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二十四時間コウソクされますか(4)

 結果だけ、書き連ねる。

 敗北した。

 敗北した。完膚かんぷなきまでに。

 敗北した、敗北した、敗北した、敗北した、敗北した、敗北した、敗北した、敗北した。

 おれは、葛城からただの一本も取ることができなかった。

 昼休み終了五分前まで粘った。放課後のアルバイトが始まるまで稽古に付き合った。

 その翌日、いつもより早い時間に登校して剣道場で奴を待ち伏せた。そして昼休み。さらには放課後、場所を変えて中庭で日が暮れるまで打ち合った。無数の足跡で固くなった雪に何度も足を取られた。尻が、腰が、肩が、腕が、それぞれ好き勝手に分不相応な痛みを訴えている。

 というか本気でずきずきと痛む。

 手加減をしないという奴の宣言は伊達ではなかったようだ。

 ともかくおれは葛城に対して一度たりとも有効打を打ち込むことができなかった。

 渾身の(と思い込んでいた)ひと振りは、リーチの短い縦笛に弾かれ受け止められた。いや、受け止めてもらえたならまだいいほうで、空振りした隙を突かれるパターンがほとんどを占めていた。挙句には握力が落ちて竹刀を取り落とす始末だ。

 なんとも情けない。みっともないが、これが現実だ。


「ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいねっ」

「いつも親切にありがとうよ。また来るからね、くるみちゃん」


 悔しくないといえばもちろん嘘になる。

 だから、駅前の書店で剣道に関する書籍を読み漁った。目ぼしい何冊かをピックアップして購入し、授業中も隠れながら目を通した。基本すらなってない人間が読んだところで、果たして参考になる情報を見つけられるとは思っていなかったが、少しでも何らかのひらめきを得たかった。

 それから葛城に許可を貰って素振りしているところを録画させてもらった。今もおれの掌の中では凛とした表情で竹刀を振る葛城の姿が繰り返し再生されている。悔しいが、何度見返しても惚れ惚れする動きだ。不思議と気品や育ちのよささえも感じてしまう。


「いらっしゃいませ。ご注文はいかがいたしますか。こちらでお召し上がりに? かしこまりました。ましろちゃん、お客様一名様にお水をお出ししてくださーいっ」


 そもそも、ずぶの素人が短期間でにわか仕込みの知識を仕入れて経験者に勝とうという考えが甘かった。格ゲーで喩えるなら、右・下・斜め右下+弱パンチで発動するアッパーカット的な技を誤入力せずに出せる程度の実力で二週間以内にウ○ハラを倒すと言っているようなものだ。無謀なんてもんじゃない。ビギナーズラックが生じるのは運要素の強いゲームだけだ。いや、初心者の場合は訪れた幸運さえも幸運と認識できずに自ら牌を捨ててしまうのかもしれない。

 奇跡は訪れないから奇跡だという偉大な名言があるが、まさにその通りだと思う。

 もうおれには二週間しか残されていない。どれだけ手を尽くせば魔界行きを回避できるのかさえ、奴らの用意したまやかしの数値でしかわからない。

 奇跡なんて、あるのかよ。


「ましろちゃん」


 背中を強めに叩かれる。

 肩を怒らせた敷島がエプロン姿で仁王立ちしていた。


「仕事中だよ。いったい何をして遊んでいたのかな」


 油断した一瞬の隙をついて、横からスマホを抜き取られる。

 まずい。敷島に見られるといろいろと都合が悪くないか。特にあいつの存在は核爆弾級だ。なるべく動画が再生されている間に返してもらわなければ。


「ここに映ってるの、タマちゃんだよね。ましろちゃんはお客さんのいない間、ずっと見てたのかな」


 敷島は食い入るように画面を見つめている。心なしか、声の調子が平板に聞こえたのは気のせいだろうか。


「深い意味はないぞ。なんとなくファイルの整理をしてたらつい気になってな」


 実際のところ、チッポとともに作戦を練っている時間のほうが長かったが、まさか正直に告げるわけにもいかないので、もっともらしい釈明で茶を濁すことにした。


「綺麗だもんね、タマちゃん」

「そうだな」

「……はい、ありがとう。お待たせしたらいけないから、お客様に注文を伺ってくださいね。私はこっちで作業してますからっ」


 といって、レジに戻っていった。

 その様子は普段と変わるところがなかったが、なにか言葉では説明できない違和感があった。首を捻っても答えは導き出せそうにない。


「麻代様。くるみ様のおっしゃる通りですよ。お気持ちはわかりますが今は頭を切り換えてお仕事に集中しましょうっ」

「わーってるよ」


 毎度のごとく念を押すためにしゃしゃり出てきやがった奴に生返事を寄越して、お客さんのもとに向かった。

 それにしても、相変わらずメイド服の着心地には慣れないもんだ。

 いやいや、慣れてたまるものか。そこだけは譲っちゃならねえ。

 ええと、お客さんは窓際の二人がけのテーブルに腰を下ろしている女性客だけだな。


「お待たせいたしました。こちらお水になります」

「どうもありがとう」


 グラスを置き、なるべく自然な笑顔を心がける(散々敷島に絞られた成果だ)。


「ご注文がお決まりになりましたらお知らせくださ、い……?」

「うん、わかったよ。チドりん」


 おそるおそる顔を上げる。

 パステルカラーのニット帽に、色落ちしたデニムのジャケット。

 ラフな服装に身を包んだ奈良原陸先輩が微笑を浮かべて、こちらを見上げていた。


「どうしたのさ。そんなところで固まってたら店長さんに怒られるんじゃないのかい」


 普通にバレてる――

 待てよ。そもそもどうして陸先輩がこの店の存在を知ってるんだ。冷静になれ。店内が暑く感じるのは店長が何処からともなくおれの姿を見ているからだ。そうだ、そうにちがいない。


「お客様。失礼ですが、チドりんというのはどちらさまでしょうか。人違いではないですかね」

「今更しらばっくれなくても結構似合ってるから安心しなよ、チドりん。別に今時のお店じゃ女装も男装もありふれてるからね。私も二年生の時に学祭で『執事カフェ』の店員をやらされたよ」


 先輩ならさぞ違和感なく執事をこなしたことだろう。容易に想像が付く。

 ……じゃなくてだな。


「おれ、そんなに似合ってますかね」

「声はまあ仕方ないけど、黙っていたら赤の他人にはわからないんじゃないかな」


 なんだと。わりと本気でショックだ。


「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないか。べつに皮肉でそう言ってるわけじゃなくて褒めてるんだから」

「そうだよ」

「おわっ!」


 いつの間にか真後ろにむさ苦しい壁が立ちはだかってやがった。しかも無駄に距離が近い。ついでに鼻息も荒い。ほんと自由だなこの親父。


「いらっしゃい、陸君。ずいぶんと久しぶりじゃないか。妹さんは元気?」

「あはは、ご無沙汰してますおじさん。おかげさまでいつも通り元気ですよ。ほんとは海莉も連れてきたかったんですけどね」

「そうか、それは少し残念だ。そういえば陸君たちはもう卒業の時期じゃなかったっけ」

「私は明後日で卒業しますけど、海莉はまだですよ。双子でも学年がちがうので」

「そうだった、そうだったな。年を取るとどうも物覚えが悪くなってね。それじゃあ陸君、少し早いけど卒業おめでとう。あとで好きな商品を持ち帰ってくれていいよ。よかったらご家族で召し上がってください」

「わざわざありがとうございます。ではお言葉に甘えて。ところでおじさん」

「なんだい?」

「明後日の夜に、もしかしたらまた友達を連れて来るかもしれないですけど、いいですか」

「それはもちろん歓迎するよ。賑やかになっていい。なんだったら、貸切にしてもいいくらいだ。どうせ客も来ないしな、はっはっは」

「さすがにそれは」


 会話に花が咲くというのは、まさにこういう状態を指す言葉なんだろうか。

 先輩と敷島父の意外すぎる組み合わせに面食らいながらも、おれは一時撤退することにした。世間って広いようで狭いな。


「こらこら少年よ、どこに行くんだ」


 腰のリボンをむんずと掴まれた。


「僕が注文を聞くから、君は陸くんの相手を引き受けなさい」

「いいんですか」


 だから必要以上に顔を近づけて渋い声で囁くなっての。


「見たところ、知らない間柄でもなさそうじゃないか。それに、彼女のほうから君になにかを話したそうに見える。ただ注文を運ぶだけでなく、お客様のお話に真正面から耳を傾けるのもメイドの大切なお役目のひとつだ。覚えておきなさい」

「はあ、わかりました」


 敷島父は先輩から注文を聞くと、手を上げて颯爽とテーブルを離れていった。

 店長の目線だからこそ、見えるものもあるんだろうか。ともあれ、せっかく与えてくれた機会を無駄にしてはならない。


「ここ、いいですか」

「どうぞ」

「失礼します」


 許可をもらい、先輩の真向かいに腰を下ろす。

 そういえば、先輩と二人きりで会話なんて、初めて会った時以来ではないだろうか。


「飲むかい?」


 先輩が苦笑しながら、グラスを押し出す。無意識のうちに水の注がれたグラスに手が伸びそうになってしまった。


「すんません、そういうつもりじゃ」


 なにやってんだおれ。こんなんじゃ店員失格だぞ。


「あはは。しかしチドりんも大変だね。接客って結構気を使うでしょ」

「今のところはあまり忙しくないから楽っちゃ楽ですけど。ところで先輩はここの常連なんですか」


 訊ねると、先輩はあいまいに首を振った。


「うーん、常連というほど通いつめてるわけでもないかなあ。ただ、ここって近所だし、たまに来るとほっとするんだよね」

「先輩の家ってここから近いんですか」

「あれ、知らなかったっけ」


 先輩が意外そうに言う。水を一口含み、喉をうるおしてから口を開く。


「私たちとくるみちゃんは幼なじみに近い関係なんだ。といっても親同士が顔見知りなだけで一緒に遊んでいたわけじゃないから、幼なじみと呼んでいいかはわからないけどね」


 意外といえば意外だが、そうでもないと言われれば思わず納得してしまう。おれも小中と同じ顔ぶれだった地元の連中のことを幼なじみとは思えないし、似たようなものか。ましてや学年が違えばなおさらだ。


「そんなことよりさ、チドりん。私は君に確認したいことがあるんだよ」


 過去を回想していると、先輩が顔を近づけてきた。

 思わず仰け反りそうになりながら、確認したいことってなんですかと返す。

 すると、先輩はちらりと店の奥に視線を走らせてから、一段と声をひそめて耳打ちするように言う。


「ここ数週間なんだけど、何か発光体みたいなものを上空で見かけなかったかい」

「…………は?」


 虚を突かれた気分だ。

 さすがはオカルト同好会の部長。卒業を控えた時期まで精力的に活動を続けるとは、よほど超常現象の類が好きなんだろう。ある意味で感心する。

 先輩は大真面目な顔で、ひそひそと話を続ける。


「私の杞憂ならいいけどね。どうも最近、学校近隣で謎の光を見たという目撃証言が相次いでるんだ。詳しい話を聞いても、みんな言うことがバラバラだから、どう判断したものか迷っててね」

「はあ」

「どうだろう。チドりんは何かそれらしきものを見てない? ささいなことでいいんだ。何かきっかけが掴めれば新しい事実が浮かび上がってくるかもしれない。よかったら教えてくれないかな」


 さらに上体を寄せて、念を押してくる。

 いけないこととわかりつつ、色素の薄い唇につい目がいってしまう。ついでに前屈みになったおかげで、普段はブレザー越しにしかわからない、細身のわりに起伏のある丘陵地帯が形を変えて強調されてやがるわけで。

 ああ、なんというか無防備すぎるぞ、先輩。一連の出来事がなかったら、勘違いして惚れてしまった可能性大だ。もっとも、親密な関係を築く前に海莉の妨害工作が過熱することは火を見るよりも明らかだけどな。さらばおれの夢物語。


「お待たせしました」


 縮まった距離を引きはがすように、敷島が注文の品を運んできた。


「こちらご注文のマーマレードパンケーキとアッサムティーになります」


 やや乱暴な動作でトレイを置くと、「ごゆっくりどうぞ」と感情のこもったもてなしの言葉とともに伝票を何故かおれのほうに叩きつける。ぷりぷりと肩を怒らせながら大股で去っていった。


「モテモテじゃないか、チドりん」

「どこがですか」


 含み笑いを漏らしながらフォークとナイフを手にする先輩に、おれは顔をしかめた。さすがに納得いかねえぞ、この扱いは。


「別にからかってるつもりじゃないよ」


 パンケーキを切り分けて口に運び、満足げに頷いてみせてから先輩は再び話し始めた。


「実際、君はあのポニテの子と何かありそうな素振りを見せておきながら、くるみちゃんの前で突然土下座じみた告白をしてみせたり、ちょっかいをかけてるじゃないか」

「ちょっかいをかけてるわけじゃ」

「あくまで私の目からはそう見えるってだけだよ。気分を害したならごめんね。はら、私はあいまいなことがあると首を突っ込みたがる性質だからさ。『世の中に意味のないものなんてない』って、祖父の言いつけでね」


 言うと、ティーカップを包み込みながら持ち、目を閉じて一口啜った。あちち、と小さく漏らし、困ったようにはにかむ。

 そんな先輩の姿を見ていると、とがめる気分も失せてしまった。この人には相手の気持ちをやわらげる効果でもついているんじゃないかと疑いたくもなる。

 とはいえ、いつまでも仕事を放り出して先輩とのぬるま湯空間に浸っていてはいけないのもまた事実だ。


「じゃあ、先輩。そろそろおれ仕事に戻りますんで」


 腰を浮かせようとすると、呼び止められた。


「あ。発光現象の件だけど、チドりんは結局なにも見てないんだね」

「お役に立てなくてすみませんけど、身の回りで異変はなかったですね」


 手のひらの中では異変どころか災厄が我が物顔で、今も身の安全を刻一刻と脅かしているが、あいつとは無関係だろう。よしんば関係があったとしても、謎の光によって実害を受けていない以上、気にしすぎてもしょうがない。

 先輩は「そっか」と残念そうに言い、また悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「お仕事がんばってね。なんにしても、くるみちゃんやポニテの子を泣かせたら絶対に駄目だよ? 心に決めた女の子からよそ見するのは罪だからね。いつか積もりに積もったツケを清算しなければならなくなったときに、君が今日よりも幸せであることを私は心から願ってるよ」

「明るい顔で恐いことを言わんといてください」


 ただでさえカウンターから物言いたげな視線が突き刺さってくるというのに、先輩はあくまでマイペースを崩さない。絶対からかってるだろ、この人。

 いずれにしても敷島に誤解を与えたのなら、面と向かってありのままを話して解かないとまずいよな。言われるまでもなく。

 おれは先輩のもとを離れ、営業時間が終わるまで機会を待つことにした。

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