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ゴリラ刑に処された令嬢の 可憐な仕返し  作者: 藍銅 紅@『お姉様はずるい』コミカライズ連載中


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第1話 ランカステル王国の王城内に設けられた王太子の執務室


ランカステル王国の王城内に設けられた王太子の執務室。

そこに足を一歩踏み入れた途端に、アンブローシアはあんぐりと口を開けてしまった。


「な……、何ですの、これ。この状態は……」


書類、書類、書類……。

城中の書類をすべて集めてきたのではないのか……と思うほどの書類の山。

広く重厚な執務机の上には、天井まで到達しそうなほど書類が高く積み重なっている。

机の上だけではない。床も……だ。

積み上げすぎて雪崩を起こし、書類が崩れたのではなく。

まるで子どもが紙を投げて遊んだ後のように、まき散らされた書類。靴の跡がついたものや、ぐちゃぐちゃに丸められているものさえあった。


「酷い……」


余りの惨状に眩暈でも起こしたか、アンブローシアの身体がぐらりと揺れた。


「お嬢様!」

「しっかりなさってください!」


倒れそうになったアンブローシアの身体を両側から支えたのは、専属執事のクリューセースと侍女のメリッサ。

二人とも青みを帯びた銀の髪に青い瞳だ。落ち着きや爽やかさを感じさせる涼やかな目元、すっと通った鼻筋……。男女差はあれど、面立ちもよく似ている。

違いと言えば、髪形くらいだ。クリューセースはすっきりとした短めの髪だが、襟足だけが少し長め。メリッサはふわっとした長い髪を後ろの高い位置で一つにまとめている。


「あ、ありがとう、二人とも……。わたくしは、大丈夫、よ……」


アンブローシアは呼吸を整えてから、もう一度王太子であるフィランダーの執務室の中をぐるりと見まわした。


「誰が、どうして、このようなことを……:


部屋の中にいた文官の一人、面長の顔でセピア色の髪をした男がアンブローシアの前に進み出た。


「フィランダー王太子殿下が……『こんなに大量の書類を処理することなどできるか!』と、癇癪を起し、まき散らしまして……」

「何ですって⁉ この惨状は、王太子殿下が、ご自分でされたと言うの⁉」

「は、はい……」


文官の男は続けた。


「国王陛下が外遊にお出かけになりました半月前から、こちらの王太子殿下の執務室に運び込まれた書類は、わずか一通すら、王太子殿下の決済印をいただけておりません……」

「は、半月分の……未処理の、書類……?」


半月分にしては、あまりにも多い。多すぎる。

もしや、元から王太子殿下の政務は滞っていたのではないか。

そこに更に半月分の手つかずの書類が加わったのではないか……。


そうアンブローシアが思ってしまったほどの、書類の量。


「元々の王太子殿下が処理すべき案件に加え、外遊中の陛下の書類も王太子殿下には目を通していただくことになっておりまして……。もちろん王太子殿下が決裁のできない書類もございますが、急ぎ陛下に知らせないといけない案件に関しては、王太子殿下から陛下への至急の書簡をお送り願いたくという流れに……」


延々と続きそうだった文官の男の言葉を、アンブローシアは「待って!」と遮った。


「つまり、この散らばっている書類は、フィランダー王太子殿下が行うべき通常の政務の書類だけでなく、陛下が決裁すべき重要書類も、混在……して……」

「……おります」


頷いたセピア髪の文官だけでなく、他の文官たちも沈痛な面持ちだ。『国の最重要書類を、王太子殿下は軽く見過ぎている!』と憤る顔の者、歯を噛み締めている者もいる。


「嘘でしょう!」


アンブローシアは思わず頭に手を当て、自身の髪を掻きむしってしまった。外側が黒く内側が赤い、二色に分かれている印象的な髪がぐしゃぐしゃになったほどに。


「アンブローシアお嬢様、御髪が……」

「あ、ああ……。ごめんなさい、クリューセース。落ち着かないといけないわね……」


言いつつも、アンブローシアの声はまだ震えていた。


メリッサがエプロンドレスのポケットから櫛を取り出して、アンブローシアの髪をすばやく梳いていく。内側の髪と同じ赤い色のリボンも取り出し、後ろの髪をさっと結び、乱れを整えた。


「陛下が、決裁すべき、重要、書類が、混じっている……と、いうことは……、わたくしが、これらの書類に、触れると……、罪になる……かもしれない。機密の、文書も、きっとこの中に……」


十五歳で、貴族の令息や令嬢のための学園にも入学したばかりのアンブローシアは、まだ王太子妃教育を完了させていない。

つまり、王太子の婚約者と言えども、身分的には単なる侯爵家の令嬢。

当然、国の重要書類を処理するどころか、閲覧する権限すら有してはいない。


文官たちが悲鳴を上げた。


「それではこの書類はどうすれば⁉」

「どうすれば……と言われても、わたくしには何もできないわ。フィランダー王太子殿下が処理すべき書類だもの……」

「で、ですが! フィランダー王太子殿下は『俺様は忙しい。アンブローシアを呼んで、この書類をすべて処理させろ』と我々に命じて……」

「は⁉ 忙しい? 国の重要書類を放り投げて、何が忙しいと言うの⁉ そもそもフィランダー王太子殿下は今どこにいらっしゃるの⁉」


口調の荒くなったアンブローシアに、文官たちは俯く。


「そ、その……、黄色い髪のご令嬢と一緒に城下に……、視察に……」

「黄色い髪って……、イリス嬢⁉ 男爵家の……」

「は、はい……」


貴族学園でも、フィランダーは常にイリスという名の男爵令嬢と共にいる。

正確に表現するのならば、周囲の視線も気にすることなく、四六時中お互いの身体を密着させている状態だ。


婚約者である自分を放っておいてどういうことだ……と、アンブローシアが何度も抗議をした。

が、フィランダーは「嫉妬に狂う女は見苦しい」と冷笑を向けるのみ。


それも思い出し、アンブローシアの頭のどこかがブチン!とキレた。


「視察⁉ 政務を放り出して遊びに行っているんでしょおぉぉぉお!」


アンブローシアは、ダンっ!と足を踏み鳴らした。


「あああぁぁぁあのクソ馬鹿王太子がっ! ふざけるなあああぁぁぁあっ!」


怒りのままに声を上げたアンブローシア。せっかく整えたばかりの髪が怒りで逆立ちそうだった。


「お嬢様……」


アンブローシアを冷静に収めたのが専属執事のクリューセースだ。ブルーダイアモンドのような鮮やかな青い瞳がじっとアンブローシアを見つめる。


「……失礼ながら、口調が崩れております」

「はっ! ごめんなさいクリューセース! そう、わたくしは淑女‼」

「お嬢様のお怒りは、このクリューセース、痛いほどにわかります。しかし、皆様の前です」

「わ、分かっているわ!」


アンブローシアは取り繕うように「コホン」とわざとらしい咳をした。


「と、とにかく! 王太子殿下の婚約者と言えども、わたくしには国の書類を処理する権限はないのです! が、この惨状を放置もできません! したがって、まずは……文官の皆様で、書類の仕分けを!」

「は、はい!」


処理以前に、整理整頓をしないことにはどうしようもないほどの散らばり具合なのだ。


「国王陛下が決裁するべき書類は別室に運んで。それで、重要度順に並べなおしてちょうだい」

「はいっ!」

「王太子殿下の権限で処理できるものはこの部屋に置いたままで。分類をいたしましょう」

「分類ですか?」

「ええ。そのままフィランダー王太子殿下がサインと捺印を行えばいいだけの書類。不備のある書類。不備はないけれども下調べをしてから判断をしないといけない書類。その三つに分けて」

「はい!」


未処理の書類は膨大だが、やるべきことが分かり、指示があれば、動くことができる。


「不備のある書類に関しては、その不備の箇所を指摘したメモをつけて申請者に送り返して。下調べが必要なものに関しては、資料を皆で手分けして作成。書類に添付して。フィランダー王太子殿下がすぐに処理できるようにしてちょうだい」

「かしこまりました! ありがとうございます、フィッツクラレンス侯爵令嬢!」


即座に指示通りに動き出そうとした文官たち。

アンブローシアは「あ、ちょっと待って!」と硬い声で言った。


「動く前に……、現状……というか、この惨状をエヴァンジェリン第一王女殿下にお知らせして」

「しかし、エヴァンジェリン第一王女殿下は政務には関わってはおられないのですが……」

「知っているわよ。政務ではなく刑務に携わっていらっしゃることくらい」


ランカステル王国の刑務内容は、他国とは異なり少々特殊だ。


犯した罪が無銭飲食であろうと殺人であろうと、一律的に『獣人化』の魔法がかけられ、辺境の『獣人領』に送られる。

その『獣人化』という特殊な魔法をかけることができるのは、ランカステル王国の王族だけ。


現国王バレシオス、第一王女ヴァンジェリン、王太子フィランダー、第二王女カサンドラ。

その四名だけが、現在、獣人化の魔法を持っている。


好き勝手に好まない者を獣人化し、辺境の獣人領に放逐することもできる。故に、刑務官の長には、感情的ではなく真面目な性格の第一王女ヴァンジェリンが選ばれたのだが……。


「王太子殿下が政務を行わず遊んでばかりという現状を、国王陛下に報告し、早期の帰国をお願いできるのも、王太子殿下を諫められるのも、エヴァンジェリン第一王女しか……」

「そ、そうですね……」


第二王女カサンドラは、フィランダーよりも更に享楽的な性格なのだ。

国王陛下への報告など、頼んだところで行ってくれるとは思えない。


「情けないけれど……、わたくしがフィランダー王太子殿下に政務をきちんと行ってくださいと言っても、聞き入れてはくれないわ」


悔しそうに俯いたアンブローシア。


「お嬢様……」

「アンブローシア様……」


専属執事のクリューセースと侍女のメリッサも唇を噛んだ。


アンブローシアは自ら望んで王太子であるフィランダーの婚約者になったわけではない。

王命により、仕方なく婚約者としての立場を拝命しただけなのだ。


仕方がないとはいえ、受けた以上、きちんとフィランダーと向き合い良好な関係を保とうとアンブローシアは覚悟をしていた。

だが、初顔合わせの時から、フィランダーのアンブローシアに対する態度は悪かった。


「闇と血を合わせたような髪の色は気持ちが悪い! その無駄に大きい瞳でこの俺様を睨むとは不敬だ! 顔つきも目つきも可愛げの欠片もない!」


初めまして、よろしくお願いいたします。

そんな言葉を発するより先に、フィランダーはアンブローシアを罵ってきた。


「俺様の婚約者であるのなら、もっと可憐でふわふわした小動物のような令嬢が良かったのに!」


ぶつぶつと文句ばかりを言ってくるフィランダーを殴りつけたい衝動に、アンブローシアは何度かられたことか。

好みに合わない婚約者を押し付けられたのは、アンブローシアも同じなのだ。


それでも耐えてきた。

文句も言わず、耐えに耐えてきた。

だが、最近は、怒りに震える拳を押さえることが難しくなってきたし、先ほどは「あああぁぁぁあのクソ馬鹿王太子がっ! ふざけるなあああぁぁぁあっ!」などと、淑女らしからぬ怒声を上げてしまった。


もう、限界かもしれない。


正直に、そう思った。


が、そんな思いはいったん置いて、とにかく目の前の書類をなんとかしなければならない。処理はできずとも、せめて整理整頓だけは……と。


この膨大な書類を放置して困るのは、文官たちや申請者である貴族たち。更に言えば、領民、平民たちなのだ。


「とにかく、フィランダー王太子殿下が帰城なされるまで、わたくしたちでできることを行いましょう!」


アンブローシアは両手の拳を固めて「ふん!」と鼻息荒く、気合いを入れた。



   ***



文官たちと共に書類を整えているうちに、日も暮れ、夜となった。

今日はここまでにして、続きはまた明日に……と思った時に、ようやくフィランダーが王城に帰ってきた。

しかもその腕に、外見だけは可憐な小動物系令嬢、イリスを連れて。


「おい! 書類の処理は終わったんだろうな!」


開口一番のフィランダーの高圧的な言葉に、さすがのアンブローシアも怒りを覚えた。

アンブローシアは額に青筋を立てながらも、なんとか口調を押さえて言った。


「……王太子殿下の執務机の上の書類でしたら、後は王太子殿下のサインとご捺印を待つのみです」

「はあ?」


何が「はあ?」だ。アンブローシアの額の青筋が増えた。


「…………不備のある書類は提出者に再提出を求めました」

「それだけか⁉」


怒鳴りつけたいのを、奥歯をかみしめぐっとこらえる。


「………………フィランダー王太子殿下のご判断が必要なものに関しましては、現在、文官の皆が手分けをして詳しい資料を作成しております」

「愚鈍に過ぎる。俺様は書類をすべて処理しろと言い残したはずだ。アンブローシアも文官たちも無能ぞろいだな」


何だとこの野郎、これはすべてキサマの仕事だろう!


淑女らしからぬ口調で怒鳴りつけそうになったが、アンブローシアは唇をかみしめて、ぐっと耐えた。


わたくしは淑女。

わたくしは、淑女!

わた、くし、は、淑、女‼


胸の中で繰り返し唱えてから、息を吸って吐く。


「……書類の決裁にはフィランダー王太子殿下直筆のサインとご捺印が必要です。わたくしにはその権限はございません」


耐えて、告げた。

というのに、フィランダーは蔑みの目を向けてくる。


「この俺様がやれと命じたのだが?」

「王太子殿下の口頭でのご命令程度では、単なる侯爵令嬢のわたくしが国政に関わるのは無理でございます。どうしてもとおっしゃるのでしたら、国王陛下直々のご命令書をお持ちくださいませ」


そんな命令書など、国王陛下が出すわけはないだろう。

内心でそう思いつつ、アンブローシアはルビーのような赤い瞳で睨み返す。


「キサマ……!」


睨みあうフィランダーとアンブローシア。

そこにイリスが割りこんできた。


「フィランダーってばかわいそー。婚約者もぉ、部下もぉ、無能ばっかりなの~」

「そうだろう。なあ、慰めてくれよ、イリス~」

「いいよーん。じゃあ、フィランダーのお部屋に行く? ベッドを使う前に、あたし、お風呂入りたいんだけどー」

「おお、良いぞ、一緒に入るか?」

「きゃー、えっちぃ」


あはは、うふふと、ピンク色の空気をまき散らす二人に、アンブローシアは低い声を出す。


「……お戯れの前に、ご政務を」

「はあ? 邪魔をするなよ」

「執務机の上の書類は王太子殿下の名を書いて、ご捺印いただくだけです! せめてそれだけでも処理を願いますっ!」

「俺様は忙しいと言っただろう、キサマがやっておけ」

「王太子殿下の婚約者という立場程度では、国政を左右する書類にサインはできません。それは王太子殿下の行うべきことでございます」

「うるさい、うるさいっ! この俺様に逆らうなっ!」

「殿下っ!」


王城にいる文官たちが困るだけではない。

申請書類を上げた地方の領主などは、もしかしたら、一日千秋の思いで、認可が下りすのを待っているのかもしれない。

それを思えば、アンブローシアは一歩も引けなかった。


「婚約者だというのに、この俺様の意に添わず、文句ばかりか! キサマなどこの俺様には不要だっ!」


たとえ婚約が破棄されても、サインと捺印だけは!


アンブローシアが叫ぼうとした瞬間、フィランダーがアンブローシアを指さした。



「アンブローシア! キサマを『獣人刑』に処してやる‼」



「え?」という間もなく、フィランダーの人差し指から放たれた金色の光が、アンブローシアの体を包む。


「きゃああああぁぁぁああああ!」


さすがのアンブローシアも、あまりのことに思わず叫び声を上げた。まとわりついた光はすぐに消えたのだが……。


「な、な、な……、何ですの、これは!」


まず見えたのは、腕。

大理石のように白く滑らかだった腕には、暗褐色の剛毛が生えていた。

恐る恐る両の掌を頬に当ててみれば、そこにも毛が生えているようで。

鏡がないから見ることはできないが、触れた感触からすると、鼻孔が広がり、耳も小さくなっている気がした。


「お、お嬢様!」

「アンブローシア様!」


クリューセースとメリッサが、引き攣ったような叫びを上げた。


「ね、ねえ……、クリューセース、メリッサ……。わ、わたくしの身体は……どうなって……」


クリューセースとメリッサが答えるより先に、フィランダーが嘲り笑う。


「あははははは! キサマの顔と体をメスゴリラにしてやったぞ!」


フィランダーの隣では、イリスが腹を抱えて笑っていた。


「いやーん、アンブローシア様ってば! ゴリラ獣人なんて、みっともなーい! 笑っちゃうわ~」


ゴリラ。ゴリラなのか。確かにこの両腕の剛毛は……。そして、広がった鼻腔に、頬の毛も……。


「う、嘘……」


アンブローシアの身体がぐらりと揺れる。そうして、糸の切れた操り人形のように、床にへたり込んだ。


「あははははは! ざまぁみろ! アンブローシア!」

「きゃははははは!」


二人の笑い声を、どこか遠くに聞きながら、アンブローシアの意識は急速に遠のいていった。 






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