第3話 何かの物音と、誰かの話し声が
何かの物音と、誰かの話し声が聞こえたような気がして、アンブローシアは目を開けた。
「……悪夢だわ。でも、現実でもあるのよね」
気絶している最中も、悪夢を見た。
毛むくじゃらの獣人になった姿。
高笑いをするフィランダー王太子とイリス。
現実のアンブローシアは、ゴリラ獣人と化した自分の姿にショックを受けて、気絶をしたけれど。
夢の中のアンブローシアは、婚約者であるフィランダー王太子とイリスを睨みつけて、復讐を誓っていた。
さあ、どのようにして、仕返しをしようか……と。
目覚めてからも、夢が続いているようだった。ふつふつとした怒り止まらない。
ぎゅっと目を瞑る。
……やられた分をやり返す。
夢の中での自分の決意。
夢の中と同じように、現実でも、自分は、フィランダーに仕返しをする。今は無理でもいつか、必ず。
アンブローシアはゆっくりと目を開けた。
「だけどその前に、この体を元に戻したいわね……」
とりあえず、ベッドの上で身を起こす。着ているドレスは昨日のまま。だけど、コルセットは緩められていた。
「お目覚めですか、お嬢様」
「大丈夫ですか、アンブローシア様」
勢い込んでベッドのそばまでやってきたクリューセースとメリッサの顔は、夢から覚めてもやはり犬のそれだった。
「……あなたたちは、大丈夫?」
「はい!」
犬の顔にゴリラの顔。
それでもクリューセース、メリッサはいつもと変わらず、アンブローシアに接してくれる。
「よろしければお着替えを」
「着替え?」
「文官のゼファーが食事と着替え、洗面道具を用意してくれました」
……ああ、わたくしがゴリラと化しても、きっと二人はいつもと同じだわ。厭うことなく側に居てくれる……。
安心して、心がふわりと軽くなった。
「あら! お礼を言わなくてはね! 言う機会があればいいけど」
鉄格子の向こうには既にゼファーの姿はなかった。が、差し入れてくれてから、それほど時間は経っていないのだろう。朝食のスープはまだあたたかな湯気を立てている。
ありがたい……と、アンブローシアは感謝をした。
「衝立などはないので、私が毛布を広げて持ちます。メリッサ、お嬢様の着替えの手伝いを」
「ええ。さ、お嬢様、こちらへ」
コルセットは緩めてもらっていたとはいえ、きっちりとしたドレスから、ゆったり目のワンピースに着替えるとホッとした。
髪も後ろで一つにまとめてもらい、それから顔を洗う。
「ふう……」
嘆いていても、しかたがない。
現状を受け止めて、三人とも必ず元の身体に戻る。そして、仕返しをするのだ。
自分のためだけではなく、犬の顔になったクリューセースとメリッサのためにも。
アンブローシアが心を決めたところで、クリューセースが壁際で丸くなって寝ていたセルジオスを揺すった。
「セルジオス、起きられるか?」
「んー……」
ごしごしと手の甲で顔を擦ったが、セルジオスはまたコテンと横になってしまった。
「あら、そちらは?」
自分たち以外に誰かがいるとは思ってもみなかった。アンブローシアの問いにメリッサが答えた。
「元護衛騎士……だそうです。カサンドラ第二王女によって獣人化された……と」
「そうなの……。お仲間、というところね……」
自分たちだけではなく、他にも獣人刑に処された者がいたのか。
ピコピコと耳を揺らしながら寝息を立てるセルジオスの、そのかわいらしい顔を、アンブローシアはじっと見つめた。
まるっきり獣化した顔ではなく、ただ耳が生えた程度。
「ううん、他者を羨んでも仕方がないわね。それに恨みは当の本人に向けましょう……」
羨みも恨みもすべて、フィランダーとイリスにぶつければいい。ただし、それは、今ではない、いつかの話。
アンブローシアはフルフルと、首を横に振ってから、気分を切り替えるように、パンっ! と手を叩いた。
「さ、寝ている彼には悪いけど、先に食事にしましょう。せっかくだからあたたかなうちに食べたいの」
「はい。ご準備いたします」
アンブローシアたちが朝食を食べ終わった頃、セルジオスがようやく「ふわぁ……」と、あくびをして起き出してきた。
「おはようございます。初めまして、かしら? それと、ごめんなさい。わたくしたち、先に食事をいただいたわ」
アンブローシアの軽やかな声に、セルジオスは口「あ」と開けたまま、固まった。
「うわ! ご令嬢の前で寝コケていてすみません!」
きっちりと頭を下げてきたセルジオス。寝起きにいきなりゴリラ顔を向けたのに、驚くのではなく、寝ていたことを謝罪してきたセルジオスに、アンブローシアは少し好感を持った。
「おいこら、クリューセース! ご令嬢が起きられる前にボクを起こしておけよ!」
「声はかけた。それでも起きなかったのはお前だ」
「うっそ! マジ?」
「ああ」
セルジオスがメリッサに尋ねるように目線を向ける。
メリッサは「はい」と短く答えた。
「あああああー……。大変失礼を……」
セルジオスが頭を抱えた、アンブローシアが笑い声を立てると同時に、牢の廊下に足音が響いた。
「誰か来たのかしら」
護衛と共に牢の鉄格子の向こう側に現れたのは、王家の色である金色の髪と緑色の瞳を持つ第一王女エヴァンジェリンだった。
「ごめんさい、アンブローシア。それにそちらの三人も……」
「エヴァンジェリン殿下……」
アンブローシアは、エヴァンジェリンに対してまずは淑女の礼をとった。ゴリラの顔でも、できるだけ優雅に、きっちりと。
そして、背を伸ばして、エヴァンジェリンをまっすぐに見る。
「エヴァンジェリン殿下に謝っていただくことはございません。ですがいくつかお聞きしたいことがございます」
「何かしら?」
「刑務庁の長官職に就いていらっしゃる殿下なら、この獣人化の魔法を解くことはできるのでしょうか? それとも……」
解ける可能性は、限りなく少ない……と、アンブローシアは思いつつ尋ねた。
昨日のフィランダーの態度からして、下手をすれば一生ゴリラの獣人のままである可能性のほうが高い……と。
アンブローシアの指摘に、エヴァンジェリンは小さく頷いた。
「あたくしたち王族は、獣人化の魔法をかけることはできても。でも、解くことはできないの」
「では、解く方法はない、ということで……?」
エヴァンジェリンは首を横に振った。
「あることには、あるのよ……」
「あるのですね!」
アンブローシアは目を輝かせた。
王女殿下と侯爵令嬢の会話に口を挟むことができないクリューセースとメリッサも、セルジオスも、期待に満ちた目でエヴァンジェリンを見る。
しかし、エヴァンジェリンは、申し訳なさそうに顔をしかめた。
「愛し合う二人が、満月の夜に口づけを交わす。愛が本物であれば、獣人化は解け、元の人間に戻る……」
ウサギ獣人となったセルジオスは、思わず「何ですか、それ! ふざけているんじゃないですよね⁉」と思わず声を荒げたが……。実直で真面目なエヴァンジェリンが馬鹿なことを言うはずがない。
「本当かどうかは、あたくしにも分からないわ。だけど、王族に代々伝わっている獣人化の解き方は、それだけなのよ……」
「愛……」
アンブローシアは考え込んだ。
獣人化を解くには、まず愛し合う相手を見つけなければならない……らしい。
「幸いというべきか何なのか、ここには獣人化した女性が二人、男性が二入いるわ。だけど、家畜の交配ではないのだから、数が揃っていれば愛し合えるというわけではないわよね……」
「獣人領に赴き、そこで多くの獣人と交流をすれば、もしかしたら愛し合える相手に出会えるのかしら……」
二者択一するよりは、大勢と交流したほうが愛する相手に出会う確率は高いだろう。
だが、しかし……。
「エヴァンジェリン殿下。獣人領に居るのはネズミやカエルの獣人のみでしょうか?」
セルジオスのように、人間の顔はそのままで、ウサギの耳だけがちょこんとついているタイプの獣人ならともかく。
完全にカエル化した顔の人間と愛し合うのは難しい……ような、気がした。
エヴァンジェリンはまたもや首を横に振った。
「いいえ。その……、お父様が外遊に出かけてからというもの、カサンドラは気に入らない人間を何人も獣人化してしまって」
「あー、ああ、そうですねえ。第二王女付きの侍女だの護衛だのが幾人か……」
セルジオスが指折り数えだした。
「ボクが知っているだけでも、三人……」
エヴァンジェリンは頷いた。
「合計五人。先日獣人領に送ったばかりよ。猫やハムスターなど、比較的かわいらしい動物を選び、その上、耳や尻尾をつけただけだから比較的人間に近い顔と姿なの。罪を犯してあたくしが裁いた者たちは、全員カエルかネズミ。顔に人間っぽさは残してはいないし、基本的に弱々しい小動物を選んでいる。反抗されてもすぐに取り押さえられるようにね。だから申し訳ないけれど、ゴリラはいないわね……」
エヴァンジェリンはアンブローシアを見た。
アンブローシアは、カサンドラが身勝手に獣人にした者たちよりも、獣の比率がかなり高い。
耳や尻尾が生えただけ、ではなく。顔つきも、毛深さも、ゴリラの側に近くなっている。
同種がいれば、親近感も覚えやすいかもしれない。
だが……。
エヴァンジェリンの視線を受けて、アンブローシアはちらりとセルジオスを見る。少年のような童顔にウサギ耳。実に愛らしい。
「耳や尻尾がついただけの人間なら、とてもかわいらしいし……。わたくしたちも愛せるかもしれませんが」
言って、そして、自分の腕を見た。
実に毛深い。何度見ても、この剛毛は……正直、自分の腕なのに、気持ちが悪い。
「わたくしを……、ゴリラの獣人を愛せる方は……いらっしゃるのかしら……」
いないだろう。
アンブローシアは自分の腕から目を逸らした。
俯いたアンブローシアの肩が揺れる。
泣いている……。
耐えきれず、クリューセースが叫んだ。
「お嬢様は、お可愛らしいです! たとえゴリラであったとしても!」
単なる執事であるが、王女と侯爵令嬢の会話に口を挟むのは無礼だ。
それでも、クリューセースは言わずにはいられなかった。
「拾っていただいた時から、このクリューセースの敬愛は、アンブローシアお嬢様、ただお一人に向けさせていただいておりますっ!」
「クリューセース……」
「そうですよ、お嬢様。このメリッサも、クリューセースと同じ、アンブローシアお嬢様ただお一人を生涯お慕いいたします!」
「メリッサも……。ありがとう……」
涙が次から次へと溢れて出た。
だけど、その涙は、さっきまでのそれとは違う。
「ありがとう……。大好きよ、二人とも」
アンブローシアは泣き顔のまま、ふわりと微笑んだ。
安心と、それからクリューセースとメリッサに対する信頼と愛情。
それがゴリラ化した顔にもありありと現れていた。
「うん、ボクも二人に同意。フィッツクラレンス侯爵令嬢はかわいいと思う」
「え⁉」
いきなりセルジオスからも言われて、アンブローシアは戸惑った。
「以前、遠目から眺めた時には、つんとした顔の、いかにも気位が高そうな高位貴族のご令嬢ってカンジしかしなかったけど。今のフィッツクラレンス侯爵令嬢の表情は、なんていうか……、その、うまく言えないけど、ゴリラでもかわいい。可憐。おお花が咲いたみたい」
「か、かわ……、可憐……って……」
かああああああ……と、アンブローシアは顔を赤らめた。
「あはは。そういう顔するとますますかわいいね……って、すみません、高位のご令嬢に失礼でした‼」
クリューセースに睨まれたことに気が付いて、セルジオスは慌てて謝罪をした。
「同じ獣人ですもの。高位も下位もないわ。わたくしのことはアンブローシアと名前で呼んで」
「じゃ、ボクも、セルジオスで! 今後ともよろしくお願いします!」
「ええ、よろしく。嬉しいわ」
セルジオスが差しだしてきた手を、アンブローシアはしっかりと握った。
クリューセースが、「……未婚の令嬢の手を、勝手に握るな」と、セルジオスの手を叩く。
セルジオスは「えええ⁉ 握手だよ? 勝手じゃないよー」と、きょとんとした顔で、クリューセースを見て。そして、何故だか「あー」と言った後、うんうんと頷いた。
「はいはい。クリューセースとも握手ー! 仲間ハズレにはしないよー!」
「はあ⁉」
両手で、クリューセースの手を掴み、ぶんぶんと振り回したセルジオス。
珍しく目を白黒させたクリューセースに、アンブローシアもメリッサも思わず笑ってしまった。
「クリューセースとセルジオスは仲良しね」
「そのようですね、お嬢様」
クリューセースが「違いますっ!」と即答したが、アンブローシアたちは笑い続けた。
牢の中だというのに、楽し気に。
「次はメリッサ! 握手しよー」
「はい!」
「待て、メリッサ、お前まで!」
「あははははは! クリューセースったら!」
牢の中だというのに、四人の雰囲気はどこか和やかになってしまった。
ただエヴァンジェリンの声だけは、非常に硬かった。
「ランカステル王国では、獣人イコール罪人。その図式は平民に至るまで浸透している。……だから罪を犯したわけでもないあなたたちを、フィランダーとカサンドラが勝手に獣人化したのだけれど、このまま王都やそれぞれの領地に戻すことはできないの。ごめんなさい」
「エヴァンジェリン殿下……」
「法令的に不可能というよりも、獣人化すれば、貴族からも平民からも、誰からも蔑まされてしまう。獣人領に行った方が自由に、人目もそれほど気にせず過ごせると思うのよ……」
「確かに。住人全員が獣人ですものね……」
「ええ。もしかしたら、愛し合う相手も見つかるかもしれないし……、それに……」
人間の姿に戻るための、唯一の希望。
愛し合う相手を見つけ、満月の夜に口づけを交わす。
だが……。
「あの……、エヴァンジェリン殿下」
「何かしら、アンブローシア」
「今ふっと思ったのですけれど。わたくしとフィランダー王太子殿下の婚約はどうなるのですか? 破棄、白紙、それとも……」
何らかの罪を犯したのではなく、フィランダーによる身勝手な獣人化。だとしても、王命による婚約が自動的に破棄や解消になるわけはない。
罪のないアンブローシアを獣人化したフィランダーへの処罰はされるのだろうか? 国王が不在になった途端、気に入らない者たちを獣人化していったカサンドラは?
疑問が湧いてくる。
「……お父様が、外遊からお戻りになった後、話し合って決めることになるわね。何せ前例がないもの……」
「……懸念が一つございまして。わたくしと王太子殿下の婚約がなくなる前に、もしもわたくしに愛し合う相手が出来て、その相手と口づけを交わしたら……。わたくしが不貞を犯したということになりませんか?」
「あ……」
想定すらしていなかった問いに、エヴァンジェリンは考えこんでしまった。




