二十四時間コウソクされますか(1)
筐体の向かい側で田中の操作する筋肉ダルマキャラの必殺技が、雄叫びとともに炸裂した。
「お前ッ! それをッ! リア充って言うんだよこんちくしょ――――ッ」
GAME OVERとコイン投入を催促するカウントダウンが画面一杯に表示される。もう何度目の敗北を喫したのか。数えるのも面倒になってきた。
おれは黙って座り心地の悪い丸椅子から立ち上がる。
「逃げんのか千鳥」
「お前が強いのは十分わかったから。飲み物、何がいいんだ」
「くそっ、くっそ。これが勝ち組の余裕かよぉ。見損なったぞ。お前だけは同盟から抜け駆けしないと信じていたのにさ」
田中がじゃがいもじみた腹を揺らし、アーケード台に行き場のない怒りを叩きつける。だが近くにいたにわとり頭の不良に血走った形相で凄まれると、ひいっと情けない声を上げた。そんな光景を尻目に、自販機までジュースを買いに向かう。何故か、鈴木までついてきた。
「鈴木も二回勝ったな。炭酸でいいか?」
「お前、変わったよな」
しみじみと呟く声に、思わず振り返った。茶化す意図があるわけではなさそうだった。
「以前までの千鳥だったら、負けても絶対奢ってくれなかっただろ」
「絶対ってことはないだろ」
大体の場合においてとんずらしたことは否定できないが。
「やっぱり噂は本当だったんだな」
「噂ってなんだよ」
「いや、お前の付き合いが悪くなってから、校内で女子二人を侍らせているって話。しかもあの真面目そうな敷島さんを篭絡したって」
「侍らせているだあ?」
「え、じゃあ真剣に二股かけてんの? そのうち刺されるぜ?」
「かけてねえから」
どうやら人の噂を見くびりすぎていたようだな。そりゃ終日学校という名の閉鎖空間に押し込められていれば、周囲の“面白そうな出来事”に敏感になるのが至極当然の成り行きか。いくら秘密を押し通そうとしても“面白そうセンサー”から身を隠すにはあまりにも遮蔽物が足りなさすぎる。
リア充を極めると、人脈という名の壁が、健全で節度ある人付き合いを守ってくれるんだろうがな。壁の薄い家の住人ほどヤマアラシのように尖って生きないと、いずれ壁に押しつぶされちまうんだ。
鈴木は最近のおれを見て「変わった」と評したが、おれの本質は何も変わっちゃいない。みっともなく生きる道を模索した結果、隙あらば都合よく葛城珠と敷島くるみの尻に敷かれようとしている愚かな人間だ。
「一億円やるから明日死ね」と宣告されて何の躊躇もなく一億円を受け取れる奴は、よほど現世に未練のない自殺志願者か快楽主義者くらいだろう。それと同じだ。
「今のおれは冬の花火みたいなものなんだよ」
「おいおい、モテ期特有の謎ポエムとかマジ勘弁してくれよ」
「そうだそうだ。季節はずれな喩えでカッコつけちゃって。俺だって、俺だってさぁ。沙耶音ちゃんのマイクになって花火を打ち込みてーよ!」
「黙れじゃがいも」
おれと鈴木の声がシンクロする。
不良に場所を追いやられたのか、じゃがいもは額に汗をかき、肩で息をしていた。視界に入るだけで暑苦しい。
二人に炭酸飲料を渡す。一息ついたのち、ファストフード店に寄って解散する流れになった。
「じゃぁな、千鳥。敷島さんを泣かせるような真似はするなよ」
「一刻も早く爆発四散してしまえっ」
「だからそういう関係じゃないっつの。田中は凝縮してろ」
「ひどっ」
軽口を叩きあいながら、駅の改札口でそれぞれの帰る方向に別れる(鈴木はこれからバイトがあると言っていたが)。
今日はアルバイトがないから真っ直ぐ家に帰ることができる日だ。
敷島の店で働き始めて以来、今までろくに使ったことのなかったスケジュール管理アプリをまともに活用している気がする。とはいえ、無駄にやる気があるのは持ち主ではないのがなんとも皮肉だが。
ポケットをまさぐり、スマホを取り出そうとする。
……ない?
落としたか?
「探し物ですの?」
鞄の中を漁ったり、きょろきょろと周囲を見回していると、声をかけられた。
鈴をころがすようでありながら、よく通る声だ。
「そこに落ちているのを見つけましたの。ひょっとして貴方の持ち物ではなくて?」
波打った髪の女性はひらひらと携帯を振ってみせる。見覚えのあるキャラクターが五インチの液晶に横たわっていた。
「……どうも」
礼を述べてスマホを受け取る。結局、こいつはどうあってもおれの手元に戻ってくる定めらしい。カル魔界だか何だか知らないが、責任者がいるなら人の運命を弄んで何様のつもりだと怒鳴りつけてやりたい気分だ。
「見つかってよかったですわね。それでは、ごきげんよう」
女性は薄い微笑を浮かべると、トレンチコートを颯爽と翻して反対側のホームに歩いていった。一つ一つの仕草が様になっていて、テレビの中から抜け出してきましたと打ち明けられても違和感のないほど、均整のとれた外見だ。
薄いサングラス越しで顔がよくわからなかったのは心残りだが、紛れもなく美人だった。それは間違いない。つい最近、何処かで見たような気もするが、結局思いつかないままとりとめのない思考は遮られる。
「麻代様。鼻の下が伸びてますよ。みっともないです」
もう目を覚ましたのか、チッポがジト目を向けてきた。なるべく声の届かない端の方に寄ってから、小声で応じる。
「しゃーないだろ。あんな綺麗な人に話しかけられたら誰だってこうなる」
「とか言って胸ばかり見てましたよね」
「男の目は引力でおっぱいに寄せられるように出来てるんだよ」
「麻代様。ワタシというものがありながら何たる言い草ですか。昼はひねもす夜は夜もすがらお慕い申し上げているというのに」
「お前、ぺったんこじゃん」
そもそも男の娘だろ、お前。
「二次元と三次元の絶対的な格差――ッ」
「うん、まあそういうことにしとけばいいんじゃねえの」
「ううっ、なんというおざなりなお返事。かくなるうえは」
などと意味不明な供述をしながら、サハラ砂漠ばりに平坦な胸を突き出し、手で寄せあげてみせるチッポ。
頬を染め、瞳をうるうるさせている。
どうしろと。
「麻代様。毎朝チッポの胸を、やさしく、つんつんってさわってください。そしたらいつかはボンキュッボン間違いなしですよっ」
「うん。いろんな意味で無理だから、死んだらいいと思うよ」
「やさしいのは口調だけじゃないですかやだー!」
事実を告げないことが優しさだというのなら、いっそのこと捨てたほうがよほどマシだな。
そんな不毛なやりとりを交わしている間にメロディが流れ、地下鉄の接近アナウンスが聞こえてきた。乗換駅で緊急停止するトラブルがあったらしく、予定よりダイヤが少し遅れているらしい。
急がば回れ。気持ちにゆとりを持つことは大切だ。
しかし、時間は有限である。今も刻一刻と残り時間を奪い続けている事実からは決して逃れられない。
おれは無為に散るために生きてきたわけじゃねえんだ。まあ、何のために生まれたかって訊かれたら即答はできないが。それでもまだ、十六年しか世界を知らないまま死ぬわけにはいかない。そのためにはまず、スケジュールに書かれた予定を一つずつこなしていくしかないわけで。
マンションに帰り、冷蔵庫に用意されていた夕食を平らげ、風呂を済ませる。
「うえっ……」
自室のベッドに転がって、予定を確認するためにアプリを立ち上げる。一週間に渡ってぎっしりと詰まった予定表にめまいがしてきた。
これじゃあ、おれが予定に管理されているみたいだぞ。
……おい。ちょっと待て。
【二十五日(火曜日)の予定】
07:00 起床・着替え
07:30 朝食
08:00 登校
08:30 友人やくるみ様と挨拶を交わす
08:50 テスト返却・復習
10:44 雉を撃つ事以外は何も考えられない
12:20 友人の元を離れくるみ様や珠様とともに昼食
12:50 チッポからのドキドキ☆ぶらっくめーる
13:14 個室の中で連れ立って雉を撃とう
13:20 テスト返却・復習
15:15 LHR・掃除当番
15:19 錆びついたマシンガンで雉を撃ち抜こう
16:30 喫茶ステイゴールドに移動し、ご奉仕タイム
18:18 花摘 -Memento-Mori-
23:00 帰宅・夕食・お風呂・それともワ・タ・シ?
00:30 チッポとの愛の語らい・就寝
首相動静的な物を想像していたら、斜め下を錐もみ回転しながら突き抜けてやがった。
もう何処から突っ込めばいいのやら。
「明日から全面的に麻代様をマネージメントいたしますゆえ、どーんとお任せください」と自信たっぷりに言い切ったチッポに委任した結果がごらんの有様だ。
恐ろしいことに、このスケジュールじみた欲望は日を追うごとに過熱している。最終日に至っては、「一線を超えたチッポと麻代様の関係に、運命という名の別離が襲いかかる」
ただの妄想日記じゃねえか。ホーム画面に戻り、奴の頭を小突く。
予想に反して重く沈んだ様子で、のろのろと顔を上げた。
「なんですか」
「なんですか、はこちらの台詞だ。言っておくが、お前と無駄なことを語り合うつもりはないからな。ゲージが貯まったら即刻失せろ」
「はい。麻代様がそうおっしゃるならワタシの価値なんて所詮、そんなものなんでしょうね。あはは……」
覇気のない空笑いでチッポは応じる。
まったく、調子が狂うな。口うるさいだけが取り柄のこいつらしくもない。
「とりあえず余分な箇所は削っておくから。まあ、丁寧に入力してくれて助かったよ」
正直毎日顔を合わせて鬱陶しい限りだが、一応は信用している。
最初から騙すつもりなら、寝ている間にでも【カルマポイント】とやらを体内から抜き取って、残った抜け殻は用済みとばかりに捨て置けばいい。
なのに、こうやって期限を守り続ける律儀さが、チッポのぽんこつぶりを裏付けている。そして同時に憎みきれない部分だ。
「……おれも焼きが回ったな」
アホらし。敷島からのメールに返信して、寝るか。
このところ、毎晩意図のよくわからない質問メールが彼女から送られてくる。返事を送ってもやりとりが続かないので、定例報告は役所仕事並みに形骸化していた。さて。今夜のお題は何なんだ。
『こんばんは、千鳥くん。猫は好きですか?』
ちなみに昨日は『UMAを見たことありますか?』
一昨日は『千鳥くん、紅茶のシフォンケーキにクランベリーを混ぜこむのは許されざることなんでしょうか?』だった。
毎晩、こうも脈絡のない質問メールを送られると、健全な男ならある種の軍事的な暗号文ではないかと疑っても致しかたないと思う。
言うほど好きでもないが、一応「好きだ」と送信。どうせ返事はないだろうが。
「麻代様。ずいぶんと優しいお顔になりましたね」
体育座りしていたままのチッポが、恨めしそうに見つめてくる。
まだ引きずってたのか、こいつ。
「どうせチッポはまな……伝統工芸品のごとくつつしみ深いお椀ですから、そのやさしさの一割も振り向けてくれないでしょうけど」
しかもそこからかよ。
「課金でもなんでもして、盛ればいいだろ」
もう投げやりだ。
「わかってない。まったくチッポ心をわかってないですよ麻代様。DLCで買った胸なんて、ワタシに未来がないと言ってるも同然じゃないですか」
「え、あると思ってたの」
「うわ~ん!」
泣き出しやがった。なんでだよ、何も間違ったことは言ってないだろうが。
と生産性のない応酬を繰り広げている間に、珍しく敷島から返信が来た。
『(´・ω・`)←ねこ』
拝啓、十五のおれへ
いんたーねっとなるものは、人を堕落させる悪魔だ。
速やかに回線を切って受験勉強に励んでくれ。健闘を祈る。
敬具
「もうやだこの情報化社会……」
「かくなる上は、婚姻届をダウンロードして既成事実をでっちあげるしかっ」
でっちあげるな。
じたばたと暴れまわるチッポの手足が、送信ボタンに触れる。
謎の顔文字が、敷島に送られてしまった。
コミュニケーションとはままならないものだな。




