勝手に怯えて、自爆が始まっている模様
「クロエ・フォン・ローゼンベルク公爵令嬢! 貴様のような嫉妬深く、悪逆非道な女は、僕の婚約者にふさわしくない! 今この時をもって婚約を破棄し、魔獣蔓延る最果ての辺境『ゼムス』への永久追放を言い渡す!」
王立魔法アカデミーの卒業を祝う、豪奢なシャンデリアが煌めく夜会。
甘美なワルツの調べはすでに止まり、静まり返った大広間に、王太子ユリウスの甲高い声が響き渡っていた。
彼の腕の中には、ピンク色のふわりとした髪に、潤んだ瞳を輝かせた男爵令嬢、リリィ・ホワイトがすっぽりと収まっている。彼女は「殿下、私のためにそこまで……っ」とかなよわく震えて見せているが、私――クロエには、彼女の唇の端が勝ち誇ったように歪んでいるのがハッキリと見えていた。
周囲を取り囲む貴族のご令息、ご令嬢たちは、息を呑んで事の成り行きを見守っている。
誰もが、公爵家の威信を傷つけられた私が、泣き喚くか、あるいは激昂してリリィに掴みかかるかと思っているのだろう。
だが、私の胸中に渦巻いていたのは、怒りでも悲しみでもなかった。
(キタキタキタキタキターーーーッ!! ついにこの時が来たわ!!)
私は扇で口元を隠しながら、必死に顔の筋肉を引き締めていた。うっかりすると、満面の笑みがこぼれ落ちてしまいそうだったからだ。
私の前世は、日本のしがないブラック企業の社畜OLである。
毎日終電まで働き、休日出勤は当たり前。上司のパワハラとクライアントの無茶振りに挟まれ、ストレスで胃に穴を開けながら、四十を手前にして過労で倒れ、あっけなく短い生涯を終えた。
そして目を覚ますと、生前、通勤電車の現実逃避でプレイしていた乙女ゲーム『星降る王都の聖なる乙女』の悪役令嬢、クロエに転生していたのだ。
クロエは、プライドが高く我儘な公爵令嬢。ヒロインであるリリィを虐め抜き、最後は王太子に断罪され、魔獣の巣窟であるゼムス辺境領へと追放される運命にあった。ゲーム内でのゼムス領は「実質的な死刑宣告」と同義であり、追放後の悪役令嬢は魔獣に食い殺されるというバッドエンドしか用意されていない。
前世の記憶を取り戻したのは、私が五歳の時。
その瞬間から、私は決意した。
(もう二度と、あんなストレスまみれの人生はごめんだ! 私は絶対に、自然豊かな辺境で悠々自適なスローライフを送ってやる!!)
そう、私にとってこの「追放宣告」は、バッドエンドどころか「究極のハッピーエンド(強制リタイア権)」へのプラチナチケットなのだ。
王太子妃教育という名の地獄のカリキュラム。腹の探り合いしかない貴族社会のしがらみ。そして何より、顔が良いだけで中身は空っぽ、人の話を聞かず、すぐにヒロインの嘘に騙されるポンコツ王太子ユリウスとの結婚。
そんなもの、願い下げである。
私はこの日のために、完璧な準備を進めてきたのだ。
公爵令嬢としての権力と財力をこっそり横流しし、ゼムス領に広大な土地と別荘をダミー会社経由で購入。さらに、ゲームの知識をフル活用して「辺境スローライフに必須な魔法」――すなわち、空間収納魔法、洗浄魔法、身体強化魔法、そして高度な料理魔法などを、ひたすら極限まで鍛え上げてきた。
本来のクロエが学ぶべき攻撃魔法など一切覚えていないが、辺境で生きるには「一瞬で部屋をピカピカにする魔法」や「無限に食材を保存できる魔法」の方が、百万倍役に立つ。
「……クロエ! なぜ黙っている! 己の罪の重さに、返す言葉もないということか!」
私が感動に打ち震えて無言でいるのを、ユリウスは「絶望して言葉を失っている」と勘違いしたらしい。得意げな顔で私を見下ろしている。
私はスッと背筋を伸ばし、完璧なカーテシー(淑女の礼)を披露した。
「……王太子殿下のお言葉、謹んでお受けいたしますわ。私のような至らぬ女は、速やかにこの王都を去り、辺境の地にて己の罪を悔い改めることといたしましょう。殿下とリリィ様のご多幸を、辺境よりお祈り申し上げます」
声のトーンを落とし、あえて抑揚をつけずに淡々と告げた。
本当は「やったー! さようならポンコツ! 私は自由よ!」とサンバでも踊り出したい気分だったが、ここでふざけて追放を取り消されては困る。あくまで「絶望のあまり感情を失い、粛々と運命を受け入れた悲劇の悪役令嬢(ただしプライドは崩さない)」を演じきらねばならない。
しかし、私のその氷のように冷たい態度が、逆にユリウスの背筋を凍らせたらしい。
「な、なんだその態度は……! 貴様、反省しているふりをして、何か恐ろしいことを企んでいるのではないだろうな……っ!?」
ユリウスが一瞬、怯えたように一歩後ずさった。
何を言っているんだこの男は。企んでいるとすれば、「明日の朝食は辺境の特産品でオムレツを作ろう」くらいのものである。
「企みなど、滅相もございません。ただ……そうですね。私がいなくなるこれからの王都が、どうなっていくのか……とても『楽しみ』ではありますわね」
私は扇越しに、ニッコリと微笑んだ。
これは純粋に、「面倒な公務を全部私に押し付けていたアンタらが、明日からどうやって政務を回すのか見物ね(まあ私は辺境にいるから関係ないけど)」という意味の、皮肉混じりの本心だった。
しかし、この私の言葉と笑みが、後々王都を巻き込む大騒動の『呪い』になるとは、この時の私は知る由もなかったのである。
「ひっ……!」
リリィが小さく悲鳴を上げ、ユリウスの腕にしがみつく。
「ゆ、行くがいい! 今すぐこの場から立ち去れ! お前など、辺境の魔獣に喰われてしまえばいいのだ!」
ユリウスの半ばパニックになったような怒声に見送られながら、私は踵を返した。
ドレスの裾を優雅に翻し、大広間を出る。
扉が閉まった瞬間、私は誰もいない廊下で両手で小さなガッツポーズを作った。
「よっしゃああああああっ!! 自由だあああああっ!! スローライフ万歳!!」
こうして、私、クロエ・フォン・ローゼンベルクは、夢にまで見た自由な辺境生活を手に入れたのである。
────
馬車に揺られること二週間。
私を護送してきた近衛騎士たちは、ゼムス領の入り口である「嘆きの森」の前に私を降ろすと、逃げるように王都へと引き返していった。
「さてと。ここからが私の本当の人生の始まりね」
鬱蒼と茂る不気味な木々。陽の光さえ遮られ、どこからともなく魔獣の遠吠えが聞こえる恐ろしい森。普通の令嬢なら一歩も足を踏み入れられないだろう。
だが、私にはゲームの完全な知識がある。この森のどこに安全地帯があり、どの魔獣がどの縄張りを持っているのか、すべて頭に入っているのだ。
私は空間収納魔法から、あらかじめ用意しておいた冒険者用の動きやすいチュニックとブーツを取り出し、窮屈なドレスからさっさと着替えた。
コルセットを外した瞬間の開放感たるや! 思わず深呼吸してしまう。
「空気が美味しい! 魔素が濃くて最高じゃない!」
私は鼻歌交じりに森の中を歩き出した。
目指すは、事前にダミー会社名義で購入しておいた、森の奥深くにある古代の廃城だ。魔法で修繕すれば、立派なマイホームになる。
道中、低級のツムン(デカいカタツムリ)やスライムに遭遇したが、空間収納魔法から取り出した「胡椒玉(手作り)」や「唐辛子スプレー(魔力付与済み)」を投げつけると、あっさりと逃げていった。見たことのない珍しいスライム(白い体)がいて、池を不思議そうに眺めていたが、安全第一でスルー。ゲームの知識があれば、彼らの弱点などお見通しなのだ。
一時間ほど歩くと、開けた場所に出た。
そこには、私の目的の廃城……の前に、とてつもない存在が横たわっていた。
「グルルルルル……」
体長は5メートルを超えようかという巨体。
月明かりを弾くような美しい白銀の毛並み。
空気を震わせるほどの重低音の唸り声を上げる、四つ目の巨大な狼。
――魔獣、『氷狼』。
ゲーム内では、裏ボスとして登場する高位魔獣だ。触れるものすべてを氷結させ、国を一つ滅ぼすほどの力を持つと言われている「北の厄災」。
しかし、私は恐怖を感じるどころか、その瞳をキラキラと輝かせていた。
「モフ……モフモフだわ……! なんて立派なモフモフなの……!!」
前世で犬や猫を飼いたくても、ペット不可のマンションと激務のせいで叶わなかった私の「モフモフ欲」が、限界突破して爆発した。
フェンリルはこちらを威嚇するように牙を剥き出しにしているが、よく見るとその後ろ足には、太い棘のような魔植物が深く刺さっていた。怪我をして苛立っているらしい。
「かわいそうに。痛かったわね」
私がゆっくりと近づくと、フェンリルは警戒して周囲の空気を凍てつかせた。
普通ならここで全身が凍りついてジ・エンドだが、私はあらかじめ「絶対零度耐性」のエンチャントを施したインナーを着込んでいる。寒さなど微塵も感じない。
「大丈夫よ。怖くないわ」
私は空間収納から、一本の草を取り出した。
ゼムス領のそこかしこに生えている雑草、通称『マタタビソウ』。
ゲームの設定資料集の片隅に小さく書かれていた裏設定。「フェンリルはネコ科ではないが、なぜかマタタビソウの匂いに異常なほど弱い」。
私がマタタビソウをフェンリルの鼻先に近づけると――。
「……フンスッ!?」
先程までの恐ろしい殺気が嘘のように消え失せ、フェンリルの四つの目がトロンとだらしなく垂れ下がった。
「クゥーン……」
「よしよし、いい子ね」
フェンリルがマタタビソウの匂いに酔いしれている隙に、私は洗浄魔法を応用した無痛の抜歯魔法(本来は貴族の虫歯治療用)を使って、足に刺さっていた棘をポンッと抜き取った。さらに、最高級のポーションをふりかけると、傷は一瞬で塞がった。
「グルゥ……?」
痛みが消えたことに気づいたフェンリルは、不思議そうに自分の足を見つめ、そして私を見た。
「もう大丈夫よ。あなたは今日から『シロ』ね。よろしく、シロ」
私がふかふかの首筋に抱きつき、思い切りその白銀の毛並みに顔を埋めて匂いを嗅ぐと、シロ(元・北の厄災)は抵抗するどころか、大きな尻尾をパタパタと振り、私の頬をザリッと大きな舌で舐めた。
よし、完全なテイム成功である。
ゲームの裏設定、バンザイ!
私はシロの背中に乗せてもらい、廃城へと向かった。
到着するなり、私はありったけの魔力を込めて『超絶広範囲・生活空間洗浄魔法』を発動。何百年も放置されていた廃城の汚れ、埃、カビ、崩れた瓦礫が、光に包まれて一瞬にしてチリ一つないピカピカの状態へと復元された。
「ふう、完璧! シロ、今日のご飯は豪華にいくわよ! 王都からくすねてきた……ゴホン、正当な慰謝料として頂戴してきた最高級のモーク肉(牛肉)で、とろとろのシチューを作るからね!」
「ワォォォン!(大賛成!)」
シロが嬉しそうに遠吠えを上げる。
私は空間収納から調理器具を取り出し、鼻歌交じりに料理を始めた。
広々としたお城。美味しいご飯。そして、寄りかかると極上の温かさを提供してくれる巨大なモフモフ。
誰の目も気にせず、誰に怒られることもない、完全なる自由。
「ああ……最高。ここが私の天国ね」
星空の下、私はシロのお腹に寄りかかりながら、温かい紅茶をすすった。
幸せすぎて、涙が出そうだった。
────
――その頃、王都。王城の執務室。
「な、なんだと……!? クロエが生きているだと!?」
王太子ユリウスは、報告に訪れた隠密の言葉に、顔面を蒼白にして椅子から立ち上がった。
その手は小刻みに震えている。
「は、はい! 追放された翌日には、ゼムス領の魔の森の奥深くにある古代の城塞を『一瞬にして』復元し、そこを拠点としている模様! さらに恐ろしいことに……」
隠密の男もまた、恐怖に顔を引き攣らせていた。
「北の厄災たるおぞましい魔獣『氷狼』を、たった一人で、しかも無傷で完全に従属させております! 現在、あの悪魔のような魔獣は、クロエ様の足元で飼い犬のように平伏しているとのこと……!」
「ひっ……!」
執務室のソファでお茶を飲んでいたリリィが、ティーカップを取り落として悲鳴を上げた。
ガシャン、と陶器が砕ける音が、静まり返った部屋に嫌に響く。
「バ、バカな! あのフェンリルだぞ!? 王国騎士団が総出で討伐に向かっても、手も足も出なかった伝説の魔獣ではないか! そ、それを、魔法もろくに使えないはずのあの女が……!?」
ユリウスの脳裏に、追放を言い渡した時のクロエの姿がフラッシュバックした。
『企みなど、滅相もございません。ただ……私がいなくなるこれからの王都が、どうなっていくのか……とても楽しみではありますわね』
あの時の、氷のように冷たい微笑み。
そして、今になって発覚した、圧倒的なまでの隠された力。
ユリウスの頭の中で、一つの「最悪のシナリオ」が完全に出来上がってしまった。
(あ、あの女……最初からこれが狙いだったのだ!!)
ユリウスはガクガクと震える手で頭を抱えた。
(わざと追放されることで王都の監視の目を逃れ、辺境で伝説の魔獣を軍門に下し、古代の城塞を復活させて『魔物軍』を組織しているのだ! あの薄気味悪い笑みは、「必ず王都を火の海にして復讐してやる」という死の宣告だったんだ……!!)
「で、殿下ぁ……! 怖いです……! クロエ様、私を殺しに来る気ですか……!?」
泣きつくリリィの言葉に、ユリウスは半狂乱になって叫んだ。
「緊急事態だ!! すぐに国境の警備を三倍に増やせ!! 魔道士団を総動員して、王都に結界を張るのだ!! 資金などいくらでも使って構わん! あの女の『復讐の大軍勢』が来る前に、迎撃の準備を整えるのだ!! 急げええええええっ!!」
この日を境に、王都は「見えない恐怖」に包まれることとなる。
クロエの復讐に怯えるユリウスは、国防費を異常なまでに引き上げ、重税を課し、貴族たちの反発を招いていく。さらに「クロエと内通している者がいるかもしれない」という疑心暗鬼に陥り、有能な文官たちを次々と遠ざけ始めたのだ。
クロエには復讐の意志など1ミリも存在しないというのに。
王太子派閥は、勝手にパニックに陥り、勝手に国力を削り、自滅への道を全力疾走し始めていた。
────
「はっくしょん!!」
辺境の城の広間。
シロの背中の上で昼寝をしていた私は、豪快なくしゃみをして目を覚ました。狼アレルギーなんて、やめてよね。
『主殿。風邪カ? 我ノ毛皮デ暖ヲ取ルトイイ』
頭の中に、シロの低い声が直接響く。(実はシロは念話ができた。さすが伝説の魔獣である)
「ううん、大丈夫よ。なんだか、誰かにものすごく噂されている気がするだけ。まあいいわ」
私はシロのふかふかの背中に頬をスリスリと擦り付けながら、だらしなく笑った。
「ねえシロ。明日は裏庭を開墾して、野菜の種をまきましょう。トマトが収穫できたら、美味しいピザを焼いてあげるからね」
『ピザ……! ワカッタ、我ガ全力デ畑ヲ耕ソウ!』
「ふふっ、頼もしいわね。ああ、本当に平和で幸せな毎日だわ」
王都の人間たちが、勝手に怯えて自爆へのカウントダウンを始めていることなど知る由もなく。
私の、最強のモフモフと共に送る、ストレスフリーで最高に幸せな辺境スローライフは、まだ始まったばかりであった。




