大好きな林檎飴に美味しくいただかれるまで
林檎飴。
初めてそれを目にした時から、私は林檎飴の魔力に魅せられ、現在も囚われたままなのですわ。
◇ ◇ ◇
「よく来てくれたね。シア」
私を出迎えて下さった男性に貴族の令嬢としての礼を返す。
「王太子であらせられるロジェ殿下のお召しでしたら、いつでも登城致しますわ」
「ありがとう。疲れただろう。まずは座って」
殿下に勧められて、私は優雅に一礼をすると豪華なソファーに腰掛けた。
殿下も私の正面のソファーに座る。
そして、部屋の隅で控えていたメイドにお茶を用意させると、そのままメイドを全て下がらせた。
ここは私用で使う殿下専用の応接室のため、メイドが居なくなると私と殿下の二人きりになる。
私は、とりあえず用意された紅茶に手を伸ばし、そっと殿下の姿を盗み見る。
――嗚呼。いつ見ても素敵。
その蜜色の髪に燃えるような真紅の瞳。
それは、まるで甘い飴と真っ赤な林檎のよう。
林檎飴。
私の大好物です!
「そんなに物欲しそうな顔をしても、初夏のこの時期に林檎飴は出て来ないよ」
苦笑する殿下の言葉を聞いて、頬に熱が集まる。
いけませんわ。
公爵令嬢ともあろう者が物欲しそうな様子を表に出すだなんて。
だけど殿下を見ていると、どうしても林檎飴が頭の中にちらつきますの。
林檎飴。
嗚呼。林檎飴。
林檎飴。
秋まで食べられないと思ったら、ますます頭から離れませんわ。
「今すぐは無理だけど、今年林檎が収穫出来たら、真っ先に林檎飴を食べさせてあげるよ。なんなら毎日だって林檎飴を用意するから、いつでも食べにおいで」
「ええっ!? 本当ですか? 約束ですわよ!!」
魅力的なお誘いに胸がときめく。
だって、殿下は私との約束を一度だって違えたことはありませんもの。
初めて出逢ったあの日から――。
◇ ◇ ◇
その日、私は父に連れられて、初めて陛下のおわす立派な居城へ参ったのですわ。
数日前に7歳の誕生日を迎えたばかりの私は、そのあまりの大きさと豪華さに圧倒されておりました。
できれば、すぐにでも逃げ帰りたいところでしたが、「殿下との顔合わせが上手くいけば、邸に帰ってから好きなだけ林檎飴を食べさせてやる」と父に言われ、それだけを励みに殿下との謁見に臨みましたの。
緊張の中、引き合わされた殿下は蜜色の髪に真紅の瞳。そして、林檎飴のように甘い笑顔で私を出迎えて下さったのですわ。
その瞬間、私の胸は高鳴り、もう林檎飴のことしか考えられなくなりましたの。
それでも、なんとか殿下と無事に挨拶を交わした私は、気が抜けたのかつい余計な一言を言ってしまったのですわ。
「でんかのかみと目の色、まるでリンゴあめみたいですわね。とってもおいしそうですわ」
私がそう発言した途端、周りのほのぼのとした空気が一変して、周囲に控えていたお城の使用人達が一様に顔色を変え、父は沈痛な顔で深い溜め息を吐いていました。
しかし、とうの殿下は面白そうに笑い出しましたの。
「りんご飴が好きなの?」
「はい! 大好きです!!」
その時の私は、一切迷いのない澄んだ目をしていたと思います。
そんな私を見て、殿下はさらに大笑いなさいましたわ。
そして帰り際「今度来る時はりんご飴を用意しておくよ。また遊びにおいで」と言って下さり、私はウキウキとした足取りで城を後にしましたの。
勿論、帰りの馬車の中では父から懇々と説教され、邸に帰ってからは父から王城でのことを聞いた家庭教師に延々と泣くまで説教されましたわ。
当然、私が約束の林檎飴を口にできることはありませんでした。
その日、私は世の理不尽さを学びましたわ。
ちなみにそれから数日後、先日の非礼を詫びるために父と共に再び王城へ参った時、殿下は約束通り私に林檎飴を用意していて下さいましたの。
私の中で殿下が『林檎飴みたいな人』から『林檎飴みたいな良い人』に格上げされた瞬間ですわ。
◇ ◇ ◇
「――シア? 聞いているかい?」
殿下の呼び掛けで、昔の夢から覚める。
「も、もちろん聞いておりますわ」
大変です。
思い出に浸っていて、全く殿下の話を聞いていませんでしたわ。
でも、こういう時は無難な返答をしておけば間違いございません。
「林檎飴は本当に素晴らしいですわね。まさに食べる芸術ですわ」
「うん。全く聞いてなかったようだから、もう一度最初から話そうか」
どうしてバレてしまったのでしょう?
どんな質問にも使える汎用性に富んだ回答のはずですのに。
腑に落ちない私を後目に、殿下はコホンと咳払いすると、今回私を城へ招いた用件について、ゆっくりと語り出した。
「実は、結婚を考えている女性がいるんだが……」
「まあ! それはおめでとうございます。それでは、近々正式に婚約発表があるのですわね。重ねてお祝い申し上げますわ」
「いや。そうではなくて!」
思いがけない慶事に喜んでいると、とうの殿下が水を差す。
「実は、私は結婚を考えているのだが、相手の女性はまだその事を知らないんだ」
「それは、殿下の片思いということでしょうか?」
「はっきり言うな。傷付く」
「申し訳ございません。つまり私は、その相手の女性と殿下を橋渡しすれば良いわけですわね」
これでも、公爵令嬢である私は意外と顔が広いのです。
さり気なく、殿下の想い人に殿下の良い噂を聞かせることなど造作もありませんわ。
張り切る私にまたもや殿下がストップをかける。
「いや。それは間に合っている。今回シアを呼んだのは、少し相談したいことがあったからなんだ」
それは、残念ですわ。
せっかく、相手の女性に殿下の良い所をこれでもかと吹き込むつもりでしたのに。
主に、林檎飴のような蜜色の髪とか、林檎飴のような真紅の瞳とか、林檎飴のように甘く優しい性格とか、林檎飴のように皆を幸せにしてくれるとろけるような笑顔などなど。
殿下は大きく深呼吸をすると、私をまっすぐに見つめた。
私だけを映すその真紅の瞳にドキッと小さく胸が鳴る。
「実は、これまで何度か相手の女性には想いを伝えているんだが、一向に伝わらないんだ。何故だと思う?」
何故と言われましても、その女性にしか答えは分からないと思いますけど。
「せめて殿下の想い人が分からなくては、答えようがありませんわ。いったいどなたですの?」
当惑する私を殿下はしばらく黙って見つめていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「白銀の髪」
「え?」
「白銀の髪に淡青色の瞳」
どうやら、想い人の容姿を上げていっておられるようですが、お名前を言いたくない理由でもあるのでしょうか?
「歳は今年で18になる。幼い頃から知っていて、よく一緒に遊んだものだ」
今年18歳ということは私と同い年ですわね。
しかも、幼い頃からの知り合いということは、相手の女性はかなり有力な上位貴族のご令嬢でほぼ間違いありませんわ。
ですが、私と同年齢で白銀の髪に淡青色の瞳の方なんていらっしゃったかしら?
「あとは裏表のない性格で、いつもニコニコしていて、好きな物にはすぐ熱くなって、面白くて見ていて飽きない」
どうしましょう。
その方の特徴を聞けば聞くほど、誰だか分からなくなりますわ。
もうこれ以上、考えても無駄ですわね。
「殿下。もう結構です。よく分かりましたわ」
本当は全く分かっていませんが、仕方ありません。
違う角度から探ってみましょう。
「それよりも差し支えなければ、どんな言葉でその女性に想いをお伝えしたのか伺っても宜しいでしょうか?」
もしかしたら、殿下の言い方が遠回し過ぎて、上手く想いが伝わっていないだけかもしれません。
それならば、私が指摘をして差し上げたら万事解決ですわ。
「あと一つ言い忘れていたよ。鈍い。ひたすら鈍い。究極的に鈍い。実は全て分かった上でわざととぼけているのかと勘ぐりたくなるくらい鈍い」
私の言葉を聞いた殿下が盛大な溜め息とともに一気に吐き出した。
そして、意を決したように真剣な眼差しを私に向ける。
その蠱惑的な真紅の瞳が私を捕らえて離さない。
「好きだ。これからもずっと一緒にいてくれないか?」
形の良い唇から紡がれた言葉に思考が一瞬止まる。
しかし、すぐに動き出した私の脳味噌が正解を弾き出した。
「それが告白の言葉ですのね」
あまりにも真剣に見つめるものですから、一瞬私に言っているのかと思いましたわ。
まあ、それは置いておくとして、ずいぶんシンプルな告白ですのね。
私はてっきり「嗚呼。私の小鳥よ。どうかその疲れた翼を私の傍で癒やし、その美しい声で愛を囁いておくれ」とか言ったのかと思っておりましたわ。
「それが許されるのは物語の中だけだよ。実際に言ってごらん? 確実に頭がおかしい奴だと思われるから」
殿下が呆れたように笑う。
いま私、口に出していましたの!? 恥ずかしすぎますわ!
ですが、私は公爵令嬢。このくらいで動揺してはいけません。
「そんなことより、今の殿下のお言葉を聞いて意味を取り違えるのはかなり難しいと思うのですけれど、相手の方は何と答えられたのですか?」
「知りたいかい?」
殿下が笑う。
しかし、その真紅の瞳は全く笑っておらず、むしろ獲物を狙う肉食獣のように鋭い眼差しでまっすぐ私を射抜く。
「いえ。無理にとは」
「一言一句違えず教えてあげるから、よく聞いておくように」
私の言葉を打ち消すように殿下が言葉を重ねる。
「『私も大好きですわ。これからも良いお友達でいて下さいませ』――これを聞いてどう思う?」
む、惨いですわ。
「他にも『私と結婚して欲しい』と言った事もあったけど、冗談だと思われて本気にして貰えなかったしなあ」
そ、そこまで行くと、わざとはぐらかしていると考えるのが自然かしら?
でも、王太子殿下からの求婚を断るご令嬢がいるなんて、あんまり考えられないのですけれど。
考えられるとするならば、他に好きな方がいらっしゃるとか、すでに決まった相手がいらっしゃるとか、あとは……まさか既婚者とか!?
それならば、殿下からの求婚をはぐらかしたのも頷けますわ。
「殿下。さすがに略奪愛は如何なものかと」
「略奪愛? それ何の話?」
殿下が訝しそうに聞き返す。
どうやら、略奪愛ではないようですわ。一安心です。
しかし、略奪愛でないのでしたら、特に問題はありませんし、これはやはり『相手の女性には殿下の他に想い人がいる』説が有力でしょうか?
「シア」
「はい」
不意に名前を呼ばれ目線を向けると、殿下の視線とぶつかった。
殿下の真紅の瞳に捕らわれた私は、全身を焼き尽くされそうな感覚に陥って息をのむ。
そんな私の動揺を知ってか知らずか、殿下は薄く笑うと、すぐにいつものとろけるような笑顔で私にこう切り出した。
「実は、今日この場に相手の女性を呼んでいるのだが、会ってもらえるか?」と。
勿論、私の返事は「是」に決まっていますわ。
むしろ何故、最初から引き合わせて下さらなかったのでしょうか?
そちらの方が気になります。
私の返答を聞いた殿下が呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。
すると、外で待機していたとしか思えないほどの早さでメイドが応接室へと入って来た。
てっきり、メイドの後から殿下の想い人の女性も入室して来るものだと思っていたのに、何故かメイドが入るとすぐに外からドアが閉められた。
しかもメイドは、呼び鈴を鳴らした殿下の方ではなく、何故か私のもとへとやって来て、両手で捧げ持った銀の盆を恭しく差し出す。
差し出された銀の盆には、美しい装飾が施された手鏡がぽつんと置かれていた。
これを私にどうしろというのでしょう?
チラリと視線を向けると、殿下が笑顔で頷かれたため、私は訳が分からないまま手鏡を手に取った。
どこからどう見ても、ただの鏡ですわよね?
まじまじと鏡を見つめる私に殿下が声を掛ける。
「シア。その中には誰が映っている?」
「誰って……」
鏡なのですから、当然映っているのは私ですわ。
でも、それが何だというのでしょうか?
腑に落ちない顔で鏡を覗き込む私に殿下が盛大な溜め息を吐き出した。
「髪の色は?」
「え?」
「鏡の中にいる人物の髪色は?」
突然の質問に私は戸惑いながらも答える。
「白銀……ですわね」
「瞳の色は?」
「淡青色です」
「年齢は?」
「17歳です。今年で18歳になりますが……」
ここまで答えて、ふと気付く。
この特徴、先程どこかで聞いたような気がします。
冷や汗を掻きながら殿下の顔色を窺った私は、にこやかに笑う殿下と目が合った。
まさか、殿下の想い人というのは――。
一瞬よぎった考えを私は夢中で追い払う。
たしかに私は偶然にも白銀の髪に淡青色の瞳をしていますわ。
年齢も偶然今年で18歳になりますし、幼少の頃から殿下とは親しくさせて頂いておりますが、それらはあくまでただの偶然です!
だって、私は殿下から告白なんてされた記憶はありませんもの。
だからこれはきっと何かの間違いです。もしくは殿下の悪戯ですわ。
きっと狼狽えている私を見て面白がっているに違いありません。
もう少しで引っ掛かる所でしたわ。
「殿下。お戯れはほどほどになさって下さいませ。悪趣味ですわ」
内心の動揺を悟られないよう、私は公爵令嬢に相応しい毅然とした態度で殿下をお諫めする。
しかし殿下は穏やかな笑みを絶やさない。
「私は本気だよ。ずっとシアが好きだと伝えていただろう?」
「殿下。冗談でしたら、もっと楽しくて分かり易いものになさって下さいませ。この冗談は笑えませんわ」
「シア。よく思い出してごらん。本当に覚えがないかい?」
林檎飴のように甘くとろけるような笑顔と、絡みつくような切ない真紅の瞳で見つめられ、私の心臓がキュンと鳴る。
その胸のときめきを振り払うように、私は最近の殿下との会話を思い返した。
◇ ◇ ◇
「シア、どうかしたのかい? 何だか元気がないようだけど」
「実は近々、友人が結婚して遠方へ行ってしまいますの。おめでたい事だとは分かっているのですが、寂しくて……」
口にした途端、友人との思い出が頭の中に次々と浮かんでは消えて行く。
どれだけ親しくしていても、やはりいつまでも一緒にいるのは難しい事ですのね。
切なさに溜め息を漏らした私へ殿下が慰めの言葉をくれる。
「その友人の代わりにはならないかもしれないが、私は何処にも行かない。シアが好きだ。だから、これからもずっと一緒にいてくれないか?」
「ありがとうございます。私も大好きですわ。これからも良いお友達でいて下さいませ」
思い出しましたわ。
確かに私、言っておりました。
で、でも、これは殿下も悪いと思いますわ。
この流れだと、友人として好きだと言っているようにしか聞こえませんもの。
それに、いくら私でもさすがに殿下から求婚されれば、冗談で流したりは致しませんわ。
きっと。たぶん。おそらくは――。
「私と結婚して欲しい」
不意に記憶の引き出しから、該当の台詞が飛び出してきた。
これは、そう。
前回、殿下からお茶会に招待された時のこと。
殿下と二人、思い出話に花が咲き、子どもの頃によく物語の人物になりきって遊んでいた事を語り合っていた時ですわ。
懐かしくなった私は、目の前に殿下がいるのも忘れてどっぷりと思い出に浸っておりましたの。
私のお気に入りは、王子様が悪い魔法使いにさらわれたお姫様を助けに行くお話しでしたわ。
特に大好きだったのは、魔法使いを倒した王子様がお姫様に求婚する場面です。
王子様に扮した幼き日のロジェ殿下が「悪い魔法使いは退治しました。一緒に国へ帰って、私と結婚して下さい」と言ってお姫様に手を差し出すシーン。
お姫様役の私はいつもドキドキしながら、その手を取ったものですわ。
「シア? 聞いているかい?」
「えっ!? はっ、はい!」
懐かしい夢から覚めた私を殿下が呆れたように見つめる。
そして、すぅと大きく息を吸い込むと、真剣な面持ちで、真紅の眼差しを私へと向けた。
「私と結婚して欲しい」
「……殿下。どうしてお分かりになられたのですか? 私が悪い魔法使いからお姫様を救い出す王子様の物語を思い出していた事を!」
「えっ?」
「凄いですわ! まさか殿下は人の考えている事がお分かりになりますの?」
「いや。そういうわけでは」
「ありがとうございます! まさかまた殿下から王子様の台詞が聞けるとは思いもよりませんでしたわ」
「……喜んでもらえたのなら何よりだよ」
手放しで喜ぶ私を何故か複雑そうな表情で見つめる殿下。
◇ ◇ ◇
どうしましょう。
すべて思い出してしまいましたわ。
あの時はどうして殿下がそんな複雑そうなお顔をされているのか分かりませんでしたが、今ならはっきり分かります。
嗚呼。穴があったら、入りたい。
むしろ、穴を掘ってでも隠れたいですわ。
チラリと殿下の様子を窺ったら、その仕草でバレたのか殿下が相好を崩す。
「どうやら、思い出してくれたようだね」
にこやかに笑う殿下とは対照的に私の顔は引きつっていく。
「ねぇ、シア。今日こそは返事を聞かせてくれるかな?」
「へ、返事?」
意味が分からず、問い返す私に殿下がにっこりと答える。
「勿論。求婚のだよ」
「きゅっ、求婚って、そんなこと急に言われましても」
求婚という単語を口に出した瞬間、頭の中に先程思い出した殿下からの愛の告白が繰り返し流れる。
イヤー!
ダメ! やめてー! 恥ずかしい!!
私は脳内でこれでもかとのたうち回る。
しかし、それを顔に出すことは致しません。何故なら、私は公爵令嬢ですもの。
毅然とした態度で対応しなければ!
「申し訳ございません。殿下。こんな大事なこと、私の一存では返答出来かねますわ。それに、なにぶん突然の事で私としても戸惑っておりますの。しばし、お時間を下さいませ」
内心の動揺を押し隠し、あくまで貴族の令嬢らしく堂々と振る舞う。
そして、豪華でフカフカのソファーから立ち上がると、殿下から退室の許可を得るために優雅に一礼した。
完璧ですわ。
これで時間が稼げます。
あとは、殿下から退室の許可をもらったら一目散に逃げるだけですわ。
私は頭を下げたまま、殿下からの退室許可を待つ。
しかし、頭上から掛けられた言葉は、私が期待していたものではなかった。
「駄目だよ。シア」
思わず、顔を上げると優美に微笑む殿下と目が合った。
甘い飴のような蜜色の髪。よく熟れた林檎のような真紅の瞳。そして、初めて謁見した時と同じ林檎飴のように甘い笑顔。
このとろけるような笑顔を見ると、私の胸は高鳴り、もう林檎飴のことしか考えられなくなりますの。
「心配しなくても、シアのご両親にはすでに話を通してある。それに急な話でもないだろう。私はずっとシアに想いを伝えていたのだから」
殿下が私の頬に触れる。
「色よい返事を聞かせてもらえるね?」
殿下に触れられている頬が熱い。
まるで体温がすべてそこに集められているみたいですわ。
「シア。顔が紅いよ。耳まで真っ赤だ」
殿下の言葉にますます熱が上がっていく。
「まるで真っ赤に熟れた林檎みたいだね」
至近距離から艶っぽい声音を聞かされ、恥ずかしくて俯いた私の顔を殿下の大きな手が包み込む。
「きっとこの林檎はたっぷり蜜を内包していて甘くて美味しいのだろうね」
殿下が耳元で囁き、指先で私の唇をつぅとなぞる。
「少し味見をしてもいいかな?」
「え?」
次の瞬間、耳朶に僅かな刺激が走った。
殿下に甘噛みされたのだと気付いた私の顔から火が飛び出す。
「今日の所はこれで我慢しておくよ。色よい返事を期待しているよ、シア」
私の唇をなぞった指先をぺろりと舐めながら、上機嫌の殿下が真紅の瞳を妖しく光らせて、優雅に笑った。
◇ ◇ ◇
邸へ帰る馬車の中、私はいまだ紅くなったままの頬を押さえて、なんとか熱を冷まそうと努力していた。
しかし、少し落ち着いたと思ったそばから、また殿下のことを思い出して顔がまた熱くなる。
「色よい返事を期待しているよ」
殿下の艶を含んだ言葉が甘い毒となって、私の脳内を侵食していく。
「私の返事なんて、とっくにご存知のはずでしょう?」
熱に浮かされながら誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
私が好きだった林檎飴は、どうやら飴衣ではなく甘い毒を纏っていたみたいです。
その毒が脳を痺れさせ、すべてを支配するほど甘美な中毒性があることを知ってもなお、私はそれを初めて目にした時から今でも変わらず、林檎飴の魔力に魅せられ、現在も囚われたままなのですわ。
(完)
あれだけ本文で林檎飴林檎飴と書いておきながら、実は林檎飴を食べたことがありません(笑)
中毒になるくらい美味しいのでしょうか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。