4話 少女は足を踏み外す
気付けば何処かに立っていた。
いつも何かを見つめていた。
懐かしい何かを見つめていた。
たくさんの色を見つめていた。
それは、
白色、
黄色、
赤色、
紫色、…
どれもが色褪せて、薄れていた。
だけど決して目は離せない。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
シンシアは不意に聞こえた話し声で、まどろみから意識が浮上した。
壁に立てかけてある時計を確認して見ると、時刻はどうやら深夜過ぎ、といった頃合いのようだった。
普段ならば屋敷の全員が眠りについている時間帯の筈だ。
だとするならば今もなお、聞こえる声はなんなのだろうか。そんな不審感を抱きながら外の声に意識を傾けた。
「作戦の進行状況は?」
「ああ、軒並み順調だってよ。後はオレたちで残党処理って所だぜ」
「了解です」
「まあ、団長が殺す手筈の300年クラスの吸血鬼以外は大したのはいねえんじゃねえのか」
「『アレら』の名を安易に口にしてはなりません」
「まあまあ」
会話の後半はもはやよく聞こえなかった。『殺す』、『吸血鬼』そんな単語が頭の中を巡る。
思えば初めからこの屋敷、両親の接し方、メイド、父の容姿、それら全てがどこかおかしかった。
だが、そんな事は認めたくはなかった。否、認めるわけにはいかなかった。
認めてしまうという事はすなわち———
「奴らは人外にしていける神秘。名を呼ぶという行為すら力を与える可能性があるのですから」
自らを『化け物』であると認めてしまうようなものではないか。
「は…は」
周りの視界がぼやけて見える。もはや自身が何を見ているのかさえよくわからない。
ふらふらと覚束ない足取りでゆっくりと廊下に繋がる扉へと向かう。
嗚呼、自身の今までの行為が滑稽に思えて仕方ない。
『笑顔』も
『驚いた顔』も
『怒った顔』も
そんな『普通』の行為の全てが無駄だった。
自身は元から人間に『否定』される存在で、どんな行為も努力もその決定を覆す事はないのだろう。
『ごっこ遊び』とでも言うべきだろうか。
扉を力なく開けると、そこには先程の声の主と思われる男女二人がいた。
「なっ!?子供もいたのですか!」
「どちらにせよ化け物だ!さっさと殺すぞ!!」
男女が剣を片手に握り、こちらに迫る。
「ぁ」
ふと気付く。
自身は『人間』である事の『否定』をされた。
だが、それは同時に『化け物』である事の『肯定』であるのではないか。
そう、別に『人間』に拘る必要などない。
気付けば自然に口元が歪んでいた。
「フフフフフふふふふふふふフフフフフふフふふふフふ」
「何を笑って…!?」
『化け物』であるならば別に人殺しは『やってはいけない』事ではないだろう。
シンシアは己の内に結論を見出し、襲い来る男女に魔術を行使する。
「その形を決定せよ、『姿無き人形』」
すると何もない虚空から二匹のデフォルメされたようなコウモリが現れた。
コウモリはその身に似合わぬ素早さで男女それぞれに迫り———
「ガッ!?」
「グッ!?」
その首筋を噛みちぎった。
直後、男女から鮮血が吹き出し、廊下の床、壁を赤色で染める。
男女は正に驚いた、と言うような顔で地面に倒れる。
「ふふ…。獣相手は慣れていませんでしたか」
「ゆ、だんしたか」
男の言葉には自身への後悔、こちらへの憎悪がのしかかっているように感じられた。
だが、もはやそんな事はどうでもよかった。
「な、んで、わた、しが」
女の言葉には理不尽への嘆き、こちらへの恐怖が込められているように感じられた。
だが、もはやそんな事へ恐れる必要もない。
なぜなら———
「私が『化け物』、ただ、それだけの話でしょう」
もはやその事への恐れは無い、自らは『化け物』として存在を確かにできているのだから。
そう、『人間』か『化け物』かなど些細な問題でしかなかったのだ。
そして、今はただ彼らの死が見たい。
やがて、男女はしばらく苦しげに呻いていたが、やがて音もなく力尽き、そこには物言わぬ死体のみが残っていた。
「あなたたちは黄色、お兄さんはとっても鮮やかで、お姉さんはとっても淀んでいます」
そして、シンシアの呟きが静かな廊下に響くのみだった。
□ ■ □ ■ □ ■ □
バートランド=ブラッドレイは大広間で全てを受け入れるようにただ待っていた。
「…、」
本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまった。できる事なら時を巻き戻して全てをなかったことにしてしまいたい。
あの時、妙に聖騎士たちの引き際が良かった事、自身を含めた襲撃犯が吸血鬼だと気づかれてしまていた事、思い返せば不審な点などいくらでもあった。だというのに、自身はただ撒けた事で安心してしまっていた。
嗚呼、それはなんと傲慢な事だろうか、『傲慢』こそが吸血鬼が犯した大罪だというのに。
そんな後悔を何度も繰り返していた時。
ギィと、
豪奢な扉が開いた。
そして現れたのは一人の青年。輝くような金色の髪、優しさの見える青い双眸、そしてその顔は同性であっても見惚れる程に美しかった。
「来たね…」
「あなたがここの主、バートランド=ブラッドレイだな」
「ああ、僕がここの主で間違いないよ」
すると青年は腰に下げられた剣を引き抜いた。青年の剣はまるで彼の在り方を示すように真っ直ぐで、仄かな明かりを帯びているように思えた。
「では、聖騎士団団長、ラクス=ヴェルトが聖剣を持ってあなたを討とう」
「…決闘かい?」
「ああ、私はあなたと正々堂々戦いたい」
その言葉に思わず自嘲げな笑みを浮かべてしまう。なんて彼は真っ直ぐにで清らかなのだろう。
「じゃあ…吸血鬼、バートランド=ブラッドレイが全力を以って君を屠ろう」
「「いざ、行かん」」
そう言い終わったが刹那、激しい金属同士の衝突が繰り広げられる。
最早それは常人では目で追う事のできない速度であり、現在戦う両者がただならぬ実力を有している事の証明に他ならなかった。
そして拮抗状態がしばらく続いた後、
最初に策を実行したのはバートランドだった。
一瞬の隙をつき剣撃から逃れ、5メートル程後ろに飛び退くと即座に詠唱を始めた。
「凍てつけ、『連立せし氷柱』」
直後、人をふた回り程上回る高さの氷の塊が一直線に生成されていく。
そしてその延長線上にはラクスの姿があった。
瞬く間に氷塊がラクスに迫り、
気付けば氷塊は粉々に砕け、眼前にラクスが剣を構え迫って来ていた。
「なっ!?」
予想外の光景に思わず声を上げ、更なる隙を晒してしまう。
そして、その間にもラクスの剣が斜め下からバートランドの体を斬りあげんと迫る。
だが、咄嗟に半歩後退する事で浅い傷で済ませ、即座にラクスを斬り裂かんと剣を振るう。
そして再び、戦いは拮抗状態へと逆戻りする。一見ラクスが有利になったように見えるが、バートランドは吸血鬼としての再生能力を有している。この程度の浅い傷など剣を撃ち合っている合間に再生できてしまうのだ。
最も、
(当然、聖剣には再生阻害の効果がアリ、か…)
そう、聖騎士が用いる一部の剣は魔術的に吸血鬼の苦手とする日の光を再現し、肉体の再生を遅らせることができるのだ。
おそらく、団長であるラクスはその中でも最上級の効果の物を振るっているのだろう。自身の肉体はもはや再生しているとは一見、分からないほどにその速度を落としていた。
未だ、戦いの終わる気配は見えない———
□ ■ □ ■ □ ■ □
仄かな月の光が照らす森の中、シンシアは一人、ゆったりとした足取りで歩いていた。
あれから、いろんな死を見た。
どれもが違って、どれもが美しかった。
「ふふっ」
嗚呼、思い出すだけで思わず口元を歪めてしまう。これほどまでの高ぶりは今までにあっただろうか。あの光景は本当に美しく、幻想的で———
(いけませんね。今はこれからのことを考えなければ)
そう、屋敷という住居を失った今、新たな拠点を見つける必要があるのだ。
だが、そうはいっても手段はある程度限られてしまっていた。
まず家を購入するという方法。これは資金が重大な問題点となってくる。屋敷にある硬貨は目に見える限り持って来てはいるが、家を購入するのにどれだけいるのか些か不明瞭であるので不安は拭えない。
次に、誰かに保護してもらうという方法。これだとお金はそこまで出費しなくても済むとは考えられるのだが、そんなお人好しな人間がそうそう見つかるとは考えにくい。それに仮にそんな人間が見つかったとしてもそれは一時期的な其の場凌ぎにしかならず、いずれは根本的な問題を解決をしなければいけないことに変わりはないのだ。
改めて考え直すとどの方法の問題ばかりのように考えられた。
(いっそのこと、ずっと旅擬きを続けるのも手ですかね…)
むしろ、それしか方法がないようにも感じられた。何しろ先ほどの案には致命的な問題があると考えられるのだ。
それはシンシアが『吸血鬼』であるということ。おそらく今回襲撃されたことからも吸血鬼と人間には明確な敵対関係があると考えられた。だとすればどの案も自身が吸血鬼だとバレた時点で失敗、死ぬことも想定しなければいけないかもしれない。
最も、今更、死ぬことに対する恐れや、生きることに対する執着なんてものはあまりない。強いていうならばもっとたくさんの死を見ていたいからこそ生きていたい、というべきだろうか。
(とにかく、今は一刻も速く森から抜けるべきでしょう)
何しろ屋敷の大広間からは激しい金属音のようなものが響いて来ていた。
おそらく父と『団長』と呼ばれていた人間が戦闘を行っているのだろう。その余波は屋敷に僅かな揺れすらもたらしていた。
いつ戦闘が終わり、『団長』がこちらに殺しにくるかも分からない。だからこそ早急に森を抜ける必要があったのだ。
———少女は一人、森の奥へと進んでいく。
□ ■ □ ■ □ ■ □
聖騎士団、団長、ラクス=ヴェルトは未だ剣を振るい続けていた。既に戦いが始まってから優に五分が経過していた。
双方共に少なくない切り傷を受けながらも、致命傷となる傷は一つもなく戦いが拮抗が如実に表れていた。
故に、
「それはっ!?」
ラクスが更なる手札を切るのは当然のことだった。
ラクスの持つ剣、俗に『聖剣』と呼ばれるソレから目が眩む程の極光が発せられる。
その輝きは尋常ではなく、よく見ればバートランドの肌を少しばかり焦がすほどだった。
「力を制御しきれないが故、できれば極光は使いたくなかったのだが」
「はは…。冗談じゃないよ…」
そしてラクスは極光を帯びた剣を構え、そしてその場で振り下ろした。
直後、眩い極光が奔流となり全てを飲み込んだ。
「———やはりこうなったか」
ラクスは自らを悔いるように呟いた。
先程まで戦っていた大広間は瓦礫の山となっており、天井は大穴を開けられ月光がその残骸たちを仄かな光で照らしていた。
そして、
「まさ、かこれほ、どとは…」
目の前には全身血まみれとなり行きも絶え絶えのバートランドが立っていた。
もはや彼は息をするだけで一杯一杯のようで、今にも崩れ落ちそうだった。いや、むしろそこは耐えきることができただけでも賞賛を贈るべきだろう。
何しろ、彼の放った極光の奔流は並の的ならば跡形もなく消しとばす程の威力を内包しているのだから。
そして、ラクスは剣をおもむろに振り上げ、
「俺の勝ちだ」
バートランドの頭めがけて振り下ろした。
バートランドにとどめを刺したラクスは大広間の奥へと足を進めた。
すると、
「貴方が来た、ということはバートは死んだのですね」
金髪蒼眼の美しい女が椅子に座って待っていた。
「なるほど、道理であのような真似を彼は…」
人間が仇敵と憎まれる吸血鬼と関係を持つ、となれば吸血鬼側はもちろん人間側にも想像するだけで身の毛がよだつような拷問を課せられてしまうだろう。
それには多少は思うことはあるが、最早自身にそれを止めることはできない。
「私はどうなるのでしょうか…」
「ふむ、それは俺とて分からない、何しろこんな事例は初めてなのでな。裁判などに掛けられるかもしれんぞ」
「そう、ですか」
とにかく部下と処遇について話し合おう、そう考えていた時ある違和感に気付いた。
(屋敷が静かすぎる…)
いくら屋敷が広いと言っても、多少の物音ぐらいは聞こえるはずだ。
何しろ自身は普通の人間の2、3倍はあるのだから。ラクスは五感に関しては訓練によってかなりの鋭敏になっているのだ。
最も戦闘に集中してしまえば周りの音を聞くほどの余裕はなくなてしまうのだが。
(まさか…!?)
「一旦ここを離れる。くれぐれもおとなしくしていろ」
「心得ています」
最悪の事態を想定し、即座に大広間に戻り扉を開けて廊下を見やる。
そこには
「なっ!?」
まるで首筋を獣の噛みちぎられたような跡を残して部下たちの遺体が無造作に転がっていた。
以上、第4話でした。
アドバイス等頂けるとありがたいです。
この話を一区切りとして次回はちょっとした閑話にしようと思います。
ではでは
追記:違和感があったのであらすじを書き換えました。