1 吸血鬼
秋も深まる頃、良桜を先頭に森の中を東に進んでいた五人は、大陸北部で森を抜けた。
「どこかに寄るんですか?」
尋ねたのは半馬人族の娘、雷奈。
ショートカットにした茶色の髪に、好奇心に満ちた大きな黒い瞳。額には角が生えており、紋は鼻筋と直角に交わっている。
きらきらと輝く瞳で問いかけると、絶世の美貌が振り返った。
「これから寒くなる。服を調達しなければ」
やや硬質なくせのある黄金の髪は腰に届くほど長く、強さを秘めた瞳はサファイアンブルー。顔の左半分は髪に隠れているが、それでも隠しようのない美貌の持ち主。そして紋は、見える範囲だけでも、額、頬、首、両手首、両腿、両膝にあった。良桜は、今では聖悪魔族の最後の生き残りである。
「アテでもあるのか?」
ひときわ背の高い男が問いかけた。黄褐色の髪を適当に束ね、赤い瞳をした男の名は宮麗。額に鬼族の紋を持つ。
「この辺りに吸血鬼族の村があったと思う」
良桜は短く答えた。二百年以上前に一度訪れたきりだが、もともと大陸北部に村は少ない。森からそう離れた場所でもなく、何しろ目立つ村だったから、迷うことはないだろうと思う。
「もしかしてあれか?」
銀糸の髪に、ガラスのような透明の瞳をした青年が前方を指さした。額には紋の代わりに紫水晶の瞳を持つ、王家である。
その宮良の指さす先には、れんがを積み立てた塀が見えた。どうやら村の周りをぐるりとれんがで囲んであるらしい。高さも相当なもので、ここからは中の様子はうかがえなかった。
「そうだ」
右目を細めて、良桜は宮良の指す方向を眺めると、そちらに向かって歩き出した。
ずっと口をつぐんでいた五人目は、人間族の男、和泉。ブラウンの髪にブラウンの瞳。彼もまた顔を上げてその壁を見やったが、結局口は開かなかった。
そこは、村というよりも城市と呼ぶにふさわしかった。
村の中は全て舗装され、ぐるりは壁に囲まれている。村に入る門は一つ。石造りの家並みは整然としており、一番奥には城が見えた。
暇そうにしていた門番が、重い腰を上げる。
「やあ、久しぶりの客人だ。ようこそ、吸血鬼族の村へ」
何か御用かな、との問いかけに、良桜が答えた。
「旅の途中で寄らせてもらった。冬服を譲ってはもらえないだろうか?」
貨幣が当たり前のように使えるのは、南の街ぐらいである。どこでも、貨幣も使えないことはなかったが、大抵のことにおいては人々はむしろ、物々交換の方を喜んだ。
そして大抵の村は自給自足で成り立っている。旅人に対して余りものを提供するのも、ごく当たり前のことになっていた。
良桜は貨幣を持っていない。服ぐらいならすぐに譲ってもらえるだろうが、できることならある程度の食料も欲しい。これからの季節、森での食料確保も難しくなってくるだろう。
しかし、さすがにそこまで無償でもらおうとは思っていなかった。今良桜に提供できるものは労働力だけであるが、それでも何もないよりはましである。
その辺りのことは、相手も心得ている。
門番は、交替時に申し送りされている書類をめくっていたが、最後の一枚で眉をひそめた。しばらく書類を見た後、良桜の顔をじっと見る。
「ええと、もしかしてあなたは良桜さん?」
「そうだが」
門番は相変わらず難しい顔をしていたが、書類をたたむと顔を上げた。
「服の提供は可能です。他にも必要なものがあれば、遠慮なく言ってください。ただ ……、その代わりと言うわけではないのですが、良桜さんはあの城に行ってもらえませんか?」
「え、良桜さまおひとりですか?」
門番の態度を不審に思った雷奈が尋ねる。
雷奈だけではなく、当事者の良桜を除く全員が、納得のいかない顔をしていた。
「僕はまだ若いので詳しいことはわからないのですが、城の主はずっと良桜さんのことを待っていたようなのですよ。それが全ての優先事項らしいので、良桜さんに城に行ってもらえれば、他の全てのことに便宜を図るようになっているらしいですね」
門番もまた、困った顔で頭をかく。
「長い黄金の髪。サファイアンブルーの瞳。大理石のような白い肌。絶世の美貌。それから紋も記されています。しかしこれだけでわかるものかと思っていましたが、実物を前にすると疑いなどなくなりますね。これ、間違いなく良桜さんでしょう?」
「それはまちがいなく良桜さまです!」
何故か雷奈が勢いこんで答える。
ずっと無表情に黙っていた良桜は、口を開いた。
「城でわたしを待っているという者の名は?」
「赤佳です」
「……」
名前を聞いても思い当たることはない。
いくら良桜が二百年封印されており、その間の時は止まっていたとはいえ、昔のことに変わりはない。そもそも良桜が吸血鬼族の村を訪ねたのは一度きりで、大して長居もしていない。何か約束を交わした覚えもなかったし、いかに吸血鬼族といえども、二百年もたてば年もとる。
「わかった。会えばわかるのだろう」
良桜は了承する。
「まあでも急ぎではないのでしょう。とりあえずは旅の疲れを癒してください。泊まれる家に案内しますよ」
門番が先に立つ。良桜がその後に続くと、四人は顔を見合わせ、後を追った。
とある家に説明すると、門番は引き返した。
「あらあらお嬢ちゃん。いくらなんでもその格好は寒くないのかい?」
家の夫人が、タンクトップ一枚という雷奈の姿を見て声を上げる。
「北の冬は早いよ。何より先に服を手に入れた方がいいね。部屋に案内する前に、服屋に行こうか」
腰を落ち着ける間もなく連れ出そうとした夫人を、良桜は呼びとめる。
「すまない。その前に、赤佳という人物について教えてくれないだろうか」
すると、夫人は表情を暗くした。
「あたしもねえ……、詳しいことは知らないんだよ。そこらあたりの事情は年寄り連中じゃないと……」
頬に手を当てて目を伏せ、いかにも話しにくそうだ。
「赤佳というのはそれほどの年寄りなのか?」
良桜の問いにも目をそらす。
「見た目は、若いんですよ……。ただ……。あの城は本当は牢獄でね。あの男は一番の禁忌を犯したがために、城に閉じ込めてあるんですよ」
「一番の禁忌?」
雷奈が瞳をめぐらせると、夫人ははっとしたように口に手を当てる。
「ごめんなさい。そればかりは他種族の者には教えられない……」
「いっ、いえっ! こちらこそごめんなさい」
手を振って、雷奈は恐縮する。
「わかった。ありがとう」
良桜が静かに告げると、夫人は弱々しく微笑んだ。
「いいえ、お役に立てなくて……。さあ、服屋に行きましょうか。すぐ近くですから」
手を叩いて暗い雰囲気を一掃すると、夫人は戸を開け、外に出た。
その家の隣では食物を売っており、服屋はその隣だった。
先に服屋の扉に手をかけて、夫人は振り向いた。
「すみません。あなたにはこのままお城に上がってもらってもいいでしょうか。その服なら当分の間はしのげるだろうし、おそらく城に用意があるだろうから……」
「なに?」
ここにきて、さすがに宮麗も不審をあらわにする。夫人の言い様ではまるで、良桜のためのものはあらかじめすべて城にあるかのようだ。
「わかった」
しかし良桜は何も問わず素直に、いつもの無表情でそのまま歩き出す。
「良桜さま……!」
「用が済んだら戻る。では」
一歩を踏み出しかけた雷奈を視線で留めると、後は振り返らずに良桜は去っていった。
「ご夫人」
宮良の声は静かだが、宮麗はその背後に隠しきれていない怒りの心情を見てとり、苦笑する。
夫人もまた何か感じるところがあったのか、必死の笑みを浮かべた。
「すみません。でもあの城のことは、すべてに優先するように、昔から決まってるんです。その代わり、お連れさんたちには何不自由させませんから」
「その代わりって、じゃあ良桜はどうなるんだ!」
「まあまあまあまあ、王子様」
声を荒げた宮良と、脅えた様子の夫人の間に割って入り、宮麗は宮良に耳打ちする。
「あの良桜に、危険なんてあり得ないだろう? そう興奮すんなって。ほら、雷奈ですらおとなしく……」
視線の先、雷奈はすさまじい形相で宮麗を睨みつけていた。
「……。えーとまあ、大丈夫だから。な! 和泉!」
「えっ! はいっ?」
急に話を振られた和泉は飛び上がる。この四人の中では、自分が一番、良桜について知ることは少ない。言えることは何もなかった。
宮麗はぽんぽんと軽く宮良の頭をたたき、雷奈に対してにっかりと笑ってみせる。
しかし宮良には手を払いのけられ、雷奈には視線を外された。
さすがにしょんぼりしている宮麗に、和泉はおずおずと口を開く。
「あの……、きっと大丈夫、ですよ?」
「うん。おまえ、いいやつだな」
「……」
城までは一本道で、迷いようもない。
城に門はなく、道の終わりには大きな扉が立っていた。
良桜はノッカーを叩く。
扉はすぐに開けられた。
扉を開けたのはまだ若い青年。吸血鬼族特有の紅の瞳を見開いて、良桜を見つめていた。
「ああ……。報せは受けていました……」
青年はため息をもらす。
「良桜……。本当に良桜だ……。僕はずっと、待っていた……」
夢見るような瞳で、今にも抱きつかんばかりの青年に対し、良桜は厳しい視線を送る。
「おまえが赤佳か」
「はい。どうぞお入りください。本当にずっと貴女を待っていたんです。お話しましょう」
自分に触れたがっている青年を、厳しい表情で押し留め、良桜は城の中へと入った。
赤佳は、ゆるいウェーブのかかった少し長めの金髪と、紅い瞳、そして吸血鬼族の証である紋を額と首に持つ青年だった。
病的なまでに白い顔は彫りが深く、細身の体には、白いシルクの開襟シャツに黒いズボン、黒い革靴。胸元にスカーフを飾っているだけの、質素な装いだ。左袖からは、細い金鎖の腕飾りが見え隠れしていたが、それとても豪華とは言い難い。
しかしそのシンプルさが、かえって一つ一つの品の高価さをうかがわせていた。
青年自身の立ち居振る舞いも優雅で洗練されており、城の主にふさわしく、貴公子然としている。
だが良桜には、青年にまったく憶えがなかった。
青年は手ずから香り高い紅茶を淹れ、茶菓子を用意すると、良桜の向かいのソファに座り、にこにことしている。
「冷めないうちにどうぞ」
すすめられて、良桜はカップを手に取る。一口含めば、それだけで高級品と知れた。
カップを置くと、良桜は口を開いた。
「すまないが、わたしはおまえに見覚えがない」
しかし赤佳は、愁いを含んだ微笑みを浮かべてうなずいた。
「はい。貴女にお会いした時、僕はまだ小さな子どもだった。貴女が覚えていないのも、仕方がありません」
「いつの話だ」
「貴女が北方税徴収係として、この村に来られたときのことですよ」
良桜はソファに背を預け、物思いにふける。
言われるまでもなく、良桜がこの村を訪れたのは、徴収役を引き受けたあの一度きりだ。
綺羅と一緒だった。それは忘れるべくもない。
春だった。綺羅と二人で北方の村々を回り、税を徴収して中央神殿まで赴いた。
中央神殿の北側には入り口がない。だから二人はそこで先に到着していた監査係に北方税を渡し、神殿の中に入ることなく引き返した。
神殿側は受け取った証として、村に一つずつの水晶球を送る。
行きは税を徴収しながらだったのでそれぞれの村で一泊し、帰りはその水晶球を渡すだけだったのでいちいち泊まるまではしていない。
吸血鬼の村はどうだったろうか。確か帰りは門番に水晶球を渡して素通りしたような気がする。
だからもし、当時子どもだったという赤佳と出会っているならば、それは税徴収のために訪れ、泊まった、ほんの一日の間のことだ。
空白の二百年を除いても昔のことだ。とても全ては思い出せない。
「わからない。おまえと何か話しただろうか」
赤佳は沈む様子もなく、ただ穏やかに微笑みを浮かべている。
「いいえ。僕は本当に小さな子どもでした。女神のように美しい貴女に、話しかけることなんて、とてもできなかった。それに貴女は、婚約者殿とご一緒でした」
良桜は、ほんのかすかに眉を寄せる。
「貴女が僕を覚えていないのは、本当に仕方のないことなんです」
「わたしをここに呼んだ理由は?」
「貴女に会いたかった。本当に、ただそれだけなんですよ」
紅の瞳でひたりと良桜を見つめ、そして赤佳は破顔した。
「良桜さまが帰ってきません!」
朝一番、雷奈は隣の部屋のドアを開けた。
あれから、夫人に服を見立ててもらい、食べ物を買ってから家に戻って食事をし、夜が更けても、夜が明けても、良桜は戻ってこなかった。
雷奈は結局一晩、徹夜した。
バタン、と勢いよくドアを開けて部屋の中を眺めると、雷奈と同じく一晩まんじりともしなかった宮良が憔悴した顔で窓辺に座っており、その宮良に遠慮してやはり眠れなかった和泉が、部屋の隅っこで膝を抱えていた。
宮麗は、と見ると、ナイトキャップをかぶって鼻までふとんにもぐりこみ、いかにも気持ち良さそうに眠っている。
雷奈は無言でどすどすと足音高く部屋に入ると、宮麗のふとんをひっぺがした。
「…………。いやあああああっ!!」
「え? なに?」
急に耳元に大音響の悲鳴を浴びて、宮麗が上体を半端に起こす。
雷奈は宮麗のナイトキャップをむしりとると、それでぴしぴしと宮麗の裸の背を打った。
「ちょっ! なんで裸なんですかあっ! ナイトキャップなんてかぶってるくせに、なんで裸で寝てるんですかああっ!!」
ナイトキャップでへちへちと叩かれたところで痛くもかゆくもないが、寝起きにこのテンションで襲われてはたまらない。
まだ開ききらない目を覆い、もう片方の手ではねのけられたふとんを探す。
「いーじゃねーか……。下はちゃんと着てるだろーが……」
ろれつもまだよく回っていない。
「ナイトキャップかぶってたらパジャマも着てると思うじゃないですか! なんでわざわざ上半身裸なんですか!」
「いいだろ、ナイトキャップ好きなんだから……」
ふとんを探して振り回していた手が、そのナイトキャップをつかむ。好きな理由が、“魔法使いっぽいから”だということは黙っておく。さすがにもう目が覚めた。
体を起こし、もそもそと服を着る。
それからやっと、雷奈に気づいた。
「あれ、雷奈。なんでここにいるの。ここ男部屋……」
「良桜さまが帰ってこないんですっ!! なんでのんきに眠れるんですかあっ!!」
さらなる大音響で怒鳴られた。
あまりの騒々しさに、夫人が夫を連れて様子を見に来る騒ぎになっても、宮良と和泉は微動だにしていなかった。
とりあえずその場は夫人になだめられ、四人は朝食のテーブルについた。
「あれ、雷奈。せっかくいろいろ見立ててもらってたのに、セーターしか着てねえの?」
朝から旺盛な食欲を見せながら、宮麗が目を上げる。
雷奈は薄いピンク色の、ふわふわのセーターに身を包んでいた。
生まれてこのかた寒さを知らないという雷奈に、北部の冬を甘く見るなと夫人にあれこれ世話を焼かれ、結局セーターに、同じ素材の帽子とマフラー、ミトンまで押しつけられていたはずである。
「家の中でまで帽子や手ぶくろしませんよ!」
親の仇かという勢いで、雷奈はスープとサラダを口に運んでいる。
結局夫人は雷奈にかかりきりだったので、宮麗たちは適当に服を選んだ。とはいっても冬を知らないのは雷奈だけであったから、それでちょうどよかったのかもしれない。
宮麗はもともと長袖を持っていたのでそれに着替え、少し考えてマフラーと手袋をもらった。その後さらに隣に一人で赴いて、サンダルとブーツを履き替えた。
ぼーっとサラダをつついている宮良は、上着を長袖に替え、マフラーももらったが、やはり今は部屋に置きっぱなしである。
和泉はスープを飲みながら、こくりこくりと舟を漕いでいる。
和泉は服を全て交換した。宮麗が隣の靴屋からついでにもらってきたブーツも、サイズはちょうどよかった。それだけで充分に満足だったが、店から出ようとしたところで、宮麗から防寒マントをかぶせられた。和泉は驚いて声もなかったが、宮麗は何も言わずにぽんぽん、と和泉の頭をたたいて先に行ってしまった。結局礼は言いそびれたままだ。
雷奈の小言は続いている。
「まったく、信じられませんわ。あきらさまったらひとりでぐーぐー寝てるんですもの。良桜さまのことが心配じゃありませんの?」
「うん、まったく」
対して宮麗の態度はあっけらかんとしたものだ。
雷奈はぐさり、と野菜にフォークをつきたてる。
「……あきらさま?」
「……。うん、まあ、あれだ。良桜より強いやつなんていないんだから、心配するだけソン……」
「あきらさま?」
「あははー。ウン、心配だネ!」
上目づかいに睨んでくる雷奈の視線をわざとらしく避けて、宮麗はもぐもぐと口を動かしてごまかす。
こうなると、雷奈には何を言っても無駄だ。
宮麗はこっそりとため息をついた。