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モクバのご利用は計画的に(4)

 人、人、人。

 イベントスペースは大勢の人でごった返していた。遠目からでも熱気が伝わってくる。男たちの野太い掛け声と統制された動きが渾然一体となって、異様な空気を醸し出している。野外ステージからは馴染みのある音楽に合わせて、五人の少女たちが生声で歌い、整列して踊っているのが見えた。このクソ寒い中ノースリーブの衣装で、笑顔を絶やさない彼女たちのプロ根性には脱帽せざるを得ない。


『う~っ、はい! 恋は! ダメダメ!』


 まさか、今日イノガルのイベントをやっていたとはな。メンバーは何人か足りないようだが、例の英詞ラップ担当の子は……おっ、いたいた。

 ちょうど二番のサビが終わり、ダブステップ調のラップパートに差し掛かるところだ。


「沙耶音ちゃーん! 俺だー、結婚してくれーっ!」


 聞き覚えのある声援を飛ばしている男が最後方にいた。サイリウムをかざし、鉢巻きを締めて、じゃがいもじみた腹を揺らしている。田中よ、お前もいたのか。

 それにしても、と思う。

 隣に立つ葛城の顔を見やると、瞬きさえも忘れてしまったかのようにステージを見つめていた。もしかして、アイドルオタクだったのだろうか。まさかな。

 水を得た魚のように生き生きとした動きでラップをこなす一条いちじょう沙耶音は、初期メンバーではなく途中から加入したらしいが、残念ながらニワカのおれに詳しい経緯はわからない。自然に溶け込んでいるようにも見えるし、異彩を放っているように思えなくもない。

 やがてアンコールのパフォーマンスはつつがなく終わり、会場全体が盛大な拍手と声援で包まれた。


「今日はどうもありがとうございましたー! できればウサギさんにも来てほしかったけど、たぶん園内のどこかにいます。いるよね? 見かけたら写真にハッシュタグをつけて教えてくださいっ。では、引き続き楽しんでいってね~」


 挨拶を済ませると、彼女たちはステージを降りていった。集まっていた客が続々とスペースを後にしていく。


「葛城。お前、イノガルが見たかったのかよ」


 隣を見ると、奴の姿が忽然と消えうせていた。おい、勝手に連れてきておいてどこに消えやがったんだ、あいつは。


「お。千鳥っちも来てたのか」


 オタ仲間と握手を交わしていた田中はこちらに振り返ると、興奮冷めやらぬ表情でおれに話しかけてきた。


「こういうところで初めて見たんだけど、やっぱ生で見ると可愛さがダンチだね。沙耶音ちゃんのラップを聴けて耳が幸せだわ」

「たしかに生でも上手かったな」

「だしょ。ところで千鳥っちの推しメンって誰よ」


 うわ、話の長くなりそうなフラグがビンビンに立ってやがる。どうにか脱出しなくては。


「あのさ、じゃがいも。用事があるから行かなくちゃならねえんだ。一つだけ訊いてもいいか」

「どったの」

「ウサギさんってのは、着ぐるみのことか?」


 田中はしばし意表をつかれたように固まったが、すぐ元の表情に戻った。


「そういえば、鈴木が中の人をやってるって自慢げに話してたなあ。結構倍率が高いんだってさ、あのバイト。羨ましいよな、イノガルのメンバーから間接的に触ってもらえるなんてさ。なんかアクシデントがあったみたいだけど。千鳥っち、鈴木を探してるの? 手伝おうか」

「いや、それには及ばない。教えてくれてサンキューな。また学校で」


 狐につままれた表情の田中に見送られながら、おれはイベントスペースを後にした。

 アクシデントの元凶は、ほぼ間違いなく葛城だろうな。そこまでして現役のアイドルとお近づきになりたかったのかねえ。そんなわけないか。


「あーっ、こんなところにいた!」


 人目もはばからず、ぶしつけに指を差す女が前方にいた。奈良原海莉だ。無駄に面積の広いリボンは私服でも健在らしい。やっぱり、バスで見かけた二人組は見間違いじゃなかったんだな。


「あんたねえ。敷島さんをほっぽり出して何処ふらついてんのよ」


 その後ろから、先輩に連れられてとぼとぼと歩いてくる敷島の姿もあった。


「びっくりしたわよ。突然あんたの名前が放送で流れてきたから、代わりに迎えに行ってあげたのよ」

「悪かったよ。その……迷惑をかけたなら謝る。昼くらいなら奢るから」

「あら」


 海莉が眉を上げた。


「あんたにしては殊勝な態度じゃない。お姉、やったわ。お昼奢ってくれるって」

「チドりん。あまり自分を安売りするものじゃないよ。気持ちは嬉しいけどね」

「迷惑をかけたのは事実ですから」


 敷島が先輩の腕から離れて、こちらに近づいてきた。何も言わず隣に並び、うつむいたまま指をそっと掴む。


「その言葉を一番言わなければいけない相手がいるんじゃないかな、チドりんは」


 先輩が言うと、


「そうよ。あんたのダッサイ髪型を見ながら休日のお昼を棒に振るなんて、よくよく考えたら損失のほうが大きいわ」


 百八十度考えを翻しやがった。


「てめえ、髪型は関係ないだろ」

「ダサいからダサいと言ってるんだけど」

「人のワックスを笑うなっつってんだよ。このデカリボン」

「あ、あ、なんですって、このチビ男!?」


 やっぱこの女とは根本的に馬が合わない。疲れる。


「さ、行こう海莉。お互いの時間を削りあう行為は、真実への遠回りにしかならないよ」

「でも、言うに事欠いて、この男」

「うんうん。とりあえず落ち着こう」


 ぎゅっと姉が妹を抱擁し、妹の顔が羞恥に染まった。夢見がちの乙女のようなだらしない表情で先輩にしなだれかかりながら、姉妹は去っていく。

 後に残されるのは、握られた手から伝わる暖かさと、もどかしい空気。


「迷惑料、あまり高くないと助かるんだが」


 うつむいたままの敷島に話しかけると、しぶしぶといった具合で、結んでいた口を動かし始めた。


「心配、したんだからね」


 ただし、視線は合わせようとしてくれない。当たり前か。機嫌を直してもらうためにも、一刻も早くここから離れねば。また葛城に出くわさないとも限らないし。


「悪かった」

「もうはぐれたりしないでくださいね」

「命令か」

「命令です」


 敷島はようやく顔を上げ、腹の辺りを押さえた。ややあって、どちらからともなく腹の虫が鳴る。敷島の頬に赤みが差した。


「……行くか」


 これは財布の中を気にする必要がありそうだ。思ったよりも小さな手を握り返して、食事に向かった。隣接するアウトレットモールにて料理店を探す。なんちゃらのミネストローネが美味いと評判のレストランでやや遅めの昼食を摂り終える頃には、敷島の機嫌はすっかり直っていた。

 空腹は人から余裕を奪う。食べたい時に食べたい物を食べたい分だけ食べられることに感謝して、満足する。つい忘れがちになってしまうが、備えつけの紙ナプキンで口を拭く姿につられて、ふとそんな当たり前のことを思い出した。

 食後、アウトレットの中を軽く見てまわり、再び園内に戻る。定番のメリーゴーランドやコーヒーカップに乗ってから、どうしても行ってみたいと、敷島のたっての希望で、『リアル百合迷宮』なる期間限定アトラクションの前にやってくる。

 百合ということで、アトラクションの周辺には見事に女性客しかいない。いや、中から出てくるのは女装の男もかなりの数いる。すぐ近くには『レンタル衣装←必ずご返却ください!』の文字が。

 嫌な予感しかしない。


「さて、おれは外で待って」

「千鳥くん。百合は一人じゃできないですよ」


 邪気のない笑みで敷島。


「そもそもどういうアトラクションなんだよ、これは」

「脱出不可能な状況下で女性同士の絆を確かめ合うことが目的、って説明に書いてありますよ」

「男が入ったら台無しじゃないのか」

「えと、男性の場合も、女性を体験することで逆説的に男らしさを認識させ、脱構築させるのがねらいとか」


 意味わからん。つか脱構築言いたいだけだろ。


「私もむずかしいことはわからないよ。でも楽しそうじゃないですか」

「なんとも判断がつかねえな。……!」

「どうしたの?」

「いや――なんでもない」


 いた。

 背後に。

 褐色のうさぎの着ぐるみが、微動だにせずおれを見ていた。風船を子供たちに渡すフリこそしているが、意識はこちらに注がれている。首筋に冷たいものが伝う錯覚。


「千鳥くん?」

「並ぶぞ」


 葛城、いったい何のつもりだ。お前は何がしたいんだ。一人で勝手に抱え込んで、口をつぐんだままの奴が、どのツラ下げておれを守りたいというんだ。たしかにおれは、情けないことに一本も取ることはできなかった。だが、お前が対峙する敵は、そんなにも強大で、おれに迫る命のリミットよりも重くのしかかるものなのか。なんとか言えよ。

 くそ。せっかくの気分が台無しだ。

 絡みつくような視線から逃れたい一心で、おれは敷島の話に相槌を打ち、順番が回ってくるのを待った。

 スリットの深いチャイナドレスに着替え、建物の中に入る。ホラーというよりは謎解きの要素がウェイトを占めているらしい。係員の案内に従いながら、五つの部屋に仕掛けられた謎を解いて、脱出していく。手をつなぐ以外に、ほぼ百合要素が絡んでこなかったのは釈然としないが、雰囲気作り以外の意味はないんだろうな。深く考えたら負けだ。

 五つ目の部屋に入ると、ここまで通ってきた四つの部屋と同様、扉に鍵がかかった(たぶん効果音だけだろうが)。部屋の中は衝立ついたてで二つに区切られており、他のお客の姿はない。効率よくアトラクションを回す都合上、同じ仕掛けの部屋が複数用意されているんだろう。同じタイミングで入った客の声が、壁を隔てた別の場所から聞こえてくる。

 係員がおれたちの前に立ち、マイクを手にアナウンスを始めた。


「お待ちしておりましたわ、最後の部屋へようこそ。男性の方はこちらにいらしてください。ご準備はよろしいでしょうか。これからお二人には手分けして謎解きをしていただきます。部屋に散らばったヒントを組み合わせて制限時間以内にキーワードを完成させてください。そのキーワードをもとにお二人で答えを考えていただき、正解すれば見事クリアとなりますので、頑張って絆を深めてくださいね。それでは――スタート!」


 係員から説明を受けて、探索が始まる。一人で探さなければならない上に照明が薄暗いので、ヒントを見落としかねない。四つんばいになって、キーワードを探す。


「お客様」


 係員から声がかかった。もう制限時間が近いのだろうか。意外に焦るな、このゲーム。


「落としましたわ」


 小声で言われ、思わず顔を上げる。

 係員の女性が薄く微笑んで、スマートフォンを差し出してきた。間違いなく、おれのスマホだ。またしても落としてしまっていたらしい。ん? でも、着替えたときにそのまま服に入れておかなかっただろうか。


「あ、ああ、どうも」


 立ち上がり、礼を言って受け取るが、釈然としない。この顔、どこかで見たような。それも一度や二度ではない。限りなく遠く、接点がないのに身近に感じてしまう存在。

 そう、さっきもステージの上で――


「どうかされまして?」


 女性が不思議そうに首を傾げると、胸の辺りまで波打つ髪が誘うように揺れた。

 おれは慌てて首を振り、浮かんだ妄想を頭から追いやる。気まずさの漂う空気を誤魔化したくて、適当にお茶を濁すことにした。


「あんた――イノガルの一条沙耶音じゃないよな」

「あら」


 係員が口元に手を当てた。


「まあ、お世辞がお上手ですのね」

「はは……」


 上品な上目遣いを見せる女性に、ひきつった笑みを返すおれ。余計なことを言ってしまったと後悔しても、もう遅い。


「でしたら、お世辞のお礼にひとつヒントを差し上げますわ」

「ヒント?」


 特別サービスだろうか。沙耶音似の係員は人差し指をぴんと立ててみせると、作り物じみた表情を崩さないまま、詩篇の一節を詠み上げるように言った。


「――迷えるウサギは、鏡の中で独り彷徨う」


 そのまま、くるりと背を向けて、衝立の向こうに行ってしまった。

 脈絡のない謎掛け。意味深にみせかけた言葉の迷宮。結局、紐解けないまま制限時間を迎えて、おれたちはリアル百合迷宮を出た。着ぐるみの姿はもうなかった。


「あとちょっとでクリアできたのに、惜しかったね」

「……ああ」

「どうかしたんですか、千鳥くん。急にきょろきょろしちゃって」

「たしかに、惜しかったな」


 とてとてと小走りで寄ってきた敷島に生返事を寄越しつつ、横目で背後を見やる。

 ついてきている。

 葛城が一定の間隔を保ちながら、さりげなさを装って尾行している。


「そろそろ混みそうだし、観覧車に乗りませんか」

「もう結構並んでるっぽいしな」

「先輩たちも並んでるね」


 奈良原姉妹がこちらに気づいた。姉が小さく手を振り、妹は腕を組んでそっぽを向く。

 夕方に差し掛かり、曇り空が濃くなりそうな気配を漂わせはじめていた。今から並んで閉園時間までに間に合うかどうか。


「敷島、悪い。ちょっと荷物を見ておいてくれないか。すぐ戻るから」

「うん。じゃあ、並んでるね。行ってらっしゃい」


 腹を押さえて一言断ると、すぐに了承してくれた。嘘をつくのは気が引けるが、それ以上に我慢ならない案件を片付ける必要がある。

 行列の見えないところまで離れると、すっと近寄ってきた。お前は影か。


「お前、結局何がしたいんだよ」


 風船を受け取る振りをして、周りに聞こえないよう着ぐるみに話しかけた。近くのベンチに腰かける。


「……」

「教える気はないと。呆れたもんだ。そろそろ着ぐるみ返してやらないと、鈴木が凍死するんじゃねえか?」

「……」

「やっぱ、一本取らないと話にならないのかね。どんな巨悪と戦ってらっしゃるのか、おれには見当もつかないが、竹刀で守りきれるような相手だといいな」

「……」


 虚しい。

 何も反応がないんじゃ、壁に向かって独り言を話すのと同じだな。まだ壁のほうが最初から期待値ゼロの分だけマシか。

 どうして、葛城に対して腹を立てていたんだろう。

 どうして、葛城のことが気になっていたんだろう。

 どうして、葛城の不可解さをゆるせないんだろう。

 やめだ、やめ。

 勝手に期待して、勝手に振り回されて、勝手に苛立って、勝手に傷つくのは、もうごめんだ。

 過去の思い出に目を向けるよりも、残された現在をあがくほうがよほど健全で有益だ。

 ごっこ遊びで満足していられる年齢は過ぎてしまったんだ。互いに。

 捨てた欠片を拾い集めたって、おもちゃの手錠は復元されやしない。鎖なんて、はじめから存在していなかった。

 立ち上がり、肩を回す。


「さてと、敷島を待たせるとまたうるさそうだからな」


 じゃあな、うさぎちゃん。

 ――迷えるウサギは、鏡の中で独り彷徨う。


「開くから。もうすぐ、門が。だから、それまであなたを守りきらないと」


 風が吹いた。

 見栄を張らずにウニクロのフリースを着こむべきだと思った。

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