第一話
僕が雨宮さんと初めて話したのは一週間前の雨の日のことだった。
雨が降り始めてもう一週間目。今朝には小降りだった雨も放課後になる頃にはどしゃ降りになって、雨がアスファルトとか手に持ってるビニール傘とかを激しく叩いてはじける音と自分の足音だけが聞こえる。
実は僕はこの『雨の音』が好きだった。なんと言うか聞いていると心地いいからだ。けれど足下ではじけた雨粒が靴下を濡らすのは気持ち悪くて嫌いだった。
だから雨の日にこの音が聞きたくなったときには家の近くの神社で雨宿りをするのが習慣になっていた。
今日も少し雨宿りをしてから帰ろうと思っていつものように境内の中に入り本殿の前の石階段に向かう。するとそこには先客がいて、その顔は見覚えのある人だった。
「えっと、雨宮さん、だったよね?」
「…………」
雨宮小雨さん。今年からいっしょのクラスで学校は休みがち。たまに学校に来てもいつも一人でいる。喋ってるところも見たことなくて、人と話すのを嫌っているようなタイプの女の子。そんな彼女が僕のお気に入りの場所にいた。
「どうしたの?こんなところで」
「…………」
話しかけても何も喋らない。そんなに人と話したくないのだろうか。彼女にとってはいつもどおりなのだろうけど面と向かって無視されると少しショックだ。
ふと、彼女が傘を持っていないことに気がついた。この大雨の中で傘もささずにここまで歩いて来たのだろうか。制服やカバン、髪の毛も濡れている。
「傘、持ってきてないんだ」
「…………」
彼女はまだ僕を無視していた。それでも僕は彼女に話しかけ続けることにした。なんだかそうした方がいいような気がしたから。
「あー、そこ座ってもいいかな?」
僕は雨宮さんが座っているところから少し離れたところを指さして聞いてみた。すると、
「…………」
相変わらず喋らないけど一回だけ、彼女は首を縦に振った。それは初めて見た彼女の意思表示だった。いきなりの出来事に僕は言葉が出なくて呆けてしまう。今まで一度だって喋ったことも、今みたいに頷いたりしたところも見たことなかったからものすごく驚いていた。
「…………?」
そんな僕を訝しむような顔。とにかくいっしょに座ることを許してくれたんだから座らなくてはいけないと思って石階段に腰を下ろす。
「し、失礼します」
「…………」
「えーっと、一応同じクラスなんだけど。僕の名前わかる?」
「…………」
「……あー、」
わからないよね。と言おうとしたとき、彼女が口を開く。
「…………日下青空くん、ですよね」
雨宮さんの声はなんと言うか、言葉で表すなら『細い声』だった。注意していなければ聞こえないほどの小さい声。
「そうだよ。好きなように呼んで」
「…………じゃあ、日下くん」
「うん」
「…………雨宮、小雨です」
「うん。雨宮さん、でいいかな」
「…………」
また無言でこくり、と一度だけ頷く。
「どうして今日はここにいるの?」
「…………」
今度は頷きもしない。しょうがないので僕はそのまま話し続けた。
「僕はここで聞く雨の音が好きなんだ。雨宮さんはどう思う?」
「…………雨は、嫌いです」
雨宮さんは申し訳無さそうにぽつり、とそうつぶやく。
「そっか、まあそうだよね。雨が降ってるとジメジメするし」
「…………」
「…………」
「…………」
「あぁ、えっと。普段何してるの?」
「…………」
無言の間が苦しくなってとにかく話題を変えてみたけれど、雨宮さんは沈黙。もしかすると聞かれたくない話題だったのだろうか。
「…………何も、してないです」
また話題を変えてしまおうかと様子を見ていたら、ようやく質問の回答が返ってきて、やっぱり聞かなければよかったと後悔する。
「……そうなんだ」
「…………」
今日何度目かの沈黙。また何か別の話をしようかと考えていると、雨宮さんが時計を気にしていることに気がついた。それにつられて時計を見るともう時計の針は18時を指している。
雨が降っているせいで気が付かなかったけれどもう暗くなり始める時間だ。
「帰ろっか」
「…………」
その言葉に彼女は頷いて、すくっと立ち上がって傘も持ってないのに屋根の下から出ようとする。
「あ、ちょっと待って。傘貸すよ」
「…………」
雨宮さんは振り向いて、少し驚いたような顔。そんな彼女に半ば強引に自分の傘を持たせる。
「…………どうしてですか?」
「どうしてって、こんなに雨が降ってるのに傘なしで帰る気?」
「…………日下くんは?」
「僕は家が近いから大丈夫。傘は明日返してくれればいいから」
「…………」
雨宮さんは困ったような顔をしていたけど、一応頷いてくれた。そんな彼女にじゃあね、と声をかけて僕は外に飛び出そうとすると、
「待って」
今度は僕が雨宮さんに引き止められる。
「どうしたの?」
「…………ありがとう、いっしょにおしゃべりしてくれて。楽しかったです」
今日一番はっきりした声で彼女はそう言う。僕とのおしゃべりが楽しかった、という言葉だけで僕はなんだか嬉しくなった。
―――また雨宮さんと話したい。
「もし明日も雨だったらまたここにいるから」
だからそう言って返事を待たずに今度こそ屋根の外に出る。
「…………」
小走りで境内から出て振り向くと雨宮さんが傘を広げて本殿の屋根の下から出てくるのが見えた。それだけ確認してまた走り始める。
明日も雨が降ればいいのに。僕はそう思った。