第五話『島左近』
『島左近』
勘兵衛に左近を勧誘できるといってしまった手前、いよいよ追い詰められた三成は自分の部屋の中をぐるぐる歩き回った。
(ああ、誰かに相談したい。)
だがそれは彼のプライドとポリシーに反した。
(はあ・・・こんな時に友人の源吾がいてくれれば、話を聞いてくれただろうになあ・・・。)
すると座布団の上に座ってあくびをする猫の源吾が目に入った。三成の頭に、
(話し相手がほしいときは源吾に話しかけなされませ!)
といううたの言葉がよみがえった。三成は馬馬鹿しいと思いつつも源吾の目の前に座った。そしてためらいがちに話しかけた。
「源吾よ、俺は悩んでいる。どうしたら、島左近はうちに来てくれるだろう。俺としては、もう一度行って話を聞いてもらうしかないと思うんだが。」
「ニャア。」源吾が返事をした。
なんだか自分の意見を肯定されたような気がして、三成は少し自信を得た。
「あの劉備だって諸葛亮を迎える時には三顧の礼を行った。それに殿下だって竹中殿を迎える時には、三度も訪ねたのだから、もう一度訪ねるのは別に恥じゃないさ。」
「ニャア~。」
「もし島左近が俺の話を聞いてくれたなら、最大限に俺の考えや、いかに豊臣政権のために働くことが素晴らしいかわかってもらわねばならぬ。」
三成はコホンと咳ばらいをして、真面目な顔をした。
「殿下は惣無事令を敷いておられる。これはこの日の本から戦をなくそうという考えの上にある。殿下の庇護のもと、これからの日本は諸外国ともっと交易を持ち、ますます栄えていく・・・。」
「ニャア」源吾が合いの手を入れた。
三成はますます調子づき、今度は左近に質問されたときのことを考え始めた。
「俺の考えをいったら、島左近はこういうかもしれぬ『戦がなくなるのに、なぜ自分のような武人を雇いたがるのか』。そうしたら、俺はこう答えてみせる・・・・。」
三成と源吾の、対島左近質疑応答の予行練習は二時間以上にも及んだ。
源吾と予行練習をして自信をつけた三成は、再び左近を訪ねることにした。その日の朝、勘兵衛が三成に声をかけた。
「今日も島殿のところにいかれますか。今日こそうまくいきますかな。」
「う、うむ、うまくいく。」
「では、ささやかなご馳走でも用意して帰りを待っておりまする。」
勘兵衛が一礼して下がった。
三成の頬がひくっとひきつった。
(勘兵衛にこういってしまったからには、必ず島左近を連れてこなければ。)
支度をしに自室に戻ると、源吾がいたので思わず話しかけた。
「猫でもいいから、俺に力をわけてくれよ。」
興福寺境内にて左近の庵の前に立った、三成は緊張していた。
(今日こそは島左近と話しをしなければ。)
ふうっと息をついて、声をかけた。
「石田三成が参った。島殿とお話がしたい。」
すると扉が開いて下男が顔を出して言った。
「主人は話すことはないといっておりまず。」
三度までもぴしゃりと閉じられた扉に、三成はついにカッとなって、扉をバンバンたたいて大声を出した。
「島殿は三顧の礼も知らんのか。普通、三度も訪ねて来たら、一度くらい顔を出すだろう。」
すると扉が開いて、今度は三成より二十ほど年上らしい髭面のがっしりした男が顔を出した。
「石田殿は論語を読まれないのか?年上のいうことは尊重されよ。」
そういって、また庵の中に引っ込んだ。しかし三成がまた大声を出そうとすると、その男、左近がまた出てきた。
「さきほどは失礼した。だが話くらい・・・。」
そういう三成を左近が右手で制して、左手を指さした。そこにはねこまんまを持っていた。
「猫に餌をやりに出てきただけでね。」
左近がしゃがんで、だっと走って寄ってきたキジトラに飯を与えた。三成は左近に近づこうとしてぶち猫を蹴飛ばしそうになった。
「気を付けられよ。この猫たちは仏教経典を鼠から守るありがたい生き物だ。まあ猫が飯を食べる間くらいなら話を聞こう。」
三成はしゃがんだ左近の傍に片膝をついて、語り掛けた。
「俺はどうしてもあなたを召し抱えたい。」
「なぜ俺なんです?」
「俺は、頭は優秀だが、どうにも戦が苦手だ。だからあなたのような戦上手が俺についてくれたら、鬼に金棒だと思う。」
左近は苦笑した。
(なかなか正直な人だ。)
「まあ中に入られよ。」
二人は庵の中にはいった。中は酒瓶が落ちていて、むっと酒のにおいがした。
(この男、寺に寄食している分際で昼酒しているのか。)
三成はあきれた。
左近はどかっと座ると、声をかけてきた。
「で、俺になにを話したいんですって?」
三成は左近に向かい合って座ると、まず豊臣政権と秀吉のすばらしさについて熱く語りだした。小半時もそれを語られると、左近は飽きてきて話を遮った。
「その惣無事とかいうのをやってるなら、なんで俺みたいなのを雇いたいんです?戦をしない世の中なら必要ないじゃないか。」
予想していた質問だった。
「惣無事とはいったものの、地方の大名には殿下の威光がまだ伝わっておらず、あくまで反抗するものが少なくない。そういう時にはやはり戦になる。だが俺は無駄に人が死ぬことは大嫌いだ。そこで島殿が必要だ。戦を迅速にかつ敵も味方も最低限の犠牲で行うためには、名将が必要になる。俺は島殿こそがそうだと思う。」
左近は納得したようだった。そして他にもいくつか、豊臣政権の体制についての疑問や、三成の考えを聞いてきた。
それらはすべて三成が予想した範囲だったので、すらすらと答えると左近は感心したようだった。
(自分で優秀だというだけあって、確かに頭はいいようだ。それに一生懸命理想を語るあたり、見かけに反してなかなか熱い男だな。)
「・・・そういうわけで俺は島殿を召し抱えたい。ついては俺の持つ四万石の半分をあなたに与えたい。この先俺はもっと出世するつもりだ。その時はその半分を渡す。俺はいずれ百万石の大名になるから、そのときはあなたに五十万石を支払う。どうだろうか。」
左近は驚いた。声をかけてくる武将は数あれど、このようなことを言った者は初めてだった。
(案外、面白い男かもしれない。)
「いいでしょう。」
「おお、本当か。」
「とりあえず、半年間。試用期間として仕官しましょう。」