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第47話 募る想いの行方【フィセリオ視点】

 ラティマー領での魔物災害が収束し、フィセリオは事後処理と、後回しにしていた政務に追われる日々を過ごしている。今日割り振っていた分の仕事を終えた頃には、すでにとっぷりと日が暮れていた。


 フィセリオは執務室に臨時で備えつけていた棚の整理を始める。情報が散らばることなく一箇所に集まるようにと設けた棚には、魔物災害関連の報告書や書類が入っている。それを必要なものと不要なものに選別し、不要なものは処分して必要なものは書類保管庫へ移動させたいと考えていた。


 ただ場所を移すだけなら従者に任せれば良いと思うが、フィセリオは内容の最終確認も兼ねて一度目を通すことにしている。見落としがないかを確認しながら整理し、万が一がないよう備えるためだった。


 一枚ずつ目を通しては、要・不要を仕分けていく。また紙の束から一枚手に取り、目に飛び込んできた文字に一瞬思考が停止した。


【領主・ローワンが魔物の毒に侵され、現在昏睡状態にある。至急政務補佐官の派遣を要請す。】


 この報告書が届いたとき、フィセリオの脳裏に浮かんだのはウィステルの姿だった。両親を失い、唯一の肉親となったローワンを兄として敬愛していることは知っていた。


『ローワン……兄、様……』


 ウィステルが過労で倒れたとき、彼女が助けを求めた先もローワンだった。そんな人が、今……死にかけている。それを知って、ウィステルは耐えられるだろうか。


 フィセリオは少しだけ迷い、ウィステルに伝えることを選んだ。どれだけ隠そうと、事実は覆らない。事が事なだけに、どこからともなく勝手に情報は入ってしまうだろう。向き合わなければならないときが必ずくるのなら、こちらの心構えができているタイミングの方がいい。


 そしてこの報告書を読んだウィステルは、酷く青ざめた顔で凍りついていた。


『損失など……一つもありません。仮にわたくしが死のうと、代わりなどいくらでもいるはずでしょう!』


 それは気丈に振る舞い、涙一つ零していなかったウィステルの慟哭だった。代わりなどいくらでもいる……そう思わせてしまったのは、誰より自分のせいだとフィセリオの胸に突き刺さった。


 最終的にウィステルの願いを跳ね除け、ラティマー領へ行くことを許さなかった。それは情勢や外部からの見え方などを加味した、公爵家当主としての判断だった。


──本当にそうか? 私情が混ざっていなかったと、本当に言い切れるか?


 行かせてやりたい気持ちがなかったわけではない。しかしウィステルが現地に赴いたところで、ローワンが助かるわけでもなければ、何か役に立てる保証もない。話を聞く範囲では、政治的懸念も多い中でわざわざ行くほどの価値を見出せなかった。


『それでももし万が一のことがあれば──私を……一生恨んでくれて構わない』


 納得しないウィステルを理詰めで追い詰めるように、説得しようとした。けれどその最後、どうしてあそこまで必死だったのか、自分でもよくわからなくなっていた。


 本当は当主としての判断は建前でしかなく、単に自分の傍を離れてほしくなかっただけではないのか、という不安がよぎる。当主としての判断に、差し込んではならないはずの情を差し込んでしまっていたのではないか、と。


 それでも不思議と後悔はしていなかった。もしローワンが亡くなれば、ウィステルに一生恨まれることになっていた。けれど、それでいいと……思えた。


 ウィステルにとって、ローワンは杖だ。何度も傷ついては、支え合って耐え、歩んできたウィステル。その杖をなくしてしまっては、喪失と痛みに歩けなくなってしまう。だからといってフィセリオは、ローワンのような形でウィステルの杖になれるとは思えなかった。


 たとえ歪んでいると言われても、フィセリオにできるのは、憎しみという形をした杖を差し出すことだけだった。喪失も痛みも、憎しみに変えればまた歩いていけると信じて。



* * *



 フィセリオは日付が変わる前に書類整理を途中で切り上げ、寝室へと戻ることにした。


 できるだけ音を立てないように扉を開くと、廊下の明かりが暗い寝室へ薄く差し込む。ウィステルはすでに就寝しており、寝台の上にできた一人分の小さな山の輪郭が照らし出されていた。


 あのあとウィステルは、私財のほとんどを水の魔石の購入と技師を雇うために売り払った。それはフィセリオが彼女を妻として迎えるために用意したものが大半だった。


 ウィステルは何度も何度もフィセリオに謝りながらも、思いつくことが他にほとんどないこと、思いつく限りのことは尽くしたいことを懸命に説明してくれた。フィセリオは、ウィステルにあげたものはウィステルのものだと考えている。入り用になればまた都度購入すればいい話で、好きにしていいと快諾した。


 彼女の私財は段階的に量を減らしていった。最終的に手元に残ったのは、母親の形見だという真珠のイヤリングとネックレス。フィセリオが贈った貝殻を使った懐中時計。新年の夜会に着ていった東雲色のドレスを始めとした、必要最低限のドレスや服だけだった。


 ローワンと再会する前のウィステルは、眠りが浅かった。夢見も悪いのかうなされていることもあり、頻繁に寝返りを打っていた。水を飲みによく寝台を離れていたことも覚えている。


 寝台へ近づくと、薄暗闇の中、ウィステルの穏やかな寝顔が見える。ラティマー領から戻ってからはすっかり元通りになり、深く眠れるようになったようだった。


 布団の中にあるウィステルの手を取り、口元へと寄せる。眠ってしまっているが、いつも就寝前にしている挨拶をしようとした。


「おやすみ、ウィステル……」


 いつも通りに指先へ口づけると、胸の奥が焼けるように熱く、痛みを訴えた。今日はなぜか、いつも以上に指を離すのが名残惜しく感じた。


 規則正しく繰り返される寝息。無防備に晒された寝顔。ここがウィステルにとって、ちゃんと安心して眠れる場所であることが嬉しい。


 それでも、これはローワンの無事があってこその安らぎだ。これだけ心を揺さぶり、安心を与えられるのが、ウィステルにとってのローワンという存在だった。


「……っ」


 遠くに離れていても強く心の支えになれる彼と、寝台を共にするほど近くにいるのに何もできない自分。無力で、ウィステルの心の中で何者にもなれていないようで。その現実が、掻きむしられるように苦しく、耐え難い。


「……愛してる」


 胸の奥で熱く煮え滾っていたものが爆発的に迫り上がり、痛みと共に零れ落ちていた。零れ落ちたあとで……ハッとした。


 もう、痛みや苦しみを感じてしまうほどに焦がれてしまっている。こらえきれないほどに、想いが限界まできている。それほどまでに“好き”になってしまった。


 呟いてしまったのは、ウィステルが眠っているという油断と慢心からだ。聞かれてしまえば、そこに嘘がないことがバレてしまう。愛を騙った人間に、本物を告げる資格はないというのに。


 フィセリオはいまだ自身の胸の奥で荒々しく逆巻く熱を、叩き潰すように喉の奥に押し込んだ。ウィステルの指から手を離すと、胸の奥の熱も少しだけ引いたような気がした。


 私にできることは、ウィステルの望むことを叶えてやることくらいだ。


 キャスバート家に残り、公爵夫人として役に立ちたいという願いを叶えて、ウィステルを妻という立場に留めた。ウィステルはフィセリオの罪を利用し、フィセリオはウィステルの望みを利用して傍に繋ぎ留めた。二人で仲の良い夫婦を演じ、キャスバート家と領地を支えていくという共犯関係。


──たった、それだけだ。


 傍にいてくれるだけでも、自分がウィステルにしてきたことを考えれば贅沢な話だ。これ以上望んではならない。フィセリオは布団の上からぽんぽんと撫で、その場を離れた。


 妹……妹ができたと思えばいい。


 ウィステルの理想はローワンだ。これまでフィセリオが理想を求めて兄のエオナックを模倣してきたように、今度はローワンを模倣すればいい。フィセリオは自分にそう言い聞かせながら、浴室の扉を静かに開いた。

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