カラスと書き物机
魔法と空と大樹の秘密
ここは、大空と大樹と浮城の世界【アルシエラ】。
雲海の彼方に浮かぶ無数の島々を、風と魔力が繋いでいる。
魔法が一般化したこの世界で、魔法職につけるものはごく限られていた。人よりも多い魔力量を持ち、操作に優れ、秀でていなければならない。
【世界樹管理官王宮魔術師】
王宮を中心に根付いた世界樹を管理する、国家公務員の最高峰を誇る役職の一つだ。
子供なら誰しも一度は夢見るものなのである。
だが現実はそう甘くなく。
高い受験料を課せられ、才能のないものは容赦なく試験で蹴落とされる。
だから、魔法職に就けなかった人は、せめても、と駆け込むのだ。
【大空郵便社アストレイル】に。
少年は、古びた書き物机にもくもくと向かっていた。
一月銀貨一枚と懐に優しい家賃のレンガ造りのアパート。
大きなガラスの窓の外には、世界樹の枝が空を生やしているように伸びている。
柔らかいランプの光と月だけが照らす机の上には、インク瓶と、羽ペン。
そして、帯が長い一羽のカラス。
「ーーまた落ちたのか」
カラスは呆れたように少年に言う。
ひたすらに羽ペンを動かし、教本とノートに目線を行き来させていた少年は、顔を上げない。
窓枠にかけられたコルク板には、一枚の不採用通知。
【世界樹管理官王宮魔術師
第1784期試験 不合格】
これで通算七回目だった。
一年に三回ある試験も、二年間落ち続け、3年目の一回目も終わった。
「お前才能ないんじゃないのか?」
カラスは小馬鹿にしたように少年を鼻で笑った。
「うるさい」
不貞腐れた声で、相変わらず少年はペンを動かし続ける。
「図星かよ」
「焼き鳥にするぞ」
「試験でそんな魔力残ってないだろ」
「このクソ鳥が」
「おい口撃に切り替えるな」
少年の声がこもり始め、カラスはため息をついた。
「おれ、絶対なるから」
カラスはライトベージュのつむじを見つめる。
重力に流れる細い髪の間から見える膨れた頬に、涙の線が引かれる。
「……絶対、なるから」
止まった手を、しばらく黙ってからカラスは嘴で突く。
「……やけ勉強もいいが、飯をまず作れ」
「自分で作れよ!!」
1人と一匹は、キッチンへと歩いていった。
カタン、と一人でに引き出しが開く。
鍵がかかっていたはずのそこには、一通の封書があった。
差出人不明。
消印なし。
本来宛名が書かれるはずの場所には、古い筆記体でこう記されていた。
ーー『世界樹の根で、待っているよ。少年』
それは。
少年が世界樹管理官を志した、始まりの手紙。
封も切られていないそれは、ひとつ身震いをする。
何かの予感を、感じたようにーーー
「クレイ!起きろクレイシス!」
ブルーグレイの大きな目はきょろきょろと動き、自分の制帽を探す。
「なんだよユノ……オレは……まだ寝たいんだよ……ぐぅ」
怠け者のカラスは、翼を顔へかぶせるように丸くなる。
ユノは赤い目元でクレイシスを人ひと睨みし、やっと見つけた制帽を引っ掴んで小さな頭に押しつける。
「し・ご・と!!」
「ぬぁ……」
クレイシスは片目だけ開けてユノの肩に乗る。
「そう急かすなよ、オレまだ羽のセットもできてない」
「なんの必要があるんだよ……」
「受付嬢のねーちゃんオトすんだよ」
「あの人婚約者いるぞ?」
「お、前さァっ!!知ってても言うなよ!!」
朝焼けの光が、部屋へ差し込む。
青かった世界が薄金色に染まっていく。
ガラスの向こうでは、無数の箒が空路を行き来している。
郵便鞄。
風除けゴーグル。
青紺の制服。
その向こうには、憧れの王宮と世界樹。
ユノは、少しだけ目を細めた。
「やっぱ、かっこいいよな」
世界樹管理官にはまだなれていない。
才能がないと言われた。
たくさんの人の期待を裏切った。
参考書を買うお金も、切り詰めなければない。
それでも。
そんなものはユノを諦めさせる理由には、程遠いのだ。
クレイシスが大きな羽をばたつかせる。
「いくぞ失恋生成機」
「うるせぇ焼き鳥」
「まだ焼かれてないしな」
「こいやァ……焼いてやるゥ……」
二人は騒がしく部屋を出ていく。
配達員の制服にしては可愛すぎるセーラーが、部屋に人の気配を残した。
「っはようございます!!」
「やあエリーちゃん」
結局、ユノ(とクレイシス)が【大空郵便社アストレイル】に駆け込んだのは、始業時刻ギリギリだった。
磨き上げられた大理石の床は、革靴がよく滑る。
吹き抜けの巨大ロビーでは始業式前の従業員が各々、同期と喋ったりコーヒーを淹れたりしている。
「はい、おはようございます。ユノ一等配達星士、クレイシス一等配達星士補佐官」
受付嬢のエリーは、慣れた様子で微笑んだ。
赤毛をきっちりお団子にした柔らかな雰囲気の女性である。
受付用制服の胸元には、アストレイル本社の二等受付士の徽章がついている。
「エリーさん、始業間に合った…?」
ユノが息を切らしながら社員証を出すと、エリーはそれを受け取って魔道具にかざす。
「間に合ってます!よかったですね、まだ支社長来てないですよ」
「よかっ、よかたです」
「はい、今日も頑張ってください」
ふぉん、と少し間抜けな音が魔道具から鳴って、魔道具に淡い青光が社員証を走った。
受付に設置された魔法モニタが社員証の情報をうつしだし、サイン欄の上にタッチペンが現れる。
【大空郵便社アストレイル】
一等配達星士 ユノ・オルディア
「ゆーの、お、るーでぃーあ、っと」
「いつになったら昇格するのかねぇ」
ユノの階級の欄を見たクレイシスは、本人の肩をふみふみしながら鼻で笑う。
「ねぎま食べたくなってきた」
「ごめんて」
冷たい目で狂気を所望するユノと、いつも通り貶しあうクレイシスだった。
「はーい、じゃあいってらっしゃい」
「ありがとうございます!」
「今日は第三空路区間の補助?箒から落ちないようにね」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ!?」
そしてクレイシスがあくびをしながらぼそっとコメント。
「毎年10人は落ちてるけどな」
「おい」
「今年はユノ一等配達星士ですかね?」
「エリーさんまで!」
からからと笑うエリーの向こうで、巨大な時計塔が鐘を鳴らした。
ゴォン……と思い音が社内へ響く。
同時に、ドーム型の天井が八方に開く。
そこは、配達の発着口になるのだ。
ガラスに透かされていた光が、直接注ぎ込む。
そこには、どこまでも広がる青空がある。
果てしない雲海の世界。
まだ誰も飛んでいない空に、ユノは思わず息を呑んだ。
何度見ても、胸が熱くなる。
「いつか」
世界樹管理官になる。
世界樹の根へ行く。
ーーーーそして、あの手紙の意味を知るのだ。
そのためにも、まずは。
「明日も遅刻しないようにします!!」
「当たり前ですよ」
「言われてやんの」
「うるさい鳥!」
少年は、上司にどやされないように走り出した。




