伯爵令嬢と原因
「…………舞踏会、ですか?」
「そう、ハンドリー侯爵家から誘われてね。来週なんだけど、一緒にどうかな?」
たまにしか別宅へ来ないジークムートが突然やって来るなどどういう風の吹き回しかと疑っていると、アマーリアを舞踏会へ誘う為だったらしい。
「アリーは最近頑張っているとお母様から聞いてね、それなら連れて行っていいかなと」
別にジークムートの為に努力している訳ではないアマーリアはその言い方に少しむっとしたものの、それでも表情はきちんと隠し、にこやかに対応する。
「勿論ですわ、ジーク様」
「良かった。後で仕立て屋を呼ぶから、適当に仕立てておいて」
婚約者として色を揃えるなどということはしないようだと理解したアマーリアが頷けば、ジークムートは足早に帰って行った。
「やれやれ、ジークムート様は相変わらずですねえ」
お茶を用意しに行ってくれたメルシスが戻ってくる頃にはジークムートはいない。そんな部屋を見て、メルシスは溜め息を吐く。
「少しは他の令嬢方にも目を向けてあげて欲しいものです」
アマーリアは未だ婚約者止まりだが、リベルドリア元伯爵令嬢とターノベル元子爵令嬢は、完全に婚姻関係にある。それで、この対応である。
メルシスが呆れるのも無理はない。
「私は構ってもらえない方が楽でいいんだけど」
「そういうことを仰るんじゃありません」
メルシスの淹れてくれた紅茶で舌を潤せば本音が漏れた。窘まれてしまったアマーリアは以降閉口し、沈黙が流れる。
「さて、剣舞の練習でもしましょうか」
剣舞際まで残り二週間。随分見れるようになったが、それでもアマーリアはまだまだ納得の行く余地ではないと思い込んでいる為、剣を取る。
「お嬢様、そろそろ手を緩めても良いのでは?」
一日の半分を、アマーリアは踊っている。見かねたメルシスがそう声を掛けても、アマーリアには届かない。
「いいえメルシス。まだまだよ、もっと練習しなければ」
何処まで練習すれば気が済むのかは、アマーリアにもわからない。ただしなければならないから、しているだけ。
そう言われてしまえばメルシスは引き下がる他なく、アマーリアは尚一層没頭していく。
薄々、気付き始めている。自分がこうして努力する度に二人が向ける目線の意味に。けれど、動いていないと安心が出来ない。やってもやってもやっても、全然、満たされない努力にも、気付いている。
それでも、動いていなきゃ、いけないのだ。
「アマーリア」
そんなアマーリアの手を止めたのは、ここにいるはずのない人物。
「…………ハイディ様?」
腕を掴まれ、強制的に躍りを止められたアマーリアは、初めてハイディが自室にいたことに気が付く。
「やめろ」
剣を取られ、椅子に座るよう促されたアマーリアは、何故止めるのかと抗議する。
「座れ」
それを一切無視し、座ることだけを命令する。諦めたアマーリアが椅子に座れば、ハイディは漸く他のことを口にする。
「美しくない。お前の今の動きは、剣舞を舞う以前の問題だ」
とダメ出しを食らうアマーリアは、いつも通りであったのならしないであろう行動を、取る。
「何処がでしょうか?振りも、タイミングも、細かな動作全て、問題ないはずです」
ハイディに噛み付いた。今まで一切抵抗せず言われるがままだったアマーリアが、反抗に出た。
それがただの八つ当たりであることを、アマーリアは勿論理解している。それでも、自分がどれだけ努力しても満たされない空虚感に、しなければならないと追い込まれる感情全てに、イラついていた。そんな所へハイディの否定の発言は、とても心に突き刺さった。
だからこそ、言い分は正論であっても、反抗自体はアマーリアの八つ当たりであった。
「剣舞を舞う以前の問題だと言っただろう。お前には、余裕がなさすぎる」
剣をその辺へぺいっと投げ、ハイディも椅子に座る。
「お前が舞ってる剣舞は、大人が児戯に耽ってるようにしか見えん」
腕を組み、アマーリアの剣舞をすっぱ切ったハイディ。
「私に反抗したこともそうだ。余裕がないから、人の意見を聞き入れられない」
ぐうの音も出ないまま、アマーリアは俯く。わかっている。理解している。何より、誰より、それに気が付いている。だからこそ、何も言えない。
「どうした?」
急に、ハイディの声音が優しいものに変わる。叱る訳でもない、慰める訳でもないその声に、アマーリアは甘えそうになる。
「アマーリア。お前は努力家だ。だから、私も気に入っている。甘えるのと、頼るのとは違うと、わかるだろう?」
ハイディの言葉を、言い分を、アマーリアはきちんと理解している。それでも何も言い出さないアマーリアに、ハイディが痺れを切らした。
「言え。とりあえず吐き出せ。とりあえず私が聞いてやる」
先程までの優しい口調は何処へやら。いつも通りに戻ったハイディに、アマーリアは漸く顔を上げた。
「…………上手く、舞えないんです」
そして、また顔を伏せる。
自分の中の違和感は、そこから始まった。練習する度に下手になっていくような感覚。それを埋める度に舞えば、メルシスとクラウスには褒められるから、余計にわからなくなる。
「上手く舞えているはずなのに、舞えていると思えない」
それは、剣舞だけでの話ではない。していること全てが足りていないような焦燥感。やればやる程満たされない空虚感。
それらが、アマーリアを追い詰める原因。
「ふむ」
ハイディは、確か自分にもそんな時があったと記憶している。しかし、それをどう乗り越えたのかは全く覚えていない。
「アマーリア。焦りは、全てを鈍らせる」
なので、現状思うことを伝えてみることにした。
「お前の剣舞はもっと美しい。軽やかで、華やかで、とても儚げなものだ。そこにありそうでなさそうな空気感に、人々が巻き込まれる程に」
と、評するハイディに、アマーリアはきょとんとした顔で見つめ返す。まさかそんな風に思われていると思っていなかったアマーリアは、自己評価が低かった。
「物覚えは良いし、味覚も良いし、焦ることなんて何一つない。それなのに、何をそんな焦っている?」
そう尋ねられたアマーリアは、考える。ハイディから思いの外高評価をもらったことに思考が停止していて、上手く導き出せない。
「焦ることなんてない。お前は今のままでも、充分優秀だ」
その言葉が、一番アマーリアに染みた。
どれだけ褒められても全てが嘘のような気がしていた。けれど、ハイディの言葉は何故か、すっと胸に響く。
母に似ているメルシスでもなく、幼い頃から共にいるクラウスでもない存在に認めてもらうことが、アマーリアには必要だったのだ。
「…………ありがとう、ございます」
じんわりと胸を満たす感情を、アマーリアは知らない。
「まあ、焦らなくても努力は必要だから、これからも扱いて行くけどな」
アマーリアの感情は一瞬にして消え去った。これには後ろで見ていたメルシスもハイディへ冷たい眼差しを向けてしまう。
「ハイディ様、今じゃないですよ」
「…………何がだ?」
「全く……」
と小声で言い合う同級同士。アマーリアはそんな二人を微笑ましげに眺め、いつの間にか立場が逆転していた。
「大体ハイディ様はいつもそうですよ、どうして良い雰囲気を自ら壊してしまわれるんですか?」
「何を言っているんだメルシス?」
「これがなければ本当にもう素晴らしい人で記憶されるのに……」
何やら昔のことまで引き合いに出してきたメルシスにお説教は勘弁だとハイディが音を上げた。
「という訳でアマーリア、剣舞祭楽しみにしているからな!」
メルシスが一言言い終えたの見計らって、ハイディが出て行った。残されたメルシスはまだ言い足りないと言わんばかりに扉を見つめていたが、溜め息を吐いて何やら諦めたようだ。
「お嬢様」
そしてアマーリアへ向き直り、手を握る。
「ハイディ様の言う通りですよ。お嬢様はし過ぎなくらい努力されています。もう少し、休まれては如何ですか」
先程ハイディを叱っていたとは思えないくらい柔らかい声で、アマーリアに告げる。これにはアマーリアも素直に頷き、謝る。
「ごめんなさい。ずっと、メルシスが心配してくれてたのはわかっていたの」
と、ずっと気付かないフリをしていたことに謝罪する。メルシスはお気になさらず、とアマーリアの小さい頭を撫で、立ち上がった。
「さ、お嬢様。ジークムート様が呼んでくれる仕立て屋に剣舞祭の衣装も仕立ててもらいましょうね」
空気を入れ替えるようにお茶目に笑い、アマーリアも吊られて笑い、同意する。
「折角だから商会も呼んで靴やアクセサリーも買ってやりましょう」
ふふふっとある意味アマーリアよりも楽しそうなメルシス。主はそんな侍女に促されるがまま、彼女に従うことにした。




