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世界はDLCのDをドレイと呼ぶんだぜ (4)

 終わった。

 おれの学園生活は一年も持たずして灰色どころかドドメ色確定だ。

 要するにトイレの個室にひきこもってまわりの音を気にしながら握り飯を食う以外に休まる場所のない、ある意味選ばれし戦士としての振る舞いを余儀なくされるのだ。


「やさぐれてますね、麻代様」

「誰のせいだと思ってんだ」

「あうあうあう……せめてもう少し優しく扱ってください」

「優しくされたいのなら相応の見返りを用意しろ」

「優しさに見返りをお求めになるとは! 世知辛いのは人間界も同じなんですねえ」


 悪夢のバレンタインデーから土日を挟んで三日経った。

 戦果は裕子からお情けでもらった義理チョコを含めれば二つ。女子から自発的に受け取った記録としては過去最高で、菓子売り場を通りかかるたびに菓子業界に対して陰謀論めいた呪詛じゅそを吐かずに済んだのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 しかし、それを補って余りある自責点が、口の中を後悔の苦味で満たしていく。


「せめて教室で召し上がればよろしいじゃないですか」

「うるせえ。お前におれの何がわかる」


 スマホの中で放言をかます異界生物おちこぼれに悪態をついたところで現状が変わるわけでもないが、こうして昼休みの間だけでも人気のない部室棟のトイレまで避難したのは結果的に正解だった。

 教室に漂う空気は普段と何ら変わるところがない。ないのだが、敷島のことが気になって試験に集中できやしなかった。おかげで徹夜で仕込んだカンニングペーパーが無用の長物ちょうぶつになってしまった。

 しまいには休み時間に敷島が友達と喋っている内容を想像するだけで胃はきりきりと痛み、苦味がこみ上げてくる始末だ。同じ部屋に設置された爆弾が爆発するまでに平静でいられる人間がいるのなら、是非とも切るべき導火線を教えてもらいたいものだ。

 自販機で買ったブラックコーヒーを飲み干し、蓋の閉まった便器から腰を上げる。予鈴が遠くから鳴り響いていた。


「あとはLHRだけか。だるいけど、説教を食らうのも嫌だし戻るか」

「ふぁいとですっ。ワタシは応援することしかできませんが、よりいっそうの幸が麻代様に訪れることをお祈りしてますゆえ」

「それをお前が言うか」


 こいつが実体化したら思いっきり口を横に引っ張っているところだ。

 睨みつけてやると、チッポはしれっと真顔で続ける。


「だって落ち込む理由がないじゃないですか。先日の活躍によって、麻代様の内側に眠っていた【被虐指数】が増加したでしょう。つまり、ワタシの仮説が正しかったことが証明できたのですよっ」


 と言って、画面上部にゲージを表示させた。創英角ポップ体で表示されたパーセンテージには、もはや悪意しか覚えない。おれがプライドをかなぐり捨てることによってゲージが溜まっていく仕組みらしい。最大まで溜まれば【カルマポイント】と変換して向こうの世界にアップロードを行える状態になる、とチッポは説明していた。


「それに、ARを通して世界を見たことによって、くるみ様に才能が眠っていることも判明しましたし」

「才能、ねえ」

「はっきり申し上げますが、現状でのあなたの環境は非常に恵まれています。だからもっとお喜びになりましょうよ、ね?」


 客観的な状況だけを考慮すれば、そうなんだろうな。

 でも。


「お前の言い分によれば、おれが甘えてるだけだと言いたげだな」

「指数を上げるには麻代様がほんの少しだけ頑張ればいいんですよっ」


 はいはい努力努力。


「それに私見を申しますと、くるみ様という方は誠心誠意で拝み倒せば『しょうがないなあ』と言いながら要求を呑んでくれるタイプかと思われます」

「人として最低の発言だなっ」


 まあこいつは人ではないが、それにしたって考えろよ限度を。


「少なくともくるみ様が心の奥底で誰かを支配したがっているということはデータが証明しています。ですから、麻代様がくるみ様の気持ちを考えて真摯しんしに向き合えたのなら、きっと良い主従関係を築ける。そんな風に思うのですよ、ワタシは。だから今は臥薪嘗胆の時なのです」

「気持ちを考えろと言われても、おれは敷島のことを何も知らないぞ」

「ひとつずつ知っていく楽しみができたと考えればいいじゃないですかっ」


 言いながら、ステッキで中空にハートマークを描いていく。ハートの下に一筆書きで傘が付け足された。

 傘の下、寄り添うように書かれた名前は『ましろ』と――


「……なんでお前なんだよ」

「ワタシも一つ屋根の下で暮らす身じゃないですか。【ナビゲーター】として最大限のポテンシャルを発揮するために麻代様のことをもっと深く知りたいと思うのは当然の欲求ですよねっ。えへへへ、色々と深いところまで……じゅるり」

「死ね」

「冷たいですよ麻代様!」

「お前に優しくする理由がないからな」

「うう……でも誰からも放置プレイされていた頃よりかまってもらえて嬉しく感じてしまう、そんな自分自身が悔しいですっ」


 水揚げされた魚のようにびくびくと震えだした気持ち悪いドット集合体はひとまずポケットに押し込んで見なかったことにする。今すぐにでも失せてくれるのなら世辞の一つくらいは手向けてやってもいいが。

 手を洗い外の空気を吸う。気が重いのには変わりないが、壁に囲まれた狭い空間で答えの出ない思考を袋小路に追いやるよりはいくぶんかマシに思えた。


「千鳥くん」


 と、何処からか名前を呼ぶ、遠慮がちな声。

 目を凝らす。

 所在なげに佇む敷島くるみ――ともう一人見覚えのない女子が、部室棟の柱に背を預けて立っていた。二年生だろうか、敷島より頭半分ほど背が高い。眼を閉じたまま、微動だにせず柱と同化している。

 待ちぶせていたのか?

 身構えていると、敷島が不安そうに女子を振り返る。こくりと自分に言い聞かせるようにうなずいて、話のできる距離まで近づいてきた。

 向かい合う。

 敷島はしきりに手袋を触っている。

 無限にも思える間合いの探りあいに、先に折れたのはおれだった。


「もうすぐ本鈴が鳴るぞ。こんなところをぶらついてていいのかよ」

「この前の話って、どういう意味だったんですか」

「は?」


 あまりにも直球すぎる切り出しに、表情筋が知らず引きつる。

 よくよく敷島の顔を見れば、前にも増して赤みが差しているような。


「だからその、私がお願いごとをしたら千鳥くんがなんでも従ってくれる……であってる?」


 語尾が消えていく。

 何か口にしなければ、爆弾はこの場であらゆるものを巻き添えにしながら破裂しそうな勢いだった。主におれの平穏な学園生活とか。


「そうだと言ったら」


 返事はない。

 だが、その永遠にも思える無言の間が何よりも雄弁に前向きな肯定を示していた。

 くすぐったいような、じれったいような。

 まるで夕暮れの屋上で一世一代の告白を受けるドラマかアニメの主人公みたいな気分だ。まともな告白なんてリアルでされたことがないから想像でしかないが。

 敷島の癖のない髪が北風に乱される。それが合図のように、彼女は口を開き、ぎこちなく頭を下げた。


「私でよければ、お願いします」


 一瞬、なにが起こったのかわからなかった。

 いいのか、本当に。

 てっきり断られるか、総スカンを食らうかの覚悟はしていたんだが。

 どうしてこんな頭のねじが丸ごと外れたような頼みごとを受け入れてくれたのか。理由を尋ねるにはお互いを知らなさすぎた。

 ――少なくともくるみ様が心の奥底で誰かを支配したがっているということはデータが証明しています。

 奴の言葉が脳裏で再生される。そんな都合のいい言葉を信じてしまっていいのか。すべては誰かの仕組んだドッキリで、おれだけが悲しいピエロみたく踊らされてるだけじゃないよな。


「そうか、わかった。助かったよ」


 だからそれだけを告げて、立ち去ろうとした。


「待って! ……ください。あの、チョコは食べてくれましたか」


 不安げに問う声。そういえば、礼を伝え忘れていたな。


「ああ。美味かった、ありがとう」

「ほんとに? よかった」


 一転、敷島は目を大きく見開いて顔を綻ばせる。すっかり肩の荷が下りた様子だ。


「もしかして、自分で作ったのか」

「私、実家がケーキ屋なんです。昔から両親の仕事を手伝いたくて、見よう見まねで作ってみました。ちょっと不安だったけど、千鳥くんがそう言ってくれるなら安心したよ」

「べつに、おれじゃなくても感想くらい聞けるんじゃないか」

「みんなお世辞しか言ってくれないですよ。千鳥くんなら包み隠さず本音を言ってくれるんじゃないかって。怖かったけど、意外と正直そうな人だと思ったから」


 そんな風に思われていたのか。自分で自分のことは意外とわからないもんだな。


「だから、私も自分に正直になりたいと思うんです。そのお手伝いをしてほしいって言ったら怒りますか?」


 子供のようにお伺いを立てる敷島に、知らず頬が緩む。互いにわからないことだらけで、暗闇の中で手探りあうのにも似たむず痒い応酬だが、敷島くるみという少女が誰かを騙せるタイプの人間じゃないということくらいはわかった。

 もし宣告どおり、クソみたいな運命を避けられず死ぬのだとしても、誰かの望みを叶えるために残された現在を生きるのも悪くないかもしれない。セーブデータも人間も死ぬときは一瞬だしな。


「あ、今笑った」


 敷島がくすくすとつられたように笑い、口元を押さえていた。

 おれは右手を差し出す。


「まあ短い間だが、よろしく頼む。困ったことがあったらなんでも言ってくれ」


 包みこむようにして、ごわごわとした手袋の感触が重なった。

 縛りつける手錠はないが、握る手には力強さがこもっていた。

 ――ずっとつかまえててあげる。

 まどろみの中で聞くいつかの少女の声が、アンサンブルのように重なった気がした。


「…………」


 ぞわり、と。

 粘度の高い視線を感じた。敷島の背後に目を向ける。柱に身をもたせかけたままだった上級生らしき女子が、鋭利な眼差しをこちらに向けていた。敵意にも殺意にも似た、冷ややかな色合いを帯びている。

 いったい何故?

 おれが何かしたか?

 と考えを巡らせる間もなく、敷島が口を開く。


「それじゃあ時間もないし、早速ひとつお願いしてもいいですか」

「? ああ」

「あのですね、タマちゃんの話を聞いてあげてください。千鳥くんに話したいことがあるらしいので」


 敷島は手を放すと、道を譲るために下がった。

 入れ替わるようにして、上級生(?)が進み出る。

 後ろで束ねた長い髪や、膝上まである黒のオーバーニーソックスが、彼女の上背やスタイルの良さを引き立てていた。

 正面に立つだけで圧迫感がある。無性に喉の渇きを覚えた。

 タマと呼ばれた女子は、頭から爪先まで舐めるように眺めると、ついと距離を詰めてきた。肩に置かれる手。髪をかき上げる仕草と、うさぎの顔を模したヘアピンがひどくミスマッチに思えた。

 引力のように顔が寄せられて、


「――――っ」


 キスされた。

 頬に、何の必然も根拠も因果も脈絡もなく。

 頭が真っ白になる。誰かの息を飲む気配と本鈴が遠い世界で鳴り響いていた。


「跪いて」


 女は、唇を離すと耳元でささやく。死亡宣告を思わせる甘く爛れた声音だった。


「聞こえなかった? 跪いて」


 有無を言わせない口調に、本能がけたたましいほどのビープ音を立てている。

 どうしてこうなった、と考える猶予さえ目の前の女は与えてくれない。

 膝が折れ、地面が近づく。女の真新しいローファーが目と鼻の先にあった。


「いい子ね」


 頭を撫でられる感触に全身が粟立つ。この場で撫で殺されるんじゃないかと思った。何か口にしようとしても歯の根が合わない。

 無条件の服従に気をよくしたのか、顔を上げると女が薄い唇を横に引く。それが微笑だと認識するまでに、いくばくかの時間を要した。


「約束を果たしに来たわ、千鳥麻代。これからあなたを一人前のドレイにしてあげる」


 灰空を埋め尽くす無数の雪粒は、やがて訪れる春を覆い隠すように降り続くらしかった。


【被虐指数一二%/残り期限二三日】

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