2話 少女は賛美する
ちょっと展開が急だったかもしれません
雨の音が響くとある日、シンシアは自室である準備をしていた。
「ふむ、これとこれに…、いや、多すぎると逆にまずいですかね…」
シンシアは内心、若干の楽しみを抱きながら、意気揚々と準備を進めていた。何しろ今日は今世初のイベントが開始するのだ。テンションが多少上がるのは仕方のないことであった。
そして、部屋の外では、両親が苦笑いを浮かべながらその様子を眺めていた。
「シンシア、いい加減に早くしなさいよ。時間にも限りがあるんだから」
「すいません。ですが、何しろ初めてで何を持っていけばよいのか…」
「…まあ、初めての外だものね。もう少し待っておくわ」
そう、シンシアは今日、外へと出かけることのなったのだ。
きっかけは母からの外へ行きたくないか、という提案だった。その提案を即座に承諾したのち、日程を決めるなどの過程を経て今日この日に至る、という訳だ。
シンシアはあくまで、文献などでしか空について知ってはいなかった。だからこそ、四年越しの空、風、空気をこの身で感じたい。そして、願わくば———
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やがて、シンシアは出かける準備を終え、現在は屋敷の玄関と思われる大扉の前に立っていた。
ふと、玄関の反対側を見ると、両親がこちらに向かってきているのが見えた。
「じゃあ、シンシア。そろそろ行きましょうか」
「はい、お母様」
「くれぐれも僕たちからはぐれてはダメだよ?」
そうして、シンシアたちはその重々しい扉を開いた。
直後、視界一面に生い茂る木々が映った。玄関から続く道は雨水により、ぐちょぐちょになってしまっていた。
その空に太陽は見ることは叶わなかったのだった。
「ここから少し降りたところに今日の目的地があるからね」
そう父、バートランドは説明を行い、景色を眺めていたシンシアを先行するように歩み始めた。
咄嗟に我を取り戻し、若干の急足で、父の背中を追い始める。
周囲の木々はまるで一歩踏み外せば飲み込まれてしまうような暗闇に包まれていた。
まるでそれは『孤独』を表しているようで、シンシアは思わず父に話しかけてしまっていた。
「お父様、私たちはどこに向かっているのですか」
「ああ、イリシスのローランドだよ。本好きのシンシアならわかるかな?」
「あらゆる宗教が混在する多宗教国家ですか…」
「そうだよ、ちなみにローランドは天教の信者が比較的多いかな」
イリシス、その西端の国のあり方は少しばかり日本に似ていると言える。
それぞれの宗教の記念日を皆で祝う。それは捉えようによっては宗教の垣根を超えた人々の結束とも言えるだろう。
この世界において大国、所謂、『四大国』のうちの三つの国は特定の宗教を国教として定めている。
東のアーシヴァンでは天教を。
北のルーシスカでは聖教を。
南のローガルドでは旧教を。
それぞれが信じるもののために対立し合う中、イリシスはその全てを受け入れた。
だからこそ、この国では商業が栄え、人々が常にごった返しており、『商業の国』とまで言われている。
最もそれはあくまでも歴史書からてり入れた知識でしかないのだが。
「シンシア、そろそろローランドに着くみたいよ」
「あ、はい。お母様」
どうやら考え事に耽ってしまていたようで、顔を上げると既に眼前にはあまにも関わらず沢山の人々がごった返した、賑やかな風景が広がっていた。所々では屋台が開かれており、ちょっとした食べ物や飲み物、小道具類が売られていた。
それは正しく、『商業の国』と呼ぶべき光景だった。
「さて、シンシア。どこか行きたいところはあるかな」
「そうですね…。じゃあ丁度お昼ですし、しばらくはここ周辺で食べ歩く、ということでよろしいですか?」
「ええ、全然構わないわよ」
そうしてシンシアは両親とともに様々な料理を食べ歩き始めた。
まず、最初にシンシアが向かったのは鶏肉のようなものを串に刺した、所謂、焼き鳥のような料理を食べに行った。
「お父様、まずはこれを食べてよろしいですか?」
「ああ、じゃあこれを三人前」
「毎度あり!!」
そして、屋台の男性から渡せられた焼き鳥をおもむろに口に近づけ、それをパクリと頬張った。直後、タレと鶏肉の絶妙な味わいが口の中に広がる。
「ふわあ」
「ふふ、どうやらお気に召したみたいね」
その味は若干の差異はあるが正に焼き鳥の味であり、同時に胸の内がどうしようもない懐かしさと寂しさで満たされた。ふと、自身とともにいてくれた彼女のことを思い出す。今、彼女はどうしているのだろうか。もしかすると私の死を悲しんでいるのかもしれない。否、そうであって欲しい。彼女との幸せは決して独りよがりではないと————
「どうしたの、シンシア?」
「…、いえ何も」
「そう?ならいいけど…」
いけない。つい、思考の渦にはまってしまった。過去を思い返しても今は何も変わらない。とにかく今はお出掛けを楽しんでおこう。
そうシンシアは自身の思い出に蓋を閉じ、食べ歩きを再開したのだった。
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「ふう、沢山食べたね」
「ええ、本当に満足だわ」
食べ歩きを始めてから約30分後、シンシアは両親とともにローランド周辺の屋台を周りきってしまったのだった。
意外に両親は世俗的な料理にも抵抗が無いようで、とても美味しそうに頬張っていた。
もっとも、それはシンシアにも言えることなのだが。
「じゃあ、各自でお土産でも買うかい」
「でも、シンシアは…。本当に大丈夫なのですか」
「ローランドの治安はそんなに悪くないだろうし大丈夫だろう」
どうやら次は買い物を各自で行うようだった。確かに個々周辺ではお飾り程度のストラップからちょっとした霊装や魔道具を売っている店もあったので、お土産を買うにも丁度いいと言えるだろう。
その中でもシンシアは魔道具の類を買うことにした。
「では、私はあちらに行っておきますね」
「ええ、後、絶対に知らない人について行ってはダメよ?」
「ええ、わかっていますよ」
そして、シンシアは両親と別れ、一人、こじんまりとした店に入った。
「いらっしゃい」
店の中では何人かの人と、店主であるらしき老婆が奥で佇んでいた。棚にはいかにも古めかしいお守りや骸骨の仮面などが並んでいた。一見それらはなんの価値もないガラクタに思えるが、儀式的な魔術などにはこういったある程度の歴史を重ねたものを用いることの方が多いのだ。
シンシアはしばらく店内を回ったのち、一つの水晶を選び、店主に差し出した。
水晶は主に相手の心を『覗く』ことに用いられる魔道具である。より詳しくいうならば表層意識を水晶を用いて浮かび上がらせる、というべきだろうか。だがあくまでもそれは『覗く』だけであり対象の深層意識などまでは知りうることはできない。
この水晶を選んだ最たるものは興味であり、コレクションとして買おうという心持ちであった。
「すみません、これはいくらですか?」
「…銀貨1枚さね」
その水晶は一般的なものと比べ、若干高かった。
そもそもこの世界では主に硬貨——銅貨、銀貨、金貨——が流通している。価値に関しては銅貨が100円、銀貨が1万円、金貨が100万円ほどとなっている。そして、水晶の一般的な値段は銅貨50枚、つまりこの水晶は普通の水晶の二倍ほどの値段であったのだ。
「少し、高くないですか?」
「いいや。これは掘り出し品なのさ」
「と、言うと?」
「——曰く、この水晶は人間だけでなく牛、豚、犬、果てには木の心さえも覗けると伝えられているのさ」
「へえ…」
確かに普通の水晶ならば人間の心しか覗けない。それに植物の心すら覗けるというのも興味をそそられた。
しかし、
「それだけではないのでしょう」
「ククッ。あんたは見かけによらないんだねえ」
「いえ、未だ私は未熟者にすぎませんよ」
そう、これはちょっとした推理にすぎない。植物の心を覗けるといっても所詮は『ガラクタ』、普通ならばそれだけで二倍近く値段が跳ね上がるというのはあり得ないのだ。
「まあ、とにかく話すとしようか。この水晶はね、かつて『旧き神』を観測しようとして製造されたものなのさ」
「『旧き神』、この世界を創ったとされる存在ですか」
「ああ、伝承によれば彼の者たちは『天上』に住まうとされている。そこでとある魔術師はこう考えたのさ」
———彼のものが天、すなわち空にいるのならば水晶を介してその存在を観測できるのではないか
「この水晶はそのために作られた。いわばあらゆるものを『覗く』ためのものさ」
「あらゆるもの、ですか」
「そう、そこに見えないものの心すら覗かんとするもの。これはそういう代物なのさ」
なるほど。
先程は『ガラクタ』と称したが、その価値は主にソレが辿った経緯により宿る神秘により変動する。例えばかつて背教者を処刑した槍、異端者を拷問した鞭。そういったものは何の魔術的効力を持っていなかったとしても相応の神秘が内包され、経緯に基づいた絶対的な効果を示すこともあるのだ。だからこそそういう類のものはかなり高額で取引されているのだ
その水晶にそれほどの経緯があったのならば銀貨一枚でも、いや、それよりも高価でもおかしくないはずだ。
だが、
「だとしたら、何故こんな店に」
「こんな店、とはいってくれるじゃあないか。まあ、その疑問は当然さね。確かにこれは経歴、性能ともに文句なしの逸品だろう。だがね、これは高性能過ぎたんだよ」
「『過ぎた』?」
「そう、これを覗いた人間は全員発狂した。作り手たる魔術師でさえね…」
「なるほど、ソレは所謂、『いわくつき』というわけですか」
「そういうことさね。それで嬢ちゃん、アンタは買うのかね?」
ふむ、
あらゆるものを『覗ける』が、人間には過ぎた代物。嗚呼、そんなもの———
嫌悪するに決まっているではないか
□ □ □ □ □ □ □
水晶を購入したシンシアはそことは別の魔導書が売ってる店などを転々としながら路地奥へと一人、歩んでいた。
あれから水晶以外には特に興味を持てるものはなく、しまいにはごく普通のお土産屋にさえ寄り始めていた。
未だ雨は降り止まず、路地裏は夜と錯覚するほどの暗闇を孕んでいた。
「ふう、ここぐらいですかね」
そう呟いた後、シンシアはおもむろに後ろに振り向いた。
すると、そこには三人の男が立っていた。彼らの服は薄汚れ、口はいやらしい笑みを浮かべていた。
そして代表らしき大柄の男が話しかけてきた。
「やあ嬢ちゃん、ちょっと遊んで行かない?」
「…私には用事があるのですが」
「そんなこと言わずにさあ、ほら雨じゃん?」
「なあなあ」
彼らもはや理性の箍が外れ、自身の欲に従い行動する、もはや獣同然というべき様子であった。
そう彼らはもはや獣なのだ。
だとするならば別に構わないだろう。
———シンシアは人知れず、その笑みを深めていたのだった。
□ ■ □ ■ □ ■ □
男は必死の形相で雨に濡れた路地裏を逃げていた。
こんなはずではなかった、と内心で歯噛みする。あの銀髪の少女にちょっかいをかけたのはほんの出来心だった。
借金にまみれた人生、際限なく重ねた犯罪。だがそれでも共犯者とともになんとかやりくりをしてきていた。
そう、してきていた。
気づけば自身以外の二人は地面に伏せ、目の前には先ほどと同じ微笑を浮かべた少女が佇んでいた。そして反射的に駆け出し今に至る、というわけだ。
「ふふ、お兄さんも頑張るんですね」
路地裏にひどく楽しげな声が響いた。恐怖でほつれる足を無理やり動かし続ける。もう少し逃げ続ければいくら得体のしれない少女と言っても所詮は少女、入り組んだ路地裏の前に完全に自分を見失う筈だ。
だというのに、
この得体の知れない悪寒は何だ。まさか追いつかれるとでも———
「あ゛」
ふと前を見れば、壁が眼前に広がっていた。それはまるで崖の絶壁のように酷く絶望的なものに感じられた。
そして、
カツン
不意に後ろから誰かの足音が聞こえた。男はひどくゆっくりと、まるで本当は見たくないもののように後ろを振り向き、
「お久しぶりです」
「あえ゛…」
そこには先程と同じ黒いワンピースを着た銀髪の少女が笑みを浮かべて立っていた。そして少女の腕には先程まではいなかった黒猫が抱えられていた。
思わず足が竦み、無様にも尻もちをつく。眼前の少女は本当に『少女』なのだろうか、恐怖のあまりそんなことに思考を巡らせている間にも、少女はゆっくりと、まるで死までの刻限のように歩みを進める。
カツン
少女の肌は異様なまでに白く、
カツン
そしてその双眸は鮮血のような赤色で嫌に印象に残った。
カツン
そこで男は気付く。
白く、血の気のない肌、赤く血のような瞳。
それは正に———
「お兄さんも」
「え゛?」
「そんな表情をするんですね」
———その言葉を最期に男の意識は途絶えたのだった。
□ ■ □ ■ □ ■ □
雨の中、一人、少女いや、シンシアは立ち尽くしていた。その視線の先にはすでに事切れた男の死体があった。男は死ぬ直前と同じ表情でこちらを見つめ続けていた。そして、その近くには口元に赤い液体を滴らせた黒猫が寛いでいた。
「…私は、にん、げん?」
シンシアはひどく悲しげに呟く。
そして、ただ呆然とその表情を歪めたままに雨に濡れる死体を眺めて続けていた。
以上、第2話でした。
こんな感じの主人公ですがよろしくお願いしますm(_ _)m
ではでは