3 蛇女
良桜たちは吸血鬼族の村を出ると再び森に入り、東へ向かった。
「あの、良桜さま」
おそるおそる、といった感じで雷奈が良桜を窺う。
「答えられないことだったらはっきり『答えられない』とおっしゃってくれてかまわないのですけれど、吸血鬼族の禁忌って、やっぱり人に知られてはいけないものだったのでしょうか?」
そもそも良桜がその禁忌を知っているかどうかも知らないはずだが、誰もそのことにあえて触れようとする者はいなかった。
良桜は考える。
“同族の血を飲むと不老不死になる”という禁忌。他種族の者が吸血鬼族の血を飲んでも有効なのかどうかはわからない。しかしそもそも血を好んで摂取する種族自体が稀であろう。
良桜自身は魅力を感じないが、それでも不老不死を望む輩は多いと思う。
そういう者たちにこの秘密が知られてしまえば、それは確かに吸血鬼族の存亡にかかわるだろう。
「そうだな」
結局良桜は短く肯定の意を示しただけだったが、雷奈はそれで充分納得したようだった。
「掟って……、どうして他種族に知られてはいけないのでしょう……」
「そりゃ、本当の理由は誰にも明かさないだろうさ」
宮麗が口をはさむ。
「なぜですか?」
「例えば『人を殺すな』って掟があるとするだろ? 普通は誰も理由なんか聞かないよな、当たり前のことなんだから」
雷奈はうなずく。
「だがもしその本当の理由が、『人を殺せばどんな望みも叶えることができる』だとしたらどうだ? 欲にかられたやつが殺人鬼と化すかもしれない。それなら、本当の理由は隠したままの方が平和だ」
「なるほどー」
雷奈は感心する。
「つまりあたしが知らないだけで、実は種族の命運にかかわるような掟なのかもしれないのですね」
「だから自分とこの掟は、やたらと他種族に言いふらすなってことになってるのさ」
「あたしもそれはしっかり叩きこまれましたもん。絶対他種族には言うなって」
「やっぱり王家にもあるもんなの?」
「ある」
宮麗が宮良を振り返るが、返ってきたのはそっけない一言。
「機嫌悪ィなあ、王子様。別にそれが何か聞こうとは思ってないぞ?」
単なる好奇心、と宮麗は笑う。やはり王家という種族は、特別な気がするのだ。
「別に、機嫌が悪いわけじゃあ……」
「和泉は?」
ぶつぶつとつぶやく宮良は無視して、宮麗は人間族の青年に振り返る。
実は宮麗は、“それがある”ということは知っているのだが、それは人間族というよりは、むしろ「魔法使い」に対する縛りだった。
和泉は困ったように首をかしげる。
「それが……。実は稀氷子様のところにいた時の体験があまりに強烈で……、それより前のこととなると記憶があやふやで、よく憶えていないんです」
力なく笑う。
「おかしいですよね……。稀氷子様といたのは一年かそこらだったと思うのですが……、たかだかそれだけの期間で、それまでの二十年近くの記憶が曖昧になるなんて……」
「いや、普通にあり得る話だろ」
宮麗は真面目な顔で返す。
「だからボクにとっての掟となると、『稀氷子様には逆らうな』ということですね」
「わかりやすいよな。『破ったらおまえの命はない』ってコトだろ」
軽く笑って、それでも瞳だけは慎重に、宮麗は言葉を重ねる。
「いえ、殺してしまっては稀氷子様が不便になるだけのことなので、本当に殺されるようなことはなかったんだと思います。当時は、殺される恐怖で一杯でしたけど」
それでもこうして当時を冷静に振り返れるようになった自分に、和泉は不思議な気分を感じる。
「最初に骨を折られたんです。その恐怖が、体に染みついてしまって……。それでも今思えば……。そう、宮麗さんと戦っている時の稀氷子様を見ていて思ったんですけれど、稀氷子様はボクを傷つけるのに、ずいぶんと手加減していたんですよね……」
それは、稀氷子にとっては多大なストレスになっていたのだろうと思う。思いきり殴ってやりたいと思っても、本気で実行してしまえば、せっかく手に入れた奴隷を壊してしまう。
殴るたびに手加減しなければならない。欲求不満はたまる一方だったのではないだろうか。
それも今だからこそ、思えることなのだが。
そして稀氷子と対峙したのが宮麗だったからこそ、和泉は鬼族に対して怯えないですむのだと思う。
きっと今でも、突然鬼族に出くわしたら、自分はまず恐怖を感じるのだろう。
けれど。
鬼族には宮麗のような男もいるのだということを、今では知っている。だからきっと、今では逃げない。
稀氷子によって植えつけられた鬼族に対する恐怖は、同じ鬼族である宮麗によってぬぐわれた。
宮麗でなければ駄目だった。だから全治数ヶ月という大怪我を負わせても、良桜は手を貸さなかったのだ。
不思議な女性だと思う。
言葉は少なくても。表情は無くても。
だからきっと雷奈の言う通り、良桜はとても優しいのだろうと、和泉は思った。
それから数日旅を続けた、雨上がりのある日。
「きゃっ! 蛇!」
元気よく歩いていた雷奈が急に後ずさったおかげで、後ろを歩いていた宮麗は腹に体当たりを受ける。
「うっ……。蛇ぐらいで何を……でかっ!」
宮麗が目にしたのは、人ほどの大きさを持つ巨大な白蛇。
「あっ、おいっ」
しかし構わずに歩く良桜を止めようとして、宮麗は気づいた。
「雷奈、あれ人だ! 下半身だけ蛇の、白い人だ!」
「ええっ!?」
良桜は片膝をついて、人の形をした上半身に触れる。
「まだ生きている。水を」
「お、おう」
宮麗はいつもかついでいるずだぶくろから水筒を取り出すと、良桜に手渡す。
良桜が相手の唇に水筒をあてがうと、うっすらと目を開け、水を飲んだ。
「村は近くか?」
「……わか、らない」
良桜の問いに、かすれた声で返す。良桜は心持ち、眉をひそめた。
「ぼく、は、村、から、逃げてきた……」
それだけを切れ切れに言ってしまうと、白い人は再び気を失った。
「宮麗、この男を頼む」
「え? 男!?」
「今日はここら辺りで野宿にしよう」
「わかった」
「はい」
「あきらさま、いい場所見つけてきますからね」
「ちょっと……」
あたふたしている宮麗をその場に残し、四人はあっという間に散っていった。
やれやれと宮麗はため息をつく。
(あいつら、オレに力仕事を押しつける時に限って息ぴったりだな……)
仕方なく倒れている男を肩に担ぐと、意外な程に軽かった。
長い体の割に、上半身が薄っぺらなのだ。
宮麗は男を木の根元に座らせると、おとなしく四人の帰りを待った。
うまいぐあいに洞窟を見つけることができ、宮麗たちは見知らぬ男を連れて移動する。
「見事に真っ白ですわねえ……。白姜さまみたい」
「あいつはただのじじいじゃねえか」
雷奈がため息をつくと、宮麗は舌打ちする。
「瞳が赤かった。アルビノだろう」
食事の準備をしながら、良桜が答える。
そうして各々が夕食を終えた頃、男はやっと目を覚ました。
「スープだ。食べられるか?」
気づいた良桜が椀をさしだすと、男は緩慢な動きでそれを受け取った。
「ありがとうございます」
礼を言うとしばらく黙々とスープをすすり、食べ終えると顔を上げた。
確かに瞳は赤いが、全身真っ白である。
肩より長い髪も、細い上半身の肌も、蛇の下半身も。
衣服は身に着けていなかった。首から、細い輪をつないだだけの簡単な鎖を下げている。両手首には、その鎖をかたどったらしい、輪をつないだ刺青が彫られていた。
細面の顔、針のように細い瞳孔、細長い首に、なで肩から伸びる腕も長く、指も細い。すべてが細長く、そして顔はのっぺりとして凹凸に乏しかった。
眉は薄く、まつげはない。さらに鼻梁も唇もなかった。白い肌も赤い瞳もどこか病的。紋は額にだけ。
良桜は男の首の鎖を手に取り、尋ねる。
「名は?」
「ない」
鎖には、呪いの類いはかけられていないようだ。ひどく柔らかい金属であるし、これなら素手でもどうにか引きちぎれるかもしれない。
おそらくはそうして逃げてきたのだろうと良桜は考え、鎖から手を離した。
「種族は?」
「蛇女」
「蛇女?」
宮麗が訊き返す。
「どうしたんですか、あきらさま?」
「蛇女族ってのは女しかいないって聞いてるぜ」
だが拾ってきた人物は、間違いようもなく男だ。
「でもあきらさま、女性だけじゃ子孫は残せないでしょう?」
「でも女しかいないって聞いたんだ。種族名だって“蛇女”だし。オレはてっきり女だけでも子供が産める種族なのかと」
「そうなんですか?」
雷奈は蛇女族を名乗る男に訊いた。
「蛇女族にオスはめったに産まれない。稀に産まれるオスは皆“種”と呼ばれ、普段は小屋に飼われている。女たちが子供を産む時期が来たら小屋から出され、女たちが種を持っていく」
男は淡々と語るが、洞窟の雰囲気はそこはかとなく暗くなる。
「ぼくはアルビノだから、女たちからは避けられてきた。アルビノは繁殖力が弱い。女たちは皆、強い子を望むから」
スープで人心地ついたのか、病的な印象はそのままだが、男はどんどんしゃべり出す。
「けれど族長補佐が、ぼくを指名したんだ。ぼくの種を試してみて、問題がなければ族長に差し出すために」
ずいぶんとあからさまな話だが、即物的すぎて色気がない。
「ぼくはそれが嫌で逃げてきた。だから村には帰りたくない」
どうやらそれが結論らしかった。
黙って聞いていた良桜は腰を上げ、奥に引っこむ。
「ちょ、どうするんだよ、良桜」
宮麗の問いに、壁際に座りこんだ良桜は目を上げる。
「体力不足だ」
良桜はそれだけしか言わなかったが、男を担いできた宮麗にはわかった。
「おまえ、追われてるか?」
「たぶん……」
宮麗はため息をついた。この男の体力では、逃げのびることは不可能に近い。
「とりあえず今日は寝るか。明日になったら考えよう」
良桜は姿勢こそ座っているものの、明らかに寝る体勢だ。
その様子を見て、宮麗もまた考えることを放棄した。
そして誰にも異論はないようだった。
朝。
いつも通り、最初に起きて火の用意をするのは良桜だ。
今の時期はもうかなり冷えてきているので、夜中でも火は消していない。
眠りの浅い良桜は時々目を覚まし、火の様子を見ていた。
それから宮良が起きだしてきて、朝食の準備を始める。
少し遅れて和泉が目を覚まし、宮良を手伝う。
全員が起きて朝食を摂っている間に、蛇女族の男は目を覚ました。
体力がないからすぐに疲れる。しかし日頃から少食なので少しの食事ですぐに回復する。確かに良桜たちから見れば、明らかに体力は足りないだろう。しかし本人にしてみれば、今の状態で全快である。
「蛇女族について教えてくれよ。女ばかりで下半身が蛇、ってことしかオレ知らねえし」
朝食を差し出しながら、宮麗が尋ねる。
「大陸東部に住んでいるらしいな」
良桜はそう答えたが、他の三人は全く何も知らないようだった。
朝食を受け取り、男は答える。
「では代わりに皆さんのことも教えてはもらえませんか? ぼくは村から、というより小屋から出たことがないから、世の中のことを何も知らなくて」
それから食事を摂りつつ、自分が知る蛇女族について語り始めた。
「ぼくはアルビノですから、色彩に関しては異常です」
男は初めにそう言い置いて、まずは蛇女族の外見から説明し始めた。
薄緑の肌、黒みがかった緑の髪、黄色い瞳。下半身は蛇で、人によっては模様もある。紋はこれ、と自分の額に手をやる。
「しかし額にしか紋を持たないのは、大概『種』です。女たちは、もっと強い力を持っている者がほとんどですから」
そんな風に説明を受けても、見たことのないものは想像するしかない。しかし緑の肌、というのは想像し難かった。
「種族のほとんどが女で、おそらく外から訪れた人には女しかいないと映るでしょうね」
「ある意味ハーレム?」
宮麗の軽口に、雷奈の冷たい視線が飛んでくる。
「ハーレムとは?」
「うー……ん。一夫多妻制、みたいなモン?」
男の問いに宮麗が答えると、雷奈の視線はさらに温度が下がった。
「それでは違います。一人の男が多数の妻を娶るというのは、我らの習慣にはありません」
突き刺す雷奈の視線に冷や汗をだらだらと流している宮麗にもおかまいなく、男は話を続ける。
「村を動かしているのは女たちです。子供を産む時期に入った女たちは適当に種を選んで交わると、あとは女たちだけで子を産み、育てます。ぼくたちは本当に、ただの“種”なんです」
「現在『種』は何人だ?」
良桜が尋ねる。
「ぼくを入れて三匹ですが、ぼくは役に立っていませんから、実質的には二匹です」
「一度の交配に、『種』一人に対し女は何人?」
「だいたい十人ぐらいでしょうか」
「『種』を奪うだけであとは家畜扱いか」
「まあ……そうでしょうね……」
男はうつむく。
その様子を見て、良桜は宮麗に顔を向けた。
「ハーレムだと思うか?」
こころなしか、言葉に笑みが含まれているような気がする。
「いえ。ごめんなさい」
宮麗は潔く頭を下げた。
「では今度はあなたたちのことを教えてもらえませんか?」
男の視線は何故か、奥の方に座っている良桜に向けられている。
「良桜。聖悪魔族だ」
男の視線に気づいた良桜は、それだけを口にする。
しかしまだ何か問いたげに見つめている男の前に、雷奈が勢いよく足を折った。
「あたしは雷奈。半馬人族です。西の村出身です。大陸の西は砂漠ですよ。見た通り下半身は馬。紋は……、あ、あたしは角があるんですけど、ひとによってはないひともいます。この角を抜くとですね……」
雷奈は角を柄に、額から剣を抜く。
「これ、この通り剣なんです。紋はこれ、今なら見えるでしょう」
一通り雷奈がまくしたてると、今度はその隣に宮麗が座った。
「オレの名は宮麗。鬼族だ。紋はコレ。東の山出身。大陸の東は山ばかりだ。だから東の海岸線は唯一、中央神殿が見えない場所なんだぜ。ついでにコレはプロテス教のシンボルだ」
服の下から十字架のペンダントを引き出し、同じ形の耳飾りを指で揺らす。
「次は王子様な」
宮麗に振られて宮良は少し眉を寄せたが、拒否はしなかった。ただし座っている場所は動かず、顔だけを向ける。
「僕は宮良。王家。中央神殿はここからも見えるだろう。紋の代わりがこの横開眼。それでこっちの飾りはカソレア教のものだけれど、王家は全員信仰しているから王家の紋と勘違いされることもあるけど、それは違う」
目を伏せ、チョーカーの飾りに手をやる。
「その眼は見えるのですか?」
「見えるよ」
男の問いに宮良は答える。男はさらに問いかけた。
「あの、王子様、というのは?」
「宮麗の嫌がらせだよ」
「違うだろ」
宮良が嫌な顔をして答えると、すかさず宮麗が割って入る。
「前王が父親で現王が姉。立派な王子様じゃねえか」
へえーと感心する男に、宮良はさらに顔をしかめる。
「僕はただの王家だ。王は血統じゃないんだから、僕とは関係がない」
いや、それは違うだろ……という空気が流れ、それを見た和泉は、やはりおかしいのは自分ではなく宮良の方なのだ、と妙な確信を抱く。
「だけどなあ……。お姉さんも父親も、じいさんまで王となると、やっぱ王子様なんじゃねえ?」
「三代も続いたのは単なる偶然だ!」
宮良の態度はかたくなだ。宮麗はからかってみたくなる。
「その前は?」
「僕が知るわけないだろう。僕が産まれた時にはすでにおじい様は亡くなっておられたのだから」
「姉だ」
援護は、思いがけないところから発せられた。
「え? 良桜、知ってんの? 姉って、麗王の姉?」
宮麗はぐるりと首を回す。
良桜にとって、王は常に麗王だった。故に、その先代ぐらいなら話に聞いている。
「でも姉弟で王ってあり得なくねえ? 王ってのは一世代に一人だろ? どれだけ年の離れた姉弟だよ」
「年も離れていたが、姉は寿命が短かったのだと聞いている」
「ふーん」
何にしても良桜の援護射撃とは珍しいものが見られた、と宮麗が表情をゆるめたところで、
「宮良は自分のことにしか興味がなかったのだろう。姉たちの声しか聞こえていなかったようだから、他人の評価など耳に入るまい」
良桜の鋭い考察が入る。
(うわあ……)
宮麗はゆっくりと顔を戻す。宮良が、奇妙な顔をしていた。
「じゃっ、最後和泉!」
「は、はい!」
ひとごとの気分でいたところを急に宮麗に名指しされ、和泉は背筋を伸ばした。
「和泉です。人間族です。ええと、紋はありません」
終わってしまった……。しかし和泉には、これ以上言えることはない。
すると良桜が立ち上がり、ふらりと洞窟から出ていった。
自然、話はそれまでになった。
良桜は特にどこに行くでもなく、洞窟の外に佇んでいた。
男は洞窟の入り口に座っていたから、そのままでも良桜の姿はよく見えた。
男は壁に背を預け、下半身を投げ出している。その正面に座っている雷奈と宮麗からも、良桜の姿は見える。宮良と和泉は奥にいたが、入り口の正面に座っていたので姿の確認はできた。
良桜は特に何をするでもなく、ただじっと立っていた。
男は熱のない瞳で、それでも熱心に良桜を見つめている。
やがて雷奈と宮麗がたわいのない話を始め、洞窟の中はにぎやかになった。
しげみに気配を感じ、良桜はそちらに顔を向けた。
やがてしげみはがさがさと音を立て、女が姿を現した。
「あら? 旅のお方ですか。こんにちは」
「こんにちは」
それを見ていた男が急に動き、雷奈たちはぴたりと話をやめた。
外を見ると、見知らぬ女が一人、増えていた。
女を見て、全員が男の動揺の理由を知った。
女は、蛇女族だった。