第5話 外観は簡素だが、内部は大理石とモザイクタイルで
屋敷の外観は簡素だが、内部は大理石とモザイクタイルで装飾が施されていた。描かれているのは神話の一場面や天の神の姿などもあれば、単にいろいろな色のタイルを並べた結果、なんらかの模様に見えるようなものもあった。
また、天井を支える柱は太く、その柱頭にはレースにも見える繊細な文様が彫られていたり、女神や馬の頭の彫刻されていたりする。
部分的に見ればなかなかだが、全体的に見れば、バラバラな感がある。
「異国風……と言いますか、変わっているけれども、どこか魅力を感じますわね……」
「んー、その時々の領主がテキトウに飾った結果、統一性がなくなった感じがあるけどねえ……。ま、オレは嫌いじゃないよ。おもしろいし」
肩をすくめつつ、茶を勧めてくるユークリッドの動作はやや大げさで、あえて気さくさや飾ることのない親しみやすさを見せようとしているようだ。
アンブローシアは会釈をしてからお茶をいただいた。
味は濃くないが、胸がすっとするような清涼感がある香りに、歓迎の意図が見えるようだった。
「改めて、挨拶をしよう。獣人領領主、ユークリッドだ。皆の来訪を歓迎する。罪人ではなく賓客として扱うので、自由に過ごしてもらっていい」
「ありがとうございます、領主様」
「ユークリッドと呼んでくれ。オレも皆のことは名前で呼ばせてもらう」
「わかりましたわ、ユークリッド様」
アンブローシアも、改めて自己紹介をして、それからクリューセースたちを紹介した。
「……ここで過ごす上での注意事項などはございますか? たとえばしてはいけないこと、行ってはいけない場所……」
ユークリッドは頷いた。
「まず注意事項。二つある泉はそれぞれに用途が異なる」
「はい」
「大きな泉は主に飲用だ。もちろん一度沸かしてから飲むが。小さな泉は洗濯や排せつなどにと分けて使用している」
「なるほど……」
湧水があり、尚且つ王都からも貴族の領地からも遠い。道は繋がっていても、途中は荒れ野なのだ。
牢や柵などがなくとも脱走は不可能に近い。
獣人領から脱走を試みたところで、馬車に水がめでも積んで逃げない限り、生きてどこかの領地に辿り着くことは無理だ。
運よく辿り着いたとしても、獣人の身体では、誰も保護などしてくれない。石もて追われ、やがて死ぬしかなくなるのだ。
とすると、獣人刑の処された者たちは、この地で生きていくしかなくなる。つまり、水を守ることが必須になる。
「君たちが滞在する屋敷は今掃除させているので、後程案内する。あとは自由に過ごしてもいい。獣人たちの様子を見てもいいし、家の中に引きこもっていてもいい」
「自由……」
「アンブローシア嬢たちに刑務義務はないけど、仕事に参加してもいいよ。オレもたまにやるけど、結構楽しいし。デーツ……果実の収穫とか、伐採とか。女性向けの仕事なら、機織りもある。暇つぶしにもなるし」
セルジオスが「グリースウッドのオイル集め! やりたいでっす!」と右腕を上げた。
ユークリッドが眉を顰める。
「……あの臭いやつ?」
セルジオスはにっかりと笑った。
「集めておいて、いつか第二王女にぶっかけるんですよ!」
一瞬きょとんとした後、ユークリッドが大笑いをした。
「あっはっは、それ、オレもやりたいねえ。ムカつく奴らに臭いにおいを!」
しばらく笑った後、ユークリッドは続けた。
「それから、注意事項ではないが。我が獣人領唯一の魔法使いであるジュロームを、後日紹介しよう。ここで暮らす以上、アンブローシア嬢たちも彼の手を借りることは多々あると思うからな。あと何かあれば、すぐに申し出てほしい。オレはたいていこの屋敷に居る。いつでも声をかけて」
「はい、ありがとうございます」
ユークリッドに礼を告げた後、アンブローシアたちは滞在するための屋敷に案内してもらった。
「あら、かわいらしいお屋敷……」
王都の大通りにある宝飾店や服飾店程度の、小さめだが過ごしやすそうな屋敷だった。
庭もあり、背の高い何かの木が植えられ、その木陰にベンチとテーブルがある。ベンチの近くには大きな水がめが五つ。既に水が貯められていた。
水がめの側にネズミの顔をした獣人たちが一列に並んでいて「毎朝新しい水を溜めますので、ご自由にお使いください」と、一斉に頭を下げてきた。
「ありがとう。あなたたちはこの屋敷の下働きなのかしら?」
ネズミ顔の獣人の内、真ん中に立っていた一人が一歩前に出た。
「はい。ユークリッド様より、お嬢様がたが心地よくお過ごせになれるように……と、申し付けられております」
「ありがとう。わたくしはアンブローシア。皆の名前を聞いてもいいかしら?」
名を問えば、ネズミ獣人たちはびっくりしたようで、目を見開いた。
「あら、なあに?」
「いえ、その……使用人の名を呼ばれるとは思わなかったので……」
「まさか、あなたたち、番号とかで呼ばれているの……?」
アンブローシアが低い声を出せば、ネズミ獣人たちは慌てて首を横に振った。
「いいえ! ですが、我々が以前勤めていた王城では……、その、高貴な方々は、我々を『おい』とか『そこの』とかと……」
「わたくしはそんな呼び方はしたくないの。わたくしはあなたたちの手助けなしでは暮らせない。ならば、名を問うのは当然でしょう」
「あ、あ、ありがとうございます! まず、私はミーア。こっちがトマス、それから……」
どうやらミーアというネズミ獣人の女性が、ここに集まっている使用人たちを取りまとめているらしい。
アンブローシアは一人一人の名と声を確認する。
顔で区別しようと思わなかったのは、皆似たようなネズミ顔だからだ。顔は似ていても、声は全く異なった。ミーアは女児のような高い声、トマスは丸太を転がすような低く太い声。
アンブローシアはクリューセースたちの紹介も行った。
「これからしばらくの間よろしくね。まずは屋敷の中を見させてもらうわ。案内をミーアに頼んでもいいのかしら?」
「は、はい!」
早速名を呼ばれたミーアが嬉し気に顔の髭を揺らした。
「お願いね。他の皆はそれぞれの仕事に戻ってちょうだい」
玄関扉から屋敷の中のに入る。
「一階は玄関ホールに食堂、調理場などになります」
アンブローシア、クリューセース、メリッサはミーアの後について進む。
セルジオスは、ふと思いついたように表情を改め、玄関ホールを半ば進んだところでで足を止めた。
「あー、ボクは屋敷の中を見るより先に、第二王女に獣人化された元騎士の仲間に会ってくる。いろいろ気になるのと……あとは情報交換的に」
「分かったわ、行ってらっしゃい。夕食までには戻ってちょうだいね。一緒に食べましょう」
アンブローシアの言葉に、セルジオスは笑顔を返し、出かけて行った。
その背を見送ってから、アンブローシアたちは玄関ホールの奥にある階段から二階に上がった。
「二階は廊下の一番奥が主寝室及び居間、洗面室となっております。その手前が侍女や執事のかたにお使いいただけるような個室が三つ並んでいます」
「あら、三つだったらクリューセースとメリッサとセルジオス、それぞれ一部屋ずつでちょうどいいわね!」
アンブローシアがポンと手を打った。
「そうですね」
クリューセースが答えて、最奥の部屋のドアを開ける。
アンブローシアはぐるりと室内を見回した。フィッツクラレンス侯爵家のアンブローシアの私室に比べれば狭いが、快適に過ごせそうだった。
居間の中央の丸テーブルの周りには椅子が五脚。椅子の座面にはふんわりとしたクッションが置かれてあるし、テーブルの上には小さな黄色い花が飾られていた。野に咲くような可憐な花。だが、ここは王都と違い、荒れ野の中のなのだ。
「これはミーアたちが用意してくれたの? 荒れ野で花を用意するのは大変だったでしょうに……」
多分、水場……泉の近くに咲く花。
歓迎の意味が込められているのか、それとも花でもあれば慰めになると考えてくれたのか。
どちらにせよ、心遣いが嬉しかった。
「は、はい! あの、ユークリッド様のご指示で……」
「ミーアありがとう! とてもうれしいわ! 用意してくれたみんなにもユークリッド様にもお礼を言わなければね!」
ミーナはまたもや驚いた。
アンブローシアは使用人たちの名を覚えようとしただけではなくて、使用人に対して礼まで言ってくる。
使用人など道具扱いなのが、貴族としては当たり前だというのに。
変わった人と思いつつも、嫌な気はしなかった。
人間の顔だったとき、ネズミの顔になってから。ミーアは一度だって対等な人間扱いをされたことはなかった。
貴族から、初めて、礼を言われた。同じ獣人だからと礼を言ってもらえたのか、それともアンブローシア個人が礼を言うような性格なのか。
判断がつかなくても、ミーアの心が軽く、明るくなった。
アンブローシアの滞在期間が長くても短くても、精いっぱいお仕えしよう。そう思ったミーアだった。
***
アンブローシアたちが獣人領に着いてから五日が経過した。
朝から夕方まで、アンブローシアは精力的に獣人領内を見て回った。
獣人たちと直接顔を合わせ、自己紹介をし、ここでどんな仕事をしているのか、どのようにして過ごしているのかなどを聞いていく。
一日に五人や六人程度としか話さない時もあれば、三十人以上の者と話すときもある。
必ず一人一人の名を呼び、おぼえていった。
もしかしたら、獣人たちの中に愛し合える相手が居るかもしれない。居なくとも話を聞いて回ればフィランダー王太子たちへの仕返し方法が思いつくかもしれない。
グリースウッドのオイルは第一候補として、まだまだあれこれ検討したい。
それだけではなく、単純に獣人たちの話は興味深かった。
王都の貴族社会とは全く異なる獣人領の暮らし。
まるで他国に視察か観光に来たような気分にもなる。
「ふう……」
今日もまたたくさんの獣人たちからいろいろな話を聞いた。
屋敷の自室に帰り、メリッサに入れてもらった茶を飲みながら、一日の話を頭の中で整理しつつ、思い出す。
「カエル獣人のミゲルに聞いた話は衝撃だったわね……」
殺人など、大きな犯罪を犯した者はカエルの獣人にされる。
ミゲルはスラムで生まれ育ち、当然のように犯罪に手を染めた。
だが、したくてしたわけではない。盗まなければ、飢えて死ぬ。他者を殺さねば、自分が殺される。
そういう環境だったので、憲兵につかまって、投獄され、獣人刑に処されたときは逆にほっとしたそうだ。
「牢にいれられたときは嬉しかったなあ。何もしなくても、朝と夜、飯が出た」
「……美味い飯ではなかっただろう?」
思わずクリューセスが聞けば、ミゲルは肩をすくめる。
「スラムの飯のほうがマズい。少なくとも牢の飯は腐ってないし」
「な、なるほど……」
「それに獣人領に来たら、フツーに過ごせばちゃんと美味い飯にありつける。真っ当な仕事を得られた。人並みの暮らしができた。ここは天国みたいなもんだ」
獣人の姿にされるのは、つらい。
だが、王都など、人に囲まれて過ごすのではなく、獣人領では大半がネズミやカエルだ。周囲が全員獣人なのだから、慣れれば特に問題はない。
姿形よりも、真っ当な暮らしができることそれが嬉しい。
もちろん荒野の暮らしは厳しい。とはいえ、水もあり、食べ物もある。牢屋に閉じ込められたり、腕や足に重しをつけられたりもしない。服務というよりも、仕事をしているのと同じ。行動はそれほど制限されていない。
ごく普通の生活……きちんと働ける場所があり、飢えることもないのだから。
そこまでの話を聞いたときの、アンブローシアの感想は、良かったわね、だった。
改心してか、環境に慣れてかは分からないけど、普通に暮らして、もう二度と犯罪に手を染めることはないのね……と、心から安堵しかけて……。
だが、ミゲルは続けたのだ。
「ここの獣人領で、更なる罪を犯せば、アレになるから。獣人たちはみんなもう二度と犯罪なんか起こさずに、真っ当に暮らす……っていうトコロもありますけどね」
アレ……と、ミゲルが示したのが、小さな泉で泳いでいた十匹ほどのカエルたち。
大きさは掌に乗るくらい。三角形の頭と飛び出た目、胴体は丸みを帯びて、発達した後肢を持つ。そして、全体にぬめり気を帯びている。
獣人とは違う、元々、ごく普通に自然界に生息しているカエルなのかとアンブローシアは思った。
「あら、普通のカエルもいるのね」
カエル獣人のミゲルは首を横に振った。
「ああ、アイツらも、元人間ですよ」
「え⁉」
「獣人にされて、獣人領に送られて、更にここで罪を犯した。そーいう場合は大きさから何からぜーんぶカエルにされるんです。獣人化、ではなく、完璧なカエル化です」
「も、元、人間……。完璧な、カエ……ル……」
ランカステル王国には死刑はない。国外追放もない。代わりに獣人刑だけがある。
だが、人の体のまま、顔だけが獣にされるのではなく。
自然の沼などにいるカエル……、大きさから姿形からすべて両生類そのものにされるのであれば。
アンブローシアの顔から血の気が引いた。
「ど、どのくらい生きられるの……?」
ミゲルは首を横に振った。
「さあ……。ゲコゲコとしか鳴かなくなるので、……。うっかり踏まれて潰れたのが、誰が誰やら……」
「うっかり、潰れ……」
「あれを見るたびに思います。カエルとはいえオレは人間の体の大きさのままでよかったと。元の王都には戻れなくとも、獣人領でだったら普通に生きていけます。が、あんなふうに大きさも体もすべてカエルにされたら……。もう悪いことはしないでちゃんと暮らさないと……って」
もしも、フィランダー王太子によってかけられた獣人化の魔法で手のひら大のカエルにされていたら。
「三匹揃ってカエルにしてやったぞ!」と嗤うフィランダー王太子に踏みつぶされていたのかもしれない。
アンブローシアだけでなく、クリューセースもメリッサもぞっとした。
「わ、わたし……、ゴリラでよかったかも……」
鼻が膨れて、毛が生えて。腕も毛むくじゃらで。
だがゴリラであれば、少なくとも、踏まれて潰されて死ぬ目には合わない。
ゴリラで運が良かった。
が、しかし、自分の上の剛毛を見ると……。
毛深い。
そして、黒い。
アンブローシアは頭を横にぶるぶると振った。
悪いものを比べて、より悪い方でなくてよかったと安心するのではなくて。
何としてでも獣人化の魔法を愛の力で解くのだ。
そして、解いた後、フィランダー王太子たちに仕返しをするのだ。
その際には自分たちの身の安全も確保しないと駄目だ。
だって、もしも、もう一度獣人化の魔法をかけられたら。
次こそは。
獣人ではなく本物の小型カエルにされて、踏みつぶされる可能性も……無い、とは言えない。
「もう二度と、王太子殿下たちに獣人化の魔法を使わせてはならないわ……」
きちんとした法の下、罰則として獣人化の魔法を使うエヴァンジェリン第一王女ならともかく。
フィランダー王太子やカサンドラ第二王女のように自由気ままに獣人化魔法を乱用するのであれば。
「身勝手に、獣人化の魔法を使う王族を罰する法があればいいのに」
アンブローシアの呟きに、部屋の壁際に控えていたクリューセースが答えた。
「……法があっても、守らなければ意味がないのでは」
「そう……ね、クリューセースの言うとおりだわ」
罰する法はなくとも、王族だからと言ってむやみやたらに獣人化魔法を使ってはならないはずなのだ。
少なくとも、エヴァンジェリン第一王女は法の下、正当な罰則として獣人化魔法を使っている。
国王が外遊で不在でなければ、フィランダー王太子やカサンドラ第二王女だろうと、好き勝手に獣人化魔法は使えなかったはずなのだ。
自分の身を守るには、やはり、フィランダー王太子たちに近寄らないのが一番なのだが。
それでは「仕返し」もできなくなる。
アンブローシアは考える。
「エヴァンジェリン第一王女に頼んで、フィランダー王太子やイリスを小さなカエルにしてもらうことは……可能なのかしら……」
獣人領に来て、たくさんの獣人たちの話を聞いて。
グリースウッドのオイルをかけることなどよりも、寧ろ、一番の仕返しは、手のひら大の小さなカエルにすることではないか……と思ったのだが。
「……当然警戒は、しているわよねえ」
隙をつくか。
それとも。
「仕返しのためであれば、エヴァンジェリン第一王女は獣人化魔法を使いはしないと思いますが」
「そうね……。真面目な方だから、規律通りに罪あるものに対してしか獣人化魔法は使わないわよねえ……」
いくらフィランダー王太子やカサンドラ第二王女が好き勝手に周囲の人間を獣人化しようとも、理由なき獣人化をエヴァンジェリン第一王女は良しとしないだろう。
「獣人化を解く。人間の姿に戻る。フィランダー殿下たちに仕返しをする。そして、今後、フィランダー王太子もカサンドラ第二王女も身勝手に獣人化の魔法を使えない状態か状況にする……。わたくしたちの身を守りつつ、これらを行うのは、なかなかに困難ね……」
クリューセースが重々しく頷いた。
「獣人たちの話を聞けば、グリースウッドのオイルや小型カエル以外にも、何かいい考えが浮かぶかもしれません」
「そ、そうよね! 諦めるのにはまだ早いわ!」
「ええ。セルジオスも、元騎士の仲間たちからいろいろと話を聞いているようですよ。たとえば……」
第二王女や王太子の警備配置や、人員の交代時間などなど……と、クリューセースは続けた。




