち直したヨハンが改まって名を名乗る。
「アマーリア・ポートリッドです。ジーク様の婚約者ですよ」
ヨハンの語尾が軽かったことから、アマーリアも自己紹介に軽さを突っ込む。流石にそんなことをされると思っていなかったらしいヨハンは、ふはっと吹き出してぷるぷる震える。
彼はついでに変な所にツボがある、ともヨハンの印象に足しておいたアマーリアだった。
「そろそろ集まってきたみたいだな」
その後、暫く三人で雑談をしていたが、 ホールのざわめきが大きくなってきたことを確認したヨハンは二人に別れを告げ、ホールの中央で主催の挨拶を始める。
「ハンドリー侯爵家の舞踏会へようこそ。相手に迷惑を掛けなければ自由に楽しんでくれて構わない。良い夜を過ごそう」
と、先程のヨハンよりは少しまともなヨハンで挨拶を述べ、すぐに戻ってきた。
「じゃあ二人も楽しんでってくれよな」
それだけを告げに来たらしい彼はすぐに人波に埋もれて行った。
「僕達も踊ろうか」
ヨハンが開会の挨拶を終えた頃から楽器での演奏が始まっている。それに合わせて招待客が踊っていることから、ジークムートも婚約者であるアマーリアを誘う。
「ええ、ジーク様」
手を取られ、エスコートされるままゆったりと踊り出す。
「アリー。元からダンスも上手かったけど……すごく上達してる」
アマーリアの手を取って躍り出した時、ジークムートは気付いた。元々ダンスの上手かった彼女のステップが、更に自分を引き立てるように置かれていることに。
「ハイディ様に大分絞られましたから」
そして、いつの間にか他人にも自分にも厳格である母の名を愛称で呼んでいる婚約者に。
「素直に今、驚いてる」
ジークムートが意地悪しようとステップを早めても、急に回転を捩じ込んでも、アマーリアは一手二手三手と先を読んでいるように華麗に踊る。そこまでされれば、ジークムートはもう彼女の努力を認めるしかない。
「ふふっ」
してやったり、と優雅に微笑んだアマーリアの顔。少女のように無邪気で、けれども大人のような色気を帯びていて、ジークムートは目を奪われる。
「っと、ごめん」
一瞬テンポの遅れたジークムートに躓き、アマーリアは体勢を崩す。もう持ち直せないと判断したアマーリアは、ジークムートに抱えられるような姿でダンスを無理矢理終わらせた。
「ジークムート様が女性を連れてるから何事かと思ったけど……あれじゃあ勝ち目ないわねえ」
「ね、ダンスでなら勝てるかと思ったけど、むりむり」
と、立ち上がったアマーリアの耳に入ってくる賛辞のような言葉の数々。アマーリアは一礼してジークムートに寄り添い、彼に躓いた足が痛いからとホールから連れ出してもらうようにお願いする。
「ふう」
ホールを出て、バルコニーで一休憩することにしたアマーリア。
自分のダンスと姿を売ることは終えたから、もうホールにいる必要がないのである。
もしホールにいればダンスの誘いをされるのは明白であり、それを避けたかったが為に嘘を吐いて連れ出してもらったのだ。
「…………いい風ね」
さらりと白髪を拐う心地好い風。アマーリアは暫しそこで時間を潰していた。そしてくたくたの様子のジークムートが現れるまで、夜空を眺めていた。
そんな自分を見ている視線に、気が付きながら。




