伯爵令嬢の苦難
「見て見てコード!完璧な水やりじゃないかしら!?」
変わらず美しい庭園。ここに来るのが日課となったアマーリアは、庭師であるコードとも親しくなった。
「ああ、そうだな」
多過ぎず少な過ぎず、適量の水やりを属性鉱石を用いて行っているアマーリア。最近、随分属性鉱石の扱い方が上手くなったと自画自賛する。
最初の頃は属性鉱石へ流す魔力量がわからず、どばーって流した為に水がどばーって溢れる事態に陥り、コードに植物を腐らせたいのかと叱られたが今は一角を任せてもらえる程には上達した。
「水の扱い方はもうマスターしたかしら」
アマーリアがここへ通うのは居て癒されるだけでなく、こうして魔法の練習が出来るからでもある。今まではコードの好意で水やりをさせてもらえていたが、それが完璧となるとアマーリアの役目は本当に水やりだけになる。
「他の精霊に力を借りたいのなら収穫をしてみるか?」
「収穫?」
うーん、と唸っていると、コードが新しい仕事を紹介してくれる。
この庭園の裏、別宅よりの場所に果実園があるらしい。そこで風の精霊から力を借り、収穫時期の果実を風で刈り取るお仕事。
「やってみたいわ!」
「了解、ならこっちに来な」
コードに案内され、果実園へと向かうアマーリア達。
「…………果実園?」
とはいえ小規模だと思っていたアマーリアの予想を遥かに超える果実園が目の前に存在する。ポートリッド伯爵邸並みの、規模であった。
「ま、お嬢ちゃんなら収穫時期の見極めが付くだろ?この篭に入れといてくれや」
どん、と置かれた背負い篭。やってみたいと言った手前引き下がることも出来ない性分のアマーリアは前と後ろに篭を装備し、歩き出す。
「刈り取るイメージ……」
収穫時期の果実を見つけては属性鉱石へ魔力を流し、イメージを精霊に伝える。そうすれば、望んだ通りに魔法が発動する。
「あ、マームだわ」
アマーリアの好きな赤い瑞々しい果実を大目に刈り取り、ちょっと摘まむ。
篭の中は数種類の果物で満たされ、もう入らないのでとりあえずここでやめることにした。
「降参か、お嬢ちゃん?」
「まさか。一杯にしてきたわ」
果実園の入口で待機していたコードが茶化すようにからかう。アマーリアは挑発的に笑って、篭を見せつけた。
「こりゃ驚いた」
まさか数十分足らずで篭を満杯にしてくるとは思っていなかったコードが素直に感嘆を口にすれば、アマーリアはしてやったりと口角を上げる。
「いい練習になったわ。ありがとうね」
とコードへ篭を渡し、アマーリアは果実園を後にする。
一応検分を始めたコードは果実が全て食べ頃であったことに舌を巻き、相変わらず普通のお嬢ちゃんじゃねえやと笑っていた。
「やあアマーリア、元気か?」
「ウィリアムス様。おかげさまで」
自室に戻ったアマーリアを出迎えたのはウィリアムス。二度目の訪問となれば慣れたもので、前回程動揺せずに挨拶を交わす。
「属性鉱石の勉強は捗ってる?」
ウィリアムスは、そんなことないだろうと思っていた。知識すらなく、使い方もロクに知らない少女があんな属性鉱石を使いこなせるはずがないと、思っていた。
なので、アマーリアのにこやかな顔を見たときに、嫌な予感がしたのだ。
「はい。水、火、風の魔法のコツは掴みました。土はまだ練習出来る所がなくて、試していないのですけれど」
さりげなくそう良い放ったアマーリアに、ウィリアムスは眩暈がした。
確かに、アマーリアの魔力は精霊に好かれやすい魔力だと言った。それは謂わば、全ての属性に適正があるということだ。しかしまさかこんな短期間で三属性も手を出しているとは、思わなかったのだ。
「とりあえずじゃあ、見せてくれる?」
「はい」
言われた通り、アマーリアはまず火の属性を使ってみることにする。手のひらで踊る程度の火。
次に、水の属性。これは手のひらに乗る程度の水の玉を。
そして最後に、風の属性。風は形を持たないものなので、そよ風程度の風を吹かせる。
「どうでしょうか?」
魔力の供給をやめれば風は止まる。ウィリアムスの前髪を拐っていた風も、無くなる。
「これは驚いた」
素直な感想であった。例え属性が使えるようになったとしても、属性鉱石から溢れる程の無駄が多い魔力の流し方では出来たとは言えない。それを、アマーリアは一切の無駄が起きないよう行っていた。
それはどの程度魔力を込めれば精霊が力を貸してくれるのかを調べていたアマーリアだからこそ、身に付いていた感覚だった。
「教えることがない」
ウィリアムスは心底困ったようにそう吐き出した。ハイディからポートリッド伯爵令嬢を教えてやってくれと頼まれた時、いびっていびって苛め尽くしてやろうと考えていたのに、これでは何もすることが出来ない。
「合格だ。君に教えることはもうないよ」
基礎の基礎が出来てしまえば、後はどうやって精霊と付き合って行くかだけ。それは師が教えるものではなく、自分達で学んでいくこと。
しかし、思っていなかった所で合格を出されてしまったアマーリアは悩む。
まだ火や水で作った動物を見せてないのだ。あれはアマーリアが特に練習した所なので是非見て欲しいとウィリアムスに告げる。
「え、属性で動物を作る?」
告げられたウィリアムスは何を言ってるのかわからない、というようにアマーリアを見下ろす。アマーリアはとりあえず、火のリスを作って見ることにした。
「…………リスだね」
属性違いで水属性でも作ってみる。
「………………水だね」
見てもらえたアマーリアは大満足であり、その二匹を散らす。
火は蝋燭へ、水は水桶へ。
それを見たウィリアムスは、もう何も言わなくなった。
「君が学園にいないのがとても残念に思うよ」
アマーリアは現在17であり、もう学園に入学出来る歳ではない。もし通っていたのなら、とウィリアムスは思ってしまう。彼女の性格であれば首席卒業も目指すことが出来たであろうに、と。
「それじゃあね、アマーリア」
ウィリアムスは帰って行く。
こうして講師二人から合格を得たアマーリアは目下の目標がなくなった。
剣舞祭まではまだ時間がある。衣装はそろそろ仕立て始めなければならないが、それは一日あれば足りるだろう。
そして剣舞の方も最近はクラウスとメルシスに褒められる程度にはなってきたから、時間を減らしても大丈夫であろう。
ずっと何かに打ち込んで時間を潰してきたアマーリアは、この空白の時間がいつの間にか苦手になっていた。
何かをしていたい。何かをしていなきゃいけない。
最早強迫に近いその思考は、アマーリアを追い詰める。
「…………完璧に、なりたい」
笑われたくない。見下されたくない。哀れまれたくない。そんな感情が、物事をこなす度に強くなっていく。
何かを出来るようになる度に、何かを出来るようにしなければならないという強迫。
それは全て、完璧主義者であるアマーリアの、欠点だった。
「そうね……政治の勉強でも、しましょうか」
もし公爵夫人になるのであれば、ジークムートが不在時に自分が携わることがあるかもしれない。
そう考えたアマーリアは図書室へ赴くことにした。
アマーリアは気付かない。ずっとずっと望んでいたはずの読書が、しなければならないものに変わっているということに。
楽しかったはずの読書が、最近はただの作業と化していることに、アマーリアは気付けない。
唯一勘付いているはずのクラウスは、アマーリアへ掛ける言葉を持たない。
「アマーリア様」
だからクラウスは図書室へ向かおうとするアマーリアを引き止めることしか出来ない。
「私がお持ちします」
「…………そう?じゃあ、よろしくね」
それでも、アマーリアを休ませる言葉は吐けないから、彼女が自分で気付くように間を作るだけ。
そんなクラウスの気遣いにも気が付けない程、アマーリアは知らず内に追い込まれていた。




