第二話『福を招く猫』
『福を招く猫』
源吾を飼い始めて以来、三成には良いことが続いた。天運を信じない三成には珍しく、源吾が瑞兆であったかのように思われた。
一に、三成は近江国水口四万石に加増された。それまで三成は禄高五百石であった。
「お前なら、賢く四万石を使えるだろう。お前は前にも琵琶湖の葦に運上をかけて立派な軍隊を整えてみせたもんだったなあ。あれはなかなか面白かったぞ。今度の禄もどんな使い方をするか楽しみにしているぞ!」
正式に加増を言い渡し後、秀吉はいつものようにくだけた様子になって、三成の肩をばしばしと叩いた。
琵琶湖の葦に運上をかけたというのは、三成がまだ小禄を食んでいた頃の話である。秀吉が三成を加増してやろうとすると、三成は代わりに湖岸に生える葦に対する税金をかけさせてほしいと願い出た。この時代、葦とは屋根を吹いたり簾を作る材料として、誰もが気軽に刈り取っていったものだった。三成は葦が強く育つまでは刈り取られないように管理し、民にこの葦で良質の品を作らせて商売させることで儲けさせ、自分も税を徴収した。そしてこの税収を使って秀吉の丹波攻では一万石に相当する軍役を務めてみせた。
「は!ご期待に添えますよう、精進いたします。」
三成は軽い調子の秀吉にも生真面目に答えた。
「ところで猫の様子はどうだ?」
「至って健康な様子です。」
「佐吉よ、儂はそんなことを聞いているんじゃあないぞ。なにか愛らしい仕草や面白い仕草はしたかと聞いているんだ。」
秀吉はからからと笑って言った。
「は。考えが至らず、失礼致しました。今日からよく観察致します。」
(まさかこの加増は、猫を飼ったからという訳でもあるまいが。)
三成の脳裏に一瞬そんな考えがよぎった。それはともかく、三成は今日から源吾の観察日記をつけることを決めた。
「殿、おめでとうございます。」
屋敷に帰ると、うたが正座して待っていた。
「うむ。」三成は一言だけ返した。
(これでうたや家臣の暮らし向きもよくなるだろう。)
うたが体調不良を訴えたのは、そう思った矢先であった。近頃よく貧血を起こすのだという。言われるまで気が付かなったが、言われて見れば三成にもわかるほど顔が青白かった。
「しばらく、水口城で静養せよ。」
三成はぶっきらぼうに告げた。
(水口は宿場だが、大阪と比べて静かなところだ。大阪にいるよりはよいだろう。)
彼の精いっぱいの気遣いだった。大阪にいると、頻繁に来客があり、うたも客の相手をしなければならないし、他の大名の女房集とも付き合ったりしなければならなかったからだ。
そうと決まると三成は迅速に準備を進めた。
うたが旅立つ日には三成も見送った。
「水口には先に、乳母と共にふじと珠が行っている。」
ふじと珠とは三成とうたの娘たちの名前である。三成の出世に伴って、うたが大阪に来なければならなくってからは、三成の出身地である石田村で三成の父や兄と乳母が二人の面倒を見ていたが、うたは頻繁に二人の心配をしていた。
「まあ嬉しい。久しぶりに子供たちと暮らせますわ!殿。私がいなくなると寂しくなると思いますが、話し相手がほしい時は源吾に話しかけなされませ!これは私と同じで返事をしますよ。」
うたは三成にそう言って源吾を手渡してきた。着物に毛が付くので源吾を抱きたくなかったが、うたが青い顔でほほ笑むので仕方なく受け取った。
「ではみなさま方、殿を頼みます。」
うたが見送りにきた侍女や侍従に一礼した。
「殿はこれで寂しがりや故、源吾も殿を頼みましたよ。」
「俺は寂しがりやなどではない。」三成は即座に否定した。
うたが真面目な顔で源吾に話しかけると、源吾が「ナー」と返事をした。三成には、それがはいかいいえかわからなかったが、うたは安心した様子で駕籠に乗って旅立っていった。
うたに頼まれたのにも関わらず、源吾は三成の相手をしなかった。正確にいうと、うたが屋敷からいなくなると源吾も外出してしまうようになった。源吾は今までも外出することはあったが、何日も顔を出さないことはなかった。
三成は以前と変わらず、精力的に仕事をこなしたが、家に帰っても座敷で源吾と遊ぶうたの姿が見えなくなったのは、なんとなく寂しく感じていた。また何日も顔を出さない源吾が心配になって来た三成は、大阪城からの帰り道に懐ににぼしを忍ばせてウロチョロするようになった。
家臣には、
「殿下が猫を飼い始めたことをあんなに喜んでくれたのに、失くしてしまったら大変だ。」
と言っていたが、内心、
(・・・それに帰ってきて源吾がいなかったら、うたが、がっかりするだろう。)
と考えていた
一度などにぼしを片手に他人の家の庭を覗いていたのを、同僚の片桐且元に見られた。且元は賤ヶ岳七本槍にも数えられる武将であり、官僚としての能力もあったが、いかんせんおしゃべりだった。
「はて、石田殿。こんなところでなにをなさっているのですか?」
且元は好奇心を隠せない様子で聞いてきた。
「ここは土地が肥えている。ここに田を作ったら何石くらいになるだろうと考えていた。」
三成は慌てて、我ながら苦しい言い訳で切り抜けた。
そんなある日、三成が自室で本を読んでいると、少し開いた障子の隙間から白い毛玉が飛び込んできて肩に飛び乗った。
「源吾か。また薄汚れたな。どこをほっつき歩いていた。」
三成はムスッとして言ったが、源吾はかーっとあくびをして赤い舌を見せた。
(猫とはやはり勝手なものだ。)
三成がそう思って源吾を膝に下すと、障子の向こうから声がかかった。
「殿、うたさまからのお手紙です。」
小姓が手紙を持ってきた。
「そうか。」三成は本から目を離さずに返したので、小姓は文机に手紙を置いて下がった。三成はなんだか気恥ずかしくて、足音で小姓が廊下の角を曲がっていったのを確認してから、手紙を開けた。
するとそこにはだいたい『殿へ、お元気ですか?私は水口で子供たちと楽しく過ごしております。今日はいい知らせがあります。なんと私の腹にはまた殿のお子がおります!お喜びなさいませ!』と書かれていた。手紙を読み終えた三成はほーっと息をついた。彼には二人の娘がいたが、まだ男子はなかった。
「将来は、石田家一丸となって豊臣政権を支えていかねばならぬ。だから今度こそは男子であるとよいなあ。」
「ナー」
三成がつぶやくと源吾が応えた。
「む。お前本当に返事をするのだな。」
猫も祝うほどのめでたいことあるから、三成は早速うたに宛てたねぎらいの手紙に取り掛かった。
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