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モクバのご利用は計画的に(3)

 このあと滅茶苦茶散髪した。

 日曜の朝早くからアポなしで、いつもは前を通り過ぎていただけの美容室に特攻する。二~三分おきに「マジっすか!?」「パねえっす」「日本始まったっすね」と壊れたラジオのごとく合いの手を入れてくるしょうゆ顔の若い男店員に鋏を入れられること、ウン十分。

 サクセース(囁き)。

 決まった。

 少なくとも、初めて入店したからといって薄笑いで「似合ってますよ」と言われることもなかったし、服装もないなりに工夫してウニクロのインナーと気づかれないように努力したつもりだ。つもりだった。


「おはよう、ちど――」


 待ち合わせ場所のバスターミナルに現れた敷島は、おれの顔を見るなり、弾かれたように身体ごと背を向けやがった。そして、笑いをこらえながら背中を震わせる。今更他人面するつもりなのか、この野郎。

 笑いのツボに入ったらしく、声をかけても逆効果だ。笑いの波が収まるのを待つことにした。今のおれを撮影すれば、苦虫を噛み殺した表情とやらを間違いなく浮かべているはずだ。


「おい、敷島。人の顔を見るなり笑うとは失礼だと思わないか」

「だって、千鳥くんが千鳥くんじゃなくなってたから、不意打ち過ぎて。あ、駄目。まだこっち向かないでっ」

「てめ、ぶっこぉすぞ」

「怒らないでよ。似合ってないわけじゃないの。悪くないと思いますよ、私は、うん」


 じゃあ、その含み笑いはなんなんだ。くそ。心機一転しようと気合を入れてきたのに、のっけから負けた気分だ。結局、隣県にあるテーマパーク行きのバスに乗り込むまで、敷島は目を合わせようとしなかった。


「ところでだな」


 座席の埋まったバスが高速道路に差し掛かる頃、タロットカードをシャッフルしている敷島におれは小声で耳打ちする。


「なんでしょうか」


 と、敷島も耳に手を当ててやや身を寄せてくる。


「見覚えのある奴の姿が見えた気がしたんだが、気のせいかね」


 漂うシャンプーの香りに安心感を覚えながら、前方を指差した。


「気のせいじゃないかな。たぶん」

「だったらいいんだがな」


 奈良原姉妹くらいの背格好で同じ髪型の二人組なんて、そこらじゅうに転がってるよな。たとえオカルト姉妹が乗り込んでいたとしても、今日は休日。たまたま同じ日に、たまたま同じテーマパークに向かうことなんて、街中に遊ぶスポットの少ない県民なら当然の選択だ。偶然の一致くらいでいちいちおののいていたら、行き着く先は陰謀論者まっしぐらなわけで。


「というか、で、デートと言い出したのは千鳥くんのほうなんだから、その――」


 照れくさそうにどもる敷島を見て、思考を打ち切る。

 時間と天候の許す限り色んなアトラクションを回ろうとおれは提案した。久しぶりだから楽しみですと敷島も賛同してくれた。たとえ【カル魔界】からの命令がなくとも、数週間前までただのクラスメイトでしかなかった少女の喜ぶ顔を見たい。その気持ちに疑いはない。

 だから、一日くらい他の事を忘れたって罰は当たらないだろ。


「引いていいか」


 カードを指して訊ねると、どうぞとお墨付きをもらった。扇状に広げられた手札の中から、真ん中の一枚を引いてみる。

 足を交差させて、木の枝に寄りかかった男のイラストが油性タッチで描かれていた。


「見せて」


 造詣の深い奴なら思うところもあるんだろうが、おれにはさっぱりわからん。


「どうなんだ、今日の運勢は」

「あ、ほんとは最初に何を占いたいのかを決めなきゃいけないんだけど、略式ということでタロットの神様に許してもらいましょう」

「そんな適当でいいのか」

「何事も適当が一番ですよ。場所も考えてください」


 まあ、本人がそう言うんならそうなんだろう。

 タロットと睨めっこしながら、敷島は結果を訥々(とつとつ)と話し始めた。


「吊るされた男の逆位置、ですね。たしか正位置が、報われる試練・忍耐・自己犠牲などの意味があるので、その反対の意味。つまり、徒労・行き詰まり・骨折り損・利己的などのように解釈できるはずです」

「見事にネガティブな言葉ばかり並んでんな」


 吊るされてるくせに苦痛を感じてなさそうなこの男は、相当に変態ランクが高いな。こいつのどや顔を見ていると自己嫌悪に陥りそうだ。


「逆位置といっても、悪いほうに感情を囚われすぎなければいいんですよ。あくまで結果は結果なので。たとえば死神の場合は、逆位置のほうが再起の兆しを感じさせる結果になったりします。でも、一般的に死神ってあまり良いイメージが――」


 その後しばらく熱弁をふるっていたが、偉そうに語れるほど詳しくはないから話半分で聞き流してくださいと敷島は小さく笑い、バッグから菓子を取り出す。春限定の桜風味ポッチーをお裾分けで一本もらった。そしゃくしゃと咀嚼そしゃくする。


「なかなか美味いな」

「ですね。あ、そろそろ見えてきたみたい」


 車窓の外に目を向けると、湾を隔てた遥か前方に大観覧車が姿を現していた。バスは大橋を渡り、まもなく現地に到着するらしい。

 揺られることおよそ二時間弱。テーマパークに着いたときには幸いにして雪は降っていなかった。敷島の分の荷物も持ち、ぞろぞろとバスを下車する。オカルト姉妹と思わしき二人組は、すでにゲートへと歩きだしていた。

 おれたちも案内看板を頼りに、列に並びチケットを購入して入場する。

 アトラクションから聞こえる複数の絶叫や有線放送で流れる音楽、家族連れやカップルの群れに圧倒されそうになりながら、邪魔にならないところでパンフレットを広げた。人の流れを見つつ、次は何に乗ろうか相談する。

 なるべく意に沿うようにアトラクションを選び続けた結果、おれは志半ばにして早くも広場のベンチにへたりこんでいた。


「お前、タフすぎるだろ……」


 絶叫系アトラクションに免疫がないことをすっかり失念していた。昔、家族で来た時は身長制限のおかげで姉貴の魔の手から逃れたんだったな、そういえば。


「大丈夫ですか千鳥くん! なんだか十歳くらい老けこんでますよ」


 あまつさえ気遣われる始末だ。面目ない。


「大丈夫といえば、大丈夫なんだが……うっ」

「ごめんね、落ち物系は苦手って最初に言ってくれればよかったのに。じゃあ、休んだらお昼にしましょう。時間的に遅くなっちゃったけど。ね?」

「悪いな」


 やっぱり三半規管には勝てなかったよ。


「あんまり調子が悪いようだったら医務室に行ったほうがいいかもですね。えと、医務室はどこにあるんだろ」


 敷島の手が背中に当たる気配があった。さわさわとさすられる感触に、しばらく言葉を返すこともできないまま地面を見ることしかできない。

 すっ、と死角から忍び寄るように誰かが近づいてきた。

 全身がもふもふとした毛で覆われたぬいぐるみ? ああ、着ぐるみマスコットか。


「あ。係員の人が来てくれたみたいですよ。ほら、つらいかもだけど、頑張ってついていきましょう」


 隣から急かされて、吐き気をこらえながら視線を上げる。

 童話の世界から抜け出したような、褐色のウサギが佇んでいた。近くにいた客の様子がおかしいことに気づいて、わざわざ医務室に案内しようとしてくれているのだろうか。

 その割に、動きが機敏なよう――


「なっ!?」

「千鳥くん!」


 突然、手を掴まれたかと思うと、無理やり立ち上がらされた。手を引いたまま走り出そうとして、毛皮の材質のせいかするっとすっぽ抜ける。取り残されたおれだけが慣性の法則に従ってたたらを踏み、世界が揺れる。


「いきなり、なにをしや」


 図体のでかいウサギの着ぐるみは、抗議の余地を与えてくれなかった。


「ガッ」


 今度は横からがっしりと腕を組み、こちらの体調などおかまいなしで走り出す。うお、気持ち悪さがこみ上げてきそう。


「千鳥くんっ、係員さんっ、待って、待ってったら~」


 景色がぐんぐんと加速していく。

 それに比例するように、敷島の声も遥か後方へと置き去りにされていく。

 なんだこれ。

 新手のイベントなの?

 皮を剥がされたウサギたちによる人間への逆襲か?

 キドニーパイにされて食べられるの?

 つか、明らかにマスコット三原則に反してるだろ。あれ、ロボットだったっけ。まあ似たようなもんだ。

 周囲の客に奇異の目を向けられる。何度も足がもつれそうになりながら、ウサギは人気のない小屋の中に入っていった。というか、男子トイレだ。ためらいもなく一番奥の個室の扉を開けると、ドンと背中を押してきた。危うく便器につんのめるところだった。


「てめえ、いい加減にしろよ」


 さすがのおれも、これがアトラクションの一環ではないことに薄々気がついていた。まさかとは思うが。


「聞いてんのか、こんなところまで連れ込んで、ホモじゃ」

「静かにして」


 狭い個室の中に、着ぐるみが押し入ってくる。他の客が入ってきたらしい。というか、馴染みのある声が着ぐるみからくぐもって聞こえたような。

 密着しながら息をひそめること、数分。外の気配が消えると、どちらともなく息をついた。って、なんでおれが安心しなきゃなんねえんだよ。


「いい加減、暑苦しいから取れよ。葛城」


 被り物を外すと、そこには予想通りの女――髪を下ろし、顔中に汗をかいた葛城珠がこちらを見返してきた。しばし、無言のままで向かい合う。先に動いたのは、葛城だった。扉に手をかけようとするも、着ぐるみのせいで身動きが取れない。


「開けて」


 葛城は焦りながら言う。


「待てよ。どこに行くつもりなんだよ。そもそも、どういう状況なのか説明しろっての」

「この格好だと効率が悪いわ。隣に着替えがあるから」


 まったく噛み合っていない説明に、苛立ちは急上昇するばかりだ。


「着替えって、ここで着替えたのかよ」

「……」


 答えるつもりはないらしい。ともかく、こんなところにいつまでもいたら本気でまずい。

 葛城の体を奥に追いやり、おれが扉を開けて外に出た。半信半疑で隣の個室を開ける。


「げ」


 なんかいた。トランクス一丁で気絶している男の姿があった。鈴木だ。あいつ、遊園地でバイトしてたんだな。傍らに鈴木の物とは思えないトートバッグが置いてある。意外と軽い。葛城の持ち物だろうか。


「こっちに投げて」


 壁と天井の隙間から手だけが覗いていたので、そこから荷物を受け渡した。ややあって、鍵の閉まる音の後に衣擦れの音が聞こえてくる。

 気まずさと無数の疑問符を浮かべながら、おれは外に出て待つことにした。

 周囲にまだ敷島の姿はない。心配をかけてしまったから、今のうちに連絡しておくか。着ぐるみのことはどうやって説明しようか。まさか葛城に拉致されたなんて正直に言うわけにもいかない。余計な波紋を呼ぶだけになることくらいは、おれでもわかる。

 どう弁解すべきか考えていると、スピーカーから館内放送が流れてきた。


『迷子のお知らせです。○○県からお越しのチドリマシロさん、お友達がお待ちになっておりますので、至急インフォメーションセンターまでお越しください。繰り返します――』


 おい。

 明らかに連絡する順序を間違えてんぞ。しかも若干半笑いだったじゃねえかスタッフ。死にたい。いっそ死んだことにしてくれ。

 とりあえず、のこのことインフォメーションセンターに行くという選択肢だけはありえない。ありえては、ならない。

 おれはスマホを取り出す。迷惑メールが一件届いていたが、無視した。敷島からのメールや着信履歴はない。いくら気が動転したからといって、普通に考えて文明の利器を使わない理由がないだろう。

 早く電話に出てくれ、敷島。


『おかけになった電話番号は、電波の届かないところにいるか、電源が――』


 詰んだ。

 完全に、詰んだ。


『やだ。高校生にもなって、迷子って。しかも男』

『あっ……そういうプレイなんだ。ふーん』


 とか受付のお姉さんに内心蔑まれながら表面上はにこやかな笑みで見送られるんだろ。死にたい。


「遅くなった」


 私服に着替えた葛城がやってきた。遅かったぞ、色んな意味で。

 だが、奴はおれの心中などどこ吹く風で、言い放ちやがった。


「もう時間がないわ、急ぎましょう」

「急ぐってどこにだよ。今の放送、聞こえただろ、敷島のところに戻らないと」

「あの子では駄目」


 有無を言わせぬ調子で、葛城が言い切る。答えも待たずにおれの腕を掴むと、早足で歩き出しはじめた。


「だからさあ」

「これは忠告よ。あなたは私が守るから」

「わけがわかんねえ!」

「わかったところで結果は変わらないわ。理解することと、行動することの間には、絶望的な差がある。憶えておいて」

「詭弁だ」

「事実を述べているだけよ」


 いつにも増して謎めいた言葉を残して、あとは答える気がないというように葛城は口を閉ざしてしまった。

 いったい何だってんだ。

 こいつはいつだってそうだ。自分の中で勝手に完結して、他人を寄せつけようとしないくせに、結果だけを求めようとする。

 とうに時効の、約束とも呼べない糸を引きずったままで。

 ミラーハウスの前を通り過ぎ、迷いのない足取りで中央にあるイベントスペースへ向かっていった。

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