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交渉

しつこいようだが俺たちはゲームを作ることを目的としたサークルなので、当然ながら放課後のサークル棟、そのはしっこにある部室ではサークルメンバーたちが日夜ゲームに必要となる素材を作ったりプログラミングを進めたりすることが本来あるべき姿である。校則で午後七時が下校時刻と定められているので、作業量の多いメンバーたちは家に各々の課題を持ち帰って夜遅くまでゲーム開発の作業をしていたりもするべきなのだ。例えば俺ならゲームシナリオを書くことがそれに当たり、平川ならプログラミングその他の行為である。

 しかし、本日も含めて最近の俺たちはと言うと、部室で少しの議論、多くの雑談を重ねた後に下校時刻を待たずして校舎を去っている。家に帰る時間は帰宅部の連中とあまり変わらないほどだ。

 その上家でゲーム作りの作業をするのかと言われれば、全くそんなこともない。自室にあるパソコンの前に腰を下ろしてからは夕食までずっとネットサーフィンである。どうでもいい情報を得ては失った時間に嘆息する、そんな毎日を過ごしていた。締め切りまで約一ヶ月であるにも関わらず、である。

 だってイラストがないとゲームにならないからしょうがないだろ? と自分自身に言い訳を重ねてきたわけだ。それでもうちのサークルにはお抱えの描き手がいるから安心だと思っていた……つい昨日までは。

 けれど、今日の俺にとってはまるで意味合いが異なってくる。イラストレーターの絵を描くペースが少し落ちたくらいでは何の動揺もないが、そのイラストレーターに逃げられたのだ。給料の振り込みが遅いなあと思っていたら会社が夜逃げしていたレベルの大惨事である。

 そんなわけで、俺は心を入れ替えた。

 「……お兄ちゃん、志保里に何か用?」

 具体的に言えば、未知の人材を発掘するための労力を惜しまなくなったのだ。

 「さっきから志保里(しおり)の方ばっかり見てるじゃん。言っておくけど、おかずならあげないよ」

 そう言って皿上のハンバーグをひょいっと自分の口へと運んでいるのは俺の妹、淺山志保里だ。

 時計は八時を少し回ったところで、俺たちは家族で夕食をとっている途中だった。

 帰宅してからの数時間で俺が考えた努力の一つとして、出来るだけ多くの人に絵描きの情報を求めるべきというものがあった。同じ学校の一学年後輩に当たるこの妹なら何か有益な情報を持っているかもしれないと考えたわけだ。

 「志保里さあ、絵が上手な友達とかいないか?」

 もちろん、普通の高校生に絵の上手い知り合いがいる可能性はかなり低い。けれど、ものは試しである。妹がダメなら他の人に尋ねてみればいいのだから。

 「……絵が上手な友達?」

 それを聞いた妹はすぐに、なに言ってんのこいつ、みたいな顔になった。

 「そりゃ美術部の友達なら絵が得意だと思うけど、お兄ちゃんには紹介しないよ」

 「ああ、部活動に所属しているやつは無理なんだ。それ以外に誰かいるか?」

 所属先のある人間が俺たちの作業を手伝ってくれるとは思っていない。だから候補にするなら帰宅部で自分の時間のある人間が望ましかった。

 「いても紹介しないっての。って言うか一年生に聞かなくても、二年にあの人がいるじゃん」

 「あの人?」

 同学年で絵のスキルがあって無所属の人間には今のところ一人しか心当たりがない。

 「ほら、夜陣さん」

 ……ひょっとすると俺や平川の知らない才能がすぐ近くに、と期待したのだが、そんなことはなかったようだ。

 しかし「いや、そいつはダメなんだ。ダメだったと言う方が正しいな」との言葉が俺の口から出る寸前に、志保里はふと何かに思い当たったような顔になった。

 「あ、でも、夜陣センパイは無理か」

 そして妹はまるで夜陣都子について何かを知っているような口ぶりで、そう言った。

 「無理って、何か理由があるのか?」

 俺と喧嘩したのは今日の昼休みのことだから、そのことが関係しているとは考えにくい。だとすると他の条件でも夜陣と俺は折り合いがつかないことになる。

 今更夜陣が俺に協力してくれるとは思えなかったが、昼に口論したこともあって何となく彼女に対する好奇心がわいた。

 「ん、まあね。あの人忙しいもん」

 まるで接点のなさそうな俺の妹と夜陣がどこで知り合ったのかと尋ねる前に、志保里はすぐ足下にあった自分のバッグから紙袋を取り出して俺の目前に置いた。こげ茶色のその袋には誰でも知っているハンバーガー会社の名前がプリントされている。確か駅の近くにも店舗があったはず。

 「バイトしてるの、あの人。志保里が行くたびにレジにいるから、かなり忙しいシフトだと思う」

 今こうして紙袋を出したと言うことは今日も志保里は買い食いをして帰ったのだろうし、夜陣はそこで働いていたのだろう。高カロリーなハンバーガーを食べてなお夕食も摂取する女子高生の基礎代謝には驚くほかないが、真に驚くべきなのはその点ではない。

 「なんでバイトなんかしてるんだ?」

 うちの高校では原則として生徒のアルバイトは禁止である。それなのに生徒や関係者の目と近いハンバーガーショップでバイトをしているのは何故だ。

 「知らないよ。何度か見かけただけだもん。でも、学校に許可貰ってるんじゃないの」

 「……ああ、なるほどな」

 確かに校則にはアルバイトについての例外規定が存在していた。正当な事由を持って校長の許可を取れば定められた限度時間までは学生の就労を認めるというものだ。

 「なら、夜陣の家は経済的に逼迫してるってことか?」

 学校側としてもただ遊ぶための小金を稼ぐためにアルバイトを認めたりはしないだろう。すると、やはりそれなりの事情があるはずだ。

 「だから知らないって。あの人と話したこともないし。でも、多分そうなんじゃない? うちの学校でアルバイトを堂々と許可されてるのは夜陣センパイだけって聞いたことある」

 どうやら志保里と夜陣の間には個人的な繋がりはなかったようだ。しかし、それなりに目立つ場所でバイトをしているためか、学内の生徒における知名度は高いのかもしれない。

 「あーあ。志保里もバイトしたいなあ。そしたらもっと遊びに行けるのに」

 別の高校へ進学した友人たちは既にバイトで交際費を稼いでいるらしく、ハイペースで遊ぶそんな友達について妹が愚痴っていたことを思い出す。

 「おまえはいつも親戚から十分な小遣いを貰ってるだろう」

 淺山家は血縁関係が広く、その中でも志保里は昔から特に可愛がられてきた。その上、盆や正月だけでなく頻繁に祖父母や従兄弟の家を訪れ、その度に贈与を受けている。なのできっと財布の中身で困るような心配はないはずなのだが。

 「や、そーなんだけどね。熨斗袋に入ったお金って使いにくいじゃん? 志保里としては叔父さんやお祖母ちゃんからのお金をハンバーガーにはしたくないんだよ」

 やれやれ、と肩をすくめる志保里。どうやら自分なりの考えがあるようだが、それにしては買い食いの頻度が多いような気がする。

 「まあ、その気持ちは分からないでもない」

 「でしょ? まとまったお金って大事なコトに使うべきなの」

 妹にしては珍しく的を射た台詞だった。俺も去年の今頃に大枚をはたいた記憶がある。

 「とりあえず参考書でも買えばいいんじゃないか?」

 「ダメダメ。本棚の肥やしか、部屋のインテリアになるかの二択だよ」

 入学して一度目の中間テストで早くも成績不振者となってしまった妹を持つ兄としては願望にも似た提案だったのだが、候補に入れる余地すらないような口ぶりである。

 「服とか雑貨とか、欲しい物はいっぱいあるんだけどなー。志保里もセンパイみたいにバイトしたいよ」

 「そんな邪な理由じゃ許可されないだろうな」

 学生の本分は勉強だ、などと陳腐なフレーズを使うつもりはないが、それにしても高校生のアルバイトはあまりに低賃金過ぎる。たかだか八百円かそこらの時給で使い倒されるくらいなら机に向かっていた方がまだ有意義だろう。

 「残念。時間ならあるのになあ」

 まあ、毎日ふらふらと遊び歩いている志保里ならそのくらいの条件のバイトでも喜んで従事するだろう。俺はゲーム作り(やること)があるので絶対に遠慮したい。と言うか多くの学生はバイトなんてしたくないはずだ。それは夜陣も同じだろう。あんなギラついた目をしている人間が他人に悪条件で使われて平気なわけがない。あの女の場合はきっと経済的な理由を持っているはずだ。

 そう、お金さえもらえれば……

 「……待てよ?」

 そこまで考えたとき、俺の中で一つのアイデアが生まれた。

 「夜陣は週に何日働いているんだ?」

 「えーっと……昨日てりやきを買ったときはレジにいたし、一昨日チーズバーガーを買ったときは奥でポテト揚げてたし、その前は……」

 オーダーした物を指折り数えていた志保里の動作が止まるのは、ちょうど右手がジャンケンの「グー」の形になったあとだった。

 「今日は金曜日だから……うん、月曜からぴったり五日間だね」

 「平日は全部働いているのか。休日はどうなんだ?」

 兄としては妹の食生活も気になったが、それ以上にサークルのリーダーとしてイラストレーターの存在の方が重要だ。

 「あ、そういえば土日は見てないかも」

 「すると平日だけか。だったらあまり勤務時間も長くないんじゃないか?」

 高校生の就業は遅くとも二十二時までのはずだ。学校の授業が終わるのはだいたい十六から十七時だから、移動時間なども考慮すると一日四時間の勤務がせいぜいだろう。

 「がっつり稼ぎたい人は休みの日に朝からシフト入ってるもんね。その方が平日に毎日働くより楽だと思うけど、あの人にも事情があるんじゃない?」

 事情か。確かにその可能性は考えられる。だが、そうでなければ……

 「志保里、一ヶ月は何週間だ?」

 「え……四週間とちょっと、だよね」

 「そうだ。そしてあのハンバーガーショップの時給はおそらく八百円弱で、夜陣は週に五日、毎回四時間ほど働いていると仮定しよう。すると月給はいくらだ?」

 「え、ええと……四かける五をして、それにまた四をかけて、最後に八百円を……」

 早々に暗算を諦めた志保里は、鞄からプリントとボールペンを取り出して演算に取りかかった。

 「できたっ、六万四千円!」

 「そうだな。とすると、夜陣の給料は多くても七万円くらいが予想される」

 「はー。七万円もあれば何でも買えちゃうね。……でも、なんでお兄ちゃんがセンパイのバイト代を気にしてるの?」

 たかっちゃダメだよ、というような視線を送ってくるが、俺はそんなことを考えていたわけではない。そもそもあの女が俺に奢ってくれるようなシチュエーションは思い浮かばない。

 「いや、ただの好奇心だ。それじゃ、俺は部屋に戻る。ごちそうさま」

 「むー……?」

 名案を忘れる前に具現化させるべく、階段を急いで昇って自室へ入る。

 後方から不審がる妹の声が聞こえてきたが、それにかまっている時間はない。

 明日は土曜日。本来なら計画の実行は週明けになるはずだが、今週は嬉しいことに補習の予定されている登校日だ。時間のない俺たちにとって、これ以上ない幸運だった。



 「よし、行ってくるぞ」

 時間は昼休み。俺は平川に出陣の宣言をしていた。

 「大丈夫かな。僕にはどうも分の悪い賭のように見えるけど」

 「そんなことはない。言ったろ、こっちには秘密兵器がある」

 昨晩に思いついたアイデアを試行錯誤の末に形にした俺は、今朝登校するとすぐにその内容を平川に話した。が、熱弁にも関わらず、平川は不安を払拭していないようだった。

 「ここまできたら優多に任せるけど、くれぐれも夜陣さんを怒らせないでよ。そりゃ、絵が描ける人は必要だし、彼女に参加してもらえれば嬉しいと思ってる。でも、こっちから一方的にお願いしておいて逆ギレするなんて嫌だよ」

 いつも温厚な平川ではあるが、この点だけは強情だった。イラストレーターに逃げられたこともあるだろうが、昨日の昼に俺が夜陣と一悶着あったことが主な原因だろう。

 「当然だ。今度こそ俺はリクルートの鬼になる。いや、ネゴシエートの鬼かな」

 勧誘ではなく交渉。今日の俺は一味違う。

 「なんでもいいから、とにかく頼むよ」

 「ああ。任せてくれ」

 平川の声を背に受け、俺は昨日と同じ場所へ足を向けた。一枚の紙を綺麗に収納したクリアファイルを片手に抱えて。


 教室から歩いて数分、すぐに中庭へと到着した。視線をベンチに移すと、そこには昨日のこの時間と寸分違わぬ様子で座っている女子生徒の姿があった。一点ほど異なっているのは、まだ昼休みが始まったばかりだったので、その右手に握っているのは鉛筆ではなく箸だったことだ。

 「……よう」

 ケンカした光景が一瞬フラッシュバックし、声をかけるのを躊躇わせたが、何とか言葉にすることができた。

 「帰れ」

 ところが、夜陣は俺の顔を見ることもせず、とても冷酷な返事をした。分かってはいたが、昨日の口論が尾を引いている。

 「手厳しいな。あのことは俺が全面的に悪かった」

 「……」

 「すまなかった。この通りだ。謝るから少しだけ話を聞いてくれ。聞いてくれるだけでいい」

 「……ふん」

 夜陣は相変わらず眉をひそめているけれども、席を外さないところを見るとどうやら一応聞いてくれるらしい。

 「いきなり現れて無償で絵を描いてくれと頼む行為は今思うととても不躾な提案だった。反省してる。俺はあまりに自分本位だった」

 そう、ノベルゲーム作りに興味がなく、さらに交友もない人物に対するふるまいとして、とても褒められた行為ではなかったのだ。

 「だけど俺たちのサークルには絵描きが絶対に必要なんだ。そして、夜陣の実力は申し分ない」

 そこまで言ったところで、俺は小脇に抱えてきたクリアファイルから書類を取り出した。黙々と昼食をとっている夜陣の顔が、紙とファイルがこすれる音に少しだけ反応した。

 「そこで、今日は正式に依頼したいと思ってきた。これを見てくれ」

 A4サイズの書類の端を両手で持ち、夜陣へと渡す。それを機械的な作業で彼女は受け取った。

 「なによ、これ……契約書?」

 怪訝な声と表情の主へと、俺は説明する。

 「そうだ。俺たちは夜陣都子の実力に正当な報酬を用意することにした」

 「正当な報酬……」

 先程まで俺の話そっちのけで弁当を咀嚼することに集中していた夜陣だが、今の話を聞いて少しだけ真剣に書類と向き直った。


---------------------------------------------------------

  労働契約書

内容:期間中は使用者の指示どおり働くこと

 期間の定め:約45日

    報酬:200,000円

 使用者署名:淺山 優多   

 使用者捺印:

労働者署名:

労働者捺印:

--------------------------------------------------------


 「どうだ? 最大限の評価をしたつもりだ」

 夜陣は上から下まで契約書に目を通してから、不敵に笑った。

 「……ふうん。いつ見たの?」

 口元には余裕があるようだが、目つきは険しい。ここで言葉選びを間違えたら何もかもが無駄になってしまいそうだ。

 「見たって、何のことだ」

 「とぼけないで。私がバイトしているのを知ったから、お金で釣ろうと思ったんでしょ」

 「直接見たわけじゃない。ちょっと小耳に挟んだだけだ」

 「でも、お金さえ払えばいいと思ったんでしょ。私になんて、ね」

 「……そうだな。思惑があることは認める。だが、それはおまえが金銭を評価の対象とすることに嫌悪感を抱く人間だとは思っていないからだ」

 仕事が持つ役割は大きく区別して二つある。一つは賃金のため。そしてもう一つは生きがい――つまり働くことそのものに楽しみを感じること――のためだ。

 「へえ……」

 夜陣の目が少しだけ丸くなった。きっと、俺の言葉が意外だったからだろう。

 「俺は夜陣が自分の時間をハンバーガーショップで月に七万円ほど稼ぐためなんかに使うよりも、その能力と時間を絵に使って欲しいと考えただけだ。それは間違っているのか?」

 そこまで言って言葉を切り、相手の反応を待った。できるだけ冷静に、淡々と。

 「正しいと思うわ。昨日よりよほど真っ当な勧誘だと思う」

 「そうか、だったら―――」

 すぐにでも契約してくれ、と続けようとした俺を片手で制して、夜陣は契約書の一部を指で指し示した。

 「でも、一つだけ確認したいことがある。ここには明示されていないみたいだけど、当然、報酬は先払いなんでしょうね?」

 夜陣が俺が昨晩作った契約書の内容全てに納得してくれるとは思っていなかった。むしろ多くの箇所に不満をぶつけてくるものだと予期していたのだが……

 「……それは無理だ」

 その注文だけは聞き入れられない。いや、聞き入れることができないと言った方が正しいか。

 「……あんた、自分が私の立場だったら後払いを了解するとでも思ってるの?」

 「思わない。だけどな、こっちにも事情があるんだ」

 「言っておくけど、お金が発生する以上は真面目にやるわよ。あんたは私が報酬だけ貰って逃げることを不安に思う必要はないの」

 第一、逃げる場所なんてないし、と続ける夜陣だったが、問題はそこではない。

 「無理だ。なぜなら、報酬を用意できていないからな」

 「……一応聞いておくわ。それって、手元に賃金を確保していないって意味よね」

 俺の首が小さく頷くのと、夜陣の表情が落胆に変わるのはほぼ同じタイミングだった。

 「呆れた。ちょっとでも見直した私が馬鹿みたいじゃない」

 もう話はないから帰れ、と冷たい目で睨んでくる夜陣に気圧されそうになりながらも、俺は口を動かした。ここで退いてしまっては昨晩の苦労が水の泡だ。夜陣が持っているのは俺の署名と捺印の入った正式な契約書であり、それが完成するまでには多くの試行錯誤があった。慣れない作業の中でいくつコピー機のインクと用紙と判子の朱肉をすり減らしたことか。

 「待て。今はなくても、来月――コミケ後にはあるんだ! そのイベントで俺たちが作ったゲームを配布する。おまえの絵なら絶対に売れるはずなんだ。それは俺が保証する!」

 そう、俺たちのサークルが二十万もの大金を今すぐに払える余裕など最初からない。それだけ潤沢な資金があったなら気むずかしい同級生よりも先に専門のイラストレーターと契約を結んでいる。だが、将来的には手に入る目算はあった。夜陣が本気で絵を描いてくれれば、そして、俺と平川が真剣に取り組めば、二十万円の売り上げだって不可能じゃない。

 平川は渋々ながら俺の案に納得してくれた。あとは夜陣が契約してくれるだけなんだ。

 「あんたの言ってることはよく分からないけど……」

 だが、俺の祈りも届かず、返ってきたのは感情のない言葉だけだった。

 「とりあえず、取らぬ狸の皮算用を持ちかけられているのだけは理解したわ。あんた、それで他人を騙せると思ったら大間違いよ」

 吐き捨てるようにそう言って、夜陣は自分の弁当箱を巾着袋に収めた。どうやら離席するらしい。

 「ちょ、ちょっと待ってくれ、他の条件ならいくらでも譲歩する。だから―――」

 このまま立ち去られたら今度こそ本当に終わりだ。校舎へと歩いていく夜陣の背中に必死で声をかける。

 「もう私の前に姿を見せないで。反吐が出るから」

 しかし、軽蔑の念を込めた視線を投げかけられた俺は、それ以上一歩も彼女へと近付くことができなかった。

 うなだれて立ち尽くす俺の目に映ったのは、夜陣が投げ捨てた契約書だった。


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