第7話 降車場には、アンブローシアたちが
降車場には、アンブローシアたちが獣人領にやってきた時と同じ、幌馬車が何台もあった。
運ばれてきた荷物は、獣人たちによって倉庫や領主館に運ばれる。運ぶ者たちや獣人領の罪人たち。大勢が降車場にいた。
その中に、セルジオスが言っていた通り、馬の頭をした獣人が数人いた。
「おーい、連れてきたよー」
馬の頭の獣人たちにセルジオスが手を振った。
「ああ、ありがとうございます」
「あら、その声は……」
最初に気が付いたのはメリッサだった。
「王城の、文官の……」
「ゼファー⁉」
クリューセースが名を呼んだ。
「おお! わかりましたか? はい、俺です。城の文官のゼファーです」
「どうして、あなたまで獣人領に……」
「ははははは。皆さんが城を去った後、文官の皆で王太子殿下にブチ切れまして。……結果、このようなことに」
聞けば、幾人もの文官が、フィランダー王太子によって、馬の顔を持つ獣人にさせられたとのことだった。
「ちょっと待って。話が長くなりそうだから、場所を変えよう。領主館で詳しく話を聞かせてくれ」
ゼファーと、それから他にも馬頭の文官が数人いて、ユークリッドの提案により、全員が領主館に移動することになった。
***
「……予想はできていらっしゃるかと思いますが、フィッツクラレンス侯爵令嬢たちが獣人領に送られた後も、フィランダー王太子は全く政務を行っておりません」
「ああ……」
さすがのアンブローシアも頭を抱えてしまった。積み上げられた書類。床に散らばった書類。ありありと思い出してしまう。
「国王陛下のお戻りまで、そのままかと、絶望に駆られたとき、連絡が入りました。他国の天候不良で、帰国するときに通るはずの道の橋が落ち、予定を変更し、海路を通ると」
「海路……。つまり、遠回り。陛下のご帰国が更に遅れると……」
アンブローシアの言葉に、馬顔の文官たちが一斉に頷いた。
「うっわー、マジ? 王太子の政務も終わんないし、第二王女の暴走も、止まらないってことだよねえ」
セルジオスが声を上げ、クリューセースも唸った。
「政務は……、書類は……」
うなされるように言ったアンブローシアに、ゼファーが答えた。
「陛下のご帰国までは、フィランダー王太子はきっと何もされないでしょう。我々文官たちに『処理しておけ』と命じるだけです」
「……処理したくても、処理の権限はないのに」
あれば、している。
できるのは、アンブローシアが指示した通り整理整頓程度だ。
文官の全員が、アンブローシアの言葉に頷いた。
頷いてから、ゼファーが続けて言う。
「ただ、一部、たとえば、教会の修理費用や孤児院の子どもに対する医療費など、金銭を出せばいいものに関しては、エヴァンジェリン第一王女が私財を投じてくださいました」
「エヴァンジェリン第一王女が?」
「はい。本来は越権行為になる。けれど、決済を待っていたらどれほどの民に被害が……と、憂いておられまして」
「……そんな状態下でも、フィランダー王太子は政務を行わず、イリス嬢と遊びまわっていると」
「はい……」
アンブローシアはダンっ! と足を踏み鳴らし「王太子の地位にあるというのに……! あの、無能っ!」と叫んでしまった。
「政務を行うだけの能力がないのだから、王太子の地位なんて、返上してしまえばいいのに!」
まったくだ……と、ゼファーたち馬頭の文官たちが、一斉に頷き同意を示す。
「素晴らしい! アンブローシア嬢。その案、採択しよう!」
明るい声を出したのが、ユークリッド。
「え、っと? はい?」
ただ唸っただけのアンブローシアは、案を採択と言われても……と、困惑した。
「一応、前々から考えてはいたんだ。王太子は無能。第二王女は問題外。さっさと排除すべきだとね」
うんうんうん……と、ゼファーらが力強く頷く。
「ただ、排除した後どうするか。それが問題でね」
「問題……、ですか? わが国には女性の王位継承権を認められております。ですから……」
アンブローシアの言葉を遮るように、ユークリッドが言った。
「エヴァンジェリン第一王女は能力的には次期国王となれるだろう。人格的にも問題はない。だた、責任感の強い方だから……」
「だから?」
責任感が強いのなら、是非ともエヴァンジェリン第一王女に国王になってもらいたい。
政務を投げ出して遊びまわるフィランダー王太子よりも何百倍もマシだ。
「国王の政務も行い、刑務も行い、更に王族の血を繋ぐために、妊娠や出産を複数回行えば、いくら何でも……無理だろ?」
真面目なエヴァンジェリン第一王女のことだから、真摯に目の前の課題を処理しようとするだろう。
「あー……」と、アンブローシアも文官たちも唸った。
「一人の人間が抱えられる仕事量をはるかに超えると思う」
少なくとも、妊娠や出産を考えれば、エヴァンジェリン第一王女にあれもこれもと責任を負わせるわけにはいかない。
「現国王が、ご壮健の間に何か方策は……。たとえば、その、僭越ながら、もうお一方かお二方、側妃様などを……」
文官の一人が発した言葉に、ユークリッドは少しだけ目を細めた。
「側妃となるうら若き乙女がかわいそうじゃないか?」
「そ、それは……」
「国王に嫁ぎたいと心から思う乙女がいればいいのだが。国のために泣く泣く身を犠牲にする……。ちなみに聞くが、君らには未婚の姉か妹が居るか? 彼女らを国王に嫁がせたいと思うか?」
ユークリッドが文官たちを見回せば、全員が全員、さっと目を逸らした。ユークリッドはさもありなんと、ため息を吐く。
「……現王も、政務はできるとはいえ、真っ当じゃない部分もあるしな」
酒に酔うと……無体を働く。それは大きな欠点だ。
「で、今、ふっと思った。政務は能力のある者たちにさせればいい。その上で、王や王族は、最終的な責任だけを取る立場に居ればいい……」
「えっと……? 王はお飾りということですか?」
「さすがアンブローシア嬢。正解に近い」
ユークリッドは皆をぐるりと見渡した。
「優秀な文官たちが、すべての政務や刑務を、法に乗っ取って処理する。王族はその法の制定や改正、他国の王や要人と会談、例外的な出来事が起こったとき、そういう時に国の顔として働いてもらうだけにすれば……」
ゼファーが片腕を上げて、ユークリッドに尋ねた。
「つまり、国王は存在するが、その権力が法によって制限され、実際の政治は我ら文官が法によって行う政治制度に変える……というわけですか」
「大雑把に言えば、そういうことだね。どこかの他国で既に採択されていると思うんだよ。ええと、なんて言ったっけ? ああ、そうそう立憲君主……とかなんとかいう政治の仕組み」
「なるほど……」
文官たちは「それは素晴らしい案ですね」と、目を輝かせた。
国の政治の仕組みを変えてしまえば。
王太子の政務が滞り、書類を山のように積み重ねたまま、何もできない……ということはなくなる。
「ゼファーたち、獣人化された文官全員、獣人領の政務を手伝え。これだけ人数がいれば、獣人領の政務程度、あっという間に終わる。余った時間で我が国における立憲君主の在り方、法令、組織のたたき台となるものを、皆で一緒に作ってみないか?」
ユークリッドの提案に、ゼファーも、他の文官たちも立ち上がった。
「やりますっ!」
「ぜひ、参加させてください!」
ユークリッドの提案は国の根幹を揺るがすものだ。法制度を変える。国王の承認もなしに、辺境で勝手に……。
いいのかと思いつつ、この場にいる誰しもが、賛同したい気持ちになっていた。
「ありがとう。実際にできるかどうか、まだ分からないが……、アンブローシア嬢も協力してくれ」
「えっと、わたくしですか?」
「獣人化された仕返しを、フィランダー王太子たちにしたいんだろ?」
「そ、それはそうですが……」
国を転覆させるほどの仕返しを、考えていたわけではない。
「セルジオス!」
「何でしょう、ユークリッド様」
「カサンドラに臭いにおいのオイルをぶっかけるのもいいが、カサンドラたちの権自体をなくしてやるほうが良いと思わないか?」
セルジオスはにっかりと笑った。
「両方やりますよ! ぶっかけた上で、王城から追放とかね!」
「ああ、そうだな。全部まとめて、盛大な復讐を行おう!」
アンブローシア的には、ゴリラの獣人から戻って、ある程度の仕返しをするつもりでいた。
それこそ、臭いにおいのオイルをかける程度の。
だが、大々的な復讐を望むべきなのだろうか?
自身の腕を見る。
毛深い。
ゴリラそのものの腕。
確かに獣人刑は受けた。元の身体に戻りたい。
だが……。
「わたくし……、甘いのかしら……」
大々的な復讐。
フィランダー王太子殿下をその地位から蹴り落とすほどの。
アンブローシアは考え込んでしまった。
「さて、いろいろ考えて、皆で協力して、形にしていきたいところなのだが……、そろそろ満月の夜が来る」
ユークリッドがじっとアンブローシアを見る。
じっと、熱のこもった瞳で。
「あ……」
どうしよう。
アンブローシアは、見つめてくるユークリッドの視線が痛いほどに感じられた。
復讐や仕返しを行う前に、満月が来る。
つまり……、愛があれば、もしかしたら、元の身体に戻るかもしれない。
どうしよう。
後ろに控えていたクリューセースを見る。
クリューセースは、窺うようにアンブローシアが視線を向けても、微動だにしなかった……。
「獣人領では満月の夜、晴れていれば、少々宴会を行う。火を起こして肉を焼き、酒をふるまう。日々積み重なるであろう罪人たちの不満解消のための催し物……のようなものだが、歌ったり踊ったりと、それなりに楽しめる」
「まあ……」
「その日まで、各々、原案になるような仕組みを考えておいては欲しい。だが、そちらはすぐに形になるようなものではないだろうし、王都から獣人領までやってきた疲れもあるだろうからな。まずはこの獣人領の暮らしに慣れてくれ」
ユークリッドが今後の方針などをまとめて伝え、今日のところは解散となった。
アンブローシアたちは屋敷へと戻り、ゼファーたちはとりあえず領主の館の客間に案内されていった。
***
「ユークリッド様はすごいわね……」
自室に戻った後、アンブローシアはぽつりとこぼした。
ジュロームの言う通り、ユークリッドは素晴らしい人だと思った。
もしも獣人でなければ、婚約して、婚姻をして、夫とするのには全く問題がない。父であるフィッツクラレンス侯爵でさえ、きっと反対しない。
もしもの話。フィランダー王太子と婚約を結ばずに、初めからユークリッドが婚約者であれば。何も問題なく、侯爵令嬢としてユークリッドに嫁いで行っただろう。
だけど。
獣人化を解くには、真なる愛が必要。
素晴らしい、すごいと思っても、アンブローシアがユークリッドを愛しているのかと言えば。
「……違う気がするの」
ジュロームに言われた言葉を一つひとつ思い出す。
「……ずいぶんと、わたくしのことを高く評価してくださっているのよね、ジュローム様は」
素晴らしいご令嬢。先手必勝、一番乗り。
ゴリラ化しているうちに、さっさと求婚しろ。人間に戻った後のアンブローシア嬢は、確実に競争率が高くなるぞ。
「……ゴリラ化した令嬢に、求婚って……心理的にキビシイわよねえ……」
愛や恋を語る相手としては、かなり無茶では。
だけど。
「……クリューセースは」
ゴリラの毛深い手を取って、その指に唇を……。
アンブローシアは自分の指先を見て、それから、開けたままのドアの横に立っているクリューセースをちらと見る。
壁際に控えたまま、表情一つ動かさずに、直立不動のクリューセース。
どき……と、胸が一つ跳ねる。
視線を、また、自分の指先に戻す。
……使用人としての敬意の現れ……なのだろうか? それとも……。
クリューセースが向けてくれる思いは、もしかしたら、敬意ではなく……恋愛的な感情だとしたら。
どきどき……と、また、胸が跳ねた。
だけど。
近頃のクリューセースの態度は……どうも冷たい、気が、する。
ジュロームに、ユークリッドとの未来を考えて……などと言われてから。
一線を引かれてしまった気がするのだ。
「ね、ねえ……、クリューセス」
「何でございましょう、お嬢様」
返事が硬い。表情も。
声の温度が……低い、気が、する。
ねえ、クリューセース。あなたは、わたくしを、どう思っているの……?
アンブローシアは口を開け、そして、閉じて……。
「……もう、休みます」
聞きたい言葉は言えず、別の言葉を発してしまった。
「では、メリッサを呼んできます」
「ええ……、お願い」
部屋を出て行くクリューセースの背中に、泣きたいような気持ちになる。どうして泣きたいのかも、アンブローシアには分からない。
じっと俯いたままでいたら、メリッサが夜着を持ってやってきた。
「お嬢様、お着替えを……」
「あ、ああ……、ありがとうメリッサ……」
着替えた後、ベッドに腰を掛けたアンブローシアの前に、メリッサが跪く。
「……何か御心配事でもございますか?」
「メリッサ……」
「それともお疲れですか? ユークリッド様からデーツという実を煮詰めてシロップにしたものをいただいております。それをお湯割りしたお飲み物をお持ちいたしましょうか。甘くて疲れて取れるそうですよ」
にこっと笑うメリッサの顔。
人間の時も犬の獣人になってからも、クリューセースとよく似た容貌だ。
ただ、どことなく線を引いているような今のクリューセースとは違い、メリッサの顔は慈愛と優しさが感じられた。
「わたくし……、クリューセースに何かしてしまったのかしら……」
「は? お嬢様がですか?」
メリッサは首をかしげる。
「だって……クリューセースが、変、なのだもの。わたくし、嫌われた……みたい」
「あり得ません」
メリッサがきっぱりと否定した。
「お嬢様に名をいただいたあの日から、わたしもクリューセースも、お嬢様を嫌うことはございません」
「でも……」
「お嬢様を嫌うくらいなら、この命、捨てたほうがマシですので」
「な、何を言うの! メリッサ!」
「……そのくらい、わたしもクリューセースも、お嬢様のことを好いているのです」
「好いて……?」
「はい。ただ、わたしのお嬢様に対する『好き』と、クリューセスのお嬢様に対する『好き』は、種類が異なりますけどね」
メリッサがすっと立ち上がった。
「お嬢様は、わたしとクリューセスのことが好きですか?」
「もちろんよ! 二人ともわたくしの大切な……」
「大切な、何ですか? 使用人でしかございませんか? それとも……」
「メリッサ?」
使用人でしかないというのはどういう意味だろう? アンブローシアは戸惑った。
「わたしは、お嬢様の侍女であることに、最上級の幸福を感じております。今後何があろうかと、一生涯お仕えしたい。その思いはわたしもクリューセースも、同じです。しかし……」
メリッサは、いったん言葉を止めた。そして、首を横に振る。
「クリューセースの覚悟が足りなかったのかもしれませんね」
「メリッサ……?」
「これ以上は、わたしが言うべきことではございませんね。クリューセースが自分でお嬢様に申し上げる。もしくは言わずに一生胸に秘める」
「メリッサ?」
「お嬢様はお嬢様のお心のままにお進みくださいませ。まだ決められないというのなら、それは時が来ていないということ。わたしもクリューセースも、お嬢様のお心に従いますから」
シロップをお持ちいたしますね……と言って、メリッサは部屋を出て行ってしまった。
「意味が分からないわ……」
アンブローシアは一人残された部屋で呟いた。
分からない。
クリューセースもメリッサも。
ついこの前までは。何もかもわかりあっているような気がしていたというのに。
ゴリラの獣人となっても、変わらず側に居てくれたのに。
『拾っていただいた時から、このクリューセースの敬愛は、アンブローシアお嬢様、ただお一人に向けさせていただいておりますっ!』と言ってくれたのに。
今は、どうしてだか、距離を感じてしまう……。
アンブローシアは立ち上がって、窓から外を見た。
空には大きな月が昇っていて、既に満月に近い円になっていた。
「満月は……、明後日……。ジュローム様の、ご提案……」
試すだけでも試してみるべきか。
「でも……。本当の愛でなければ、元には戻らないわよね……」
試すと考えている時点で、アンブローシアがユークリッドに向けている想いは恋でも愛でもない。
「愛って……、何なのかしら……」
考えてもため息しか出てこない。
本来、愛を紡ぎあうべき相手は、婚約者であるフィランダー王太子だが。
初対面の時から愛などはない。
単なる政略。
と言うよりも、王命を拝しただけ。
尊敬できるところは皆無。性格も良くはない。
「良いのは地位と顔だけ……。他に褒められるようなところはないわね」
義務として、婚約者として接してはきたが。正直に言えば、フィランダー王太子の婚約者の地位などイリスに渡してしまっても惜しくはない。
もっと正直に言うのならば、馬鹿王太子とその愛人などには関わりあいたくない。
「フィランダー王太子殿下を愛するなんて、無理」
これは断言できる。
「だけど、わたくしに愛する人……。獣人化の呪いとも言えるような魔法を解くほどの愛……」
分からない。
ため息ばかりが深くなる。




