再会
人狼も吸血鬼も吹き飛ばされ、戦場は一気に静まり返った。一体何が起きているのかわからないまま、頭上から凍てつくような重圧がのしかかった。橋に残っていた全員がそれぞれの領域に戻り、橋の上には誰もいなくなった。そこに一人の美しい吸血鬼が音も無く、橋の上に舞い降りた。その吸血鬼は雪のように白い肌を月明かりで煌めかせ、猛禽のような翼を広げていた。その姿はまるで天使だ。フェンが相手をしていた醜悪な姿をしている吸血鬼とは訳が違う。まるで、北風のような美しい吸血鬼だった。
舞い降りた吸血鬼に誰もが見とれてしまっていた。吸血鬼はもちろん、人狼もその美しさに目を奪われた。その頬けている仲間の頭上を銀色の人狼、ゲイルが飛び越えていった。月光に照らされた毛並みは、衰えるということを知らないかのように、若々しく煌めいている。まるで雪のようだ。
橋の上でゲイルと美しい吸血鬼は対峙した。
「ようやく自ら先頭に立つか?ヴァンパイアクイーン・アルミスよ」
「これ以上、戦いを長引かせる訳にはいかないわ。白銀の王・ゲイル」
二人はどうやら顔見知りのようだ。ゲイルは見た目からはわからないが、全人狼中で最長齢だ。吸血鬼側に顔見知りがいても不思議ではない。対峙するヴァンパイアクイーンはおそらく吸血鬼の族長といったところだろうか。二人の間で見えない力が激しくぶつかり合い、その存在しない衝撃波が伝わり、誰一人身動き出来なかった。フェンは一族の長としての誇りや一族の未来を背負っているゲイルの大きな背中に圧倒された。鋭い眼差しは決してヴァンパイアクイーンから離さなかった。
そして、族長同士の戦いが始まった。
アルミスは腰に帯びた二振りの剣を抜き、つむじ風のようにゲイルに襲い掛かった。一切無駄が無い素早い動きは、まさに“風”。アルミスは雨のように剣撃を浴びせた。しかし、ゲイルはアルミスの二倍近くある巨体を素早く動かして、襲い掛かる白刃を紙一重で避けている。
アルミスの剣が頭上から振り下ろされた。しかし、ゲイルは指で受け止め、身動きの取れないアルミスを蹴り飛ばした。
人狼側から歓声が上がる。
アルミスは風に流される落ち葉のように橋を転がった。ゲイルはアルミスを蹴り飛ばした勢いで彼女の剣を奪っていた。それで心臓を一突きすれば戦いは人狼の勝利で終わる。アルミスが蹴られた腹を押さえながら立ち上がった。その様子をゲイルは奪い取ったアルミスの剣を弄びながら眺めていた。
「どうしたの?その剣で私の心臓を貫く絶好の機会なのに」
ゲイルは弄んでいた剣をアルミスの足元に投げ返した。剣は石橋に深く刺さったが、刃こぼれはない。
「くだらん。こんな物を使わなくとも、我らには爪と牙がある。それが我ら人狼の誇りだ」
再び人狼達が歓声をあげた。
「……ならば、私も吸血鬼の長の誇りに賭けて貴方を倒します!」
アルミスが持っている剣を構えて目にも留まらぬ速さでゲイルに襲い掛かった。ゲイルは襲い掛かる剣を爪で受け止めた。鋭い衝撃波が四方に広がり、橋にも深い傷を負わせた。激しく競り合う爪と剣。微かに火花が散っている。
両者は互いに間合いを取り、何度も爪と剣を交えた。その度に火花が美しく咲いては、儚く散った。
アルミスは間合いを取り、剣を構えた。彼女の使う剣は絶え間無い競り合いで、刃こぼれしていた。まだ自分の後ろにはもう片方の剣が残されているとはいえ、今の状況で取りに行くのは危険だった。対してゲイルの爪は健全だ。アルミスは驚きを隠せなかった。
「我々の爪は鋼鉄よりも硬い。いかに名剣と言えど、我が爪の前には、なまくら同然!」
「そのようね……だったら、これでどうかしら?」
アルミスの刀身が紅く光り、微かに刃が震えている。
「魔力を帯びた剣か?なるほど、確かにそれなら我が爪も一たまりもないな。だが、甘い」
「ほざけ!」
アルミスはゲイルに突進した。そして、魔力を帯びた剣を突き出した。しかし、ゲイルは避けることをせず、左手で剣を受け止めた。刃が掌を貫いた。さすがのヴァンパイアクイーンも驚きを隠し切れず、そこに生じた隙をゲイルは逃さなかった。アルミスの腹部を完全に捉えた鉄拳。骨が砕けて背中を突き破った。アルミスはそのまま飛ばされた。持ち主を失った剣からは魔力が消えて、元の剣に戻った。ゲイルは手から剣を抜き、小枝を踏み潰すように剣を折った。
「どうした?終わりか?」
アルミスの受けた傷は治癒が始まっていたが、余りにも深かった。砕けた骨は内臓に突き刺さり、いくつかは潰れてしまった。治るには時間が必要だった。心臓が無事だったのは不幸中の幸いだろうか。
「まだよ。……まだ……終わらない!」
アルミスは橋に刺さったままの剣を抜いて、ゲイルに襲い掛かった。突風を巻き起こし、全身全霊を懸けた一突き。ゲイルも足の爪で橋をえぐり走り出すと、そのままアルミスに突進した。
そして、お互いの間合いに。
橋の中央で二人は抱き合うように重なった。フェンにはそう見えたが、すぐにゲイルの背中から紅く煌めく刃が飛び出した。月明かりに照らされた二人の影はお互いの心臓を貫いていた。
「ゲイルゥゥゥ!!」
「お母様ぁぁぁ!!」
フェンは仲間の間を力任せに突き進み、ゲイルの元に駆け寄ると倒れかかったゲイルを受け止めた。その胸にはヴァンパイアクイーンの剣が刺さっていた。フェンは剣を抜いて吸血鬼側に投げ捨てた。
「ゲイル!しっかりしてください!ゲイル!」
「お母様!いや!お母様!私を独りにしないで!」
急所を貫かれたゲイルの瞳は微かに光を残していたが、その光も消えようとしていた。
「キサマ!」
「おのれ!」
フェンは青白い瞳に怒りの焔を燃やし、吸血鬼を睨み付けた。しかし、その岩さえ貫くような視線の先に、真紅の瞳を光らせる見覚えのある少女の姿があった。
忘れるはずがなかった。
見間違えるはずがなかった。
お互いに数年前とたいして変わらない姿で“そこ”にいるのだから。
「まさか……そんな……」
「嘘……嘘よ……」
決戦の橋の上で二人は再会した。
「レ、レナ?」
「フェンなの?」
数年前。ラインの辺の木陰で出会ったレナがそこにいた。
数年前。ラインの辺で倒れていたフェンがそこにいた。
二人は互いに愛する者の血に濡れた姿を見つめ合った。
その目からとめどもなく涙が溢れた。
つづく