十番勝負 その十四
第二十二章 天正元年の第三回目の武者修行のこと
天正元年(千五百七十三年)を迎えた。
三郎も三十六歳となった。
この頃には、親隆の狂乱の病もあってか、岩城氏の力は急激に衰え、昨年あたりから佐竹義重の傘下に入り、佐竹が主動する戦さに組する形で兵を出すようになっていた。
「もう、にねんもまえのことだけんだけど、塚原卜伝さまがなくなられたというはなしを聞いただよ。なんでも、としは八十二であったとか。だんなさま、けんじゅつめいじんというお人はずいぶんと長生きされるものなんだなし。上泉伊勢守信綱さまもずいぶんと長生きされたっぺし。だんなさまもせいぜいがんばって長生きされるだよ」
「おめえもな、弥兵衛よ。拙者はじゃんぽん(葬式)は嫌いだからのう。あったらものは無ければ、無いほうがいがっぺ」
三郎もこの頃は、岩城言葉が自然と口をついて出るようになってきた。
言ってしまってから、これも齢ゆえかな、と思う三郎であった。
「弥兵衛よ、そろそろ武者修行に出ようかと思っているのじゃ」
三郎が縁側に座り、枇杷を食いながら弥兵衛に話しかけた。
「だんなさま、おいらに否やはないだよ。いがっぺ。いぐべよ」
弥兵衛は顔中をくしゃくしゃにして喜びを示した。
そこに、おまきがお茶を持って現われた。
「弥兵衛さん、どんなお話? そんなに喜んだ顔をして」
「あ、おまきさん。ちょっくら、さびしくなるかもしんねえよ。また、むしゃしゅぎょうのたびさ、でっから」
「武者修行の旅、に出るの。ねえ、兄さま、そうなの?」
「うん、どうしても、弥兵衛が行きたいと申すものだからな」
「だんなさま、それはねえだよ。おいらより、だんなさまがいきたいんだっぺよ」
口を尖らした弥兵衛を見て、三郎は笑いながら、おまきに言った。
「すまんが、おまき、旅の準備をするよう吾平に話してはくれぬか」
「でも、長い旅は嫌です。兄さまのことを心配する身にもなってください」
珍しく、おまきが強い口調で言った。
三郎がちらりとおまきの顔を視た。
おまきの眼は少し潤んでいるようにも見えた。
おまきが去った後、弥兵衛が遠慮がちに言った。
「だんなさま、おこらねえとやくそくしてくんちぇ」
「何だ、突然。怒らないから、言ってみろ」
「だんなさまは、おまきさんのこと、どうおもってるんだっぺかや」
「何を言っているのじゃ。おまきはわしにとっては齢の離れた妹みたいなおなごよ」
「でも、おなごはおなごでござんすよ」
「確かに、おなご、じゃ。おとこ、ではない。で、何じゃ?」
「おこらないとやくそくしてくんちぇ」
「怒らない。約束する。だから、早く言え」
「おまきさんはだんなさまを好いておりやす」
「当たり前だろう。兄さま、兄さま、とやかましいくらい、わしを好いておるわ」
「妹としてでは無く、一人のおなごとして好いておりやす」
「弥兵衛、おい、弥兵衛。お前は何を言っておるのじゃ」
三郎は愕然とした顔をした後で、自分に語りかけるように呟いた。
「おなごとしてか。困ったのう。うん、これは困ったことだっぺ。どうすっぺか」
そして、明日はいよいよ旅立ち、となった夜のことである。
三郎がぼんやりと書籍を読んでいるところに、おまきがお茶を運んできた。
おまきが明日からの旅のことをあれこれと訊いてきた。
三郎も訊かれるまま、昔の旅のことも交え、おまきに面白、おかしく話してやった。
暫く、話している内に、三郎はふと気付いた。おまきに帰る素振りが無い。
また、おまきが、いつの間にか、随分と自分に近づいているのだ。
いつの間にか、手を伸ばせば届く距離におまきは居た。いくら何でも、これは近過ぎる。
風呂上りであったのか、おまきの体から発する匂いまで、三郎の鼻腔を擽るようになっていた。
外では、風が音を立てて、強く吹いていた。
隙間から忍び込んできた風が行灯の火を揺らした。
灯りが瞬き、消えそうになった。兄さま、こわい、と言って、おまきが三郎の膝にすがってきた。
大丈夫だ、と言いながら、三郎は膝にすがってきたおまきを両手で抱くようにした。
その時、灯りが消えた。
二人はそのままじっとしていた。
やがて、三郎がおまきの肩を両手で起こしながら言った。
「おまき、よいのか。わしは、兄さまから、おとこになるぞ」
おまきは全身をぶつけるようにして、両手で三郎にすがりついてきた。
翌朝のことである。
初夏の風に誘われて、三郎と弥兵衛は第三回目の武者修行の旅に出た。
馬上の三郎の前を弥兵衛が手綱を持って歩いていた。
三郎の傍らに槍持ちが居た。まだ、幼さが残る顔をした若者だった。
その若者はこうして槍を持ちながら歩くのが嬉しくて堪らないのか、にこにこと歩いていた。
「どうじゃ、正太郎、このような旅はいいだろう」
三郎がおせきの弟の正太郎に馬上から話しかけた。
「ええ、だんなさま、おいらは嬉しくって、嬉しくってたまんねえだよ。だんなさまのお供をして、このように弥兵衛さんと一緒に歩けるなんて、ほんとに夢のようだべ」
今度の旅は常陸への武者修行の旅となった。
小名浜(小名之浜)という漁師村を左手に見ながら、少し歩くと、照島という小さな島が見える。
高さも百尺ほどしか無い小さな島であるが、海から屹立するように聳えたっている。
三郎は六年ほど前の試合を思い出していた。水野長兵衛という槍の達人との試合であった。
三郎はこの時、前代未聞の闘いをして、見事に勝った。三本仕立ての長槍を使って、勝ちを得たのである。血を流さずに、傍若無人に振舞った水野長兵衛を懲らしめてやったのじゃ。
「だんなさま、ご機嫌がよろしいように思えまする。何か、ござりましたか?」
傍らから、正太郎が妙に改まった口調で訊いてきた。
「正太郎、お前は知らぬだろうが、昔、ここで水野長兵衛という侍と槍の試合をしたことを思い出していたのじゃ」
「三本槍の試合だっぺ。おら、おせき姉から聞いているだよ」
正太郎に合わせるかのように、弥兵衛も口を挟んできた。
「だんなさま、あのしあいはいわきめいぶつのはなしになりましたぞい。いわきのおとのさまもあんときのしあいのなしをきいて、わらいころげたというはなしだっぺした」
「そうか。まあ、今だからこのように笑って話ができようが、あん時はどのようにすれば、血を流さずに万全の勝ちをおさめるか、苦労したものよ。あの工夫はなかなかのものであったろう」
「まさに、ぜんだいみもんのくふうでございましたない、だんなさま」
弥兵衛の言葉を受けて、三郎が言った。
「しかし、あの工夫は岩城の地元での試合であったから、出来た工夫よ。このような武者修行の旅をしている時では、そうはうまく行かん。その場に応じ、いわゆる、臨機応変に工夫しなければならぬであろうよ」
照島を囲む大海原は少し暗い青色をしていた。この群青の海に白い鴎がゆったりと飛翔していた。水野との試合を行った浜辺には鶺鴒であろうか、尾を上下に振って歩く小鳥が数羽波打ち際で何やら啄ばんでいた。 沖には、漁に出る伝馬船が櫓で操られ、静かに海を横切っている。 馬上から目の前一杯に広がる海を観ながら、三郎はおまきのことを考えていた。
愛することには慣れているが、愛されることには慣れていない。おいらはそういう男だ。
しかし、昨夜のおまきには驚かされた。どうも、おいらはおまきの想いに鈍かったようだ。
しかし、おまきは大事にしてやらねばなるまい。
幸せ薄いおなごじゃもの、大事にしてやらねば。