5.彼と子猫とモンスター
遅くなりました。
テスト終わって、夏休みに入ったのに。
全然、更新できない不思議。
梢もよく利用していた大型スーパーも、店内を何者かに荒らされた形跡があった。
もともと駐車場側の入り口が開いたままだったのは、何者かが自動ドアを無理矢理こじ開けて侵入したせいだったらしい。カップ麺などの保存食を中心に陳列棚から大きく減っている品が多く見られた。
うす暗い店内は、それでも商品が分かるほどには明るい。壁側にある天窓からの光が、店内の奥まで上手く入り込んでいる為だ。ただ、野菜や果物、肉や魚介類などの生物が腐った匂いが、かなり酷かった。なにせ、炎天下の真夏の数ヶ月間ずっと放置されていたのだから、見るも無残な姿を晒している。
広い店内なので、そういった品のある方に近づかなければ、我慢できないほどではない。
だが、細かく陳列を覚えているわけではないので、一通り回ることになると、見た目にも匂いも、吐き気を催す位に酷かった。
ある意味、モザイクもののそれらの横を通り、梢は、ナッツ類とドライフルーツ類を発見し、カゴに放り込んだ。
保存食が豊富なのが、日本である。
カップ麺の種類も豊富なら、インスタント食品も缶詰も種類が豊富だ。災害となると、どうしてもすぐに食べられるものを選びがちらしく、缶詰類はあまり荒らされていなかった。
梢は、乾物の棚を歩いていた。
水で戻すわかめや海藻類、出汁となる乾燥昆布や乾燥シイタケなどのキノコ類、海苔や鮭フレーク、春雨などの麺類、煮れば食べられそうな豆類など、ちょっと調理すれば使える品を選んでいく。味噌や醤油、酢、砂糖、塩、その他の調味料もカゴに放り込む。特に、出汁やスープの素は、食材がなくても飲めるものもあるので、多めに取る。
ドレッシングにしても、上手く使えば、使えるものを幾つかチョイスする。
缶詰は、定番の鯖や鮪、肉系から鶉の卵、コーン、アスパラなどの野菜系、桃やミカンなどのフルーツ系、パスタによく使うトマト缶、各種揃った温めるだけのスープ系まで、意外に種類は豊富だ。
インスタント食品だと、定番のカレーレトルトから牛丼やら親子丼などのレトルト類、チンするだけのレンジ系食品からご飯類、お湯に溶かすだけのスープ類やみそ汁類など、こちらも種類が多い。
飲み物系でも、インスタント系の飲み物からコーヒー、紅茶、各種お茶類など豊富にある。
もちろん、残っていたカップ麺や焼きそば、スープ類も放り込む。お米も、ガスコンロなどで炊けば使えるので、10Kgのものを2袋カートの下にいれる。
ミネラルウォーターは、箱単位で3箱。ついでに、大丈夫そうな箱入りのお茶類や100%ジュース、炭酸飲料も何本かチョイスする。
実は、梢は、ビールが飲めない。
だが、料理に使えるという話も聞いたことがあるので、大缶の生ビールを6缶だけ入れて、あとはワイン類や果実酒、清酒、チューハイを適当にチョイスする。
さらに、菓子類は、チョコやビスケット、クラッカーなど食料の代理になるものを中心に、あられ類やポテトチップス系も一応、放り込む。
ふと、気付いて、蜂蜜とレモン水、ジャムなども探して入れてみる。
こうして、大型カートで、車と店内を何往復かして、車に詰め込めるだけ詰め込んでいく。
後部の荷物入れや後席部にも所狭しと食料を入れる。細かいものは、レジから袋を貰って纏めてある。
日用品―――ラップや各種洗剤や石鹸、シャンプー類、トイレットペーパーなども忘れずに持ってくる。
さらに、2階や3階も回って、布団用やベッド用のシーツ類やタオル、下着などあっても問題ないものや待望のガスコンロと補充用のガス缶、ランタンなども持ち出した。
「………あー、こりゃ、もう一度くらい来ないとなー」
2階で、夏に向けてのキャンプ特集をしていたらしく、キャンプ用品が充実しているのを見て、梢は呟いた。野外で使える、折り畳みの日差し避けテントやテーブルセットなどが欲しかったのだ。
なんといっても日本。さすが、飽食の国である。
キャンピングカーで、かつ、自家発電可能なら、簡単な調理も可能だと、様々なものを見積ったら、あるわあるわ。普段は、そんなに気にも留めなかった乾物類、缶詰やインスタントの偉大さを実感した、梢である。
「食料に関しては、十分だろ。これ」
満足げに、梢は、500mlの紅茶のペットボトルに口をつけた。
冷えていない常温保存のものだが、そのおかげでこうやって飲めるのだ。文句は言えない。
今は、水が普通に出ているが、電気同様、いつ出なくなるか分からない。その為、補充用のタンクもすでに確保済みである。
なにぶん、軽自動車なので、荷物に限りがある。
種類は豊富だが、量自体は大量に持って来れない。だが、梢一人分と考えれば、バリエーションが増えて、当分はもつだろう。それでももう少し持って行きたいと思うのは、欲なのかもしれない。
―――― ウォォォォォンンン……
不意に、犬の遠吠えのような音が響いた。
車に寄りかかっていた梢は、おもわず、車から離れる。ペットボトルを助手席に放り込むと、ロックを開けたままドアを閉めた。
息を詰めて、周囲を窺う。
無人の街。―――今まで、鳥や虫は見るが特に問題は無く、危険な感じはまったくなかった。だからといって、梢は、警戒をしていなかったわけではない。
荒らされた店の様子を見る限り、今現在、この街に誰かいるという感じはないが、異常な様子を見せる街の各所に不安は隠せなかったのだ。
特に、こういう災害の場合、ペットなどの動物は放置される場合が多いという。
なのに、今まで、犬や猫を見かけなかったのが、逆におかしかったのだ。
――――ヴァウヴァウヴァウッッ!!!
―――ガアァァァァァッッッ!!!
―――キャイーーーンッッ!!!
―――ヴァウヴァウヴァウヴァウヴァウッッッ!!!!
耳を澄ますと、駐車場に点在する車の陰――――遠く離れた植え込みの方から、複数の犬らしい吠え声が聞こえてくる。
梢は、あちこちに放置された車に隠れるように、声の方に移動する。
様子を見ようとしたのだ。
様子次第では、すぐに車に戻って、犬たちがいる方向とは別の出口から出れば、おそらく追手来れないだろう。行きのルートを辿れば、帰るのは楽である。
「こういう場合、あまり近づきすぎるのもヤバいんだよな」
何か、武器になるものがあればと、一瞬、梢は思ったが、手には何もない。
こういう想定を考えてなかったわけではないが、武器になるようなものを見繕ってこればよかったと、梢は後悔した。
おそるおそる、視認できる距離まで近づいて、放置された車の陰から覗けば、数匹の犬が何かを襲っている姿が目に入る。
「………ん?あ、あれ?」
梢は、違和感を感じた。
もう一度、犬たちに視線を向ける。
見間違いではない。種類は違う犬たちの大きさがおかしい。中には、小型種らしい毛の長い犬もいるのに、大型犬よりも一回り以上大きく、犬というよりも“獣”と呼んだほうがしっくりくる。
本来なら、愛くるしく可愛らしい容姿の犬が、ドーベルマンも逃げ出しそうなくらい凶暴な顔付きをしている。身にまとう威圧感も、“犬”というよりも“獣”そのものだ。
梢は、隠れている車の陰で、固まった。
「……い、いや、予想はしていた。していたけど………」
ヤバくないか?
おもわず、自問自答する。
魔素による影響が、動植物にも出ると予想はしていたが、あんな凶悪な状態になるとは思ってもみなかったのだ。
あれでは、まるで、“魔獣”である。
そこまで考えて、梢は、ハッとした。
「そう言えば、“魔獣”って確か、魔素の影響を受けた獣から派生したんじゃ……」
ゲームなどでよくある設定である。
もちろん、純粋な魔物―――という化け物も存在するが、魔獣と呼ばれるものの多くは、魔素――魔力を取りこむことによって異常変貌した獣の慣れ果てだという説が、クラルスの世界でも一般的だった。
もちろん、現代に満ち始めている魔素は、かの世界とは比べ物にならないくらい低いものだ。
だが、それでも、元々がほぼ皆無に等しい状態だったのだ。
魔素の濃度の差があれ、人間が【魔素過剰症】でここまで影響を受けているのだから、当然、他にも影響があって然り。
梢が気付かなかっただけで、人々の“避難”も、魔獣化したペットなどに襲われることも含まれていたのかもしれない。
「……とにかく、ここを離れ……」
「にゃあん」
するりと、梢の足元にすり寄る小さな気配。
梢は、おもわず声を上げそうになり、咄嗟に、両手で自分の口を押さえた。
心臓が、バクバクと音を上げる。
足元を見れば、一匹の子猫が、無邪気な目を梢に向けていた。まだ、小さな子猫だ。汚れているが黒い毛並みに長い尾がゆらゆらと揺れている。梢を見上げる目は、夏空を切り取ったかのような綺麗な青だ。
「にゃん」と、子猫は、梢の靴に前足を乗せる。
全身真っ黒だと思っていたら、足の先だけが白い。害意の無い、つぶらな目が、梢を見上げる。
どうやら、車の下に隠れていたらしい。
梢は、口を押さえたまま、車の陰から犬たちの様子を見た。
――――キシャァァァァァっっ!!!!
猫がいた。
それも、犬たちに負けず劣らずの大きさになった巨大猫だ。白と黒の斑模様の猫で、目の色は、足元の子猫と同じ色をしていた。
「………親?」と、足元の子猫を見れば、「にゃん!」と同意するように鳴いた。
どうやら、猫VS犬たちの攻防らしい。
多分、猫は、子供を護るために犬と戦っており、犬たちは、猫を獲物として狩っているというところか。いくら大きくても、犬のほうが数が多い。多勢に無勢。現に親猫は、傷だらけだった。
「………無理だ」
助けたくても、数匹はいる魔獣化した犬相手にどうこうできるとは思えない。
武器もないし、勝てる手段もない。
様子を見ていた梢は、ふと、犬たちと対峙する親猫と視線が合った。
―――――行け。
そう言われた気がした。
猫の言葉が分かるとかではない。ただの妄想かもしれない。だが、そう感じたのだ。
梢の足元には、子猫。
おそらく彼女だろう親猫が、唯一、逃がしたかったものだ。
「悪い…」
ぼつりとそんな言葉が漏れた。
梢は、子猫を両手で抱きあげると、その場から離れた。子猫は、梢の手の中でも暴れることなく、大人しくしていた。おそらく分かっていたのかもしれない。
犬がこちらに向かってきていないのを確認しつつ、自分の車に戻る為、足早に歩く梢は、前方に意識を向けていなかった。
「にゃん!!」
「?!」
子猫が警戒するような鳴き声を上げた。
その直後、横にあった車の陰から、灰色っぽい毛並みの犬が飛びかかってきた。
涎を撒き散らしながら、梢目掛けて飛びかかってくる犬を、梢は、身体を地面に転がすことでなんとか回避する。ゴロゴロと転がって、すぐに立ち上がれば、梢の居た場所に下りたった犬が「がるるる…」と唸り声をあげて、梢と子猫を威嚇する。
「【水】【凍る】【矢】!!」
咄嗟だった。
火では、向こう側で親猫と対峙する犬たちに気付かれてしまう。そう思った。同時に、今にも飛びかかってきそうな犬―――魔獣化して、普通の大型犬よりも1回り以上大きな体格を誇るそれに、頭が真っ白になる。その中で、頭に浮かんだ“言葉”を、梢は叫んだ。
梢の前に、無数の青い矢が生まれて、犬目掛けて飛んでいく。
梢は、身体から何かが一気に抜け出るような感覚に襲われて、その場に座り込む。力が入らないというか、倦怠感がどっと押し寄せる。
「ぎゃんっ!!」と、犬が悲鳴を上げた。
見れば、青い矢の幾つかが犬に当たり、そこから氷が広がっている。犬の足元にも当たらなかった矢が刺さり、氷が、犬の足を凍らせていく。
犬はもがくが、凍った足も身体も動かず、やがて、全身を覆っていくように広がっていった。最後には、目の前に氷漬けされた犬が出来上がる。
「…にゃあ…」
呆然とする梢に、腕の中の子猫が動き、梢の顎をぺろりと舐めて鳴いた。
その感触と声に、梢は、ハッとする。
視線を下ろせば、知性の光を宿した子猫の済んだ青の目と合い、梢は、ようやく呆然としていた自分に気付いた。
ふらふらと立ち上がる。
いろいろと考えることもあるし、倦怠感に身体が重いが、とりあえず、この場を一刻も離れることが先だ。周囲に警戒しながら、梢は、子猫を連れて、自分の車に辿り着く。
運転席に入ると、助手席の空いているスペースに子猫を下ろし、急いでエンジンを掛けた。
「にゃあん……」と、子猫が、後ろを見る。
おそらく、親猫のいる方向だと気付いたが、梢は、迷わずに車を出す。スピードを上げて、大型スーパーの駐車場から出ると、そのまま、来た道を戻るように車を走らせた。