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第6話 ‐決心‐ 憎悪の終幕




 扉を閉め、部屋の電気を点ける。

 一瞬の間を置いて、電気は俺の部屋を照らす。

 あるのは、布団を取っ払ったこたつ、本棚2つにパソコン用の机、テレビ。これだけ。

 俺が借りているこの部屋はワンルーム十畳という、高校生の一人暮らしとしては上等な部屋だ。といっても、その空間を有効に使えているかどうかは甚だ疑問だが。

 時間は、午後9時。芽衣子や晶子を送っていたら、結局こんな時間になってしまった。

 しかし…………、憂鬱だ。明日から、バイト先の面倒事が二つに増える。これ以上の鬱要素はない。

 なぜ瀬奈さんがあんなことを言ったのか、全くもって理解できない。いや、あの人の言うことを理解したことなど一度としてありはしないが、それにしたって今回の芽衣子の勧誘は意味を図りかねる。

 そして、芽衣子はそれに嬉々として飛びついた。泣いていたぐらいだから相当嬉しかったんだろう。俺の近くにいればチャンスがあるとでも思っているのかもしれない。あいつに思考回路はあるのだろうか。

 だが、芽衣子に関してわからないことが多いのは事実だ。例えば、芽衣子の暗示の能力。あの能力の細かい内容や制限、それにいつからその能力を使い始めたのかも知っておきたい。それらを解明するという意味では、近くにいてくれた方が都合はいい。


 しかし、と、今日のことを思い返す。

 俺は今日、なんとも支離滅裂なことばかり言っていたような気がする。

 芽衣子に、俺には欲望がないと言っておきながら、最後は感情を思いっきり発露していた。我ながら、もう少し首尾一貫した話はできなかったのかと、悔いる。

 あれでは芽衣子も諦めてはくれないだろう。あの場では、雰囲気に中てられてしまっていたが、冷静になった今ではどう思っているのだろうか。

 と、物思いに耽っていると、携帯が鳴りだした。

 開いて画面を見る。自分でもわかるぐらいに顔が歪んだ。もちろん、不快のせいで。


「はい」


『あ、芽衣子です』


「知ってる。要件はなんだ」


『えへへ、電話、できた』


 うわぁ……、気持ち悪。瀬奈さんの言うことだとはいえ、こいつに携帯番号を教えたのは間違いだったかもしれない。これから毎日かかってきたりするのだろうか。ストーカー紛いのことはしないでほしいが。


「要件を、言え」


『ないですよ~?かけてみただけです~』


「そうか。なら切るぞ」


 俺が言うと、電話の向こうで若干慌てる雰囲気が感じ取れた。


『いえいえ、あります!用、あります!切らないでください!』


 そこまで必死になられると切れない。俺は無言で促した。電話越しで伝わっているかは微妙だが。


『あの、先輩』


「その呼び方はやめろ。あと、敬語もなんか違和感がある」


『やめません。先輩は先輩ですし、年長者には敬語、これ基本ですよ?』


 なんか諭された。得意げな声が癪に障る。


『とにかく。先輩に言っておきたいことがあるんです』


「?なんだ?」


『……すみませんでした。それと、ありがとうございました』


 散々やられたから謝られるのはわかるが、感謝される憶えはない。しかし俺は何も言わなかった。黙って芽衣子の言葉を待った。


『先輩のおかげで、色々吹っ切れました。晶子とのこととか、私自身のこととか』


「…………そうか」


『はい』


 その辺りは俺が首を突っ込むべきことではなかった。正直、干渉しすぎたかとも思ったが、感謝されているなら大丈夫だろうか。


『それと……、先輩』


「どうした」


『一つ、聞いてほしいことがあるんです』


 許可を出して促す。


『私…………、晶子に勝てるものが、ほとんどないんです』


「そうか」


『はい。……だから、両親が可愛がってるのも晶子でした。勉強も運動も、見た目も私より優れている晶子の方が、親は好きだったんです』


「それで?」


『その差が、あまりにも露骨で…………、私、最後に褒められたのがいつかなんて覚えてないぐらいなんですよ?なのに、あの娘はいつもお母さんにも、お父さんにも…………』


「………………」


『私のことが好きだって言ってくれる人も、結局は晶子に盗られるんです。いつも、晶子が横から割って入ってきて』


「確かに、見た目だけを見れば晶子の方が上だからな」


『っ……、慰めて、くれないんですか』


 涙を堪えているような声だった。


「晶子が慰めてくれるんだろ?」


『そっ、それが!嫌味にしか聞こえないの!晶子だってそのことわかってるはずなのに!なのに、晶子はいつも憐れみの目で私を見てくる!』


「なら晶子を拒絶しないのはなぜだ」


『――っ』


「出しゃばるようなことを言うが。君は、形だけでも自分の味方をしてくれる晶子から離れたくないんだろ?唯一の味方である晶子を拒絶して、孤独になりたくないんだろ?」


『そう、ですよ。何が悪いんですか』


「なら、それを貫けばいいじゃないか」


『え……?』


 こんなお節介焼きにはなりたくないんだが。どうも芽衣子という女に、保護欲というものが出てきてしまったらしい。まったく、俺らしくない。


「貫いて、その上で晶子と争えばいい。同性のきょうだいなんてものはお互いに争うための存在だ。競争して、蹴落とすための存在だ」


 俺には同性のきょうだいはいないが、これはある人の言葉を拝借したものだ。本当にそんなものかもしれないと、俺は共感した。


「でなければ永遠に嘘の仮面を貼り付けて負け続けるといい。人は自分に負け続けてくれる人間とは自分から離れようとはしないから、一応は孤独にならずに済むぞ?」


『ぅ……ぁ、ぅ……』


 泣いているのだろうか。電話越しに嗚咽が聞こえた。

 だが、俺に罪悪感はない。女を泣かせて喜ぶ趣味はないが、こいつに限っては一度泣かせるぐらいに苛める必要がある。


「そもそも、君は吹っ切れたんじゃなかったのか?結局自分では何も決めてないじゃないか。それとも逃げると決めたのか?決めるのは楽だが、逃げ続けるのは楽じゃないぞ」


 追撃すると、今度は嗚咽すら聞こえなくなった。

 何が来るのだろう、と思っていると、すん、と鼻をすする音の後に、芽衣子は小さく言った。


『…………わかり、ましたよ』


「何が、だ」


『戦えばいいんでしょ!ええ、わかりましたよ、いくらでも戦ってやりますよ!今度こそ絶対!逃がさないんだから!』


 耳から電話を離す。いきなり大声を出すな。


「何を逃がさないんだ」


『先輩に決まってるじゃないですか!』


 決まってるのか。


「いや、でも、晶子が俺のことを好きになるのか?戦うってことはそうなるんだが」


『もうなってると思いますよ』


「お……、そうなのか」


 衝撃の事実。

 二人の家に到着した時にちょうど晶子は目を覚ましてくれたが、その時はそんな素振りは全くなかったように感じたのだが。


『だって晶子、帰り道の割と早い段階で目は覚めてましたから。それで寝てる振りしてるんですから好きってことでいいんじゃないですか?』


「歩くのが面倒だったとか」


『そんな簡単なこと面倒がる娘じゃありませんよ』


 なんで擁護してんだよ。敵なんだろ。


『とりあえず覚悟はしててくださいね。晶子も行くかもしれませんけど』


「それは迷惑だな」


『でしょうね』


 そこまで平然と言われると逆に清々しい。迷惑であることに変わりはないが、かといって二人を止めることも不要だろう。こいつを諦めさせることも、もう諦めた。


「まあ、それはもういい。ともかく明日からは仕事仲間というわけだ」


『そうですね。よろしくお願いします』


「ああ、よろしく」


 店で一度交わした言葉をもう一度言い合う。


「で、用はもうないな?」


『はい、それでは失礼します。おやすみなさい』


「ああ、また明日」


 相手が切るのを確認してから、俺も携帯を耳から離した。

 ただ会話をするだけなら、芽衣子は正常な人間だ。恋愛さえ抜きにすれば、普通に仕事仲間か、あるいは友人としての関係が築けたかもしれない。―――まぁ、狂気の根源であるはずの恋愛感情がなければ、出会うことすらなかっただろうけど。

 とりとめもないことを考えつつなんとなく携帯のディスプレイに目を遣る。そこに表示された着信履歴に気付いた。

 履歴の時間を見れば、芽衣子と晶子を送っている時間とちょうど同じ。そして、その相手は―――


「親父……?」


 父親からだった。

 一人暮らしを始めてからほとんどかけてこなかったのに、なぜ今。そもそも、今はまだ仕事をしている時間じゃないのか。まさか璃茱りじゅに何かあったのか、あるいは―――

 と、様々な可能性が頭に浮かぶが、とにかく父親にかけることにした。

 面倒なことになりそう、というか笑っていられない類の嫌な予感がする。

 たった4コールが、一時間にも感じた。


『―――瑠樹か』


「瑠樹だ。どうしたんだ、親父からなんて珍しい」


『父親が息子に電話して何が悪い―――と、言えるような状況でもない、か』


 やっぱり。親父の声もいつもより心なしか低い。


「何かあったのか?」


『ああ、あった。あまり驚かないで聞いてほしいんだが…………』


「悪いことなのか?」


『いや……、微妙、だな。少なくとも、お前にとっては』


 俺にとって、微妙。まったく思いつかない。


「教えてくれ」


『もちろんだ。……本当に、冷静に聞いていてほしい』


 なら早く言ってほしい。一体、何を躊躇う必要があるのか―――




『母さんが、死んだ』




「………………は?」


『母さんが亡くなった。事故だ。相手は飲酒運転で、母さんに過失はない。相手はすぐに捕まったからこれといって手間もなかったが…………』


「待ってくれ」


 あの人が死んだ、と親父は言った。

 死んだのか。

 俺が、家を離れるまでずっと、俺の身体を弄び続けたあの人が。

 俺が、ここまで狂ってしまうきっかけになったあの人が。

 死んだ。

 まさか。

 そんなわけが。

 死ね、と呪ったことは何度となくあるが。

 それでも死ぬどころか、笑って俺の身体を舐めまわすようなあの人が。


 死んだ?


 親父が何かを言っているが、それは言葉としては耳に入ってこなかった。

 笑ってしまう。嬉しいからではなく、俺の望みがこんなくだらない形で実現してしまったからだ。

 手段があり、法で許されるなら、俺があの人を殺したかった。できれば一瞬で。あの人の声など、断末魔すら聞きたくない。

 許されなくても、いずれはやるつもりだった。どうせ狂っているなら、狂人らしく人を殺してみたかった。

 だというのに。

 望まない形で、望みが叶った。


「…………はっ」


 笑って、しまう。

 結局あの人は、最後には逃げるのか。


『瑠樹』


「―――なんだよ?」


『できればお前には通夜にも葬式にも出てほしい』


「……………………」


 我ながら威圧するような声を出してしまったが、それに臆することもないのは、親父の才能か。

 だが、親父はなんと言っただろう。

 あの人の葬式に出ろ、と?俺を犯し続けたような、あの人の?


『やはり無理か』


「…………いや、」


 だが俺は、死んだ人間を呪うような虚しいことはしたくなかった。


「確かに生前のあの人は死んでほしいぐらい呪ってたが…………、死人は死人だ。仮にも血の繋がった家族でもある。通夜にも葬式にも、出させてもらう」


『そうか……』


 親父のことは嫌っているわけではない。かといって好きなわけでもないが、夏休みで暇なはずの高校生の俺が葬式に出ないのは親族の心証も悪くなる。親父に迷惑はかけたくなかった。

 それに、あの人が俺にしていた所業は、俺と親父とあの人しか知らなかった。他のあの人を知る人間に話して聞かせても、おそらく信じてはくれないだろう。対外的にはいい母親だったのだから、あの人は。


『瑠樹、もう一つ、話があるんだ』


「……璃茱のことか?」


 一之瀬璃茱いちのせりじゅ。俺の妹だ。だがそれは戸籍上のことであって、遺伝子的にはどうなのかわからない。俺の精通は10歳のころ。璃茱は、まだ5歳だ。あの人は毎日のように俺を犯っていたのだから、俺が父親だという可能性は低くない。

 それはともかく、あの人も璃茱に対しては普通の母親として振る舞っていた。母親だったあの人がいなくなった場合、仕事で家を空けることの多い親父では面倒が見きれないだろう。親父の言いたいことは大体予想がついた。


『そうだ。瑠樹、お前に帰ってきてほしい』


 予想通りだった。


『家政婦を雇うことも考えたが、璃茱はまだ5歳だ。できるだけ家族で育てていきたい』


「わかった。あの人の葬儀が終わったら、すぐに帰れるよう準備しておく」


 即答した俺に、親父は意外そうな声を出した。


『いいのか?そんなに急ぐ必要は―――』


「こっちには特に思い入れもない。高校にもこだわりはないし、そっちの適当なところに編入できれば十分だ。それに、璃茱に寂しい思いはさせたくない」


 俺が言いきると、親父の溜息が聞こえた。


『そうか。わかった。ならそっちのほうの諸々の手続きは頼む』


「ああ。じゃあまた。葬儀の日程が決まったら、また電話してくれ。それまでにできることはしておく」


 親父の了解の声を聞いて、通話を終わらせる。

 さて、やらなければいけないことがかなり増えた。

 コンビニで弁当を買っておいてよかったと、心底思った。この状況で、料理などできる気分ではない。





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