第二話
今日も相変わらず雨は降っていた。昨日のようにどしゃ降りではないから聞こえづらいけど目を閉じて耳を澄ますとぱらぱらと小さい雨粒が屋根や石畳を叩く音が聞こえる。
すると雨の音にぱしゃり、と誰かの足音が混ざった。目を開くと少し離れたところに人が立っていた。
水色の傘をさして空いた手にはもう一本、見覚えのあるビニール傘を持っている。
ほんとうに来てくれたんだ。
僕は嬉しくなって自然と自分の口角が上がるのを感じた。
「雨宮さん、こんにちは」
「…………」
「……?」
けれど目の前まで来た雨宮さんは僕が声をかけても何も言わなかったし、会釈もしなかった。ただ僕の目より少し下を見て何も言わずに立ち尽くしているだけ。
しばらくその状態が続いて声をかけようか、と思ったときにようやく雨宮さんは口を開いた。
「あの……ありがとうございました」
彼女はペコリとお辞儀をしながらその言葉といっしょに僕に傘を手渡す。
そして僕は長い沈黙のあとに出てきた言葉に拍子抜けしてしまった。
そうか、雨宮さんは僕にお礼を言いたくて、そのタイミングをさっきから今までずっと図っていただけだったのか。
「別に気にしないでいいよ。それより昨日はずいぶん濡れてたみたいだけど大丈夫?」
「はい……」
「そっか」
会話が終わって雨宮さんは昨日と同じ所に腰掛ける。相変わらずの短い会話だったけど雨宮さんはあまり人と話すのが得意じゃないみたいだったし、無理に話すこともないだろうと思った。けれど僕が思ったよりも随分短い間の後に、心配そうな顔をした雨宮さんがまた口を開く。
「日下くんは……?」
「……え?」
会話の間が開いていたせいで一瞬雨宮さんの言葉を理解し損ねたけど、すぐその意味に気がつく。
自分は雨に濡れることはなかったけれど傘をささずに帰った僕はどうだったのか、と聞いたんだろう。
「僕は大丈夫。昨日も言ったけど家がすぐそこだし、走って帰ったから全然濡れなかったよ」
「……よかったです」
そう言って雨宮さんはほっとしたような顔をする。
普段、学校では無表情に見える彼女もこうやってすぐそばで顔を合わせて会話すればいろいろな表情を見せてくれる。まだ彼女と話すようになって二日目だけど、それは確かな収穫だった。
その後は今日の授業の話をしたり―ほとんど僕がひとりで喋って雨宮さんは相づちを打っていただけだったけれど―して気がつくともうずいぶん空は暗くなっていた。
ただでさえ曇のおかげで薄暗かったけれど、たぶん太陽が沈んでしまったんだろう。
そう思って時計を見ると思った通り18時の少し前を指していて今日はもうお開きにすることになった。
ふたりで傘を指しながら神社の前の道路まで出て、家の方向が同じなのでしばらくはいっしょに歩くことになった。
「……今日も楽しかったです。ありがとうございます」
神社を出てから20メートルくらい歩いたところで雨宮さんは昨日と同じように感謝の言葉を口にした。その言葉に僕は苦笑いしてしまう。
「どういたしまして。でも、そろそろ敬語はやめてほしいかな。同級生なんだし」
お礼を言われるのは悪い気分ではないし楽しかったという言葉は嬉しい。けれど同級生に敬語を使われるのはなにかむず痒さを感じるし、なんとなく距離ができてしまっているんじゃないかと昨日から思っていた。
僕の言葉に雨宮さんは少し戸惑って、何度か口を少し開いたり閉じたりさせた後に恥ずかしがるように少しうつむきながらようやく声を出した。
「あ、ありがとう……」
短い言葉だった。でも、僕はその言葉だけで満足できた。
「うん、僕も楽しかった」
そう言って笑うとまだ下を向いている彼女の口角も少し上がったように見えてまた嬉しくなる。
それから二つ交差点を過ぎて三つ目に差し掛かったところで僕と雨宮さんは別れの挨拶をしてお互いの自宅に向けて歩き始めた。首をひねって肩越しに後ろを見ると水色の傘をさしたうしろ姿がまだ見える。
明日は学校でも声をかけてみようかな。