伯爵令嬢と新たな出会い
「いい天気ね、クラウス」
爽やかな風がアマーリアの髪を掬い上げて散らす。いい天気だからと中庭に出てきたアマーリアは美しく手入れされている木々を、花々を、観賞していた。
ジークムートが一緒の時はまともに楽しめなかったが、誰もいないこの庭園に、美しい植物の数々に、アマーリアの気も緩む。
「あら、翡翠の実。珍しいものがあるわね」
庭園の奥まった所にある一角。その角地は全て珍しい植物が植えられて丹念に世話がされていたが、その中で最もアマーリアの興味を引いたのは翡翠の色をした植物。
一つの茎にいくつもの実が三日月型に生え、花托は紺色に、実自体は翡翠の色をしたとても珍しいもの。
「育てるのは勿論、手に入れるのだって難しいのに…………流石は公爵家ね、良い庭師を持っているわ」
一通り見て回ったら、ここの植物達は全て愛を持って育てられている。普通の庭師では気にしないようなこと全てに気を配って、手入れを行っている。
とても素晴らしい仕事振りである、とアマーリアは感心した。
「アマーリア様」
「なあに?」
しげしげと珍しい植物コーナーを眺めていたアマーリア。クラウスが背後で名前を呼ぶが、観賞に忙しいアマーリアは振り向かない。
「お嬢ちゃん、見つめるのはいいけど触るなよ」
「ええ、勿論。翡翠の実はとても美味しいけれど、収穫時期でない実は触っただけで毒なのよね」
「よく知ってんな」
「…………どちら様?」
翡翠の実に意識を取られ自分が誰と会話しているのか理解していなかったアマーリアだが、横から伸びてきた手がクラウスではない手が視界に入ると即座に振り向く。
アマーリアの斜め後ろに立っていたのは短髪の掻き上げた紺色の髪と、鋭く尖ったナイフのような眼光を宿す灰色の瞳をした男性。
ガタイが良く、一見こんな所にいるのは場違いだと思う程。
「庭師だ」
護衛か何かだと思っていたアマーリアは軽く目を瞠る。そんな相手の反応に慣れているのか、庭師は慣れたようにアマーリアを後ろへ追いやる。
「あんたみたいにちゃんと植物のこと分かってるやつなら触れても構わんが、くれぐれも自己責任でな」
翡翠の実をぷちりともぎ取り、それを差し出す庭師。
「ありがとうございます」
今が丁度食べ頃だと知っているアマーリアはそれを有り難く受け取り、齧る。
「…………まずっ!?」
てっきり口の中に芳醇な香りが広がって心を幸せにしてくれると思っていたら、見事なまでにまずかった。
「ああ、まずいだろう。それは俺の作ったレプリカだからな」
肩を震わせ、先程驚いたお返しと言わんばかりの対応。アマーリアはぷるぷるしながら口の中のモノを懸命に飲み込んだ。
「し、しぬかとおもったわ……」
残飯を漁って腐ったモノを食べた時のような衝撃だった。それでも見た目も香りも本物そっくりな、自分でさえ間違えたそのレプリカの出来にアマーリアは再び感心する。
「こっちが本物だ」
ていっと投げられたのはさっきと全く変わらない翡翠の実。アマーリアは意を決して、齧る。
「美味しい」
今度はきちんと本物であった。齧った瞬間に溢れる果汁の甘味と香り。果肉は瑞々しくて柔らかく、すぐに口の中からなくなってしまう。
名残惜しげに翡翠の実を食べ終えたアマーリアを、庭師は信じられないものを見たような顔で見つめていた。
「……あの?」
不思議に思って声を掛ければ、庭師ははっとして焦点をアマーリアに合わせる。
「いや、まさか食べるとは」
未だ驚き半分といったように庭師は告げた。曰く、皆一回目の翡翠の実を食べたら二回目を差し出しても受け取らないらしい。ましてや受け取ってその場で食べるヤツは初めてだと、笑う。
「翡翠の実はもぎたてが一番美味しいではないですか」
笑われたことが恥ずかしかったのか、アマーリアは早口でそう返した。
「勿論だ。いやあ、坊っちゃんの婚約者なんてつまらねえヤツばっかだと思ってたが、お嬢ちゃんみたいなヤツもいるんだな」
豪快に笑い、また来いよとアマーリアの肩を叩いて、庭師は去っていった。
「肩が取れそう……ねえクラウス、肩取れてないよね?」
「大丈夫です」
「そう、よかった」
恐らく庭師的には控えめだったであろう行動も、華奢なアマーリアには全てが凶器である。さすさすと叩かれた場所を擦って、アマーリアも庭園を後にした。
「ウィリアムス・バーゼルト。貴様がアマーリアだな?」
「はい。アマーリア・ポートリッドと申します」
自室に戻ってきたアマーリアを出迎えたのは、腰まで伸ばした白銀の髪を緩く三つ編みにして肩に流した美丈夫。
部屋に知らない人がいて若干戸惑うアマーリアであったが、なんとか始めの挨拶はそつなくこなせた。
「ふむ、ハイディが認めるくらいだからな。これくらいでは驚かないか」
臨機応変に対応出来るのかチェックしたかっただけの美丈夫は納得し、アマーリアに手を差し出す。
「改めて、アマーリア。私はバーゼルト公爵家現当主の兄、ウィリアムスだ。ハイディから属性鉱石に関する講師を頼まれてやってきた。よろしくな」
「はい。こちらこそご指導、ご鞭撻、よろしくお願いいたします」
挨拶と共に手を重ねたアマーリアに、痛みが走る。
「痛いか?」
握手した手に走るびりびりとした痛み。ウィリアムスの問いにこくこく首を縦に振り何事かと見上げる。
「痛いのは、お前の魔力が特殊だからだ」
手を離し、椅子に座るよう顎で指す。着席したアマーリアを追い、ウィリアムスは解りやすいよう持参した羊皮紙に書いていく。
「そもそも人間は皆魔力を持っている。魔素を魔力に変換してるんじゃなくて、魔力と魔素を結び付けて魔法にしてるんだ。で、その結び付ける役割を果たすのが属性鉱石」
がりがりと羽ペンを走らせ、そもそもの勘違いから訂正していくウィリアムス。ずっと魔力は魔素を変換したものだと思っていたアマーリアは、その時点で眼から鱗。
「魔力自体を放出しても大した害にはならない。だが、余りにも自分の魔力量と相手の魔力量が違うと相手の魔力に毒されてしまう。そういうことをきちんと教えられる人間がいないから、魔素を変換しないと魔力が扱えないという話になっている。そもそも、魔力を放出するだけなら属性鉱石は必要ない。が、そういうことを知ったバカが人を殺して、情報規制されるようになったんだ」
綺麗な字で掛かれたことは、全て初耳の出来事。それなら先程魔力が特殊とは?と、尋ねるアマーリア。
「お前の魔力は一般人よりもずっと密度が濃くて、純度が高い。そんで、精霊が好みそうな魔力だ」
「好み、ですか?」
「そうだ。目に見える人間は少ないが、魔素は精霊がお遊びで作ってるものだ。我々が魔法を使う時、属性鉱石に魔力を込めるのは精霊のご飯にする為。精霊が属性鉱石に流された魔力を食べたお礼として、属性を貸す為に魔素を作っている過ぎない。
で、お前みたいに純度が高くて綺麗な魔力は最高のご馳走になる。ほら、ご飯は美味しい方が嬉しいだろ?そんなご飯くれるならもうちょっと力貸してやろうかなって思うだろ?そういうことだ。
んでもってそんな魔力は精霊のお気に入りだから、さっきみたいに人間が魔力を流そうとすると汚すなと言わんばかりに拒絶される」
成る程、と、分かりやすいような分かりにくいような解説に頷く。
「そんで、属性は精霊の借り物だ。そんなものが低価の属性鉱石に集まり過ぎたら、そりゃ壊れる」
ぱらりとジークムートに預けたはずの属性鉱石の残骸がテーブルに散らばった。そして漸く、アマーリアがジークムートから支給された属性鉱石を壊した理由が発覚した。
「まあ、ハイディが用意したのはなんか最高ランクの属性鉱石だろうし、そうそう壊れることはないとは思うが」
再びハンカチで包み直し、ちらりとアマーリアの腕を見やり、教える。
アマーリアは、未だに形が決まらない属性鉱石はとりあえず紐が入る程度の穴が空いた雫型にして、ブレスレットにしている。
それを目敏く見つけたウィリアムスはその属性鉱石の値段を知っていたが、アマーリアは知らなさそうなのでまだ言わないことにした。
その石ころ一つで小国が買える程だと知ったら、アマーリアはどんな顔をするのか。その時のアマーリアを想像し、くすりと零れた。
「ああ、そうだ。今日はちょっと立ち寄っただけだからこれでもう戻らなければならない。またそのうち来るから、その時に気になったことがあれば聞いてくれ」
じゃ、と立ち上がり扉に向かっていく。
ウィリアムスの指導方針は放置。質問があれば答えるが、自分からは何も教えない。必要最低限のことを知ったのなら、後は自分で考えろ、という、ある意味スパルタな指導。
「はい、ありがとうございました」
が、アマーリアはそういうのが大好きである。にこにこウィリアムスを見送って、早速と言わんばかりに魔法がどういうものなのかを研究していく。
属性を貸してくれるというなら、現存している属性全て扱えるのか、とか、魔力の密度が存在するのならもっと高めることは出来るのか、等々、試したいことは尽きない。
自分が魔法を扱えると知ったアマーリアはもう嬉々として次々試し、戻ってきたメルシスに部屋が滅茶苦茶じゃないかと叱られるまでは、続けた。
最近ずっとアマーリアを叱っているからか、メルシスの態度が段々遠慮のないモノになってきた。
それはそれで良いのかしら、と的外れなことを考えるアマーリアを矯正するのも、メルシスの仕事となりそうだ。




