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二十四時間コウソクされますか(6)

 結果だけ、簡潔に書く。

 いや、混沌の支配したこの女子力みなぎる六畳間でスマホを取り出して、チッポに報告するための反省文を悠長に書き留める余裕なんてあるはずがなかった。


「だーかーらーね、ましろちゃんは駄目なんだよ。いったいどこに目がついてるんだ、ここか、ここにゃのか、うひゃひゃひゃ」


 数日ぶりに敷島と葛城が顔を合わせて向かった先は敷島の家だった。時刻は八時過ぎ。時間も時間だったので敷島を送り届けた後に、敷島父から夕食の誘いを受けた。ずっと断りつづけるのも逆に失礼かと思い、葛城と顔を見合わせて首を縦に振り、夕食をありがたくいただいた。ちなみにめちゃくちゃ美味かった。


「タマちゃんもいってやってよ~。雪がちっとも止まないのも、ナウキンソンが売り切れちゃってりゅのも、今日の授業で私ばっかり当てられたのも、全部全部ぜーんぶましろちゃんが悪いんだーって」


 それがどうしてこうなった。

 勢い余って敷島の部屋に押し込まれ、駄目な方向にテンションの振り切れた敷島から背中と膝頭を叩かれつづけるだけの、天国と地獄の同居した空間(あまり痛くないのが幸いだ)。おっさんからも「今回はイエローカードということで寛大に見逃すが、僕も一応親のはしくれだからね。男として、けじめはきっちりつけなきゃならんよ」などと娘の援護射撃に回られては、返す言葉などない。


「そうね。千鳥が悪い」


 ベッドに寝そべってファッション雑誌を読みふけっていた葛城が顔も上げず、興味なさそうに同調する。ここはお前の部屋かってくらいに馴染みすぎている。ちなみにこのやりとりはすでに何回も再現済みだ。


「ああ、もうわかったよ。勘違いしてたおれが悪い。それでいいだろ」


 さらに言うと、おれの謝罪もループしている。実際、葛城と敷島が仲たがいしているのではないかと邪推して勝手に突っ走り、二人の手を無理やり握手させたばかりか、互いの頭を下げさせたおれは、とんだ勘違い野郎なわけで。

 だから、二人から落ち度を責められるのは当然だ。なんだが。


「そうだよ。だいたいましろちゃんはね、隠し事が多すぎるんだよっ。あのねぇ、太陽がのぼたらひがしっ! 月がのぼたらにしっ! 日いずる国はニポンっ! シンプルイズベストなシンキングをスクリームしてくれなきゃ普通の女の子にはわかんないの。あゆおけ?」


 警察官の手信号のごとく、敷島が機敏な動きで腕を振った。ぴったりとくっついて寄りかかってくるので、腕や髪、その他諸々が当たりまくりだ。どうでもいいが、どうして酔った敷島が似非帰国子女の喋りなのかは敷島家七不思議のひとつに入れておこうと思う。

 ひとつ勘違いしないでほしいのは、べつに泡の出る麦茶を飲んだからではない。アルコール入りのチョコをあっという間に平らげてしまったことに、問題は端を発する。


「マジメに聞いてるんですか、お母さんの話が聞けないんですか、ましろくんっ」

「こんなデカい息子がいたら嫌だろ。ほら、そろそろ落ち着け敷島、な?」

「わらしは落ち着いてまひゅっ」


 言えてねえよ。しかも目が据わってるし。おまけに、ふらふらと頭が前後に揺れているし、顔も赤い。

 まさかとは思うが。

 あの親父、紅茶に白い粉を混ぜるだけでは飽き足らずに、度数の高いアルコールを混ぜ込んだじゃないだろうな。さすがに、それはないか。単に敷島が酔いやすい体質なんだろう。それにしてもはた迷惑な酔いかたではあるが。


「うぅ……暑い、暑いよ、ましろくん」


 そりゃ暖房が効いている上に、こんなに密着していればな。

 ごそごそ。


「おい――ッ」


「暑いの、汗かいたの、お風呂はいらなきゃ」

「待て敷島。ここは脱衣所じゃねえ。出てけ、今すぐここから出ていけ」

「なんで私の部屋なのに私が出て行かなきゃいけないんですか。それともいっしょに入りたいのかな。ましろくんのえっち」


 意味不明なことを言いながら現在進行形でセーターに手をかけ、たくしあげようとする敷島。


「おい葛城。助けてくれっ」


 暴れまわる細腕を力ずくでおさえながら、呑気にポッチーをかじる女に救援信号を送る。

 奴は一瞬だけこちらに視線を向けると、また雑誌に目を落としてしまった。気持ちはよくわかる。わかるが、少しくらいは助けてくれてもいいだろ、おい。


「はーなーしーてーよー。私は生まれ変わるの。きれいでぱーぺきな私に生まれ変わるの」

「しかるべき場所で転生しよう、な!」

「やだもん。私は生まれ変わるもん。誰にも邪魔させないか、ら……?」


 なおもよく聞き取れない言葉をもごもごとつぶやき続ける敷島を脇の下から抱えあげ、無理やり立ち上がらせる。

 前後不覚の状態で風呂場に連れて行って平気なのか心配になるが、こんなところで醜態を晒すよりはよほどマシだろ。少しは頭を冷やしてきてくれ。


「で、風呂場はどこにあるんだ」

「……おしっこするほう」


 半開きの目で指を差す敷島に従い、慎重に階段を降りて進んでいくと、たしかにバスルームにたどり着いた。「おしっこしてきます」などという不穏な宣言を敬礼とともに残して中に入っていくのを見届けてから、部屋に戻る。


「はぁぁ……疲れた」


 なおも葛城は同じ姿勢で雑誌を読んでいた。どんだけ集中して読みこんでるんだよ、こいつは。


「食べる?」


 葛城がポッチーの箱を差し出してきた。


「サンキュ」


 礼を言って、一本もらう。うんまい。やっぱり疲れた身体に甘い食べ物は欠かせないな。

 ぺらり、と頁をめくる音が耳につく。酔いどれの主がいなくなった途端に、部屋の中はがらんどうになってしまったみたいだった。

 スマホを取り出して時刻を確認する。十時半を回っていた。

 裕子に「今日は帰りが遅くなるから、夕食は明日の朝に食べる」とあらかじめ送っておいたから心配はいらないが、さすがに終電までには帰らないとまずい。

 なおも我が物顔で動物占いコーナーに目を通す葛城に声をかける。


「なあ、葛城はそろそろ帰らなくてもいいのか」

「そうね」

「門限とかあったら困るだろ。ちゃんと家族に連絡したか」

「そうね」

「聞いてるのか、お前」

「聞いてない」


 てめぇ、舐めてんのか。


「なにひとりで苛々してるのよ、みっともない」


 葛城がようやく顔を上げた。悪びれもせず、あくまで非はこちらにあるという顔で言ってのける。


「あのな、おれはお前を心配して――」

「私のことを心配する前に、あの子を心配しなくていいの」

「はあ?」

「出てるから、顔に。心配なんでしょう。いっしょに入ってあげたら」


 本気で言ってるのか、この女は。


「冗談よ」


 あきれたように葛城が長い前髪をかきあげ、息をつく。そして気だるそうに体を起こすと、こちらを見下ろしながら続けた。


「でも、心配なのは本当でしょう。私が様子を見に行くわ」

「お、おう」

「それとも三人で仲良く体を流しっこする?」

「ふざけろ」


 今度は冗談とも本気とも言わずに、葛城が部屋を出て行った。クラスメイトの女子の部屋に、一人取り残されるおれ。手持ち無沙汰のまま、辺りを見渡す。調度品のひとつひとつが男の殺風景な部屋とはちがった細やかな気配りに満ちている気がして、つい誰もいないのに恐縮してしまう。

 ふと、学習机と壁の隙間に白い何かが挟まっているのを見つけた。文庫本だろうか。勝手に触っては悪いと思ったが、手を伸ばして引っ張りだしてみる。

 タータンチェックの目立つ表紙に、取り付けられたビニールのカバー。小口の中心部分は黒ずみ、使い込まれた様子が見て取れる。裏返してみると、ご丁寧に名前まで油性ペンで書かれてあった。敷島らしく自分を主張しない、可愛らしい文字だ。


「麻代様、人様の日記帳を勝手に覗き見るのは感心しませんよ」


 タイミングを見計らっていたようにチッポが待ち受け画面に現れて、口をとがらせている。


「くるみ様のお気持ちをお知りになりたいのなら、直接お尋ねになるべきだとチッポは主張します。そういった卑怯な手口で誰かを知ったつもりになるのは、人として二流です」

「黙れ三流」

「はぐっ。しょ、笑止千万ですぞ麻代様。敏腕ナビゲーターことチッポが、そのような世迷い言で、ダメージを受けることがよもやあっ――ガハッ!」


 吐血すんな。つか、何キャラだよ。


「ふふっ、そんな悲しげな瞳でワタシを心配しなくてもいいのですよ。こんなこともあろうかと課金しておいた血のりに見せかけたケチャップ(税込み百八円)がこうして日の目を浴びているのですから、悔いはありませぬ。さあ、安らかに息を引き取るワタシをどうぞ優しくお看取りくださいませ」

「思ったより分厚いな、この日記帳」

「もはや見てもいない!」


 敷島の日記帳。何が書いてあるのか気になったが、元の場所に戻しておくことにした。


「千鳥」


 勢いよくドアが開く。葛城がわき目も振らず入り込んできて、おれの腕を引っ張ろうとする。


「な、なんだよ。何かトラブルでもあったのか」

「あの子が、お風呂の中で倒れた」

「どういうことだよ、ちゃんと説明しろ」


 手を振り払い、自分で立ち上がる。日記帳は――仕方ない、このままにしておこう。

 階段を下りながら葛城に説明を求めると、


「わからないわ。突然悲鳴をあげたきり、何も声が聞こえてこなくなったから」


 要領を得ない返答が戻ってきた。


「一緒に入ってたんじゃないのか」

「私は外で見張っていただけだから」


 要するにおれを警戒していたといいたいんだろう。そんなことをするような人間と思われているのなら、心外だ。

 現場に到着する。浴室の電気はつきっぱなしだ。

 葛城はおれを手で制して、人差し指を立てた。


「なにかいる」


 二人して脱衣所の物陰に身を潜め、バスルームに注意を向ける。

 シャワーの水音や洗濯機のモーター音に混じって、何かがガサゴソと動く物音が聞こえてきた。ときおり小さな、黒い影が擦りガラスを横切っていく。あるいはぶつかっていく。

 葛城の息を飲む気配が伝わってきた。彼女には珍しく、及び腰で身を縮ませているような気がする。


「ひとつ訊くが」

「なに」


 平静を装った口調で葛城が答えるが、かすかに震えていた。


「葛城って、苦手なものはあるか?」

「ないわ」


 即答だった。


「たとえば虫」

「ないって言ってるのが聞こえなかった?」


 しかも早口だ。これは戦力として期待できなさそうだ。


「わかった。おれはお前の言葉を信用する。だが、今は適材適所だ。オールマイティに物事をこなせる人間よりも、得意な奴が得意なことをこなすほうが世の中は効率よく回ると思わないか」


 葛城が咄嗟に口をつぐむ。効果は覿面てきめんのようだな。


「だから、葛城は敷島の服を持ってきてくれないか」


 脱衣かごに敷島の上着が見当たらないのを確かめてから、おれは葛城に指示を出す。たぶん想像するに、前後不覚な状態だったせいで着替えの用意を忘れて、洗濯機に服を詰めて洗ってしまったんだろう。姉貴もたまにやらかしてはリビングを下着姿でうろつきやがるからな。困ったものだ。

 葛城は頷き、盛大に頭をぶつけてから脱衣所を飛び出していった。

 しかし今は葛城の心配をしている場合ではなく、敷島の安否を確かめることが最優先だ。


「敷島、おい、大丈夫か!」


 擦りガラスを数度叩き、耳を押しつける。


「おれだ、千鳥だ。大丈夫だったら返事しろ、おいっ」


 だが、中からは何も返答はない。

 くそ。

 しかたない。もしも浴槽の中で溺れていたなんてことがあったら一大事だ。もう形振りかまってられない。おれは手近にあったバスタオルを手に取り、引き戸に手をかける。


「マジで入るぞ。入るからな。恨むなよ、敷島っ」


 目を閉じて、気持ちを落ち着けるために深呼吸する。そして、一息にスライドした。


「しきし――」


 頭の芯からくらくらしそうな香りの湯気が飛び込んでくる。もやが薄れると、桃色のタイルが見えてきた。一番奥に鎮座する浴槽に敷島の姿はない。

 ぴとり。

 生暖かで濡れたものがつま先に触れていた。だらりと伸びきった傷一つない手だ。ぴくりとも動かない。

 当たり前の話だが、敷島は手袋を着けていない。それどころか、桜色に染まった二の腕、なだらかなくびれの兆しを見せる腹、貝のように閉じられた脚――

 いや、駄目だ。直視するな。何を考えているんだおれは。

 仰向けの肢体にバスタオルをそそくさとかけ、意識して視線を外す。

 丸々と肥えた手のひらサイズの黒い物体が、手羽先じみた羽をバタつかせて動き回っていた。おそろしく目つきが悪い。


「チュン?」


 こいつ、どこかで見たな。ああ、すぐにピンと来た。


「あの時の使い魔か」

「千鳥、持ってきた」


 背後から葛城がやって来た。


「遅かったな、葛城」

「それで、もう退治してくれた……?」


 おっかなびっくりという調子で、遠巻きから声をかけてくる。


「チュン!」


 声に反応したのか、使い魔が突如浮き上がった。

 こちらにめがけて目にも止まらない速さで眼前に向かってくる――


「きゃあっ」


 葛城がかわいらしい悲鳴をあげ、尻餅をついた。使い魔は壁や天井など至るところにぶつかりながら、やがて、物音は遠くへ消えていった。

 代わりに、ドタドタと別の足音が近づいてくる。


「どうした、何かあったのか」


 血相を変えた敷島父が息を切らせて脱衣所に飛び込んできた。おれたちの姿を認めると、ばつが悪そうに頭をかいてみせる。


「あれ、お邪魔だったかな。どうやら若気の至りの最中だったようだね」

「ちがいます」


 若気の至りが何を指すかは知らないが、どうせこのおっさんは碌なことを考えてなさそうだ。おれは葛城に手を貸し、立ち上がらせる。


「葛城、もう平気だぞ。それで服はこれでいいか」


 傍らにあった手提げ袋を手に取り、持ち上げ――ようとするとガサリと音が鳴った。

 何かとてつもなく嫌な予感がして、中を検める。


『はかせるおむつ ~漏れても安心保証パック~』


「……葛城さんよ」

「な、なに。たぶんこの子の」

「アホか――――――――――――――――――――ッ!」


 こんなん戦慄わななくわ。むしろどこからこんな骨董品をピンポイントで見つけ出してきてんだ。ある意味才能だぞ。絶対あやかりたくないけど。


「少年よ」

「なんですか」


 敷島父が笑い皺を深くして、ぐっと親指を立ててみせた。


「穿かせてあげなさい」

「速やかに命を絶ってくださいお願いします」


 もうやだこの家。


「ぇ……お父さんに、千鳥くん。それにタマちゃんも。どうして」


 みじろぐ気配に、振り返る。

 バスタオルで前を抑えた敷島が身を起こしていた。

 信じられないものを見たように、目を見開いている。

 肩まで伸びた癖のない髪から、ぽたぽたとむきだしの肩に滴り落ちていく。

 それが合図のように、敷島は瞳に涙を溜めて、さめざめと泣き出していた。手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。


「あ――悪い、葛城。すぐ出るから。んで、すぐ帰ります」

「あ、ちょっと」


 どちらともつかない呼び止めを無視して、おれは脱衣所を後にした。

 最低だ、おれ。


【被虐指数四七%/残り期限一二日】

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