第2話 「アンブローシア様!」
「アンブローシア様!」
失神してしまったアンブローシアの身体を、クリューセースが咄嗟に抱きとめた。
「お嬢様……」
アンブローシアの身長や体格はそのまま。腰までの長い髪も人間の時のまま。
ただし、顔や腕が暗褐色の剛毛に覆われ、鼻の形が変わり、ゴリラと人間の姿が半分ずつ混ざってしまっているような状態だ。
これが、王族の持つ力。獣人化の魔法か……。
魔法のおぞましさにぞっとしつつも、クリューセースはアンブローシアの身体をぎゅっと抱きしめた。
アンブローシアお嬢様を守らねば。
使命感にも似た強い感情が、クリューセースの腹の奥底から湧き出てきた。
幼い頃、クリューセースとメリッサはアンブローシアに助けられ、教育を受けさせてもらった。今では専属執事と侍女として、アンブローシアの側に使えることを許されている。
ただ側に居るだけでは駄目だ。もっと積極的に守らねば……。
クリューセースと同じような使命感をメリッサも抱いたらしい。
気を失ったアンブローシア。そして、そのアンブローシアを抱きかかえるクリューセースをも守るように、メリッサが両手を広げ、フィランダーの前に進み出た。
「アンブローシアお嬢様のお体を元に戻してください!」
声を震わせることもなく、毅然として、メリッサはフィランダーを睨みつけた。
クリューセースも叫んだ。
「アンブローシアお嬢様は、あなた様の、王太子殿下の婚約者にしてフィッツクラレンス侯爵家の大切なご令嬢です! それに『獣人刑』に処されるような罪などはおかしてはおりません!」
「そうです! 王太子殿下であろうとも、獣人化の魔法は勝手に使ってはいけないはず。刑務は刑務庁の長官であるエヴァンジェリン第一王女殿下の判断の元で……」
「うるさい! アンブローシアの犬どもが偉そうに! 俺様に意見をするな! その口を塞げっ!」
フィランダーの人差し指から放たれた光が、今度はクリューセースとメリッサの体を包んだ。
「うわっ!」
「きゃあ!」
クリューセースとメリッサが叫ぶ。そして、光が収束したときには二人も獣人と化していた。
「あらぁ~。今度はゴリラじゃなくて、ワンちゃん? 男の人のほうは、犬よりも狼みたいだけど~」
イリスが興味深そうにしげしげとクリューセースとメリッサを眺める。
クリューセースは青みがかった銀色の毛を持つ犬の獣人にされた。
メリッサも同じく犬の獣人だ。
髪などは人間の時のそのままだが、顔や鼻や耳などは犬のようであるし、何よりも尻尾が生えていた。
「ゴリラよりもかわいー……って言いたいけど。でも、目つきが悪いから、犬だったら、ええと、なんとかハスキーとかいう大型犬っぽい? なんでこんなのにしたのぉ?」
「ネズミだのカエルだのにすれば、獣人領に行った後、他の罪人どもと仲間意識を持つかもしれないだろう?」
「ああ、そーいえば、獣人刑に処された罪人は、ネズミ顔とカエル顔が多いって、どっかで聞いたことがあるわー」
「だから、獣人領に行った後も、こいつらを孤立させようと思ってな。弱々しい罪人どもの中に、こんなにも恐ろしいケダモノ顔の獣人が居れば、誰からも忌避されるさ」
「わあ! フィランダーってば頭いい~」
きゃらきゃらと笑うイリスの腰を抱き、満足そうに笑むフィランダー。
そして、茫然としたままだった文官たちに命じた。
「そいつらはとりあえず牢にでも入れておけ。朝になったら獣人領に送ればいいだろう。焦ることはない。どうせ一生そのままだ」
「一生ゴリラって、悲惨ねー」
嘲りながら執務室から去って行くフィランダーとイリス。
犬の獣人にされたクリューセースとメリッサは、歯を食いしばって耐えた。
***
理不尽とはいえ、王太子の命令だ。
気絶したままのアンブローシアをクリューセースは抱き上げて、メリッサと共に牢に向かうしかなかった。
牢に向かう途中の廊下で、事の経緯を知らない城の使用人たちから汚いものであるかのように蔑んだ目を向けられる。
「なあに、あの顔。ゴリラに犬?」
「何で王城に獣人が」
「気持ち悪いわ。混ざりものなんて」
「罪人でしょ。さっさと獣人領に送ればいいのに」
牢までの同行を申し出てくれた文官のうち、面長の顔でセピア色の髪をした男が頭を下げた。
「……申し訳ない。我々が、フィッツクラレンス侯爵令嬢に手助けを求めたために……」
クリューセースもメリッサも、何と返答をしてよいかは分からなかった。
獣人は、罪人の証。忌避されるのも当然だ。
分かっていても、自分やアンブローシアにその忌避の視線を向けられることに、憤りを感じてしまう。
大人しく、牢に向かうしかない。
だが、何かできないか?
王太子の命令を無視し、アンブローシアをフィッツクラレンス侯爵家に送り届けるべきか?
アンブローシアの父であるフィッツクラレンス侯爵に事情を説明すれば……。
クリューセースは首を横に振った。
王太子の婚約者としての価値しか、フィッツクラレンス侯爵はアンブローシアには求めてはいない。
ゴリラの獣人にされたので……と、保護を求めてたところで「捨ておけ」と言われる可能性のほうが高い。
アンブローシアの兄、アンドリューにしてみても、フィッツクラレンス侯爵の意に逆らうことはできないだろう。
クリューセースは歩きながら考え続けた。
このままアンブローシアとメリッサを連れて逃げるか……?
たとえ平民街に紛れたとしても、平民たちからも石など投げられ、死ぬ未来しか見えない。
スラムなど、最下層の住人よりももっと蔑むべきもの、それが、このランカステル王国の獣人なのだから。
なんらかの希望があるとすれば、エヴァンジェリン第一王女殿下だけかもしれない。
重苦しい気分のまま、ぼそりと言った。
「……事の経緯をエヴァンジェリン第一王女殿下にお伝えしてください。フィランダー王太子殿下が命じられた以上、我々には……逆らうすべはない」
うなだれるしかないクリューセースに、セピア色をした髪の文官は、少しだけ躊躇した後告げた。
「申し訳ございません……。せめて食事や水や毛布などの手配をさせていただきます」
「……助かります」
謝罪にもならないが、せめてもの……ということだろうと、クリューセースは文官の申し出をありがたく受けることにした。
「申し遅れました、俺は王太子付きの文官で、名をゼファーと申します。コーラル子爵家の次男です」
クリューセースはすっと軽く頭を下げる。アンブローシアを抱き上げているのできっちりと頭は下げられないが、それでも礼の気持ちを示す。
「私はクリューセース、アンブローシアお嬢様の専属執事です。こっちはメリッサ。侍女です」
メリッサもゼファーに対し頭を下げた。
「お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。それから……、ドレスのままではきっとおつらいので、アンブローシアお嬢様のお着替えもお願いいたしたく……」
「分かりました。女性が過ごしやすいよう、手配をさせていただきます」
「お心遣い、感謝いたします」
メリッサがアンブローシアの世話に必要なものを遠慮なくゼファーに伝えた。
ゼファーは「用意が整い次第、可及的速やかにお届けします」と言い残し、速足で去って行った。
***
たどり着いた牢の中には、アンブローシアやクリューセース、メリッサとは違う、別の獣人が居た。
「あれ? 君たちも『獣人刑』に処されたのか⁉」
「あなたは……⁉」
人の顔はそのままに、耳だけが長く伸びている、少年が一人いた。
「さっきまでは第二王女付きの護衛騎士……だったんだけどね。不興を買って、こんなことに」
ウサギ獣人は、ピコピコと長い耳を動かしてみせた。
「ウサギ……」
「そ、耳と尻尾をつけられちまったカンジ。そっちは顔ごと犬にゴリラ?」
「ああ……」
「……えーと、とりあえず、自己紹介でもしよっか。ボクはセルジオス。オルドクロフト伯爵家三男だけど。獣人刑にされたなんて家族に報告されたら、きっと除籍だね~。あ、あと、童顔だけど年は十八歳ね!」
ここ大事なところだからね……と、セルジオスのは、びしっと主張した。
十八歳? 見えない。せいぜい十四か、十五では……? という言葉をクリューセースもメリッサも飲み込んだ。
「で、君たちは?」
「……こちらはフィッツクラレンス侯爵令嬢アンブローシア様だ。後ろの侍女はメリッサ。私は……」
クリューセースが言い終える前に、セルジオスは大声を出した。
「……って、ええええ! 王太子殿下の婚約者の⁉」
おっかなびっくりという風情で、気絶したままのアンブローシアをまじまじと見るセルジオス。
「すんごいゴリラ顔……」
クリューセースが顔をしかめたのにも気が付かずに、セルジオスは続けた。
「以前、遠目に見たことがあったけど、その時はぱっちりとした大きな瞳を持つ美人のご令嬢だった記憶が……」
「……申し訳ないが、お嬢様を寝かせたいのでベッドをお借りする」
牢の中は十人以上の罪人が収容できるほど広いが、ベッドは一つしかなかった。
そこに、そっとアンブローシアの身体を横たえた。
「二人とも、後ろを向いてください」
メリッサがクリューセースとセルジオに言って、ドレスのベルトやコルセットを緩め始める。
ベッドに背を向けながら、セルジオスがクリューセースに聞いた。
「あ、ああ。えーと、どうしてゴリラ?」
「……王太子殿下の仕業だ」
「あー……」
セルジオスは、しばらく天井を眺めた後、ボソッと言った。
「まったく……、王族のくせして王太子も第二王女もマトモじゃないよなー」
「完全に同意する」
クリューセースが即答すれば、セルジオスがにっと笑った。
「アンタとは気が合いそうだ。フィッツクラレンス侯爵令嬢付きの使用人? どっかの貴族令息かな?」
「いや……、昔、孤児院にいたところをアンブローシアお嬢様に拾われた。生まれはどこかの貴族かもしれないが、多分、平民」
「多分……?」
セルジオスは首を傾げた。
「獣人と化したこの顔では分からないだろうが、私とメリッサは幼少のときは顔も髪の色も何もかもそっくりだった。多分双子なのだろう」
「あー……、ウチの国、双子を忌避するよね。で、捨てられたから身分不明かぁ」
「故に、正確な年齢も分からないが……」
「んー。ボクより年下かな? どーかな?」
「……アンブローシアお嬢様に拾われたときに、多分お嬢様よりは二つほど年上だろうと見立てられた。一応十七歳……ということになっている」
推定でしかないが……と、クリューセースは肩をすくめてから続けて言った。
「名はクリューセース。私の名もメリッサの名も、アンブローシアお嬢様につけていただいた」
「そっか。それじゃあ、大事なご主人様だね。いい名前」
「ああ……」
クリューセースが微笑んだ。まるで春の陽だまりの中にいるような顔で。だが、それは一瞬で、すぐさま顔を引き締めた。
素の笑顔と引き締めた執事としての顔。
セルジオスは「どういたしまして」答えながら、興味深げにじーっとクリューセースを見る。
「何だ?」
「うん、獣人顔だけど、クリューセースもメリッサも凛々しいし美人だね! って思ってさ!」
「おい、美人……って、どういう意味だ」
クリューセースのげっそりした顔に、あはははははとセルジオスが笑い。
「顔だけかわいい第二王女とは違うっていう意味さ。第二王女は性根が腐ってるし。護衛騎士を侍らしてハーレム状態。嫌がれば、ボクみたいに獣人にされる」
「あー……」
「クリューセースもメリッサもあいつらとは違うって思ってさ。君たち二人とも、信頼できそう」
目を二度三度、ぱちぱちと瞬かせた後、クリューセースは言った
「獣人領に行くまでか、それともそちらに行ってからも一緒なのかは分からないが、とにかくよろしく頼む」
「ああ。こちらこそよろしく」
クリューセースとセルジオスはお互いに笑いあい、そんな二人の様子を見たメリッサもほっと一息、吐き出した。




