迷えるウサギは鏡の中で独り彷徨う
「だったらぼくがお前のドレイになってやるよ」
ぼくが彼女の前でそう宣言したときに教室の空気が一変したことは、十代も半ばを過ぎた現在になってもこうして夢に見るほどよく憶えている。
当時のぼくは結婚の二文字を女の子の前で口にするのが気恥ずかしかったのか。もしくは許婚という言葉を間違って記憶していたんだろうな。
何が原因だったのかは忘れてしまったけど、掃除の時間が終わりみんなが帰った後の下校時刻になっても彼女は泣きやんでくれなかった。いつもだったら、ちょっとでも悪口を言うとすぐ道具箱から手当たり次第に物を投げつけてくるくせに。
気に入らなかった。普通の女の子らしい態度を見せたのが、無性に。
だから、そんな彼女を笑わせたくてぼくは意固地になっていた。別に先生からお願いされたわけでもないのに。
「どれい……?」
鼻をすすっていた女の子がやっと顔を上げて、そうたずねる。
女の子は何という名前だったか。ただ、いつもウサギの人形を持ち歩いていたから、転入してすぐの頃はみんなからうさぎちゃんと呼ばれて、ちやほやされていたっけな。もっとも、そんな特別扱いを受けていたのは最初だけだったけど。
「そしたらお前は寂しくもなんともなくなるじゃん。それじゃ嫌か?」
「ううん」
うさぎちゃんは即座に首を振った。でも、納得がいかない様子だった。
「イヤじゃない」
「契約成立だな」
なかば強引にぼくは右手を差し出す。
そういえばあの頃は契約という単語がお気に入りだったな。理由なんてとうに忘れてしまったけど、どうせ当時流行っていたドラマかアニメの影響にちがいない。
うさぎちゃんは差し出した手を思いつめた顔でじっと見ていた。頬を伝いかけた涙をごしごしと手の甲で拭って、もう一度鼻をすする。
それから、意を決したように頷いて――スカートから取り出したおもちゃの手錠をぼくの手首にかけた。そして、もう一方の輪っかを自分の手首にかける。彼女が腕を引っ込めようとすると体が彼女の側に引き寄せられた。目と鼻の先に彼女の顔が近づいて、生暖かい吐息が頬をくすぐった。息をひとつ吸うのにも緊張する。
彼女は真っ赤に泣き腫らした目をこちらに向けると、ぎこちなく口の端を持ち上げた。今にして思えば、あれは無理をしてぼくの調子に合わせてくれていたんだろう。
「ずっとつかまえててあげる」
けれどその時、間違いなく彼女の涙は止まっていた。
どれくらいの間そうしていたかは憶えていない。ただ、お腹の音が鳴り響いて、くすくすとどちらともなく笑い出したことはよく憶えている。
無性におかしくて。
もやもやとした気持ちなんかどうでもよくなってしまうくらいに。
その後、手錠のはずし方がわからなくて彼女の家までついていった気もする。それがぼくにできた唯一のささやかな抵抗だったんだろう。
結局、うさぎちゃんは冬休みを待たずして遠い町に転校してしまった。約束を置き去りにしたままで。
そしてぼくは、おれになった。