世界はDLCのDをドレイと呼ぶんだぜ (1)
今日がバレンタインデーの三日前だということに、答案用紙の束と格闘していた姉の裕子から言われてやっとおれは思い出した。
夕食後。シャワーを浴びてから、宿題もないのでリビングのソファに寝転んでスマホゲーをポチポチ遊んでいたときだ。
「って、あんたはもらえる当てもなかったか。せっかくホワイトバレンタインって趣で、雰囲気出そうなのに」
だぼだぼのジャージ姿の裕子が伸びをして、窓の外を見やる。
「どうせおれには縁のないイベントだよ」
つられて目を移すと、すでに予報通り、雪がちらつきはじめているようだった。
明日の朝には積もってそうだな。
「ふてくされるな。まだ三日あるでしょうが。ま、たまには“お姉ちゃん”があげてもいいけどね」
「毎日顔を突き合わせてんのにお情けでもらってもな」
「毎日顔を合わせてるからこそ日頃の感謝をこめて渡すものでしょうが」
「とか言って来月には四倍返しを要求するんだろ」
「バレたか」
舌を出してごまかしても可愛くないからな。年齢を考えろ。そんな心の声を察知したのか、裕子は肩を落としてみせると取り繕うように笑う。
「冗談よ、冗談。残念賞をもらいたくないなら頑張りなって。あんたならそのぼさぼさな髪を切ってサイズの合った服さえ着れば印象も悪くないし」
「……悪かったな」
と、手に持っていたスマホが長い周期で振動していることに気づいた。
発信者は――不明。
三十秒ほど放置していたら留守電に転送された。だが間髪入れずに再び着信する。何回か着信を繰り返して、それきりかかってこない。
いたずらだろうか。
裕子が作業の手を止めて胡乱げな視線を向けてくる。
「出なくてよかったの」
「知らない番号からかかってきてた」
「友達が機種変したとかじゃなくて?」
「誰がかけてきたのか心当たりがない」
「なにそれ。前にその番号を使ってた人がいわくつきだったんじゃないの。変えたら、番号」
「めんど」
どこの誰だか知らないが、知り合いならチャットで用は事足りるのでわざわざ電話をかけてくる理由がない。たった一人のために番号を変えるのも癪だ。
次にかけてきたら文句を言ってやろうかと待ちかまえていたら、ホーム画面に見慣れないアイコンが紛れこんでいるのを発見した。ビビッドな配色でよく目立つアイコンだ。
こんなアプリ、インストールしたっけ?
確認のために起動させてみる。
桜の花びらが舞い散る演出の後にタイトル画面が表示される。
危うくスマホを取り落としそうになった。
「あー、そろそろ風呂に入って寝るわ」
了解、と裕子があくびをかみ殺しながら生返事をよこす。つとめて冷静さを装っておれは自室に戻った。少しばかり早口になってしまったが動揺を見抜かれはしなかっただろうか。
深呼吸をして、もう一度画面を見直す。だが、見間違いではなかったようだ。
『男の子ぷらねっと ~おと♂ぷら~』
もちろんこんなアプリを落とした記憶はない。ましてやそっち系の趣味なんてあるはずもない。
ストアやネットで検索をかけてみる。だが、どういうわけかこのアプリに関する情報を一つも見つけられなかった。
なんだか薄気味が悪くなってきた。
ということで最終手段のアンインストールを試してみる。ところがこいつを終了して消そうとしても、一切の操作を受けつけてくれない。あろうことか固まってしまった。
「最悪だ……」
無駄に爽やかな笑顔を浮かべて整列する美少年たちの一枚絵を見せつけられても反応に困る。電源ボタンを長押しして再起動をはかるも依然として反応がない。
どうなってんだこれ。音楽も鳴りっぱなしだし。むかついたので画面を連打してみた。
「あいたっ」
……気のせいじゃないよな。何か聞こえた気がするんだが。
イヤホンジャックを外して、もう一度スクリーンを指で弾く。
「痛い、痛いですっ。何するんですか。せっかく万全の準備をしてお待ちしていたのに……ぐすん」
ドジで母性本能をくすぐるアニメ声の美少年か。最近の流行はよくわからねえな。わかりたくもないが。
「麻代様。千鳥麻代様。ワタシはここです。どうか“おいた”はやめてワタシをここから出してください」
は? どうしてこいつがおれの名前を読み上げてるんだ。進化しすぎだろ最近のソシャゲ。
「いさかいは何も生みださないのです。ワタシは逃げも隠れもしません。さあ麻代様、箱を開けてください。ただあなた様のお側で仕えたいだけのいたいけなお――」
放っておいたら夜通し喋り続けそうだ。チュートリアルにしては冗長な台詞を飛ばして、忽然と現れた箱を指示通りにタップしてやった。
すると、中から何かが這い出てきた。
予想に反して、深紅色を基調としたワンピースに身を包んだデフォルメサイズの女の子だった。いや、男の娘か。女児向けアニメに登場しそうなステッキを大事そうに抱えたそいつの衣装には飾りつけやフリルがふんだんに施されていて、作品全体としての統一感もクソもあったもんじゃない。
そいつは立ち上がり物珍しそうに辺りを見回すと正面に向き直った。
視線が合う。男の娘はパッと表情を明るくした。
それから何を思ったのか、こちらに向かって一目散に両手を広げて駆け寄ってきた。
「麻代さ――あいたっ」
そいつが頭を打ちつけるのと同期して携帯が震える。なるほど、どうやら強化ガラス越しに話しかけているという趣向らしい。
「いたいでふぅ……」
鼻血を垂らしながらのたうち回ってやがるので、鼻をつついてやった。
「泣きっ面にハッチポッチ!?」
状況に応じたリアクションまで用意しているとは想像以上に手が込んでいるな。音声認識機能にも対応しているのだろうか。
待てよ。音は外に漏れてないよな。姉弟で賃貸マンションに暮らす許可をもらった際に課せられた交換条件として、部屋の扉に鍵はかけられない。もし見られたら厄介だ。
扉を細く開けて部屋の外の様子をそっとうかがう。リビングの照明が消えている。裕子も自室に戻ったらしい。
というわけで、誰かから電話がかかってきた風を装うことにする。
「あー。あー本日は晴天なり」
「ふえ?」
早速反応があった。感度は良好だ。
滑舌が悪かったり、声量が小さすぎると人間の声と認識されないこともあるしな。なるべく口を開けて一音一音確かめながら発音しなければ。
「こ、コンバンハ」
恥ずかしい。
陳腐な表現だが顔から火が出そうだ。
誰かに見られたら余裕で死ねる。でも、飼い犬や飼い猫相手に自分の心情を吐きだしてる奴なんか世の中にごまんといるし、何も問題はないよな。もしくは動画投稿サイトで実況動画を配信している奴の心境か。おれには真似できないな。
「よ、ようやくお声をかけていただいた。こんばんは、というかはじめましてですよね。道中誰ともお話しできなくてチッポは寂しさのあまり孤独死してしまいそうでした。そうだ、どうしてお電話に出ていただけなかったのですか! 数多の死線をくぐり抜けてきたチッポといえども放置プレイは骨身に染みますよ。聞いてますか麻代様。麻代様?」
「うるさい黙れ」
「ひっ! ごめんなさいごめんなさいお気分を害してしまって。放置プレイ以外ならどんなお仕置きにも耐えて見せますからっ。やはり攻守揃ってこそ主従関係は成り立ちますからね」
さっきから騒がしいばかりか画面中を縦横無尽に動き回って鬱陶しくなってきた。プログラムにしてはレスポンスが良すぎないか。気のせいならいいんだが。
……試してみるか。
「かわいい」
「えっ、か、かわっ――チッポのことを可愛いと申されるのですか。えへ、えへへへ。鬼畜もいいですけどやはり根底には愛情が流れていないとですよね」
「死ね」
「はうっ。いきなりハラキリを命じられるとは。ええい、郷に入れば郷に従えですか。不肖チッポ、麻代様のためとあらばこの命を捧げても惜しくありません。さあ、ひと思いに腹をかっさばくワタシをどうかご笑覧くだ――」
「○すぞ」
「ふぁー!」
逃げた。だが画面の端でツインドリルの銀髪が小刻みに震えているので、存在自体が消えたわけではないようだ。
それにしても妙だな。禁止ワードくらい設定されていてもよさそうなものだが。
まあいいや。精神的に疲れたので寝よう。明日になれば電池も切れているだろうし。携帯を枕元に置き、服を脱いで洗い立ての寝間着に袖を通す。今の時期は着替えがしんどいな。
「麻代様の生着替え。めくるめく酒池肉林。……ちらっ」
鳥肌が立つのは寒いせいだろうか。
「いえいえ、お気になさらずお続けになってください。ちらっちらっ」
よこしまな視線を感じるような。
「わ、ワタクシめは何も見てませんことよおほほ。まかり間違っても麻代様の白い肌にときめいてしまったということはないですから。胸元のほくろも色気を引き立てるのに貢献している……って何をガン見しちゃってるんですかワタシ!」
下を履くのも忘れて携帯を引っ掴む。
男の娘アバターが両手を頬に添えてもじもじしていた。その気色悪い動きをタップして中断させると、奴は我に返って目を白黒させた。
「すみませんすみません、ワタシとしたことが久しぶりのご褒美に飢えてしまって。それで、何のご用です?」
おれは黙って人差し指と中指を立てた。
「ピースサインですか。平和っていいですよね。ではワタシも失礼して――」
立てた指を奴の両目に突き立てる。
「ご乱心、ご乱心でござるっ」
「お前、おれが見えてるな」
両目を抑えながらのたうち回るそいつに問いかける。
奴は潤んだ瞳で無実を訴えかけてきた。情に脆い奴が相手ならば通用した手段だろうが、あいにく三文芝居に付き合う義理はない。
引き出しからICレコーダーを取り出して、スイッチを入れる。裕子と口喧嘩になった際に勢いで購入した代物だが、まさか今更になって役立つとはな。
「一度しか言わない。お前は誰だ」
どういった原理かは知らないが、こいつがAIではなく『肉入り』の存在だとすれば遠隔操作している人物がいるはずだ。冗談にしては性質が悪いし、犯罪に巻き込むつもりなら悠長に構えていられない。
「場合によっては通報する。すぐにそこから失せれば許してやる。だが万が一おれだけでなく家族にも迷惑をかけてみろ。その時は」
「わー待ってください待ってください! あやしい者ではないですよワタシっ」
奴はちぎれそうなほどにぶんぶん首を振った。それからしおらしく正座をしてうな垂れてみせる。
「そいえば、ちゃんと自己紹介してなかったですね。すみません。なにぶん慌ただしく準備をしていたもので」
「名前は。何処に住んでいる」
「チッポはチッポといいます。場所はですね、なんといいますか遠くからやって来ました」
「ハンドルネームを聞いてんじゃねえよ。本名を言え、本名を。おれの本名を知ってたよな。どうやって調べたのか答えろ」
「はんどるねーむ?」
チッポと名乗った肉入りアバターが首を傾げる。化けの皮が剥がれたにもかかわらずカマトトぶるのは逆効果だと気づけ。
「おれのスマホにウイルスを仕込んだろ。言っておくがこの会話はICレコーダーで録音している。嘘をつけばつくだけ心証は悪くなるだろうな」
「ういるす? あいしーびーえむ?」
奴はあくまでもしらを切るつもりなのか、口を半開きにして手ごたえのない問答を続ける。暖簾に腕押しだ。まったくお話にならない。
「お前の目的は何だ。何を企んでる」
そう単刀直入に切り出すと、ようやく合点がいった様子で奴は両手を打ち合わせた。
「目的。そうでしたっ。それを初めにお伝えしなければと思っていたのです。ええと、ちょこっとお待ちくださいな」
勿体振って時間稼ぎをしているつもりなのか、肩にかけたポシェットから紙束を取り出すと、一枚一枚投げ捨てながら「あー」とか「うー」とか頭から白い煙を出して呻きはじめた。
やがて目当ての探し物を見つけたのか、めくる手を止めると安堵の息を漏らす。
だがそれも束の間のことで、奴は表情を引き締めた。
息を大きく吸い込むと、カンペを読み上げる政治家のごとく抑揚のない声でたどたどしく告げる。
「千鳥麻代様。突然ですが、あなたは今から三十日後に物質世界を発たなければなりません。すなわち、この世界で言うところの死を意味します。あなたには大切なお役目が言い渡されました。
ワタシたちの住む精神世界【カル魔界】にて国土防衛の尖兵となって戦うことです。ですが、ご安心ください。麻代様には死なずとも済む方法が残されています。それは――」
おれは見逃さなかった。
デフォルメアバターの燃えるように赤い瞳がひときわ妖しく輝いたことを。
「三十日以内に女の子から“指導”を施してもらうことです」