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ヴァンパイアクイーン

夜。フェンに伝言を頼まれた吸血鬼は殴られた頬をさすりながら石造りの廊下を歩いていた。さすがに砕けた顎は既に完治しているが、それでもまだ疼いている。

ここはヴァンパイアクイーンが住まう古城。クイーンの他に従者とクイーンの護衛しか住んでいない。護衛は吸血鬼の中でも確かな実力を持つ者が任されているが、クイーンの魔術と剣術の実力は護衛のそれを遥かに凌駕している。人狼が束になっても敵わないクイーンには、本来ならば護衛は必要ない。



長く薄暗い廊下は等間隔に設置された燭台の灯で照らされていた。彼がこの城に来るのは初めてではないが、クイーンの部屋に続くこの廊下を歩くのは初めてだった。何よりこの廊下に充満している濃い魔力のせいで嫌な汗をかきっぱなしである。白銀王に睨まれた時とよく似た感覚だ。早くこの環境から離れたくて彼の足取りは無意識のうちに早まっていた。

ようやく見えてきた扉の前には真紅の鎧を身に纏い、完全武装した二人の女の吸血鬼が扉の番をしていた。彼が扉に近づくと、寸分の誤差の無い機械的な動きで二人同時に持っていた槍を構え、心臓に突き付けた。


「「何用か?」」


二人の女の吸血鬼は同時に尋ねた。


「じ、人狼の王。白銀王から、クイーンに言づてを預かっています。クイーンに謁見を求めます」


彼は一瞬たじろぐが、すぐにここに来た理由を話した。


「「クイーンは只今お疲れだ。如何なる理由があろうと謁見は認められない。早々に立ち去れ」」


「大変重要な言づてであります。通していただきたい!」


彼は土下座して懇願するが、女の吸血鬼は槍の先端を彼に突き付けたまま沈黙を保っていた。


「……騒がしいですね?どうかしましたか?」


空を写し出す程清らかな水のようで、人間の作り出した如何なる“美”も凌駕する美しい声が扉の向こうから聞こえてきた。女の吸血鬼は突き付けていた槍を納め、扉の前にひざまずいた。


「ハッ。恐れ多くも陛下に謁見を求め、推参した者がおりまして」


「謁見は認められないと言うも、尚留まるもので。誠に申し訳ありません。今すぐ追い返します」


「謁見の理由は?」


「「ハッ。“白銀王”からの言づてということであります」」


それからしばらく沈黙が続いた。


「……その者を中に」


予想外の反応に二人は慌てた。


「しかし陛下!」


「こ、このような無礼者を中にですか?!」


扉の番をしていた女の吸血鬼はさっきの他者を見下す態度を一変させ、母親に必死に言い訳をする子供のようだった。


「貴女達…………私はなんと言いましたか?」


扉の向こうから聞こえてきた声は確かに美しい声だが、全身の流れる血を一瞬で凍らせるような冷たい口調だった。必死に言い訳をしていた女の吸血鬼も一瞬で黙り込み、妙な汗をかいていた。


「「も……申し訳ございません。た、只今中へ」」


女の吸血鬼二人は息が合った動きで扉に近づき、ゆっくりと扉を開けた。

女の吸血鬼は彼に視線を向け、中へ入るように視線で訴えた。その視線は彼に対する不信感や苛立ち、憤りが篭っていたが、それらを無視して彼は扉をくぐった。

部屋は彼が想像していた豪華な部屋とは全く違って、とてつもなく質素な部屋だ。質素な部屋だが、美しい部屋だ。大理石の床は誰かが歩いた痕跡は全く無く、鏡のように磨きあげられている。家具も部屋の奥にシルクのベールで包まれた寝台があるだけで、他には何もない。辛うじて庭に通じる扉と窓があるだけで、そこから差し込む月明かりだけが唯一の光源だった。何より、部屋に満ちている魔力は威圧的でなく、どこか優しさを感じた。もっと重苦しく感じると想像していたが、彼の予想に反していた。

彼は扉の前でひざまずいた。


「お疲れのところに押しかけ、誠に申し訳ございません」


彼は深々と頭を下げた。


「よろしいのですよ。それから、外の彼女達を許してあげてください。彼女達にも悪気があった訳じゃないんです」


「ハッ」


彼は床に頭が着くくらい頭を下げた。床に写る自分の顔が心なしか怯えていることに気が付いた。


「それで……言づてとは?」


彼はフェンからの伝言を一字一句違わずにクイーンに伝えた。

部屋は耳が痛くなるほど静まり返った。

クイーンからの反応を待つ彼の頬をシルクの布でそっと撫でるような風が文字通り頬を撫でた。


「ご苦労様」


すぐ耳元でクイーンの声がした。クイーンは気配を全く感じられることなく彼の背後に移動していたのだ。

彼は驚きのあまり身動きが取れなかった。このまま心臓を貫かれてしまうか、それとも血を吸い付くされてしまうかと思っていた。


「一つお願いがあります。次の満月までに出来るだけ多くの吸血鬼を“ライン”に集めてください」


「は、はい。お、仰せのままに」


「よろしい」


再び風が頬を撫で、彼にのしかかっていた恐怖も消えた。一瞬部屋を見渡すが、クイーンの姿はなく背後にもいなくなっていた。彼は再び頭を下げ、部屋から出て行った。



その頃、クイーンは中庭で、歌を口ずさみながら月明かりの下、優雅に踊っていた。


「もうすぐ逢える……」


















同時刻。人狼の縄張り。

森を一望出来る高い崖の淵に腰掛けて、もうすぐ満月になる月を眺めるフェンの姿があった。一日の内でこの場所にこの時間に独りでいると心が安らいだ。この静かで心が安らぐ時間をずっと邪魔されたくないと彼はいつも思っている。しかし、だいたいは邪魔する者が入って来る。


これが最後かもしれないのに……


背後の茂みから赤褐色の人狼が現れた。この人狼の名はグレン。フェンに次いで二番目に長齢の人狼だ。実力もあり、フェンの戦友でもあった。


「またここにいたか、フェン」


「…………月を見ていた。あの月が満月になる夜。人狼と吸血鬼の戦いは終わる。いや、終わらせる」


「これ以上若いのが死ぬのも歴戦の戦士が死ぬのも見たくないからな。吸血鬼共を皆殺しにして終わらせよう」


しかし、フェンはそれに対して何も答えなかった。ただただ月を見上げ心の中で呟いた。


ようやく逢える……


フェンは立ち上がり、寝静まる森に吠えた。その声はこだましてどこまでも響いていった。森に住む同族達も呼応するように吠えはじめ、深夜の森は人狼の声で包まれた。

やがて森は静まり返っていつもの夜が広がった。


「行くぞ。因縁の地、“ライン”へ」


フェンは身を翻して森の闇に消えて行った。グレンは一度フェンが座っていた場所を見た。


「もう、ここには戻らないか」


そう呟き、フェンの後を追って闇に消えた。
















数日後。昼。

川が静かに流れている。川のすぐ近くには一本の大樹が堂々と立っていた。


「お前も元気そうだな」


大樹の幹を撫でながらフェンが呟いた。

今日は“あの時”とよく似ている。木々の葉の間から太陽の光が差し込んでいた。ここは物語が始まった場所。フェンが濁流に飲まれてたどり着いた場所。ゲイルと出会った場所。そして……

鹿の親子が川の辺にやって来て喉の渇きを潤していた。その様子はまるでフェンが襲って来ないと知っているようだった。現に彼は大樹に寄り掛かり、鹿の親子を眺めているだけで襲う気はなかった。喉の渇きが潤うと鹿の親子は森に向かって歩き出した。母親の鹿は一度立ち止まりフェンを見つめると頭を下げて森に消えて行った。


頬に甘く口づけするような風が吹いた。


「何か食べないと力が出ないではなくて?」


透き通った氷のような声がした。聞き覚えのある声だ。

フェンは立ち上がり、声のしたほうを見た。そこには全身を完全に覆うほど広い日傘を差した美女の姿があった。


「それはお互い様だろう。ヴァンパイアクイーン」


日傘の美女は吸血鬼の束ねる女王、ヴァンパイアクイーンだ。お互いに今この場で爪と牙を交えることもできたが、そうはしなかった。場が余りにも相応しくないからだ。


「ここで会うのは“あの時”以来ね?フェン」


「まさか君が吸血鬼だとは思わなかったよ。レナ」


ヴァンパイアクイーンは日傘から顔を出した。雪のように滑らかで白い肌と対照的な長い黒髪。そして、血のような美しい真紅の瞳。間違いなくレナだった。


「貴方が人狼の族長“白銀王”になって、私が吸血鬼の族長“ヴァンパイアクイーン”になるなんて、何の因果かしらね」


「全くだ」


二人には共通点が多い。

フェンは子供の頃、当時の人狼の族長ゲイルに育てられ戦士として鍛えられた。そして、“あの日”の戦いの後、ゲイルはその座をフェンに譲り息絶えた。

レナの母親アルミスは吸血鬼の族長だった。その実の娘にあたるレナは幼少期から高度な教育を受けていた。そして、同じく“あの日”の戦いでアルミスは亡くなり、王位はその娘へと移った。

多少の違いはあるが、二人は似たような境遇にいた。


「一つ気になっていたことがある。君は最初から俺が人狼だと知っていたのか?」


フェンはレナが吸血鬼だと知ったのは“あの日”だった。初めてこの場所で出会った時にはレナが吸血鬼だとはわからなかった。


「さあ、私にもわからないわ。……でも、遅かれ早かれまた会える気はしてたわ。あんな再会とは予想外だったけど」


「そうか。いや、それだけ知りたかったんだ。ありがとう」


「フフフ♪不思議な人狼ね?日が暮れたら私達殺し合わないといけないのに、『ありがとう』だなんて」


レナは無邪気に笑っていた。それを見たフェンは微笑み、改まった様子でレナと向かい合った。レナも笑うのを止めて真剣な表情でフェンを見つめた。


「では、また後ほど」


「えぇ。その時は手加減無しで」


二人は互いに頭を軽く下げた。強い風が二人の体を撫で大木の葉を揺らした。
















そして、二人はその場から姿を消した。



つづく

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