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石田三成と猫  作者: 琵琶子
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第七話『徳川殿』

『徳川殿』

 駿府城城下の農村でのことである。

「猫を連れて行かないで。」

今にも泣きそうな顔の幼児が、両親の着物の裾に取りすがって言った。

「仕方がないことなのよ。もうこの家には一粒の米もないのだから。」

 疲れた顔をした女が言った。

 二人の男女は猫を抱えて、駿府城へと向かった。二人は立派な門の前についた。

「待て。猫を連れた者はここから先に入ってはいけないとの決まりだ。」

 門番が二人を手で制した。

「城に猫を連れていけば、殿様から金がもらえると聞きました。」

 男が膝をついて猫を差し出した。

 そこに本田正信という男が通りかかった。彼は徳川家康の右腕である。始め、鷹匠として家康に仕えたというこの男は、今では家康のブレーンだ。さしずめ秀吉における三成といった役どころか。

「猫を連れてきてくれたのか。これは礼だ。」

 物腰の柔らかなこの男は、懐から金子を取り出すと、手ずからに農民の手に握らせた。

「ははあ。ありがとうございます。これで明日から暮らしていけます!」

 男女は感謝して門前を去っていった。


「殿。猫が届きました。」

 正信は早速家康のところに報告に行った。家康は鷹匠が連れてきた、この春生まれたという美しい鷹を鑑賞していた。

「持ってきた者に十分な礼はとらせたか。」

 鷹から正信に向き直ると、家康は柔和な笑顔を絶やさずに尋ねた。

「はい。で、猫はいつものように・・・?」

 正信が尋ね返すと、家康がサッと無表情になった。

「鷹の餌にしろ。」

 彼は持っていた扇子でなにかを追い払うような仕草をしながら、冷たく言い放った。

 なにもこれは家康が残虐な人物であるという話ではない。かの信長公も鷹狩に使う、鷹の餌が足りなくなって、領内から鶏や猫を集めて餌にさせたというのだ。

 家康は大の鷹狩り好きである。子供の頃から死ぬ直前まで過剰なまで鷹狩に入れ込んでおり、幼少時には百舌鳥に鷹の真似をさせようとしていたほどである。

そのため鷹狩に使う鷹をたくさん飼っていた。そしてしばしば餌が枯渇した。

そもそも家康は実用的なものが好きである。家臣も女も実用性重視なら、ペットも鷹狩りに使う鷹や猟犬が好きだった。鷹狩用の鷹のほかにも、方々から取り寄せたり、献上されたえりすぐりの猟犬たちをたくさん飼っていた。それに「三河武士の忠節は犬のようだ」とはよく言ったもので、徳川家臣の多くも勝手気ままな猫より忠誠的な犬を好んだ。つまり徳川方は犬派であった。

だいたい家康はある理由から猫が苦手であった。

そんな家康がまたもや大阪城に呼び出された。

「秀吉に頭を下げるのはしゃくだが、それよりなによりあの城には猫がいるからなあ・・・。」

 家康は正信に愚痴を言った。


 幸いなことにその日、大阪城で猫を見ることはなかった。ホッとしていたところ、廊下で家康は、三成と行き会った。

「石田殿。久しぶりでございますな。」

 家康は薄っすらと笑顔を浮かべて三成に挨拶を述べた。

「これは徳川殿。大阪城までのご足労ありがとうございます。」

「なんの、なんの。豊臣臣下の大名として当然のこ・・・はっくしょん!」

 家康は突然くしゃみを繰り返した。続いて懐から懐紙を取り出すと、大きな音を立てて鼻をかんだ。

「徳川殿、お風邪ですか?」

「いえ、風邪ではないんですが。・・・石田殿、もしかして城に来る前に猫と遊びましたかな?」

 鼻を赤くしながら家康が聞いた。

「別に遊んでなどおりませんが、最近屋敷で猫を飼うようになりました。」

「なに?!そうでしたか・・・。猫を・・・・。」

 家康は顔をしかめた。前述したように彼は別に猫が少々苦手だった。それというのも彼は猫に近づくとくしゃみや鼻水が止まらなくなる奇病に罹っていたからだ。つまり彼は今でいう猫アレルギーだった。

「石田殿はお気づきかと思いますが、私は猫や猫と戯れた直後の人に近づくとくしゃみと鼻水が止まらなくなる病気なのです。」

「それは全く知りませんでした。」

(嘘だ。石田治部ほど目端の利く男が私の病気に気づかないはずがない。)

家康は三成の才覚を買っていた。買っていたからこそ、なおさら嫌がらせのように思えた。実のところ、三成は数字と政治にはめっぽう強いが、人間観察は苦手だった。無論、家康のアレルギーのことも気づいていなかった。

「しかしそのような病気は聞いたこともありません。猫の祟りにでもあわれているのでは?ご先祖か徳川殿が猫をぞんざいに扱ったのではありませんか。」

 三成の言葉に家康は鼻白んだ。

実のところ三成は家康がそれほど嫌いではなかった。豊臣政権の官僚としては十分に警戒していたが、個人的には家康が幼少時代を人質としていろいろな家を転々とした苦労人だという話を聞いて、同情していた。それなのにいつも柔和な様子の家康を、殿下の次に、出来た人だと思っていた。

「本当にそんなご病気なら、上洛の謁見の際はさぞ大変だったでしょう。確かあの日の朝、殿下は万福丸と遊んでいましたから。」

「ははは、そうなのですよ。実は我慢しておりました。これがなかなか大変でしてな。」

 家康は頭をぺちりと叩いた。


 家康が秀吉が猫に汚染されていることに気付いたのは、謁見前夜に秀吉が彼をこっそりと尋ねて、謁見についての打ち合わせをしにきた時だ。

それは家康が憤懣やるかたない気分で上洛してきた時のことである。謁見を翌日に控えて、くさくさした気分で一人夜を過ごしていた。気晴らしに趣味の薬の調合でもするかと思っていた時、内密に人が訪ねてきた。家康とも三成とも面識のある直江兼次に連れられた、三成と秀吉だった。

最初に秀吉が入室してきた時はなんともなかったが、秀吉が家康ににじり寄って手を握り、

「明日、皆にもわかるように大げさに儂に忠誠を誓ってみせてほしい。そして儂に陣羽織をくれと言うてくれ。徳川は豊臣のために戦う覚悟あるということ誇示してくれ。」

と息がかかりそうな距離で言い始めた時に、急に鼻がむずかゆくなってくしゃみが出て、酷いことになった。その場は、風邪をひいていて丁度薬を作ろうとしていたのだと言って、ごまかした。

しかし翌日、正式な場で関白・秀吉の前で粗相は出来ないと戦々恐々としたものだ。秀吉の前に伏してる最中は大丈夫だったが、上段から降りてきた秀吉が陣羽織を持って近づいてくるとまたくしゃみが出そうになったので、すかさず息を止めて乗り切ったという次第だ。

(あのようなことがあたったのだから、この鋭い男が、私の病に気づかないはずがない。それを主従揃って猫を飼うなど、私に嫌がらせをしているに違いない・・・。)

 家康は心の中で三成に毒づいたが、顔は笑顔のまま言った。

「それでは私は失礼します。急ぎ、駿府に帰らなければなりません。」


 駿府城に戻った家康は、夜自室にこもって、あるノートを取り出した。それは駿府城出禁リストであった。ノートには秀吉の名前も見えた。

そして家康は、筆を取り出すと、そこに「石田三成」と書き足した。





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