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二十四時間コウソクされますか(2)

 予定は未定にして、決定にあらず。

 今日という日は昨日と変わらず、明日も今日と変わることはない。

 だが、じっと目を凝らせば、小さな変化は無数に散りばめられている。ただ、そのことに気づくかどうかのちがいだけだ。土中に植えられた種子がやがて養分を吸い、芽を出し、根を張り、葉を広げ、花を開かせ、種を宿して朽ちていく様がどれひとつとして同じではないように、日々の暮らしも同じではいられない。

 つまり。


「使用禁止?」

「そ。最近は()()()が無断で空き教室に侵入するから生活指導の高畑先生が鍵をかけたのよ」


 得意げに鼻を鳴らして、奈良原海莉がしっしっと野良犬を追い払うように手を振った。


「そうなんですか……しょんぼり」


 弁当箱の包みを大事そうに抱えた敷島が、肩を落とす。


「年度末とはいっても、風紀の乱れを引き締めたいっていう学校側の賢明な決断でしょうね。さ、敷島さん。こんな誰に何をされるかわからないような人気ひとけのない場所で暗い顔をしながらお昼を過ごすより、暖かい教室でクラスの子たちと仲良く食べましょ?」

「あ……でも」


 ちらりとこちらを振り返る。


「いい。敷島さんはね、騙されてるのよ」

「え?」

「一生消えない傷をつけられてからじゃ遅いの。これはあたしからの先輩としての老婆心。まあ、どうしてもっていうなら止めないけど」


 思いっきり引き止めてんじゃねえか。

 まるでおれがいないこと前提で話を進めてやがるが、時折横目で浴びせる視線は氷点下の冷たさだ。陸先輩がいればこの女の刺々しい態度も多少は緩和されるのだが、今日に限って双子の姉の姿はどこにも見あたらない。もっとも、何処かの物陰に潜んで決定的瞬間の撮影を虎視眈々(こしたんたん)と狙っている可能性は否定できないが。

 そして、いないといえば――もう一人。


「わかりました。私のせいで先輩方にもご迷惑をおかけしてすみませんでした。失礼しますっ」


 敷島は大げさに頭を下げると、わき目も振らず渡り廊下を走り去っていく。きゅっきゅっと上履きの鳴る音があっという間に遠ざかっていった。あいつ、あんなに足が速かったんだな。

 って、感心してる場合じゃないな。あの糞ナビになんてどやされるかわかったもんじゃない。


「何処に行くのよ、野良犬」


 首根っこを掴まれた。

 言うまでもなく、態度もリボンもでかいツンデレ大先輩様のありがたいお引きとめだ。

 大先輩様は心の底から不愉快そうに口をへの字に曲げると、吐き捨てるように言った。


「あのね。あんたにはやってもらうことがあるのよ。鼻の下を伸ばして女の子と親交を深めるのは結構だけどね」


 デレ成分が微塵も感じられない奴をツンデレと呼んでいいのかは、いささか疑問が残るが。

 手を払いのけ、海莉と向かい合う。くそ、ブレザーの生地が伸びたらきっちり弁償してもらうからな。


「で、やってもらうことってのは」


 できる限り面倒な用件でないことを祈りたい。

 海莉は人を呼び止めておきながら、何故か周囲をきょろきょろと見回した。二つ結びの髪が揺れて、鬱陶しさも倍増ってなもんだ。


「今日はいないのね」

「いないって、誰が」

「ほら、あの、あんたに……き、き、き」

「?」

「あんたにキスした女よ。恥ずかしいこと言わせないでよっ」

「耳元で大声出さなくても、聞こえてるっつの」


 同じフロアに誰かいたら、修羅場と勘違いされそうな会話だ。

 海莉も気がついたのか、頬を羞恥に染め、声を落とす。


「で、その……か、かんなぎ」

「葛城な」

「葛城さんのことを、ちゃんと見てなさいって」

「おれが、葛城を?」

「あたしは知らないわよ。お姉からそう言われただけだから」

「先輩は今、何処にいるんだよ」

「さあ。お姉はお姉で何か調べたいことがあるとかでどっか行――っていうか、知ってどうするわけ」


 途端に海莉の顔が険しくなった。相変わらず姉妹の異常な愛情は他者につけいる隙を与えないらしい。半径五メートル以内に近づこうものなら、リボンが高速回転したあげく切り刻まれること請け合いだ。


「あんた、なんか失礼なことを考えてる顔ね」


 呆れ顔を浮かべる海莉に、咳払いをひとつ。


「とりあえず肝心要の張本人がいないわけだが。おれも飯を食べてきていいか」

「ま、待ちなさいよ。葛城さんとは待ち合わせをしているんじゃなくて? もしここに現れたらどうするのよ。置いてけぼりにするつもり?」


 ていよくこの場を離れようとすると、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。敷島が犬なら、こいつは狂犬だな。家の前を通りかかるたびに鼻先を柵から突き出して、狂ったように吠えつけてくるやつ。ちょうどあんなイメージだ。


「べつに、待ち合わせなんかしてねえよ」


 葛城珠という女子は、気づけば自然に溶け込んでいる。

 とくに約束を交わしたわけでもないが、葛城がいる風景に慣れてしまったのかもしれない。たしかに再会は唐突すぎたし、基本的に何を考えているのかわかりにくい人間ではある。しかし、そういう危うげな態度や言動こそが葛城を放っておけない理由だ。死ぬまでに訊いてみたいこともあるし。どういうつもりか知らないが、先輩に命令されるまでもない。


「というか、こんなところに引き止められて葛城を待ちぼうけしてたら、おれは先輩と二人きりで昼食を食べる羽目になるんだが、いいのか」

「いいわけあるかっ。誰があんたなんかと一緒にご飯を食べなきゃいけないのよ。ふざけてるの」

「なら、利害は一致してるな。そーゆーわけだから」


 三十六計逃げるに如かず。しゅたっと手を挙げて、退散することにした。

 こんなところにいたっておれのカルマは浄化されない。「待てってば~!」としつこく追いかけてくる妖怪リボン女を振り切って、靴を履き替えた。正面玄関から出て、体育館を目指す。

 体育館の中には剣道場や新体操部の練習場と併設して、畳敷きの茶道部室がある。

 もしかしたらという期待感があった。


「どちらへ向かうおつもりですか」


 案の定、チッポが刺々しい言葉をぶつけてくる。昨日の夜からずっとへそを曲げたままだ。ったく、異界生物のくせに根に持ちすぎなんだよ。


「心配するな。多少計画が狂っただけだ」


 確証はないが、敷島は教室に戻っていない気がする。

 教室を出る際には、おれたちは注意深く気配を消してばらばらに脱出し、偶然をよそおって合流した。そこまで念を入れてクラスの連中から気取られないようにしているのに、むざむざと大き目の弁当箱を持ったままとんぼ返りをしてしまったら、どんな邪推が飛び交うかわからない。

 ましてや、雪の降りしきる中庭で昼食を摂るなんて正気の沙汰じゃない。食べ終わる前に凍え死にたいのでなければ。


「そだといいですね。まあ、おサボりになっても、最終的に嫌な思いをするのはワタシではないからどうでもいいですけどね」


 つーん、と声に出してあからさまに顔を背けてみせた。


「いい加減に機嫌を直せよ」


 なだめようと何度か話しかけてやっても、


「べつに怒ってないですよ。麻代様のお気持ちに余裕がないからそういう風に見えるだけでは。他人は自分を映す鏡って言いますしね」


 この有り様だ。取りつく島もない。

 口で言って駄目なら、もう行動で実践するしかないな。


「なあ、チッポ。ちょっと真っ直ぐ立ってみろ」

「なんでです?」 


 不満げに口をとがらせながらも、素直に従う意思はあるようだ。


「いいから。こっちを向いて、な」

「わかりました」


 気をつけの姿勢のまま仏頂面を崩さないチッポに、笑いかけてやる。そんな身構えなくたって笑顔が気持ち悪いのは自覚している。普段あまり使わない顔の筋肉を意識して使えば、あちこちに負荷がかかるんだよ。

 おれは表情筋を引きつらせたまま人差し指と中指を立てた。


「ど、どうされたので――」


 立てた指を胸の先っぽに当て、つんつんする。


「ぴゃっ!」


 つんつん、つんつん。ひたすらつんつんする。

 でれでれするまでつんつんしてやる。

 人として大事な何かを現在進行形で失っている気がするが、今更そんな小さなことは気にしちゃいられねえ。笑え。笑えよチッポ。


「や、ふふっ、やめっ――――ぴゃあああぁぁ……」


 さて、体育館に到着した。

 昼休みだけあって、人気がない。と思いきや、二階のバスケコートの周辺では数人の不良っぽい男子が制服姿のままではしゃいでいた。たぶん上級生だろう。気づかれないようそっと鉄扉を閉めて、その場を後にする。

 やっぱり、いるとしたら茶道部室か。正直、部室周辺から発される独特の厳かな空気が苦手だ。無言の圧力というべきか、顧問の女性教師は老齢ながら眼力を失っていない。少しでも館内で規律を乱せば、どこからともなく現れておれたちに無言の圧力をかけるのだ。おかげで、彼女が体育を受け持ったクラスは誰も授業中に私語を発さないともっぱらの噂だ。

 両頬を叩き、気合を入れる。

 何もやましいことをするわけじゃないんだ。顔だけでも見られるならそれに越したことはない。軟弱な感情をつばとともに無理やり飲み込んで、引き戸を数回叩く。


「失礼します」


 一息に開け、三和土たたきから中の様子をうかがう。


「一年の千鳥です。敷島……さんはいますか」


 だが、予想に反して、何の反応も返ってこなかった。施錠していないのは無用心だと思うが、本当に誰もいないのか? 電気も点いたままだし。

 じっと耳を澄ませても、やはり無音が室内を支配していた。当てが外れたか。

 その時、はかったかのように携帯が振動する。チッポか? ちょっとは空気を読めよ。


『タマちゃんのところに行ってあげてください。たぶん体育館います私はちょっと用事を思いだしたあるので』


 敷島からのメールだった。よほど急いで打ったのか、怪しげな中国人風の文体になっている。それはともかく、葛城は体育館にいるのか。葛城の行方も気になっていたが、どうしたものか。

 まだ見回っていないのは剣道場と練習場か。せっかく近くにいることだし、一応確かめてみるか。結果的に海莉の命令に従わされているのは癪だがな。

 部室を出て、赤い絨毯じゅうたんでも敷けば似合いそうな大階段を回りこみ、暗い通路を奥に進む。左右に剣道場と練習場は分かれている。

 と、床を踏み鳴らす音がかすかに聞こえてきた。剣道場の方だろうか。隙間から明かりが漏れている。


「ふっ! やあっ!」


 いた。

 一心不乱に竹刀を振る葛城の姿があった。ただし、剣道着は身につけずに学内指定のジャージ姿だ。彼女は一人虚空に向かって素振りを続けている。正式な型なんておれにはわからないが、流麗な竹刀(さば)きは見る者を惹きつける力に満ちていた。


「はっ! せいっ!」


 一太刀、二の太刀。

 振り下ろされるたびに風切り音が鳴る。葛城の息づかいが間近に迫ってくる錯覚にとらわれる。見えない相手を圧倒する気迫が、葛城の佇まいから、指先から、足捌きから、激しく揺れる後ろ髪から痛いほどに伝わってきた。

 声をかけるべきかどうか、迷う。

 他に誰もいない剣道場の中で竹刀を振り続ける葛城珠の姿は、彼女の気高い精神を体現しているようでもあった。その新雪じみた気高さを、おれという無粋な存在で踏み汚してしまってはいけないのではないか。そんな罪悪感が胸の裡を去来する。

 ――けれど、同時に。


「よう。こんなところにいたんだな」


 今の葛城を一人きりにしては、いけない気がした。

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