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第9話 追いかける背中

 爽やかな朝の陽射しが差し込む大食堂。いつも通りウィステルとフィセリオは向き合って座っていた。今朝の食卓はベルフラムの計らいで、収穫祭に出す予定のかぼちゃのポタージュが供された。


 給仕から朝食が運ばれ、かぼちゃのポタージュは、ラティマー領から取り寄せた白磁の器に注がれている。フィセリオは普段は食卓にない白磁製のスプーンに目を留め、手に取った。


「……これは?」

「ラティマー領で作られている白磁製のスプーンです。収穫祭でかぼちゃのポタージュを購入してくださった方に、そのまま器とスプーンも差し上げる予定なので。もしよろしければ、かぼちゃのポタージュと共に感想をいただけませんか?」


 フィセリオは白磁のスプーンを手にしたままポタージュを掬い、口へと運ぶ。評価を求めたからか、至極真面目な表情でじっくりと味わっているようだった。


「美味いな。スプーンの口当たりも滑らかで食べやすい。かぼちゃのポタージュなら旬を味わえて、収穫祭という祭りにも合う」


 “愛している”という体の妻が、手ずから作った料理。これまでの演技を通すなら、酷評できるはずもない。それでもキャスバート家の名に傷がつくような出来であればさすがに止めるだろう。つまり、問題ないと判断されたということで良さそうだ。


「これは……君が作ったのか?」

「もちろんです。ベルフラムたちに助言はいただいておりますが、お手を煩わせるわけにはいきませんので。当日はジャスミンに手伝ってもらう予定です」

「あぁ……そうではなく、君は料理ができるのかと少々驚いてな」

「ラティマー家の窮状は知っていると思いますが、従者が少なくなってからは当番制にしていたので。教えてもらいながら厨房に立つうちに身についたんです」

「なるほど……君の発想の大半は経験に由来しているということか。だから前にパウンドケーキも自分で焼いたんだな」


 確かに自身の発想や行動の根源は、経験やそこから得られたものが基準になっている。前に焼いたパウンドケーキや今回のかぼちゃのポタージュも、ラティマー家に残ってくれた従者たちから学んだものだった。


「もう一つ、ブールドネージュも出すつもりなのですが、そちらは仕事の合間にお持ちしてもよろしいですか?」

「ブールドネージュか……ありがたくいただこう」


 フィセリオの口元は優しく弧を描きながら、二口目のポタージュを味わっている。味やスプーンの使い心地への感想に偽りはなく、ブールドネージュも迷惑には思われていない。嘘の匂いのない朝の空気を静かに吸い込みながら、ウィステルは胸を撫で下ろした。



* * *



 休憩としてちょうどいい頃合いを見計らい、ウィステルはフィセリオの執務室を訪ねる。扉を開けて迎え入れてくれたのはフィセリオの補佐を務めている執事のエルウッドだった。


「フィセリオ、ウィステル様が来てくれたぞ。休憩だ、休憩」


 とても執事とは思えない言葉遣いでエルウッドはフィセリオに声をかける。彼とフィセリオは物心がついた頃からの友人同士であり、いわゆる幼馴染の関係なのだとエルウッドが教えてくれた。表に出ていないときはこうして、友人として気兼ねなく接しているらしい。


 フィセリオが求婚のためにラティマー家の屋敷を訪れたときにも、傍らにいたのはエルウッドであった。フィセリオの目配せ一つで、あの援助の顔をした“服従契約”の書類を差し出してきたのも彼だ。


 あとは一切余計なことは口にせず、静かに無表情で後ろに控えていたことを覚えている。キャスバート家の屋敷に来てエルウッドを見たとき、あまりの違いに困惑したのが少し懐かしく感じられた。


 書類に目を通しながら固い表情をしていたフィセリオの視線が上向く。ウィステルと目が合うと、ふっと緊張を和らげて微笑んだ。些細な仕草すら利用し、ここにいるエルウッドとジャスミン……そしてウィステルの目を欺こうとする。そういう人間だということは、残念ながらすでにお見通しだ。


「君が来てくれるのを待っていた。職務中でも会えると、楽しみにしていたんだ」


──あれ?


 お決まりの“妻を愛する夫”の演技。フィセリオは差し込めそうな瞬間と見ると、すぐ抜かりなく言葉にしてくる。


 ただ、いつもなら微かにでも必ず嘘の匂いが混じっていたのに、なぜか今はしない。本当に来るのを待っていて、楽しみにしていたのかと絶句する。


「……ウィステル、どうした?」

「あぁいえ! なんでもありません。ブールドネージュをお持ちしました」


あ、そうか……これですね。

楽しみにしていたのは。


 今日はブールドネージュを持っていくと予め伝えておいた。先ほどの言葉に嘘がなかったのも、間違いなくこれのおかげだろう。本心はわからないが、ウィステルは勝手にそう結論づけた。


 心配そうにこちらを見ていたフィセリオの方へ近づき、ブールドネージュを詰めた小瓶を執務机の上へと置く。フィセリオの食の好みについてまだ聞いたことはなかったが、意外と甘いものが好きなのかもしれない。


「エルウッドさんも、よかったら食べてみてください」

「えっ、僕までもらっちゃって良いんですか? ありがとうございます、ウィステル様」


 もう一瓶用意してきていたブールドネージュをエルウッドへ手渡す。彼は頬を緩め、人懐っこい印象の笑みを浮かべながら中身へと視線を落とした。


「昨夜母上に呼びつけられたんだが、君のブールドネージュを絶賛していた」

「お義母様が? 喜んでいただけたみたいで嬉しいです!」

「互いの名産を使ったと聞いた」

「アーモンドとかぼちゃですね。互いの領のものが合わさって一つの形になっているって、素敵だと思いませんか? わたくしはこれを友好の証として、皆さんに味わってほしいんです」


 ラティマー領のものに親しんでほしい、友好の証を示したいというのはもちろんだが、これを“嫁いできたばかりの公爵夫人”がやることに最も意義がある。この時期だからこそ「キャスバート領に早く馴染みたい」「キャスバート領も大切にしたい」という気持ちが伝わりやすい。


 注目が得られている間に、多くの人々にウィステルという存在を知ってもらい、親しみを持ってもらう。それがこれからの公爵夫人としての活動の地盤を、より強固なものにしてくれるだろう。


「あぁ、私も同感だ。ブールドネージュを選んだのは、民からすれば小さな“贅沢”に見えるからだろう? 砂糖……ましてや粉砂糖を買う者は少ない。特別感がある」


 公爵だからと少し見くびっていたかもしれない。フィセリオは庶民感覚を失った貴族というわけではなさそうだ。それをどこから学んできたのかは判然としないが、平民から登用した臣下から掴んだ感覚というのが、可能性としては一番高そうだった。


「えぇ、その通りです。わたくしの意図を汲み取ってくださって嬉しいです! フィナンシェやマドレーヌも考えましたが、日持ちしやすく見た目にも特別感があって心が惹かれるのではないかと」


 丸くて軽い食感のクッキーに、雪のようにまぶされた粉砂糖。あの繊細で口の中で崩れて溶けるような味わいは、貴族も平民も関係なく魅了してくれる。小粒なのに香ばしい風味がし、満足感もある。きっと気に入ってもらえるのではないかと、ウィステルは期待していた。


 フィセリオは瓶の蓋を開けると、ブールドネージュを一粒取り出して口に含む。ゆっくりと噛み締めるごとに、彼の表情が緩くほどけていった。


「フィセリオは本当、ウィステル様が来てから表情が柔らかくなったなぁ」

「そうだろうか?」

「そうだよ。いつもの気色悪い微笑みに、作り物感がなくなった気がする」

「気色悪いとはなんだ、気色悪いとは……」


 まんまと騙されているエルウッドに、ウィステルはなんとも言えない気まずさを感じていた。物心がついた頃からの付き合いであるエルウッドでさえ騙しきってしまうフィセリオの笑みと演技。一体この人は、どこまで自分を綺麗に完璧に偽ることができるのだろうか。


「やっぱウィステル様がエオナック様に少し似てるからか?」

「エオナック様……ですか?」


 その名前は嫁いできてから何度か耳にした。エオナック・キャスバート──キャスバート家の嫡子であり、すでに亡くなってしまったフィセリオの兄だ。


「えぇ。説明しようと思うと難しいんですけど、そこにいるだけでふっと空気が和むような、そんな雰囲気の方でした」

「そうだったのですね。そのような方と似ていると言っていただけるなんて光栄です」


 家督を継ぐことを期待されていた人徳のある人物であることは、これまでに聞いてきた断片的な内容から察していた。けれど彼は生来体が弱く、病気がちだったという。


 義父母が言うには、エオナックは家督を継ぐために義父のもとで政務を行いながら学んでいた。しかし、流行病に罹患すると元々の病弱な体質が災いし、日に日に衰弱。回復することなく亡くなってしまったらしい。


 その後、士官学校を中退したフィセリオがエオナックに代わり、次期当主として政務に携わるようになった。フィセリオもエオナックに負けず劣らず優秀だったようで、異例の早さで公爵家の当主として家督を継いだと聞かせてもらっている。


「フィセリオもそう思うよな?」

「……そうか、そうだな。ということは、君には私にはない力があるということだ。兄上は私より遥かに優秀な人だった」

「フィセリオはエオナック様にだけは頭が上がんないんだよな」

「目標にしていたからな。仕方ないだろう」


 フィセリオは少し気まずそうにしながら咳払いし、この話を終わらせようとした。謙遜のようにも聞こえる言葉に嘘の匂いはない。つまり本心から、自分の方がエオナックよりも劣っていると考えているということだけは伝わってきた。


フィセリオ様でも、そんなふうに考えることがあるんですね……


 自信にあふれ、堂々とほほ笑んで振る舞う姿から、そういった感情とは無縁だと考えていた。こうして意外な一面を知るたび、自分の中に抱いたフィセリオという人の印象に、少しずつ血が通っていくような気がした。


「では、似ていますね。わたくしも兄の背中を見て、憧れて追いかけてきました。優しく、冷静に皆を導けるような人に……と」

「そうかもしれないな」


 ぽつりと呟いたフィセリオの言葉に、微かな熟れた匂いが混じる。似ていないとまで言い切れないが、似ているとも言えない……そんな小さな引っかかりのようなものを宿した匂いだった。

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